第7話 安アパートが俺の城
上京してから俺が住んでいるアパートは、築40年越えの安アパートであり、オンボロという程ではないが、設備的には現代っ子の感覚と照らし合わせるとなんとも頼りない。
六畳一間の部屋の中、床はフローリングではなく畳で、芳香剤を置いてもどこからか昭和の建築物な臭いがするし、キッチン周りだってオール電化ではない。
ベッドを置くほどのスペースがないから、寝る時は布団だ。普段は押入れにしまってある。
まあ大家の計らいで、風呂とトイレの衛生環境はリフォームされていて綺麗だから、生まれた時から温水便座が身近にある環境にいた俺からすれば余計なストレスを感じることなく済んだ。
そんな安アパートだが、大きなメリットがあった。
都心にアクセスしやすく、大学にも近いことだ。
おまけに、駅からも近い。
だから、酔った石動を連れてくるのに、最小限の苦労で済んだ。
とはいえ、異性に肩を貸して電車に乗ったり道を歩いたりしている時は、どうしても注目を浴びざるを得なくて、とても恥ずかしい思いをすることにはなかったのだが。
石動といえど女。
肩を貸すほど密着しながら歩けば、胸が当たってしまうことだってある。
思ったよりサイズがあるのは、この前知ったばかりだ。
そんな意外性のある女こと石動蒼生は今、俺が敷いた布団の上に転がっていた。
艷やかな長い黒髪が扇状に広がっていて、両手は重ねて腹部の辺りに置いている。ロングの白いスカートから、同じくらい白い足首がのぞいていた。
絵画みたいに神秘的な様子だけ表したが、そんな女が今両脚を立て膝にして大股開きになっているのだから神聖さは欠片もない。
まあロングのスカートのおかげで、パンチラ的なアクシデントには遭遇していないのだが。ていうか石動のパンチラなんぞ望んでいない。複雑な気分になるに決まっている。
ついでにシャツのボタンが2つ目まで開いていた。下にエアリズム的な肌着を着ているから下着が露出することはないとはいえ、あんまり視線を向けるわけにもいかない。
当の本人は、未だに気持ち悪さが消えないのか、うげ~っ、みたいな実に清楚さの欠片もない顔をしている。
「石動、大丈夫か?」
冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをグラスに注いで渡してやる。うちの水道はちょっとカルキ臭いから、おいしく水を飲みたいのならペットボトルを買って来ないといけない。
「だいぶ平気~」
「ダメそうだな」
平気って顔じゃないから。
俺は、寝転がったままの石動のそばに座り。
「どうする? 加嶋に迎えに来てもらう?」
「なんでそこで賢くんなの?」
「そりゃ彼氏だからだよ。こういう時頼るのは、石動の相方なんじゃないの?」
俺にはよくわからないけど、そういうものだろ、たぶん。
「…………」
石動は答えないまま、俺にごろんと背中を向けてしまった。
どうも石動は、加嶋を呼ぶことを快く思っていないらしい。
考えてみれば、恋愛を経て付き合っている恋人だ。酔いつぶれている惨状を目の当たりにした加嶋から幻滅されたくないのかもしれない。
「なんなの、加嶋とケンカとかしてるの?」
「してないけど?」
あ、こいつケンカ中だな、って一発でわかるテンションで返事が来た。
カップルのケンカに俺を巻き込まないで欲しい。
仲直りックス的な布石だったとしたら、俺は未来永劫石動カップルを許さないだろう。俺を前戯に巻き込まないでほしいところである。
「じゃ、落ち着くまでもうしばらくいなよ。どっちにしろそんな状態じゃまともに歩けないだろうし、一人で家に帰すのも心配だし」
石動を連れてくると決めたのは俺なので、無責任に放り出すわけにもいかない。
幸い、早めに新歓コンパを抜け出したおかげで、終電までにはまだまだ時間がある。
パソコンモニター程度のサイズのテレビがあり、その横には横置きのデジタル時計があった。
