第15話 どの国にも死者を弔う気持ちが存在する

 ルツィカが倒れる前に服と靴を新調できていたことだけが救いだった。

 女主人はなにくれとなく気を配り、食べやすい食事や湯などを提供してくれた。知り合いに持たされた解熱剤はよく効いて、ルツィカの寝息は幾分か安らかになっている。


「あの子の様子はよくなってきたみたいね?」


 食堂で夕食をとっていたヨルマに女主人はそんなことを話しかけてきた。


「おととい宿に飛び込んできたときのあなたってば真っ蒼で、どっちが病人なんだかわからないくらいだったんだから。二人とも元気になってよかった」

「いや、……熱なんて出したことがないから。どうしたらいいかわからなくて」

「妹と言っていたけど、血はつながっているの? 失礼だけどあまり似ていないわね」


 どきりとしたが、ルツィカの言葉を思い出して平然と答えた。


「いいえ」

「そう。養護院の出なのね」

「そんなようなものです」


 ルツィカは『そう』だがヨルマは『そう』ではない。曖昧な嘘で話を濁してから、ヨルマはそういえばと彼女を見やる。


「このあいだ騒ぎを起こしていた男たち、町の人間ではないですね」

「あいつらねぇ。何年か前に外の国から出入りするようになった連中で、商売を始めたみたいなの。でもああいう品のない人たちでしょ、みんなすっかり嫌がっちゃって」

「外の国から?」

「もともと外とは交流がないけどねぇ、外の人たちってみんなああなのかしらね」


 鼻の頭に皺を寄せた女主人の反応に、なるほどな、と内心納得した。やたらと素っ気ない対応をされたのはあの連中が『外』の印象を損ねたのが大きな要因らしい。いい迷惑だ。

 それにしてもこんな辺鄙な国で商売とは、なんか変な商売じゃないだろうな。

 ……まあもう出国して二度と戻らない予定だから、関係ないけれど。


「そういえばお客さん、お祭りには行かないの?」

「ああ……。でもあの子の熱もまだ下がりきらないし、やめておきます。部屋から少しは見えますか」

「通りの出店と、あとは最後の御魂送りなら窓から見えるでしょうね」


 道理で、とヨルマは窓から見える通りに目をやった。祭りが近いというのは宿に飛び込んだときに聞いていたが、今日はどうも朝から町全体が浮足立っているように感じる。

 出店を冷やかしてルツィカにお土産を買うのもいいけど、一人で留守番させるのもなぁ……。ヨルマは内心で独り言ち、養護院で教わったラサラ式の所作で食事への礼を捧げて部屋に戻った。


 ルツィカは身を起こし、窓の外を眺めていた。


「ミランのお祭りって有名なのよ。教科書にも載るくらい」

「へえ……。最後のみたま送りならここから見えるってさ」


 夕食にと作ってもらった雑炊の皿が、空になって枕元に置いてある。食欲も戻ったようだし顔色も悪くない。声をかけて額や首筋に触れてみると、一時よりは体温も下がったようだった。


「二百年前にミランで疫病が流行ったことがあるの。その犠牲者を弔うために始まったお祭りだけど、現代では身近で亡くなった人の魂を慰めるお祭りに変化したらしいわ。最後に天燈ランタンを空に放って鎮魂と再生を祈るの」

「鎮魂はなんとなく解るけど……再生?」

「人の魂は蝶となって残されたわたしたちを見守り、やがて毒の荒野を抜けて〈白海〉から天へ昇る。天界の宴を彩り、〈天海のくじら〉とともに世界を渡り、そしていつかわたしたちの元に還ってきて、再び生まれ直す……。だから再生」


 ヨルマはベッドの端に腰掛けた。

 さまざまな国を巡ってきたけれど、祭祀の起源というものは大半が鎮魂による。

 信じる神が異なる辺境の国でも、同じような理由で祭りが生まれる。どの国にも死者を弔う気持ちが存在することが、人間の本質のひとつを表している気がした。


 宿の前の通りにはずらりと出店が並び、夕方ごろから人通りが増え始めている。穏やかな様子で祭りを楽しむ人々を見下ろしているうちに、客の大半が同じような衣装を身に着けているのに気がついた。

 柔らかそうな生成のシャツに、赤や青や黄の糸で細かい刺繍がされている。袖はふんわりと膨らんで手首で絞る形、襟は大きなレース。中でも年若い少女たちは、その下に明るい色合いのスカートを合わせていた。下にペチコートを重ねているのか、彼女たちが歩くたびに裾がふわふわ揺れている。


「あれはね、ソロチカ。ラサラの伝統衣装よ。シャツの刺繡の一つひとつに意味があって、友だち同士で刺繍してプレゼントしたり、好きな相手に贈ったりするの。わたしたちも、シスターが一人一枚刺繍してくれた」

「お祭りのときに着るんだ?」

「そう。お祭りとか、冠婚葬祭とか。下に合わせる服の色や、スカプラリオなんかで調整するの」


 ルツィカの口調には淀みがない。教科書の内容を暗記しただけでなく、ラサラ教国の教えや地方の祭りの起源、また伝統衣装について、彼女自身がしっかりと噛み砕いて理解していることが伺えた。

 彼女は敬虔な信徒であり、故郷を愛する国民でもあるのだ。

 これからもそう在ろうとしていた。そう在るべきだった。

 ……ヨルマと出逢ってしまったがために、その運命が歪んだ。


「いつか御魂送りをこの目で見たいって思っていたの。こんな状況だけど、すこし嬉しい」


 そうしているうちに日が暮れた。

 夜には大地の男神が遣わす死霊が人々を闇に引き摺り込む、という教えのあるラサラでは、日が暮れる前に皆が帰宅し、日が沈めば町中に人影はなくなる。祭りの今日だけは例外なのか、外を歩く人々は辺りが暗くなってから天燈の準備を始めた。

 木枠と薄い紙でできた、持ち手のない袋を引っくり返したような形状の天燈を手に持つ。カン、と町の中心部で鉦が鳴ると、一斉に大人たちがマッチを擦った。もう一つカンと鉦が鳴ると、天燈内部に火が入る。

 それまでは少し頼りなくへたれていた天燈も、火がつくと見る見るうちに膨らんでいく。


 最後にカンカンカンと鉦が打ち鳴らされると、客たちは天燈からぱっと手を放した。


 一斉に夜空へと浮き上がる無数の天燈。

 見慣れないヨルマの目には、夢か幻のような光景にも映る。


 ヨルマたちが身を寄せていた窓辺のすぐそばを、いくつかの天燈が柔らかく飛翔していった。ちらりとルツィカを一瞥すると、顎を上げて天燈の行く先を見守るその手は祈るように胸の前で組まれている。

 鎮魂と再生。

 見下ろせば通りに犇めく人々は、まだよく祭りの意味が解っていない子どもたちを含めて、殆どが胸の前に手を組んで祈りを捧げているようだった。


 祈る神を持たないヨルマにも、その祈りが美しいものだということは判った。

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