木々は少しずつ赤や黄色に染まり始め、九月にはまだ生温いと思っていた風はいつの間にか冷たくなった。教室の窓枠で切り取られた校庭の風景にはどこか落ち着いた空気があって、少し前までの蝉の声の喧騒が嘘みたいだった。

 季節が過ぎるのは早い。

 机に頬杖を突きながらそんな益体もないことを考えている。

 静かだけど、少し物足りない。

 このところ、隣の席の大樹さんがよく話しかけてくるようになっていた。

 そのタイミングは今のような昼休みであったり、はたまた授業の間の十分休憩であったりした。

 それ自体は嫌じゃない。好ましいと言ってもいいだろう。クラスメイトとの交流。素晴らしいじゃないか。僕のような主張の弱いタイプでも、ちゃんとクラスの一員になれていると思わせてくれる。

 ただ、困った点もあった。

 大樹さんはいつも唐突だったのだ。

 たとえばこんな調子だ。


「野口くんっ」

「はいっ!?」

「ひいっ。今日は、過ごしやすい気候ですねっ!?」

「……そ、そうだね。残暑も終わっていよいよ秋って感じだね」

「そうですねっ。秋ですねっ」


 その日の気候について意見を求められたり、コンビニのホットスナックが美味しそうだとか、通学路の途中の家で飼っている犬の機嫌の話など、大樹さんの選ぶ話題は当たり障りのないものばかりだ。

 無難な話題とも言えるけど、なぜそれを僕に振ってくるのかが分からない。それにいつも思いつめたような調子なので「何か意味のある返答を返さなきゃいけないのか?」なんて考えてしまって、どうにもやりとりがぎこちなくなる。

 こういう話題って、もっと気心の知れた間柄でこそ広がりのあるものなんじゃないか?


 まあともかく、今日はそんな大樹さんはどこかに席を外していて、久しぶりに落ち着いた休み時間だ。物足りなさもあるけど、やっぱり僕はこういう時間が好きだな。

 ……などと思っていたところで、それに気づいてしまった。

 大樹さんの机の上に、置きっぱなしになった携帯。

 小さめで、それでも大樹さんの手には余りそうな大きさの、長方形のフォルム。スマホなんてデザインはどれも似たりよったりだけど、僕のよりも微妙に角が丸みを帯びているような気もする。マルーンというのか、落ち着いた深い赤色のカバーが本体を包んでいて、そのほかに余計な装飾はない。そんなところも大樹さんらしいといえた。

 しかし、携帯を机の上に放り出したままどこかに行ったりなんて普通はしない。不用心が過ぎる。忘れたのに気づいて戻ってくるような様子もない。

 そんな大樹さんの不用心に対して僕が何かしてあげる義理もないのだが……ないよな? ……、万が一何かあったときのことを考えると、見て見ぬふりもできない。かといって机の中にしまってあげるとか、それはやりすぎだ。勝手に触っていいものとも思わない。

 僕は何度か思考を往復させた後で、結局この昼休みを大樹さんの携帯を見守って過ごすことに決めた。

 はあ。

 何やってんだろうな。


「うおっ」

 眺めていたところで特に面白いこともない大樹さんの携帯が、唐突に振動した。机の乾燥した木製の天板がガタガタと大げさな音を立てる。同時に携帯の画面がパッと点灯した。

 まったく良くないことだと思うが、突然のことに驚いたのもあって、反射的にその画面を覗き込んでしまった。覗き込んで、「えっ?」と思わず声が出た。


 画面にはメッセージアプリの通知がポップアップしている。送信者は知らない名前だ。それでも内容から大樹さんとの関係が察された。

「朝言ったかもだけど、帰りに卵買ってきてね。十個のやつ」

 最後に卵の絵文字。

 親だろう。

 しかし、「子供に学校帰りに卵を買ってくるようにと頼む親のメッセージ」を現実に拝める日が来るなんて。「マンガやドラマのフィクションだとよくあるけど現実には遭遇しないもの」の筆頭じゃないか。そんなふうに思うと同時に、でも大樹さんの親御さんならあるかもなあという気もする。

 だから、僕が驚いたのはそこじゃない。

 半透明に透過した通知のポップアップの後ろ側、待ち受け画面だ。

 画面の下端から上端まで、二本の巨大な柱が縦断している。深い茶色の柱の表面は奇妙な彫刻のような模様が複雑に這い回り、下に行くにつれ苔が覆って全体の色調を緩やかに変化させていた。二本の柱の下部は癒着するようにくっついていて、そのくっついたあたりは得体の知れない怪物のように見えた。周囲は黄色く染まった木々の葉が彩っていて、不思議な佇まいの二本の柱を絵画みたいに飾り立てていた。

 大木とか巨木とか、そういう言葉ではどうにもしっくりこない。もっと際立って特別なもの。そう、大樹。大樹だ。

 大樹さんは、大樹の写真を携帯の待ち受けにしていた。


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