第18話 来客、再び
その日は突然やってきた。
ある日の放課後のことだ。
「
予告なしに石動が我が家にやってきた。
これには驚いた。
だって俺のところに遊びに来るということは、その間は加嶋をほったらかしにしているということになるだろ。
だから、また遊ぼうと約束したとしても、そうそう我が家に来ることはないと思っていた。
……まあ、石動の方も俺と同じく俺のことは『同性の友達』という感覚だろうから、単に普通に友達のところに遊びに来ただけに違いない。
深く考えるのは止そう。
幼馴染が今でも俺と仲良くしてくれようと思っている。その気持ちだけで充分嬉しいのだから。
「朝からずっと、今日は文斗んとこ行こーって思ってたんだ」
居間に来るやいなや、ベージュカラーのコートを脱ぎ捨てて、床に寝転がり始める。
今日の石動は、上はぴったりしたバーガンディカラーのニットなのだが、下はレザー生地風の黒いショートパンツで、足回りに余裕があるタイプだから、不用意な寝転がり方をしていると色々見えそうな感じになってしまっていた。視線はできるだけ下に向けないようにしないと。
何故俺は自宅なのにこんな気遣いを? いくら幼馴染だからといって、もう少し警戒する気はないものか。
「なんか文斗の家って落ち着くんだよね」
「そうか。石動にもい草の香りの良さがわかるか」
畳の居間は、この安アパートの利点の一つだ。実家はマンションだからフローリングだったのだが、母方の祖母の家が昔ながらの家の造りで畳の茶の間があったので、い草の香りは幼少の頃を思い出して癒されるのだった。
「違うよ、畳の匂い嗅ぎに来たんじゃないよー」
口をとがらせながら体を起こす石動。
「あっ、石動」
「何?」
「もうアトついてる」
石動の頬には、ほんの少しだけれど畳の痕がついていて、白い頬が赤くなっていた。
「どこに?」
「そこだよ、ほら」
俺の言い方が悪いのか、石動は見当違いなところに手を当てる。
焦れったくなった俺は、頬だとわかるように人差し指を伸ばすのだが。
「あっ……」
距離の目測を見誤って、指先が石動の頬に直接触れてしまう。
「わ、すまん!」
慌てて指を引っ込める俺だったのだが、思いの外柔らかくひんやりした感触が指先に残ってしまう。
「頬だよって教えたくて……」
「うん、そっか。わかった。ありがと……」
石動は怒っているわけではなさそうだったけれど、俺の人差し指が触れた頬から赤みが伝播して顔全体がほんのり上気しているように見えた。
石動は、アトを取るためか、指先で頬を撫でようとする。
「……取れたかどうかわからないから、文斗がやってよ」
途中で指を止める石動だが、視線は俺から逸れている。
石動の両手は、正座状態の脚の間に収まってしまっているし、もはや完全に俺任せなモードに入ってしまっているから、自分でやる気はなさそうだ。
確かにまだアトは残ってはいるが、目を凝らさないと見えない程度のものだ。
「わかったよ。動くなよ」
指摘した責任があるような気がして、石動の頬に再度手を伸ばす。
別にやましい気持ちはないのに、いったいどれだけ無駄な深読みをしているのか、俺の指先は震えていた。
相手は石動だ。俺は何を動揺しているのだ。頬に触るだけだぞ?
半ばヤケになって石動の頬に触れると、不思議な感覚に襲われた。
くそー、石動のくせに……! 中学生になるまで、顔は石鹸で洗うわ化粧水すら使わないわで肌ケアに無頓着だったのに見事な弾力のある肌を保ってやがる……!
「はい終わり」
適当に数回ほど軽くこすって、俺は指を離す。
「……まだ取れてなくない?」
「取れたよ。もうないよ」
「うそだぁ」
どういうわけか、自分では見られないはずの石動の方が強気に出てくる。
「これ以上こすったら化粧が取れちゃうぞ。素顔出しちゃっていいの?」
「この前泊まった時見たのにー?」
体ごと首を傾けて、俺を顔を覗き込んでくる。
酩酊状態の石動が我が家に泊まった時、風呂上がりですっぴんな姿を晒しているのだった。隠すつもりはゼロだったし、実際隠さなくても見惚れるほどの顔立ちはしていた。
「とにかく、もう大丈夫だから。鏡見てこいよ」
「んー、わかった」
ようやく納得してくれたのか、立ち上がった石動が洗面所へ向かうべく背中を向ける。
「ほっぺに触るだけでドキドキしちゃってそうな文斗のことも堪能できちゃったし」
振り向いた石動が、にっこり微笑みかけてくる。
「相手私なのに、変なの」
手を後ろに組んで、じっとこちらに視線を向けてくる。
ちょっと取り乱してしまったが、石動の言う通りだ。
女子っぽくなろうが、石動は石動である。
動揺する方がおかしいのだ。
「気のせいだよ。俺が今更、石動相手にどうこう思うわけないから」
「おっ、言ったね」
それだけ言うと、石動は居間の扉を開けて廊下へ消えていった。
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