第4話 他人の信ずる神を妙と称するその性根に呆れた



「ここから荒野を北上したところにラサラという小国があるがねぇ、あそこは国ぐるみでラサラさまとかいう妙な神さまを祀っていてちょっと不気味だしあんまりお勧めしないね」


 そんなことを言ったのは居酒屋で隣に座った禿げ頭の親爺だった。他人の信ずる神を妙と称するその性根に呆れた。自分だって本物の神なんて見たこともないくせに、何が本当に妙かなんてわかるもんか。


 ヨルマが訪れてみたところ、確かにラサラ教国は、生半な気持ちの旅人が観光目的で訪れるような地ではなかった。

 そもそも荒野を抜けるのに一週間かかる。野宿は苦にならないから問題なかったが、城門の脇の詰所でかなり冷たい対応をされたのには参った。


「外の人? 出身は? 身元証明書を……ああ東大陸の生まれね。観光? 観光するようなところなんてないよ。それでもいいの、へえ。じゃあ入国は許可しておきますけどね、国内ではあまり外の話をしないでくださいね」


 ラサラ教国を出入りするには全てこの城門を通る必要がある。さもなくば五メートル級の城壁をよじ登って越えるか、ゴドルム山脈の連峰を踏破して背後から正教都に侵入するしかない。

 城門近くの町はさすがに外の人間の出入りがあるようで、毎回「あら外の人なんて珍しい」と言われながらもそれなりの歓待を受けた。

 問題は正教都だ。

 正教都の周りにはアルベルト山の樹海が広がっている。正しい信仰心を持たねば忽ち道を失うという謂れのある〈白霧の森〉だ。信仰心もくそもないヨルマが真っ直ぐな街道を五日かけて抜けた先にあった古ぼけた南門は、国内であるにも拘わらず閉まっていた。

 ここでも素っ気ない対応をされつつ開門してもらい、ようやく正教都に入って仰天した。


 まず宿らしき建物がない。

 道行く人に聞いてみようと思っても、こっちが声をかけようとするといそいそ離れていってしまう。

 そのくせまるで珍獣でも見るかのような目つきで遠くから眺めてくる。

 宿は後回しにして飲食店に入ると旅人さんかねと確認された。肯くと店内がざわついた。店主は若干申し訳なさそうに財布の中身を検めたいと言いだして、別に困ることはないので差し出したら通貨が違うと言われた。大陸共通の貨幣と同時に自国の貨幣が普及している国は珍しくないが、完全に自国通貨のみの取引をしている土地など今どき有り得ない。


 参ったなぁと正教都内をふらつくこと二、三日してお人好しの少女に拾われた。

 人の善いシスターが快く教会に泊まるといいと申し出てくれたときには神に感謝した。

 感謝した──のだが、


「代わりにといっては大変申し訳がないのですが、ひとつお願いがあるのです」


 ヨルマを拾ってくれたルツィカという少女に客室の用意を言づけたあと、シスタービアンカはとんでもないことを言いだしたのである。



「あの子、ルツィカを……このラサラ教国から連れ出してはもらえませんでしょうか」






 ビアンカは詳しい事情を述べなかった。

 さすがにその場ではっきり断るのも憚られたので少し考えさせてほしいと答えたが、正直考えるまでもない。ヨルマは旅人であって誘拐犯ではないのだから。


 先程まで見学していた正教会から真っ直ぐに伸びる大通りの突き当たりは、丁寧に剪定された芝生の広場になっている。噴水やベンチも設置されており、礼拝帰りの家族連れや仲間連れが休憩や食事をとっていた。

