第12話 昔、あるひとに呪いをかけてしまった

「わたしにも魔法が使えるのかな」

「うーん……。昔は魔法を使えない人間のほうが少なかったけど、最近はそうでもないから難しいだろうな。正教会にあったあの『聖体』、魔素マナや魔力に反応して変色反応を起こす魔鉱石の一種だろう。あれで魔力の多寡を計っていたのだとすると、反応のなかったルツィカには魔力がないということになる」

「魔力の量を計っていたの? 洗礼式で?」

「教皇猊下の奇跡の御業というが……、結界を張るという話なら普通に魔法を使っているのだと思う。教皇は魔法使いだよ」


 混乱して目を白黒させるルツィカを見て、ヨルマは申し訳なさそうに睫毛を伏せた。


「疲れただろ。今日はもう寝るといい」

「……、……ヨルマの話は難しくてよくわからないわ」

「いずれゆっくり話そう。横になって、目を閉じて。何かあったらすぐに起こす」


 カップを取り上げられた。それでも黙っていると、促すようにおおきな掌で肩を押される。体の下に敷かれたブランケットは薄く、地面の固さも冷たさも誤魔化しきれない。

 スカートが広がらないように手探りで整えたところで、学校帰りにそのまま逃げてきたのだったと、意識して忘れるようにしていた現実が襲い掛かってきた。

 震えそうになった体を両腕で抱きしめると、寒がっていると勘違いしたヨルマが着ていた上着を脱いで、体の上にかけてくれた。


「すまない」


 なぜ謝られたのかわからなくて、反応が一拍、遅れる。


「どうしてヨルマが謝るの」

「どうしてだろうな」


 正教都で過ごした日々よりもすこしぶっきらぼうに、切るように喋るヨルマは、どこか寂しげな横顔をしていた。だけど不思議と、これがヨルマの飾らない姿なのだろうと思える。


「夜の闇が怖いかい」

「……すこしだけ」

「そう。ちゃんと傍にいる。何が襲ってきても退けるだけの腕前はあるから」


 ヨルマもほんとうは、どうしたらいいのかわからないのかもしれない。気ままな自分探しの旅をしていたはずが、こんな厄介に巻き込まれて、ルツィカみたいなお荷物を抱えることになってしまって……。

 そう考えるとなんだか泣きたくなった。

 どこに在って誰と居ても自分の存在は枷にしかならない。

 下にした左側の眦から涙が零れて、小さな石になった。






 夜が明ける前にヨルマに起こされた。簡単な食事をとったあと、まだ暗い森のなかを歩きはじめる。

 夜の森を恐れる正教都の追手は陽が昇らないと動けない。ヨルマは少なくとも白霧の森に対して、『暗いなかを不慣れなルツィカとともに歩く』以上の脅威は感じていないようで、未明の行動開始に迷いはなかった。

 白霧の森には大きな街道が通っている。正教都と他の町を行き来する馬や徒歩は基本的にその道を通るのだが、ヨルマは街道を逸れて木々の間を行くことを択んだ。


「足元、気をつけて」


「うん」と答えた端から木の根に躓きそうになって、ルツィカは木の幹に手をついた。


 街道を真っ直ぐ逃げては騎馬の警備兵に当然追いつかれてしまうから、こうして道を逸れているのはわかる。わかるが、白霧の森は正しい信仰心のない者を呑み込む魔の森ともいわれているのだ。

 果たしてヨルマは道がわかって逃げているのか、そもそも逃げている身のルツィカとヨルマを白霧の森が無事に見逃してくれるのか、大体逃げているルツィカたちのほうが間違っているのではないか、こうして疑うことこそが迷いの原因なのではないかと、とにかく余計なことを考えてしまう。

 考え事をしていたせいで足元が疎かになり、今度は石に爪先をとられて転んだ。


「あっ……」


 すこし先を行っていたヨルマが振り返り、慌てて駆け寄ってくる。


「ごめんなさい」

「どうしてルツィカが謝る。……膝を見せて」


 言われてはじめて気がついた。学校の制服で森を行くルツィカの脚は、皮膚が剥き出しになっている膝下あたりを中心に、葉や枝で細かい切り傷をつくっていた。しかもいま転んだせいで右膝を擦り剥いている。

