第2話 別れと出会い その2
次の講義に出席するべくキャンパスを歩き、ヒマを持て余した学生がたむろしている、噴水が目立つ広場を通り過ぎようかという時、背後から声をかけられた。
「――文斗?
「えっ?」
振り返ったら知らない女子がいた。
長く艶やかな黒髪は、毛先が中心へと収束していくようにふんわりと切りそろえられていて、大きく丸い瞳は小動物的な愛らしさを感じ、白い肌は指先で触れただけで赤くなりそうなくらい繊細そうだった。華奢に見えるが、背はそれなりに高い。白いブラウスからは細い腕が見え、黒いスカートからは綺麗に伸びた脚が見えている。
もしうちの大学にミスコンなんてものがあったら、満場一致で優勝をかっさらいそうな、誰からも受け入れられそうな清楚な雰囲気がある美人だった。
「やっぱり文斗だ」
安堵したように美人が微笑む。
どうやらこの女子アナスタイルのゆるふわ美人は、俺を知っている様子。
だが、俺の記憶にはまったくない。
異性の知り合いに心当たりがないではないが……目の前の彼女とは正反対といっていい。
これくらい印象的な女子と交流があったのなら、いくら俺でも覚えているはずなのだが。
「……失礼ですけど、どちらさまですか?」
失礼を承知で、訊ねてみることにした。
ゆるふわ美人は、大きな目がいっそう大きくなるくらいショックを受けたような顔をするものの、髪の毛先を、細く綺麗な人差し指でくるくると巻くと。
「あ、そっか。これじゃあわかんないよね」
全身に染み渡って緊張を解くような柔らかな声音で、美人が言った。声を聞いているだけでこちらの頭までふんわりとしてしまいそうだ。そしてそれを不快に感じない。
「ほら、中学の時まで一緒だった」
「中学の時まで……」
ショックを与えてしまったお詫びとして、できるだけ早くゆるふわ美人をのことを思い出そうと試みるのだが……できなかった。
美人は、俺の態度に不快そうにするでもなく、顔がはっきりと見えるようにするためか、顔の横を覆っていた髪の毛をかきあげてみせる。
「私、
その名前を聞いた瞬間、俺の頭に電気が走った。
「い、石動ぃ!?」
生涯で最大の衝撃と言っていいかもしれない。
「だって石動は……もっと男子っぽいっていうか、いや、女子には違いないんだけど、『イケメン女子』っていうか、同性に人気があるっぽい感じで……」
戸惑いを隠し切れない俺は、まごついてしまう。
俺が知る石動蒼生は、宝塚の男役みたいな雰囲気のある中性的な女子だったから。
男ウケはよさそうな反面、ひょっとしたら反感を持っている同性がいそうな、清楚な見た目ではなかったはず。そういう格好を好んでするようなヤツでもなかった。
「そんな変わったかなぁ」
控えめに微笑む自称石動だが、変化に驚く俺を前にして、満足そうにも見える。
「そんな、語尾がふにゃふにゃした感じじゃなかったし……」
「またぁ。大げさすぎだよ、そんな変わってないじゃん」
ころころ笑いながら、自称石動が手のひらをひらひらさせる。
その変わりようを、「そんなに変わってない」で済ますとは……。
「女子なのに百メートルを11秒で走ったり、バスケでダンク決めたり、無回転で落ちるフリーキックを得意にしてた石動には全然見えない」
どちらかというと、体育で活躍する男子を女子のグループで一緒になって応援しているのが似合いそうな雰囲気だ。
「中学の時までは無茶しちゃったからねぇ。活躍したらみんな褒めてくれるから」
自称石動は、実に自然に俺の話に乗ってくる。
嘘をついているようには思えなくなっていた。
「もしかして文斗、別れる最後の日に抱き合ったことも忘れちゃった?」
「……石動……なのか?」
石動との最後の別れの思い出は、俺たちしか知らないはず。
「だから、もう何回も石動蒼生だよって言ってるじゃん」
口元に指先を当てて微笑む姿はとんでもなくお淑やかだ。
俺の知る石動は、平気で大口を開けて豪快に笑うヤツだったのだが……まあ、高校3年の間に、遅めの思春期に目覚めたということだろうか? 女子は男子よりも劇的に変化を遂げがちだから、おかしいことではない。
ただ、それが『あの』石動蒼生だと考えると……未だ受け入れがたいものがある。
「髪、染めたの?」
俺の知る石動は、もっと明るい髪色だった。中学の時は、地毛だと証明するのに面倒だとボヤいていた記憶がある。
「そだよ。変かな?」
石動は、長い黒髪を示して見せる。
「いや、別に」
もちろん違和感はあるのだが、髪色なんてどうでもよくなるくらい違和感だらけなので、気にならなかった。
満足そうにした石動は、
「文斗は、これからどこ行くの?」
「ああ。1号館に行くところ。そっちで講義受けるから」
「そっか。私は次の講義まで1コマ空いちゃうから、2号館のカフェまで行こうと思ってたんだけど」
ほんの少し口をすぼめて、石動が残念そうにする。
これは、一緒にそこまで同行したかったということなのだろうか?