「…………」
時刻を確認している俺に、石動が無言で視線を向けてくる。
「何?」
「別にー」
それでも石動の視線は、俺を捉えたまま動かず。
「……文斗、ちゃんと一人で暮らしてるんだって思って」
「石動を家につれてきて寝かせただけで、一人暮らし上級者っぽいところ何もしてないぞ?」
「大学始まって1ヶ月近く経つのに、こうして暮らせてるわけでしょ? なんか一人での暮らし方確立してるのかなってくらい慣れてたから」
「まあ、最近になって俺なりのルーティンはできてきた気はする」
母親と二人暮らしだった頃とは違う生活パターンになったとはいえ、このところはそれに違和感を覚えることもなくなっていた。
「よく一人で朝起きれるよね」
それまで、追加で吐きそうな顔をしていた石動が、すげぇ、って視線で見つめてくる。
「私、実家だけど朝早い時はママ頼みだし」
「相変わらず朝には弱いのか……」
中学の時は流石にやらなかったけれど、小学生の時は近所に住んでいた石動を起こす目的でわざわざ早朝に訪ねていった覚えがある。俺はわりと朝が得意な方だから。
「語学が鬼門なのよ」
「ああ、語学の講義は1限目とか2限目にあるもんな」
1年生にとって、語学系の講義は必修科目だから、朝早い講義を避けて時間割を組むことはできない。
「そうそう。まー、遅刻するわけにもいかないから、頑張って出てるんだけどね」
石動が体を起こす。寝転がっていたせいで癖になっていた後ろ髪は、両手のひらで払うことで一瞬でサラサラに戻った。
男子みたいな中性的な見た目で、髪もショートだった石動が、辛うじて男子と間違われることがなかったのは、このサラサラの髪も理由の一つなのだろう。
「なんかお腹すいた」
腹に手を当てて、石動が言った。
何度か吐いてしまったから、石動の胃は今からっぽ状態だろう。
そういえば俺も、新歓コンパに乗じて腹を満たすつもりだったのに、中座したから結局たいして食事にありつけないまま終わってしまった。
食欲が出てきたということは、体調はだいぶ回復しているのだろう。
ここでカロリー摂取をして体力を回復させれば、石動を自力で家に返してやることができるかもしれない。
ここは俺が、一肌脱ぐことにするか。
「石動、ちょっと待てる?」
腕まくりをしながら、俺は立ち上がる。
「まさか文斗がつくるの?」
「一通りの自炊はできるよ、俺」
「うそ。家庭科の調理実習でぜんぜん戦力にならなかったじゃん」
「そりゃ中学生の時の話だろ……。高校生の頃から自炊するようになったんだよ。うちの母親が夜遅くまで働くようになったから、母親の帰りが遅い日は自分でつくれるように、必要にかられて覚えたんだ」
俺が高校に進学した頃、義務教育が終わったタイミングで、母親は家のことを俺に分担させるようになった。
それまで、親子ワンセットの暮らしで、母親は仕事をセーブしていたところがあったから、高校生になってちょっと大人になったタイミングで息子との向き合い方を変えたのだろう。俺からしても、一人暮らしに向けた練習ができたから有意義だった。
「えー、マジでー、あの文斗が?」
疑り深い石動である。
そんな酷かったかな?
確かに中学の調理実習では、味のしない超ヘルシー料理になってしまったせいで、石動を含めたグループのメンバーから顰蹙を買ってしまったけれど。
「わかった。汚名返上のチャンスをくれ。あの頃の俺じゃないことを、石動に証明してみせるから」
俺は、六畳一間の窓際にあるキッチンへ向かう。あいにくこの安アパートは、居間とキッチンが別れておらず、ワンセットだ。
「石動は、できるまで適当に時間つぶしててくれ」
いつまでも俺をメシマズキャラだと思っている石動をびっくりさせてやる。
過去に類を見ないくらいの高いモチベーションで、キッチンと向かい合うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます