レディ・エチュード

雪嶺さとり

第1話

「機械に感情などありません」


それは、軽やかな美しいソプラノの声だった。

こんな朝から客が来るなんて珍しいと思いつつ扉を開ければ、入ってきたのは無機質な表情をした少女だなんて。

艶やかな色素の薄い長い髪に、白磁のような肌はまるで作り物のよう。


​──────否、これは作り物だったか。


せっかくの休日の朝から押しかけてきた珍しい客に、何の感慨もない無感情な視線を向けられて、アレンはふむと嘆息した。


「シャノン・・・・・・これはどういうことかな」


頭を抱えながら、少女の隣でへらへら笑っている男にそう問えば、こちらの気も知らないで奴は楽しそうに話す。


「彼女は魔法人形さ。大魔法士エドアルドの最後の発明品、魔法人形フローライトだ」


そう誇らしげに話すシャノンを見ていると、頭が痛くなりそうだった。


大魔法士エドアルド。

かつてこの国で活躍した、素晴らしき魔法科学者だ。

魔法と科学を組み合わせた様々な物を開発し、莫大な富を築き上げた人物であり彼の功績は今も讃えられ続けている。

大国に囲まれたこの小さな国が生き残れているのも、魔法科学の発展が大きな一つの要因だからだ。

そんな彼が晩年に生み出したのは、「歌う魔法人形」という不思議な物だった。

魔鉱石を動力としたその人形は、本物の人間と見間違うくらい精巧な作りで、素晴らしい美貌と歌声を持っているのだとか。

生前のエドアルドは研究に没頭し謎に包まれた私生活を送っていたそうで、魔法人形の存在が明らかになった時は、かつての恋人を模した人形だとか年老いて独りでいるのが寂しくなり孫の代わりになる存在を作っただとか、様々な憶測が飛び交っていたそうだ。

だが彼が亡くなったのはもう何十年も前の話である。

エドアルドの死後、魔法人形は彼女を欲しがる金持ちたちの手に渡っていったはず。

最後の所有者は成金で有名な男爵だが、彼が事業に失敗し没落して以降はどこへ行ったのか全く情報はなかった。

なかったというよりも、美術品の行方なんぞまるで興味がないので仕入れていなかっただけだが。


「シャノン。お前、一体どこから彼女を誘拐してきたんだ?」


男爵が売り払ったとしたら、またどこかの金持ちが所有していると考えるのが妥当だ。

シャノンが男爵から魔法人形を買い取れる程の金を持っているとは思えないし、成金男爵がシャノンのような素性の知れない男に譲り渡すわけもない。

どう考えても盗み出したに違いないだろう。

だが、シャノンは首を横に振った。


「いやいや、盗んだりなんかしちゃいないさ。それが、話せば長くなるんだがな、アレンも知っての通りオレは大魔法士エドアルドの弟子だろう?」


「自称、な」


アレンの呟きは聞こえないふりをしてシャノンは話を続ける。


「大切な師匠である大魔法士の形見、フローライトが闇オークションなんかに出品されてると聞いて、いてもたってもいられず参加してみたんだ。だってオレは弟子だからな、これ以上他所の誰かの手に渡るなんてこと見過ごせねぇさ。一体どこのどいつが出品しやがったのか連中の顔でも拝んでやろうと思ったんだが・・・・・・」


「お前、オークションってそんなとこに使う金無いだろ。やっぱり盗んできたんじゃないか」


「違う違う!まあ聞けって。オークションの主催がブライアント家の次男坊で、敵対してるオルドリッジ家の連中が乗り込んできやがってよ。なんでもオルドリッジの若君が狙ってた品がブライアントの手に渡って、その上オークションに出されてんだから許せねぇってことらしい。で、会場はもうめちゃくちゃな乱闘騒ぎになっちまって。オレはその隙にこの麗しのフローライトを救出して逃げてきたんだ」


「・・・・・・ようするに、混乱に乗じて盗んできただけだろう。見つかったらどうするんだ。どうせ、そのオルドリッジが狙ってたっていう品はこの子なんだろう」


闇オークションの話は既に知っていたが、まさかその場にシャノンが居合わせていたとは。

つい昨日あったばかりのオルドリッジ家とブライアント家の争いの火種も分かっていた。

シャノンが彼女を連れてきた時から嫌な予感はしていたが、的中してしまうなんて。


「ご名答!というわけで、しばらくの間フローライトを匿って欲しいんだ。オレのところじゃ預かれないし、急にこんな可愛い子を連れてきたら噂になってすぐにバレちゃいそうだからさ」


