第3話

「この歌は、あいのうた」


いつの日か聞いた言葉だけが、今も頭にこびりついている。

あの日、大魔法士がこの世を去ってから私の世界は一変した。

様々な人の手に渡り、物置に忘れ去られたり、ケースの中で飾られたり、壊れてしまうような粗雑な扱いを受けたり。


「お前の声は醜い。なんて醜いんだ。機械の声など気味が悪くて仕方がない」


あの日、誰かが私に向かって唾を吐いた。

なぜだろう。

それ以来、歌は歌えなくなった。

あんなに好きだったのに、何一つとして記憶に残っていない。


機械の歌など誰も好まない。

作り物は、いらない。

そんな言葉だけ、延々と繰り返される。


そもそも、機械が好きだとか嬉しいだとか思うことが間違っているのだ。

感情に蓋をして機械に徹していれば、そうすれば、いつか元通りになるかもしれない。


今はもう、練習曲エチュードしか思い出せなくなってしまった。

私の歌は、どこへ消えてしまったのだろう。



​───────​───────


「その番号は、1582でいい。後は手順通りにやれば終わる」


朝方、人目の少ない時間帯に訪れた客にそう言って小さな紙切れを渡す。


「さすがだな・・・・・・毎度の事ながらどこから仕入れてきてるんだ?」


「企業秘密さ」


アレンはこの男があまり得意ではなかった。

いつも人を値踏みするような目で見ていて、自分よりも弱い相手には偉ぶって、格上の相手には媚びへつらう。

こういう人間は山ほどいるが、やはり、相手にしていると気分が悪くて仕方がない。

早く金を寄越せとアレンが視線で促せば、男は大人しく代金を支払う。


「じゃあ凄腕情報屋さんに、ついでだから頼みたいことがあるんだが・・・・・・」


「何だ。場合によっては料金を高くするぞ」


ニヤついた男の顔に、面倒な予感しかしない。


「ははっ、相変わらず厳しいな。いやなに、大魔法士の形見を探して欲しいんだよ」


「・・・・・・は」


アレンは思わず言葉を失った。

フローライトがここへ来てからもう数週間は経っている。

まさか、オルドリッジ家が他の人間にこの話を持ちかけていたなんて。


「オルドリッジ家が魔法人形を見つけ出した者に褒美をやるって言っててな。それが結構な額でよ。どうだい、お前のことだから何か知ってんだろ」


「あいつら、まだ追いかけてたのか・・・・・・」


情報屋のくせに情けない。

おそらく、ごく一部の人間だけに秘密裏に持ちかけていたのだろう。

その際、口外するなと脅されたはずだろうが、この男の口はあまりにも軽かったようだ。


「ああ、盗まれたのがそうとう頭にキてる見たいでヤケになってんだよ。なあ、知ってるなら教えてくれよ。お前にも金は分けてやるからよ」


ため息しか出ない。

幸いにもフローライトの存在はバレていないようだから、この件に興味が無い振りをして早々に諦めてもらうしかない。


「悪いが、そういうことなら帰ってくれ。馬鹿馬鹿しい、今度そういうのを俺に持ちかけてきたら・・・・・・」


そこで、アレンは言葉を止めた。

ギシッ、ギシッという少し古い階段を降りる足音が聞こえてくる。


「アレン?」


「っ!?」


ひょっこりも覗かせた顔を見て、アレンは心臓が止まりそうだった。


「おい、なんだこの女」


咄嗟にフローライトの前に立って男から見えないようにする。


「俺の姪だ。汚い視線で見ないでくれ、用は済んだんだからさっさと出ていけ」


そう吐き捨てると、男は驚いたように慌てて飛び出していく。

さすが、日頃他人を値踏みしているだけあってどちらが上の立場なのかは弁えているようだった。

だが、金輪際あの男には二度と情報は売らない。

リストにバツ印をきっちり付けておいた。


「あの、ごめんなさい。お仕事のお邪魔をしてしまいましたか」


そう遠慮がちに声をかけられてハッとした。

苛立ったあまりにフローライトを不安にさせてしまったようだ。


「いい。あんな下衆は仕事相手にも入らないさ」


「すみません。一階には立ち入らないようにと言われていたのに、勝手に来てしまって」


「そんなに落ち込むことじゃない。次からは気をつけてくれればいいよ。それより、何か用でもあったのかな?」


フローライトの手には、見覚えのない封筒が握られていた。


「これを、どうしたら良いのかと思いまして」


そっと差し出されたそれを受け取る。


「・・・・・・これは、どこで?」


「私の部屋の窓辺にありました。どなたからのお手紙ですか?」


アレンはそれには答えず、フローライトを店の奥へと連れていく。


「今からお使いを頼みたいんだけど、いいかな。リリアンのところへ行って欲しいんだ」


「今から、ですか?」


なんの脈絡もなくそう言われて、フローライトは首を傾げる。

それも、一人で行かせるなんてどうしてと言いたげな表情だ。


「そう、今から。道は覚えてるよね。分からなくなったら、適当に通行人に尋ねてみて」


フローライトにそう言いながら、アレンは奥の本棚から、いくつか本を抜き差しする。

それを何度か繰り返すうちに、カチリと音を立てて本棚が動いき、そこから現れたのは扉だった。


「これはどこに繋がっているのです?」


「外だよ。とにかく、真っ直ぐ行けば出られるから。迷ったら戻っておいで」


アレンがいくつか用意していた隠し通路のうちの一つだ。

以前の拠点で急に襲撃されたことがあり、それ以来自分しか知らないような出口は複数確保するようにしていた。


なぜ急にそのような通路を使わなければならなくなったのかは、フローライトが持ってきたこの手紙にあった。

差出人の名には、オルドリッジの文字がある。

やはりオルドリッジ家に突き止められてしまったかと、アレンは内心で焦る。

ここしばらく動きが見えなかったのは、単に泳がされていただけ。

だが、こちらとて何も対策をしていないわけではないのだ。

こんな手紙をわざわざ寄越すということは、外も見張られている可能性が高い。

だからこそ、フローライトを事前に用意しておいた通路から逃がすことにした。


「アレン・・・・・・」


「じゃあ、気をつけて」


アレンの表情から、何かあったと察してくれたのだろう。

フローライトは、戸惑ったままだが素直に扉の向こうへ歩いていく。

彼女の髪に結ばれた純白のリボンは、不安げに揺れていた。


フローライトの姿が見えなくなったのを確認してから、アレンは封筒を開く。

手紙の内容は予想通り、魔法人形を返せとの文言と脅迫文。


「さて・・・・・・次の引越し先はどうしようか」


冷淡にそう言い放つと、手紙をぐしゃぐしゃに握り締めてから適当に放り投げた。



​───────​───────


「アレンは、消えてしまうのでしょうか」


誰に言う訳でもない独り言が、ぽつりとこぼれる。

自分のことを追いかけている人々に、アレンのことが知られてしまったのだということは容易に察せた。

てっきりフローライトは、アレンは自分を彼らに引き渡すものだと思っていたのだが、彼はそうしないでフローライトだけ安全な場所へと逃がした。


リリアンの元へ行くように言われたが、足は進まなかった。

このまま行ってしまえば、もう会えなくなる気がするのだ。


「・・・・・・」


どうして彼はこんなにも優しいのか、分からない。

今までの主は、フローライトのことを物として扱ってきた。

実際にフローライトは機械だから、そうすることは自然なことだ。

けれど、アレンはフローライトのことを個人として尊重してくれた。

でもフローライトは、自分の存在は彼にとって絶対に負担であるはずなのに、こんなに優しくしてくれた理由が分からない。

そして、アレンと離れることに苦しさを覚える理由も、分からない。

人形には心がない。

それなのに、悲しいなんて───────。


「​───────あ、ああ」


歌えもしないのに、フローライトは歌を必死に口ずさんでいた。

唯一記憶の欠片が残っている、練習曲だ。

生まれて初めて覚えた歌で、何度も何度も歌ってきた。

けれど、今の歌声は昔とはまるで違う拙いものだった。


「機械の歌など聞きたくない」


かつて投げつけられた暴言を思い出す。

唯一の取り柄である歌ですら忘れてしまったのなら、自分はなんのために存在しているというのか。

それでも​───────。


「君の歌いたい歌を、好きなように歌ってくれればそれでいい」


彼がそう望んでくれたのなら、その思いに応えたい。

自分でも自分をおかしいと思いながらも、フローライトは、ただひたすらに歌を歌っていた。

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