一瞬、本来の正当な予定より、久しぶりに再会した元親友を優先させそうになった。
見違えるほど女っぽくなった同級生女子と、こうして再会するのは、何かしらの特別なイベントに発展する兆しに思えたからだ。
だが、そんなことはなさそうだ。
石動には連れがいたからだ。
石動より少し離れた背後から、こちらの様子を気にしながら立っている男がいる。
俺より背が高く、爽やかな印象があって、整った顔立ちは、同性の俺を持ってしても見飽きることがなさそうだった。
なんとなく、今の石動に釣り合ってるな、と卑屈なことを思ってしまう。
見違えた石動と再会できたのは、俺の人生でも屈指のサプライズだったが、余計な揉め事に巻き込まれたくはない。
「石動、連れが待ってるんじゃないの?」
「ああ、
振り返って、石動が言った。
その表情からは、恋する乙女とかいう小っ恥ずかしいフレーズが浮かぶほどの眩しい輝きはないけれど、それくらい付き合いが長いということなのかもしれない。
「そだ。賢くんいるし、これから一緒に文斗も行かない?」
「やだよ。なんで講義サボってまで、初対面の、ヒトの彼氏と一緒にお茶しないといけないんだよ」
「同じ男子同士、仲良くなれるんじゃない?」
「男子でくくるのは大雑把すぎるんだよ」
俺が、初対面相手でもなんなく交流できるようなコミュニケーションスキル持ちじゃないことくらい知っているだろうに。
……いや、大まかに俺のことは覚えていても、俺の細かな人間性のことまで覚えちゃいないか。何しろ、3年以上も一切交流していなかったのだ。俺たちの付き合ってそんな薄っぺらかったっけ? と思ってしまうくらい、交流が途絶えていた。
「そっかぁ。残念だなぁ」
大きくため息をつき、肩を落とす石動。
そして俺は、自分から切り出したことにも関わらず、あの石動蒼生にちゃっかり彼氏がいることに、軽くショックを受けていた。まだ大学1年の春だぞ? 嵐のようなサークル勧誘で新歓コンパの嵐も始まっていないから出会いの場も少ないというのに、もう彼氏持ちとは。いいんだけどさ、石動の自由だ。
まあ、そんなものだ。
俺の人生に劇的でロマンティックな出来事は起きないし、期待してもいない。あと別に、俺は石動と付き合いたいとか思ってないし……。
俺からすれば、石動はずっと『同性の友達』なのだ。
いくら綺麗になったからといって、急に異性として意識するものか。
石動蒼生との関わりも、これっきりだろう。偶然、昔なじみの顔に会ったから声をかけて軽く挨拶をしただけ。それ以上のことは何も起きまい。
そう思っていたのだが。
「でも、同じ学校なら、また会えるから。またね」
石動としては、これっきりで終わりのつもりはないようだ。
控えめな笑みを俺に向けたのを餞別代わりにして、石動は彼氏のところへ行ってしまう。
彼氏と手を繋いだ石動は、そのまま二号館がある正門方面へ向かっていく。
未だ友達の一人もできていない俺からすれば、別世界の住人みたいなリア充っぷりだ。
「まあでも陽キャ組なところは変わんないのか」
変なところで石動の変わらない部分を感じ、俺は講義に出席するべく踏み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます