第13話 幼馴染と一戦交えたあとの朝 その2

「じゃあ早く着替えちゃいなよ」

「はいはい」


 ようやく布団から出てくる気になった石動を前に、俺は大事なことを失念していたのに気づく。


 石動の泊まりは急遽決まったことだから、当然着替えやパジャマの類いなんぞ持ち合わせていない。


 だから、シャワーを浴びたあと着替えを欲していた石動に、俺の服を貸したわけだけど、実家を出て間もなければ、おしゃれの衣装持ちでもない俺がたくさんの服を持っているはずもない。


 仕方がないから、パジャマ代わりに持ってきていた俺のTシャツを石動に貸していた。


 ただ、着古していたこのTシャツは、首元がかなりダルダルになっていた。


「寝起きすぐに立つのってだるいよねー」


 などと言いながら、石動が掛け布団を跳ね飛ばし、立ち上がろうとして両手を床につけて立ち上がろうとした時だ。


 石動を見下ろすかたちで立っていた俺には、見えてしまったのだ。


 重力に負けてぶら下がる、柔らかそうで艶めかしい真っ白な逆釣り鐘が。


 こいつ、なんでブラしてないの。


 いや、女子はそういうもの……なのか? 俺にはわからない。もしかしたら、一日中着ていた下着をまた付けたくなかっただけなのかもしれないけど。


 だが、これはマズい。


 石動に『異性』を感じるなど、俺のプライドが許さない。


 それに、加嶋という彼氏がいる今、石動を異性としてカウントするととても面倒で不義理なことになる。


 父親の不祥事に巻き込まれて『世間一般の普通の家庭』を失った身としては、自分自身が同じようなトラブルの火種になるのは何が何でも絶対に嫌だった。石動が加嶋より俺を選ぶ、という思い上がりの恥ずかしさを含めて。


「そこの棚に俺が普段着で使ってる服を詰めてるから、着られそうなの着てくれ」


 着替えてる間廊下出てるから、とだけ言い残して、俺はそそくさと居間をあとにする。玄関と居間の間にはちょっとした廊下があって、トイレや風呂もそこから入ることができた。


「え、何でも着ていいの?」

「着られるもんならなー」


 最低限悪目立ちしない服さえあればいいと考えてファストファッションの店で揃えた服ばかりだから、石動からすれば物足りないだろうに、やたらと声が弾んで聞こえた。


「落ち着け、落ち着け俺。俺にとって石動は、ただの友達だ……」


 俺は居間の扉を背にして、天井を見上げて気分を落ち着けようとする。背後からは、能天気な鼻歌が聞こえた。


「そしてさっきたまたま見えちゃった石動も胸も、あれは――」


 加嶋という彼氏のもの、と、公然の事実を再認識しようとした時、自分でも驚くくらい気分が重くなっていることに気づいてしまう。


「やめろ、やめろ。この手の問題は深く考えたらダメだ」


 俺は異性と付き合った経験がないから、この手のことに関しては保守的な自負があるが、だからといって彼氏持ちの幼馴染の性生活まで深掘りする気はない。そんなの、石動の自由じゃないか。


「ていうかこの音、なんだ?」


 さっきからバサッ、バサッ、と何かが床に落ちる音が何回も聞こえるのはこれ、服を引っ張り出しては散らかしているんじゃないだろうな?


「石動~? もしかして散らかしてない?」


 俺は扉越しに声を掛ける。


「散らかしてないよ。とりあえず出してみてどう組み合わせようか考えてるの」


 そんな熟考するほどの服は持ち合わせてないぞ。


「俺からすれば散らかしてるんだよ、それ。どうせ片付けないだろ」


 石動の部屋は、何かと散らかっていたあたり、片付けが下手なことは見て取れた。見かねた俺が定期的に部屋の片付けを手伝ってやっていたくらいだ。


 と、ここで俺は、すんなりと受け入れている違和感に気づいた。


「……石動、お前、服……選べるのか?」

「え、どういう意味?」


 困惑の声が扉の向こうから聞こえてくる。


 いや、石動が戸惑うのも当然だと思う。


 私服がデフォになり、無数のおしゃれ女子がキャンパスを闊歩する中でも、石動はみんなの関心を集めそうな着こなしができるようになっているのだから。


「あっ、悪い。いや昔の石動ってもっとこう、何着るか熟考するほどファッションに興味持ってなかったっぽいから」


 石動はファッションには無頓着だった。


 けれど、決してダサい女子だったという意味じゃない。石動の場合、背が高くて細身で手足も長いから、Tシャツにデニムという至ってシンプルな格好でも十分サマになっていたのだから。


「えっ?」


 再び戸惑いの返事がかえってくる。


「そういえば、そうだったよね」


 おしゃれ化した今、中学以前の姿は遠い昔のことなのかもしれない。

 石動本人が忘れてしまうほどに。


「よし、じゃあこれとこれにしよう」


 どうやら石動は、何を着ていくか決めたようだ。


「あ、そうだ文斗~」


 未だ寝る時の格好のままの石動が、扉を開けてひょいと顔をのぞかせる。


「なんだ。着られそうな服、決めたんじゃないの?」

「そうなんだけど」


 石動は、両手を後ろに回してもじもじしている。


 そんな姿勢になっているせいで、胸元の膨らみが強調されてしまっていた。


 俺が貸したTシャツだからオーバーサイズになっているとはいえ、生地が薄い上にノーブラな状態では、石動の体型がより詳細にイメージできてしまう。


「着替える前にシャワー貸してほしいなって」

「ああ、そっか」


 石動は寝る前に一度シャワーに入っているけれど、女子的には朝にも浴びておきたいものなのだろう。髪もほんの少しもふもふになってしまっているし。


「あとトイレも貸して……」


 その時の石動は俺から視線を外していて、体をやたらと左右に振って恥ずかしそうにしていた。


 こっちが本題なのかもしれない、とちょいとゲスなことを考えた俺は。


「ちょうど近所に石動の分の歯ブラシ買って来ようと思ってたところだから、ゆっくりシャワー浴びてていいよ。鍵も掛けとくから」


 俺は、使っていいタオルやドライヤーの位置を教えると、近所に出かける用のてきとうな上着を羽織って外へ出た。


「……ちょっとふらふらして足動かしていれば、俺の頭も冷えるだろ」


 ゴールデンウィークを迎える直前のこの時期。まだ朝だと肌寒さが残っている。


 石動のために用意する歯ブラシは、コンビニで使い捨て同然のものを購入するか、ドラッグストアでちゃんとしたものを購入するか、迷いながら俺はアパートの階段を降りるのだった。

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