「嫌だね。お前が連れ出したんだから、最後までお前が責任持て。情報屋も暇じゃないんだ」


思いっきり嫌そうな顔でさっさと帰れと促すが、シャノンは頑なに引き下がらない。


「頼むよ。アレンだから信用してるんだ。オレにはお前しか頼れる相手はいない。どうかこの子の為にも考えてやってくれ」


「じゃあお前、オルドリッジ家の連中が俺ん家に乗り込んできてここが燃やされても責任取ってくれんのか」


「そ、そりゃあもちろん!」


本当に責任なんか取れやしないのに虚勢をはっている。


「・・・・・・はぁ」


「お願いだ、アレン。オレはこの子を自由にしてあげたいんだ」


大魔法士エドアルドが生きていた時代は、アレンやシャノンの生まれるよりも前の時代だ。

シャノンが彼の弟子だということは彼が勝手に大魔法士を尊敬してそう名乗っているだけで、実際はなんの関わりもない。

それでも、幼い頃から憧れ続けた偉大な人物の最期の作品が酷い扱いを受けているということが、この男にはどうしても許せなかったのだろう。

世間の連中にとっては珍しい魔法人形で一種の美術品でしかないだろうが、シャノンにとってはそうではないのだ。

アレンに引き渡したところで、フローライトに幸せな未来を歩ませられるとは限らないのに、それでもどうしてもフローライトを助けて欲しいと。

この男がとんでもない馬鹿でお人好しだということも、自分とて同じだということも分かりきったことだった。


「・・・・・・これで一つ貸しだぞ。覚えておけよ」


「アレン・・・・・・!本当にありがとう!」


全く自分も相変わらず彼に甘い。

いつまで腐れ縁を続けるつもりかと何度も思ったが、こんな頼み事を承諾してしまう自分は本当に人付き合いには向いていない。


話し込んでいるうちに、いつの間にかフローライトの姿がシャノンの隣から消えていることに気づいて慌てて辺りを見回す。

表向きは古本屋である店内は、ぎっしりと本棚が並んでいて、フローライトは興味深そうに本を眺めていた。


「​───────失礼、レディ。何かお気に召す品でも?」


「いえ、眺めていただけです。お話はまとまりましたか」


預かられる側がまさかこの態度だとは思わず、面食らってしまう。

自分のこれからの行き先が勝手に決められようとしているのに、まるで他人事ではないか。


「俺はアレン。今から君の身を預かることになった者だ。どのくらいの期間になるかは分からないし、慣れない生活になるかもしれないけどよろしく頼むよ」


「よろしくお願い致します、ご主人様」


「・・・・・・ちょっと待ってくれ。俺は君のご主人様じゃない。そんなふうに呼ばなくたっていいから、適当に名前で呼んでくれ」


「かしこまりました、アレン」


敬語なのに呼び捨てとはなんとも不思議な言葉遣いだ。

けれどそうするように言ったのはこちらなので文句はない。


「じゃあアレン、しばらく頼むよ」


「ああ、分かったからさっさと行け───────そうだ、家具代と衣装代はちゃんとお前に請求するからな。それから、実験も程々にしておけよ」


「分かってるって!」


シャノンの所にフローライトがいられない最大の要因は、彼の魔法科学の実験にある。

アカデミーで学べるようなものとはまるで違う、エドアルドしか扱えなかったような技術を己も習得しようと危険な実験を何度も行っているのだ。

いつか己の身を滅ぼすかもしれなくても決して研究を止めないシャノンを見ていると、時々心配になる・・・・・・主に彼がツケにしてきた様々な代金のことがだが。


シャノンも帰ったことだし、早速フローライトを二階の住居スペースへ連れていく。

幸いにも使っていない空き部屋はいくつかあるので、気に入った部屋を使わせればいいだろう。


「知っていると思うけど、俺の仕事は情報屋だ。表向きは古本屋で、ここに来る客は裏社会の情報屋を求めて来る。仕事のことで君に迷惑はかけないようにするから、君もあまり一階には近づかないように」


「承知しました」


「で、こっちがリビングで・・・・・・」


そう言いかけて止まった。

脱ぎっぱなしの服が床に落ちている。

その上、空の酒瓶が転がっていたり本を何冊も積みっぱなしで崩れていたり、明らかに片付けていないのが分かってしまう。

ああ、こんなことならもう少し掃除しておけばよかったのに。

なんて後悔してももう遅い。


「アレンはお掃除が苦手なのですね」


「言わなくてもいい・・・・・・。後で片付けるから今だけは目をつぶってくれ」


昔から片付けるのが苦手で、気を抜くとすぐに部屋が散らかり放題になるのだ。


「いえ、それには及びません。私がお掃除しましょう」


フローライトの思わぬ提案に驚く。


「えっ、できるのか?君って歌う魔法人形じゃ・・・・・・」


「歌うこと以外もできます。かつてのご主人様は私のことを下働きと同様に扱った方もいましたから」


大魔法士の発明品を下働きにするなんて、なんてことだ。

シャノンが憤るのも少し分かる。


「こうしてご迷惑をかけているわけですし、家事はお手伝いします。こういったことは得意ですから」


「家事が好きなんて変わってるね」


「好きではありません。人形に感情などありませんから。ただ、向いていると言うだけです」


「・・・・・・それ、頑なに言うけど本当なのか?感情が無いって」


「本当です。私には感情がありません。私に感情を期待しても無駄ですよ」



そう言われても、アレンには信じられなかった。

本棚を眺めていた時の彼女の瞳は、とても興味深そうにしていたからだ。

それに、エドアルドは魔法人形に感情と歌声を授けたと言われている。

その話が本当なら、どうしてフローライトがそんなことを言うのだろうか。

しかし、それも暮らしていくうちに分かることだろう。

それよりも今は、今後フローライトをどうするかを考えるのが先だ。

大魔法士の忘れ形見なんて、ただの情報屋の手に負える代物じゃない。

いつまでもここに置いておくわけにはいかないのだ。

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