第14話 謝るのはもうやめよう。お互いに

「東大陸で。そいつはちゃんとした魔法使いだった。本職は魔導式を造る魔巧技師だったけど、魔法薬の調合も得意で色々持たせてくれたんだ。飲んで」


 女主人は枕元に水差しを置いて行ってくれたが、ヨルマはコップだけ拝借して魔法を使った。なんとなく、清い水で飲ませてやりたくて。

 ルツィカはぎゅっと眉間に皺を寄せながら薬を飲み下して、ふうと息を吐きながら再び布団にくるまる。

 一瞬で熱が下がるはずもない。力なく枕に頭を預けるその姿がほんとうに辛そうで、これまでずっと気丈な姿を見ていたぶんかわいそうだった。


「すまない」

「どうしてヨルマが謝るの」

「無理をさせた……」


 ルツィカはすみれ色の眸だけで器用に笑う。その拍子に、熱で潤んだ眦から白く曇った石が零れ落ちた。

 小さな手が布団のなかから差し出される。華奢な指はヨルマの眸にかかる白い前髪を払い、頬を擽るように撫でた。


「わたしのせいで逃げることになったのだから、わたしが頑張るのは当然のことでしょ」

「おれが正教都できみと出逢わなければ、きみは教会から追われるような身にならずに済んだかもしれない」


 ルツィカは目を瞠った。そっちは考えてなかったなぁ、というような表情だ。

 頬に触れる手を掴み、布団のなかにしっかり入れ直して、ヨルマは腰を上げる。


「買い物に行ってくるから休んでて」

「うん……。ごめんなさい」

「謝るのはもうやめよう。お互いに」


 バックパックからウエストポーチを取り出して、最低限のものだけ入れる。部屋のドアノブに手をかけたとき、どん、と階下で大きな音がした。

 ルツィカが身を起こした。


「……追手が?」

「にしては荒っぽい。違うと思う」


 追手はあくまで正教会からの警備兵だ。

 いくらヨルマが〈災禍〉の名を出した拉致犯といえども、やたらと武力を振りかざすことはしないはず。薄く扉を開けて耳を澄ますと、今度は男の怒声が聞こえてきた。


「どうにかしろっつってんだろ」

「俺たちに野宿しろっていうのか!」


 下品な濁声が二階の部屋まで、内容もしっかり聞こえるくらいの大声で届く。なんだ、ただのちんぴらか。大声のおかげで事情が筒抜けだ。

 こっちには関係なさそうだなと力を抜いたヨルマの視界の端に、不安そうな顔のルツィカが映った。

 ゆっくり休んでほしいのに、こんな大騒ぎをされては難しそうだ。「寝てて」と布団を指さすと、なんだか置いてけぼりをくらった子どもみたいな眼でこっちを見つめる。


「ちょっと追っ払ってから行く。ルツィカはちゃんと休んで寝てろ」

「も、」


 思わずといったふうに声を上げたルツィカは、怯えるように「もどってくるよね?」と続けた。言い終わってからあからさまに「あっ」という表情で口をおさえる。

 よく考えたら、正教都を出たあと別行動になるのは初めてなのだ。


「すぐ戻るよ」


 本当は具合の悪そうなルツィカを傍で見ていると罪悪感に潰されそうだから、逃げるように部屋をあとにするところだった。

 多分彼女の口から零れた弱音や不安は、小さな体のなかに仕舞われている大きな感情のうちほんの一部なのだ。


 早く戻ってやろう。

 自分でも驚くほど自然にそう考えながら階段を降りると、一階の受付で、先程甲斐甲斐しく世話をやいてくれた女主人が困り顔で客の応対をしている。

 若い男がふたり、満室なのだと断る女主人に対して怒号で凄んでいた。ラサラに入国してからこちらあまり見かけなかったタイプの人間だ。年相応の不良少年くらいなら数名見かけたが、この男たちは本職のように見える。


 ラサラ教国はある程度の災害や貧困に見舞われながらも基本的には平穏な国だ。ラサラ教の名のもとに国民は強く結束している。例えば教会の汚職や腐敗なんかが根を広げることはあっても、こういう連中のような犯罪組織が幅を利かせる隙があるとは思えない。

 ……なんだか妙だ。

 とはいっても違和感はさて措き、ヨルマは真っ直ぐに男たちのほうに歩み寄って、女主人を困らせる二人の襟首を掴み店の外に放り出した。


「てめえ、何しやがる!」


 血気盛んな男たちが殴りかかってきたのをひょいと躱して脚を引っ掛ける。

 勢いよく大通りにすっ転んだ二人を見下ろしながら、ヨルマは極力穏やかに申し出た。


「連れが熱を出して二階で休んでいるんだ。悪いが静かにしてくれないか」


 泊まる宿がないというこの男たちも不憫は不憫だ。

 正教都で養護院に拾ってもらう前のヨルマは宿なしで、別に旅をしているのだから野宿にも慣れているのだが、それでもまともな寝床で休むに越したことはないと思っている。

 思っているがしかし、今まで夜間に外出したこともなかったルツィカが森での四日間の野宿に一言も不満を洩らさなかったのだからいい年こいたちんぴらどもが満室くらいでギャアギャア騒ぐんじゃねえよと──これは全然男たちには関係ないことなので口に出さなかったが。


 ともかくヨルマの頭のなかにあったのは一念のみだ。

 ルツィカがゆっくり眠れなかったらどうしてくれる。


 サッと立ち上がった男たちは、「殺されてえのか」「俺たちを誰だと思ってんだ」と元気よく詰ってきたが(こちとら旅人なのでお前らが誰かなんて知らねえよ)、ヨルマが黙ってじいっと見つめ返しているうちに気勢を削がれていった。

 威勢よく怒鳴り散らすのも強い言葉で恫喝するのも相手を威圧する手段の一つだ。ただしヨルマがこの見た目でそんなことをしても迫力がない。最も効果が高いのは、容姿や風貌に見合った態度をとること。

 ……そう教えてくれた本人は、にこにこと人好きする笑顔で無意識に他人を圧倒する人だった。


「文句があるのなら相手になるが」


 この一言がダメ押しで、二人は最後までヨルマを罵りながらも最低限の恰好をつけて去っていった。

 ヨルマは宿のなかで唖然としている女主人を振り返る。


「買い物に出てくるので、しばらくあの子を頼みます」

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