第13話 森の行軍で一言も弱音を吐かなかった


 正教都からつながる街道は南に真っ直ぐ下る一本道だ。

 夜の間は外出しないのが決まりで、しかも夜や白霧の森を恐れているという正教会の性質上、広範囲を捜索することはできないだろう。せいぜい街道とその周辺をざっと見るだけで日暮れを迎えるはずだ。

 そう考えたヨルマはあえて森を西に逸れた。

 ラサラ教国はアルベルト山以外の部分を城壁にぐるりと囲まれた閉鎖国家。毒の荒野に対する恐怖心が強いため、国外との出入りは東端の城門一箇所のみに絞られる。

 白霧の森を西に抜けた先、城門がある町とは反対側になる都市ミランで支度を整え、その隣で城壁に面している町テスラから国外へ脱出するのが最短ルートだ。城壁は夜のうちに登って越える。


「とっとと荒野に出てしまえば追われることもないと思う。今日一日で旅支度を整えて、明日には出国したい」


 ヨルマは荷物の中に入れてあった上着のフードで頭を隠し、ルツィカを連れて町に入った。

 ミランは正教都ほどではないが大きな町だ。ただし城門側でないので外の人間の往来がなく、当然大陸通貨は使用できない。


 二人は真っ先にルツィカの着替えを調達した。

 下着と動きやすい服装をひとまず三着。森を踏破した制服は、目立たない路地裏でとりあえずヨルマの収納庫レポノに突っ込んだ。ヨルマが知る限りルツィカはいつもスカートやワンピースを着ていたから、ズボンを穿いている姿はなんだか新鮮だった。

 大通りに戻って、人混みに紛れて歩きだす。


「あとはルツィカの寝袋と、カップと。他は何がいるんだろう……」


 旅なんてしたことのないルツィカに、これからの旅路で何が必要になるのか、適当に生きてきたヨルマには皆目見当もつかなかった。

 そのとき「ヨルマ」と、ルツィカの呼ぶ声が聞こえた。

 なにか目当ての店でもあったのだろうかと振り返る。すると少し離れたところに、膝を抱えてしゃがみ込むルツィカの頭頂部が見えた。


「ルツィカ? どうした」

「ごめんなさい、ヨルマ、頭が……痛くて」


「頭が?」ぎょっとして駆け戻り、ルツィカの顔を覗き込む。こてりとヨルマに力なく寄りかかったその目は溶けそうなほど潤んでいた。

 大きく肩を動かして、喉の奥を掠めるような呼吸をしている。まさかと思って額に手を当ててみると、今までどれほど我慢したのかと思うほど熱い。


「いつから……!」

「今朝から、すこしだけ」


 ──失念していた。


 森の行軍で一言も弱音を吐かなかったから平気だと思い込んでいた。ルツィカは十五年間、正教都の外に出たことがない普通の、いやヨルマの知る『普通』よりもかなり極端に、変化のない生活を送ってきた女の子なのだ。

 ぐったりとしているルツィカの体を抱きかかえ、一番に目に入った宿屋に飛び込んだ。






 応対してくれた女主人はルツィカを見るなり部屋を用意してくれた。

 ただしちょうど町で大きな祭りを控えているらしく、国内各地から客が集まってくるため宿はほとんど埋まっていた。唯一空いていたのは一人用の個室だったが、ひとまずルツィカが休める場所ならどこでもいいのでそこに入れてもらっている。ヨルマは床で寝ればいい。

 寝台に体を横たえたルツィカは、ふぅふぅと苦しげな呼吸を繰り返しながら、ごめんね、と何度もつぶやいた。どうしてルツィカが謝るのかそしてどう返すのが正解なのかもわからず、ただヨルマは「いいよ」と少女の額を指先で撫でた。


「なんだか熱が高そうね……。近くのお医者に往診にきてもらいましょうか?」

「だ、だめ……!」


 くるりと踵を返した女主人を呼び止めて、ルツィカが体を起こす。

 腕で体を支えるその様子はあまりに頼りない。ヨルマは慌てて薄っぺらい背中を支えた。


「お医者さんは呼ばないで……」


 か細い声で訴えるルツィカを困ったように見て、女主人はヨルマへと視線を移した。

 教会から逃げている身で、あまり周囲の印象に残るようなことはしたくない。二人がここに泊まっていることを知る人間は少ないほうがいいのだ。頭のいいルツィカはきっとそのことをよく理解している。


「あの、妹は、子どもの頃に……よくない医者に当たったことがあるんです」


 言いながら、兄妹にはとても見えないだろうなと自分でも思った。


「解熱剤は持っているので、医者を呼ぶのはもう少し待ってもらっていいですか」

「そうなの、まあ、かわいそうに。見た感じ熱があるくらいだし、それでいいなら少し様子を見てみましょうかね。あまり悪化するようならまた考えましょ」


 気のいい女主人は何かあれば声をかけるようにと言い残して、さっぱりと部屋を出ていった。

 思わず緊張の息を吐きだす。


「……兄妹に見えたんだろうか……」

「あんまり、気にしてないとおもう。施設で育った同士はみんな家族だし」

「成る程、そういう」


 確かにルツィカは養護院の年下の子どもたちを弟や妹と呼んでいた。

 ヨルマは床に下ろしていたバックパックの口を開ける。


「知り合いが調合した薬がある。たぶん楽になる」


 使用頻度が低いせいで底に埋まっていた巾着袋の中から、五角形に折られている薬包紙を取り出した。

 表に『熱があるとき、頭がいたいとき』と書いてある。これまで薬を必要とする機会はなかったので、実際に手に取るのは初めてだ。


 そのままルツィカに渡そうとして、一旦手を引っ込める。

 一体何年前にもらった薬だったかちょっと考えた。

 ……不安だ。

 薬包紙を開いて、中身の粉を小指の先につけて舐めてみた。苦い。苦いがまあ、即座に食道や胃が荒れるとか体内で治癒が発動するとかそういう気配もないので、害はなさそうだ。


「知り合いって、どこで知り合ったひと?」


 目の下まで布団をかぶったルツィカが、沈黙を埋めるような質問をしてきた。

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