第2話
──あ────あ、ああ。
───あい──の─う────────。
歌声が、どこかから響いてくる。
歪で、必死に絞り出すような、悲しい歌声が。
ガシャン───────!
「・・・・・・っ!」
大きな音が聞こえてきて、敵襲かと思い飛び上がる。
まさかもうフローライトの所在がバレてしまったのかと思い慌てて彼女の安否を確認しようとする。
「フローライト!・・・・・・って、あれ」
「違うんです。これは違うんです」
リビングにいたのは、敵でもなく、床に散らばったガラス片を拾おうとしているフローライトだけだった。
膝をついて一生懸命拾っていたが、アレンが来たことで怒られると思ったらしい彼女は、すぐさま立ち上がり頭を下げる。
「壊そうと思って落としたのではないのです。お許しください」
眉を下げてそう懇願するフローライトの表情は、叱られた子犬のようだった。
なるほど、どうやら先程の大きな音はフローライトが花瓶を落とした時の音だったらしい。
すぐ近くにはしおれかけた花と水が散らばっている。
おそらく昨日の宣言どおり、お手伝いとやらをするつもりだったのだろう。
物置から見つけて引っ張り出してきたらしい、雑巾やら箒やらの掃除道具もある。
「こんなの気にしなくていい。それより、怪我はない?」
「怪我・・・・・・ですか?ありませんが」
アレンが心配そうにフローライトの無機質な手を握るのを、彼女は心底不思議そうな顔で見た。
「私の身体は人間のものではありません。ガラス程度で傷つくことはないのでご安心ください」
「それでもだよ。レディに危ないことはさせられない。次からこういう時は、すぐに俺を呼ぶこと。いい、分かった?」
「ですが、お花が・・・・・・」
もとより貰い物で仕方なく飾っていただけの花だ。
フローライトが気に病む必要などどこにもない。
「じゃあ、これで」
水溜まりの中から花を拾い上げ、まだその辺に転がっていた酒瓶に適当にさす。
「汚いですよ」
「でもこれでゴミに使い道ができただろう。これぐらい適当でいいんだよ」
そう言うと、フローライトはどこか渋い顔をする。
こんなに気にするということは、もしかして花が好きなのかもしれない。
今度からは新しい花瓶を用意して、彼女の好きなように飾らせてあげようか。
「それより、そろそろ朝食にしようか。掃除も、こんなに朝早くからやらなくたっていいんだよ」
そう言ってから、アレンははっと気づいた。
「君って食事は必要なの?」
「いいえ、私に食事は不要です。そのような機能はありません」
「・・・・・・なるほど」
食事の楽しみが分からないのはちょっと残念かもしれないが、そんなことを思うのは傲慢かもしれないと思い、アレンは口を噤んだ。
そういうわけで、仕方なくアレンは一人分の朝食を適当に用意する。
フローライトにじっと食べているところを見つめられるのは少し気まずかった。
寝癖のついただらしない格好の男がパンをかじっているだけの光景の、何が面白いというのか。
「今日は出かけようか。君の服を買いに行きたい」
「服、ですか?」
昨日は空き部屋をなんとか使えるように片付けて、家具を見繕うだけで手一杯だった。
なにしろ何の用意もしていなかったし、昨日は丸一日酒を飲んで寝るだけのつもりだったからだ。
「いつまでもその格好でいるわけには行かないだろう。それに、俺は一応君の保護者だからちゃんとした衣装を用意してあげないとだし」
フローライトの今の格好は、飾り気のない白色のワンピースだ。
オークションに出された時に着ていたものだろう。
だったら尚更、ずっとその服装でいさせるわけにはいかない。
だがフローライトは、必要性がまるで分からないと言いたげだ。
「私に服など必要ありませんよ」
「必要だって。じゃあ、俺が好きでやってるだけだから君は気にしなくていいってことで」
何を言っても返って来るのは必要ないの一点張りだ。
だったらこっちが好きに押し付けているという体でいい。
着替えて身なりを整えると、フローライトを連れて街を歩く。
アレンは表向きには祖父から受け継いだ古本屋を経営している青年ということになっている。
服装も、白いシャツに黒のジャケットで普段よりもシックな落ち着いた装いにした。
フローライトはアレンの姪という設定で、万が一なにか聞かれても答えられるように話を作っておいた。
「お待ちください、ご主人様」
「ん・・・・・・?」
フローライトは背伸びをしてアレンの首元に手を伸ばす。
ネクタイピンがずれていたようで、わざわざ直してくれたようだった。
「気づかなかった。ありがとう」
「いえ、それほどでも」
そういう声は平坦だが、口角が上がっている。
花瓶の失敗を挽回できたとでも言いたげな、誇らしさがある笑みだ。
おそらく本人は無自覚でやっていることだろうから、指摘しないでもうしばらくこの笑顔を堪能させてもらうことにした。
フローライトを連れて来たのは、「知り合い」の経営しているブティックだ。
この店もアレンと同じ、表向きはただのブティックで裏では人に言えないようなお仕事をしている、そういう店だ。
「あら、アレンさん。久しぶりね」
店内から顔見知りの店主が出迎えてくれる。
「こんにちはリリアン。彼女は僕の姪のフローラで、休暇の間こっちに遊びに来てるんだ。今日は、彼女に似合う服をいくつか見繕ってほしくてね」
「まあそうなの。そういうことなら任せてちょうだい」
リリアンはアレンに姪などいないことは当然知っている。
口に出せない事情があるということを汲んで、即座に話を合わせてくれているのだ。
「可愛い姪っ子さんね。綺麗な髪だわ」
「ありがとうございます」
楽しげに声を弾ませるリリアンと対称的に、フローライトは、ありがとうなんて微塵も思ってなさそうな無表情でそう答える。
「あ、できるだけ露出は少なくしてくれよ」
「分かったわ。アレンったら心配性なのねぇ」
からかうようにリリアンはそう言うと、フローライトを連れて奥へ引っ込んでいく。
彼女が膝をついた時に見えただけだが、彼女の関節は人形らしい球体関節だった。
アレンとしては予想の範囲内なので特に驚かなかったが、他所で何かの拍子に見えてしまったら騒ぎになってしまう。
隠せるなら隠した方が良いだろう。
しばらく待っていると、着飾ったフローライトが現れた。
袖口にフリルのあしらわれたブラウスに、腰にベルトを巻いた紺色のスカート。
パニエでふわりとしたシルエットになり、黒のタイツのおかげで関節部は見えなくなっている。
「うん。よく似合ってる」
「でしょう。この子、本当に可愛いわねぇ。もっと色々着せたくなっちゃうわ」
靴は黒のパンプスを履いているが、リリアンは他にもブーツやら他のスカートやら持ってきては、こちらも着てみてとはしゃいでいる。
今のフローライトはどこからどう見ても良家の子女にしか見えない。
素の素材が良いのもあってか、一層フローライトのどこか儚げな愛らしさが映えるようだ。
会計を済ませる時に、フローライトに似合いそうなアクセサリーも選んでおいた。
ついでにあれこれとリリアンから押し売りされた品も買って、店を出る。
フローライトは、着飾るのがなんだか落ち着かないようでそわそわしている。
そんなフローライトの様子を見て、ふとリリアンが口を開いた。
「ねぇ、あの子、私に譲る気ない?」
「冗談はよしてくれ。渡すわけないだろ」
「あら残念。あの子、本当は姪じゃなくて魔法人形でしょう。オルドリッジ家から奪うなんて、目立ちたがらないアレンさんにしては珍しいわ」
やはりもオークションの件は既に周囲にも伝わってたようだった。
「見つけたのは俺じゃない。ワケあって預かってるんだ。とにかく、悪いけどリリアンには渡せないから。じゃあな」
「つれないわねぇ。じゃあね、フローラちゃん」
アレンの名ではなく、フローライトの偽名を呼びながらひらひらと手を振るリリアン。
こそこそと話し込んでいるうちにフローライトは一人で先をいってしまったようで、隣の花屋の軒先でじいっと花を眺めていた。
その口元は、何が言葉を紡ぐように開いていた。
───────あ、ああ。
「レディ。どうしたのかな、そんなところで」
そっと声をかけたつもりだったが、フローライトは弾かれたように顔を上げる。
「な、なんでもありません」
「歌を歌っていたんじゃないのかい?俺も君の歌を聴いてみたいな。聴かせてくれないか」
「・・・・・・あ、・・・・・・う、歌は」
途端に、フローライトは狼狽えてしまった。
やはりそうだった。
彼女は歌えない。
今朝、苦しむようなか細い歌声を聴いた時から疑っていたが今はっきりと確信した。
歌うために作られたはずの魔法人形は、歌を忘れてしまったのだ。
そして彼女のこの様子を見るに、歌えなくなったことは大きな傷になっているのだろう。
「悪い、急に言われたら困るよな。歌は君の気が向いたときでいいさ」
今は、これ以上踏み込むのは良くない。
「帰ろう」
落ち着かせようとそっと頭を撫でてやると、フローライトはまた、何事もなかったかのように無機質な表情に戻ってしまった。
その夜、仕事で必要な暗号文をせっせと書いていると、おもむろにドアの開く音が聞こえてきた。
リリアンの店で買ったネグリジェをまとった姿で、フローライトがリビングに歩いてくる。
ペンを置いて顔を上げると、少し戸惑ったような表情が目に入った。
「レディ。どうしたのかな、こんな時間に」
「なんでもないです。ただ、月が綺麗だなって・・・・・・」
アレンがまだ起きているとは思わなかったのだろう。
彼女の私室としてあてがった部屋にも窓はあるが、わざわざここへ来たということから察するに眠れなくて落ち着かないということだろうか。
彼女は魔法人形であるため、四六時中稼働させるとなると、食事は必要ないが休息の時間は必要らしい。
そういうところは、なんだか人間らしくて興味深かった。
「こっちへおいで」
なんだか、暗号文の作成も、面倒な顧客のこともどうでもよく思えてきた。
手招きすると、彼女は素直にこちらへ向かって隣に座る。
「・・・・・・?なんですか、これは」
「レディにプレゼントだ。君の髪は綺麗だから、髪飾りがあると良いと思って」
こっそり買っておいた純白のリボンを取り出して、彼女の髪につける。
いつ渡そうかと思っていたがタイミングが掴めず、ずっと手元にしまっていたのだ。
「どうして、私を着飾るのですか?私は機械です。可愛い服も、素敵な花も不要です」
「不要だとしても、あったらいけないってことは無いだろう。前にも言ったけど、全部俺が勝手にやってる事だから君は気にしなくていいんだ」
「今までのご主人様は、私にこのような扱いをしたことはありませんでした」
フローライトは、アレンのことが本当に分からないといった様子だった。
「最初の主は、大魔法士の六番目の妹だったか・・・・・・」
フローライトがここへ来た日に仕入れた情報だ。
彼女の様々な主を調べ尽くしたが、どれも酷いものであった。
「はい。彼女は浪費家で、私のことも一種の芸術品として引き取ったのですが、すぐに飽きて物置に忘れ去られました」
フローライトは俯きがちに、訥々と語り始める。
「二番目のご主人様は、酒場の経営者でした。酒場にある舞台で私を歌わせてお客を集めていましたが、程なくして店は潰れて私は売りに出されました」
酒場にいた時から、歌いたくない気分の時でも無理やり歌わされ続けていたのだろう。
あまり、表情は明るくない。
「三番目のご主人様は、若い資産家の方でした。彼は私をケースの中に閉じ込めて飾りました。時々、思い出したかのように歌を命じられましたが、基本的には箱の中でじっとしていなくてはなりませんでした」
こちらの主は、フローライトのことを単なる機械としか捉えていなかったようだ。
本当なら歩いたり、話したりしたいはずなのに、箱の中に押し込めてしまうなんて、フローライトのことを何も見ていない証拠だ。
「四番目のご主人様は、貴族家の方でした。興味本位で私を買い上げたそうで、奥様が大変お怒りになり、私に歌を禁じて下働きとして働かせられました。彼女はいつも苛立っていて、私のことを叩いたり足蹴にするのを好んでいました」
そう語る顔は悲しげで、何かを堪えているようだった。
だが、辛かったかと聞くと彼女は即座に否定した。
「辛くはありませんでした。私は機械です。歌うだけのただの人形です。そんなこと、思ったりなんかしません」
まるで、自分自身に言い聞かせるかのように強く繰り返している。
いつしか、彼女に感情が無いなんて嘘じゃないかと確信を持ち始めていた。
本人が頑なにそれを認めないのには、きっと理由があると思っていた。
それは、歌えなくなったことにも関連しているのだろうとも。
だが、その答えはここにあるだろう。
彼女の歴代の主たちが彼女にしてきた仕打ち。それらが全てだ。
フローライトは、彼女の心を大切に扱わなかった人間のせいで、心を閉ざしてしまったのだ。
心が無ければ、悲しいことや苦しいことは容易に忘れられる。
けれど、それと同時に喜びも失うことになる。
本当は歌いたいのに、歌うことすら辛くなってしまったのなら、忘れることしか出来ない。
今の彼女は、そういう状態なのだ。
シャノンがあんなに頑なにフローライトを守ってくれと言ったのは、これを垣間見たからなのだろう。
「フローライト」
名前を呼ぶと、ぱっと顔を上げてこちらを見る。
「いつか俺がどこかへ消えてしまったら、その時は歌を歌ってくれ」
「え・・・・・・?」
歌えないのが分かっているのにそんなことを言うのは酷かもしれない。
けれど、今の状態のままでいさせるわけにもいかない。
「君の歌いたい歌を、好きなように歌ってくれればそれでいい」
これはただの自己満足だ。
いずれすぐに訪れるであろう別れが、フローライトにとっての一歩になれば。
そんな、身勝手を押し付けただけだ。
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