 軽食を売る屋台も出ているので、ヨルマたちもここで昼食をとることにする。


「あそこのタマゴサンドがおいしいのよ」


 質素な濃紺のワンピースを着たルツィカは、斜め掛けにした小さなポシェットから財布を取り出そうとしていた。

 その手をそっと押さえると、少女は透きとおるすみれ色の双眸を丸くする。


「お昼を奢らせてほしい。休日につきあわせたお礼に」

「別に、気にしなくていいのに」

「じゃあ命を助けてもらったお礼」

「それも別に。当たり前のことをしただけよ」


 ルツィカの口調は恬淡としていた。しかしヨルマが引かない様子を見ると、ポシェットにかけていた手を渋々外し、「ごちそうになります」と軽く頭を下げる。

 年頃の少女にしては大人しい──というか老獪──いやどこか諦観しているような印象があったので、ぺこりとしたお辞儀が子どもっぽく見えて微笑ましい。


 ルツィカにはタマゴサンドを購入し、ヨルマはベーコンサンドとレタスサンドにした。小麦の丸パンに具材が挟まれている。

 居酒屋の禿げ親父が言った通り確かに宗教観は独特で、かなり閉鎖的だし大陸貨幣が通用しないのには驚いたが、食文化は至って普通だ。文明水準はやや控えめだが、このレベルの国は南に下ればないこともない。

 近くのベンチに腰掛けて、昼食の包みを広げた。


「ルツィカは養護院で過ごして長いのか?」


 なんとなく沈黙が退屈だったので適当な話題を振ってみることにする。

 食事中の沈黙が戒律にないことは、昨日の賑やかな夕食時に確認済みだ。


「長いというか……わたしは生まれてすぐに養護院に預けられたから、ずっとよ。南門の外に、産着にくるまれて捨ててあったんだって」


 門の外に、か。

 普通だとすぐに見つけてもらえるよう養護院の前あたりを択ぶものではないだろうか。それだとまるでルツィカの両親は、正教都から出て街へ向かうために子どもを置いていったみたいだ。

 ──赤子の生死を問わない、投げやりな感じがする。


「……変なことを訊いてすまない」

「ううん。これを話すとみんなわたしのことを、深く傷ついた可哀想な子どものように言うのだけど。当時のことなんて憶えていないから、あまり自分のことだと思えないのよね」


 ルツィカは細い頤に指先を当てて、すまし顔で小首を傾げた。

 彼女の口調はやはり恬淡としていた。

 ヨルマの命を救ったことも、自分の身の上が孤独であることも、すでに起こった有りのままの事象として受け止めているらしい。


「他の子も同じように預けられたのか?」

「いいえ。今いるのは、三年前の山崩れで家や家族をなくした子がほとんど。天海の海嘯で雨が降り続いて、第五区のあたりが巻き込まれたの」


 第五区というと正教会地域の西隣だ。ラサラは山麓の都市だから全体が緩やかに傾斜しているが、今いる北に近いほうはぐっと勾配がきつくなる。

 正教都の地図を脳裡に浮かべながら、ヨルマは天海を仰いだ。


 天海の海底は静かに凪ぎ、一定のリズムで打ち寄せる波濤が、穏やかに白い跡を残している。天海を通す太陽の光は柔らかく筋状になって降り注ぎゆらゆらと揺らめいていた。

 人々が住まう地上の遥か上空に広がる天界、その最下層にあたる海ではしばしば津波が起き、海底を抜けて地上へと降り注ぐことがある。

 ふつう雨というと天海を泳ぐ最古の聖獣〈天海のくじら〉が起こす水飛沫であるのだが、この海嘯と呼ばれる津波の場合は地上に甚大な豪雨の被害をもたらすことが多い。海嘯の原因の大抵は神々が怒ったことによる天界の地震であるので、地上には事前に対策するすべもない完全なる天災である。


「第五区の教会も山崩れに呑まれたのか」

「被害を受けたのは山側だから、町中の教会は無事だったの。ただ家族を亡くした子が多すぎて、第五区教会だけでは受け入れきれなかった。それで四区と三区にも子どもを振り分けたのよ」


 ヨルマと同じように天海を仰いでいたルツィカは、エマとかはまた違うけど、と小さく付け加えた。


「エマっていうと、昨日ルツィカをどついてた子」

「やっぱり見ていたの。そう、そのエマ」

「狭い家でああいうちょっと強めの子がいると大変じゃないか?」

「エマは呪われているから」


 横目に少女を窺うと、ルツィカは食べ終えたタマゴサンドの包み紙を丁寧に折り畳んでいた。

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