 滲んだ赤い血を見たせいで、なんだか痛みが増してきた。

 ヨルマは昨夜のうちに溜めておいたらしい魔法瓶の水でルツィカの膝を洗い、手持ちの布をナイフで裂いて傷口を縛った。


「治癒魔法も習っておけばよかったな」

「ヨルマの怪我が治るのは、治癒魔法じゃないの?」


 警備兵に射られた矢を自ら抜き去り、ルツィカの目の前で見る見るうちに治っていったヨルマの矢傷。

『特別製』だという体。


「あれは……呪いなんだよ」


 ヨルマはしずかに言った。「罰みたいなものだから」

 彼の特異な体質が呪いであるというのなら、自分のこの不可思議な涙も呪いなんだろうか。

 ルツィカがぼんやりとそう考えたのを見透かすように、ヨルマは言葉を重ねる。


「昔、あるひとに呪いをかけてしまった。その罰でこういう体になってしまったんだ。いまは、そのひとと自分の呪いを……解く方法を捜して、旅をしている」

「……自分探しの旅じゃなかったんだ」

「自分を捜して旅をするのか? おれはここにいるのに?」


 大真面目に首を傾げたヨルマがおかしくて、ルツィカはちょっと笑った。自分探しの旅というのはそういう直截的な話ではないと思うけど、確かに以外の場所で自分が見つかったら大問題かもしれない。


 二人は街道を逸れたまま森を歩いた。

 ルツィカの革靴は森を歩くのに適していない。滑るし、靴擦れを起こすし、足の裏は痛いし、爪先もじんじんして最悪だった。それでも、ヨルマが何かにつけ先回りして気遣ってくれたり、たまに負ぶってくれたりもしたので、文句を言う気になれなかった。


 ……最悪だけど、攫ってくれと頼んだのはこの自分だから。

 ヨルマは巻き込まれただけだ。


「泣き喚いて話にならないよりましだけど、こうも気丈だと心配になる」


 二日目の晩に、ヨルマは焚火の前でそう零した。


「エマのことは怒ってないのか」

「怒っては、ないよ」


 答えておいて、我ながらとても白々しいなと思ったりもしたのだが、本心だった。


「エマが教会に報告したんだって解ったときは、どうしてって驚いたけど。でも、教皇さまの候補になれそうな子どもがいれば教会の預かりになるのが当たり前なんだし、エマはラサラの民として当然のことをしただけだと思う」


 そうなってくるとむしろ、聖職者であるはずのビアンカがルツィカの体質を知ってなお教会に預けなかった理由や、正教会からの迎えにしらを切ろうとしたことのほうが不自然に思えてくる。

 そういえば逃亡のどさくさですっかり忘れていたけれど、あのときヨルマは、正教会に行けば死ぬというようなことを言わなかっただろうか……。

 どういう意味だったのだろう。

 まだ落ち着いて受け止められない気がするから、ふと湧き上がったその疑問には蓋をした。いつか必要になったときに訊けばいい。


「正教会に預ければ補助金も出るから。まあわたしへの腹いせも少しはあっただろうけれど、エマも養護院の経営状態を心配してのことなのよ。それよりもわたしが逃げてしまって、いまビアンカやエマは大丈夫だろうかって……」

「平気だろ。脅迫めいたことは言っていたけれど、第三区教会は町のみんなから頼りにされていたから、あからさまな弾圧はリスクのほうが高い。それよりは旅人のふりをしていた〈災禍〉に子どもが攫われたってことで通すだろう」

「だから〈災禍〉と名乗ったの? 東大陸の伝説のお話よね」

「伝説というか、歴史上の出来事だね。古代当時、東大陸のベルティーナ皇国を襲おうとした正体不明の魔物。封印されたり解放されたりして……今はどうなったか知らないけど」

「ふふ。なんだか見てきたみたいに言うね、ヨルマ」


 ヨルマはほほ笑んだ。

 焚火の灯かりが白い頬を淡い橙色に染めていた。


 三日目の晩を迎える頃にはルツィカもすっかり夜の闇に慣れた。

 何も見えないのは確かに恐ろしかったけれど、人の気配のないしずけさは、どこか正教会の静謐な空気に似ている。闇に乗じてやってくると教えられていた男神スギルの死霊は一度も現れなかった。


 焚火の音と、ひぃひぃと鳴く鳥の声、ヨルマの息遣いと、自分の衣擦れ。


 養護院の喧騒が懐かしくて、どうしようもなく不安な気持ちになったときはこっそり泣いた。ヨルマは気付いていたかもしれないが、何も言わなかった。

 泣きすぎたのかもしれない。たまに頭痛を感じる。


 そして四日目の朝、二人は森を抜けて町に入った。

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