第2話 小鳥のほうがまだ順序良く並ぶに違いない
夕食の際に改めてビアンカから紹介された『お客さま』は、食事の時間が終わるや否や子ども部屋に拉致され、腰を下ろした彼の膝に乗ったり背中におぶさったり腕を引っ張ったりとやりたい放題されまくった。
ヨルマはひとつも嫌な顔をせず、子どもたちによじ登られても好き勝手やらせてあげていた。
「ヨルマはどうして髪の毛が白いの? よその人はみんなこう?」
と、雪白の髪を引っ張られても苦笑いで済ませている。
「いいや。おじいさんやおばあさんならともかく、おれくらいの年齢だとどこでも珍しいものだったよ。だけど広い大陸には色々な髪や目や膚の色をした人びとが生きているから、特別変わってるってわけじゃないんじゃないかな」
「外の人にはツノが生えているって本当?」
「遥か昔にはそういう人もいたけれど、今はいないな。大体みんな同じ姿かたちをしている。魔物のなかにはツノをもつ種族もあるけれど……」
「魔物! ラサラの外には魔物がたくさんいるんだよね?」
「ゴドルム山脈は確かに魔物の棲み処になっている。だけど、人里の近くに棲んでいる魔物は理知的な種族が多い。こちらから彼らを攻撃しない限りは何も恐ろしくないんだよ」
「ラサラの外の荒野には毒の霧が立ち込めているのでしょ。どうやって荒野を抜けてきたの?」
「毒の霧? ああ……。それはもう……頑張った」
「頑張ったの!?」
「すごく頑張ったよ」
さながら枝に小鳥を乗せた大樹のようだ。いや小鳥のほうがまだ順序良く並ぶに違いない。
さすがにルツィカと年の近い面々はもう少し慎重で、人となりを見定めるように遠くから眺めていたのだが、それでも瞳の奥には仄かな興味が煌いていた。
なかでもひと際警戒心が強かったのは、ルツィカと同じ年の少女エマだ。
薄黄色のくせ毛を片手で撫でつけながら、そばかすの散った顔を顰めてヨルマを睨んでいる。
「ふん……。妙なやつじゃないでしょうね」
刺々しい口調はいつものことだから、一緒に子ども部屋の入口に立っていたルツィカはさらりと流した。
「さあ。少なくとも悪いひとには見えなかったけど」
「なんかあったらあんたのせいだからね!」
「あいた」
エマは勢いよくルツィカの肩をどついて去っていく。
エマの取り巻きである少女二人はヨルマと話したそうにしていたものの、ボスの不興を買うほうが怖いようで、後ろ髪を引かれながら彼女を追いかけていった。
三人が部屋に戻るのを眺めたあと、視線をヨルマと彼によじ登る弟妹に戻す。
静かにこちらを見つめていた黄金と眼が合った。
エマにど突かれたのを見られていたのかと思ったけれど、よくよく観察していると「たすけて」と唇が動いている。子どもたちの重みで潰れそうになっていた。
ルツィカはごねる子どもたちを一人ずつ引き剥がして、羊を追い立てる犬のごとく風呂へと追いやった。子どもたちの好奇心や珍しもの好きはやはり凄まじい。全員追っ払った頃にはヨルマもルツィカもぜいぜい肩で息をしていた。
翌日、朝の礼拝と食事を済ませると、二階に用意されたヨルマの部屋を訪ねた。
「おはよう、ヨルマ」
「おはよう、ルツィカ。今日はよろしく」
お世辞にも広いとはいえない部屋だけれど、ビアンカがいつでもきれいに掃除していたから清潔感がある。木製の寝台のそばには小さな机と椅子。窓際のチェストにはいつの間に用意されたのか、花が飾られていた。
いつでもお客さまを迎えられるようにと調えていたビアンカのおかげだ。
この先何十年か続いていくだろう自分の人生のなかで、まさか本当にこの部屋に客人を泊めることになろうとは思っていなかったけれど。
ルツィカは正教都の地図を机に広げ、ヨルマとともに覗き込んだ。
円型をした都市の最北、アルベルト山の山頂を背後に戴く位置に正教会がある。その敷地を始点に東回りで第一区、第二区と区分けされ、ルツィカたちの住む第三区には正教都の玄関口である南門。ヨルマは「あ」とそこを指さした。
「ここから入ってきたんだ。正教都の入口はここだけなんだよね」
そうねと肯く。周囲を山の裾野に守られているため、都の外と行き来しようとすると、この南門から出入りするしかない。アルベルト山が伸ばす両腕の、右手と左手の指の先をつなぐように建つ古ぼけた木の扉だ。基本的に閉まっている。
「正教会前の広場が始発で、東廻りと西廻りに乗合馬車が出てるの。一時間も乗れば正教会につくけど、銀行以外で行きたい場所はある?」
ヨルマは顎に手をやって、じっと地図を見つめた。
「それなら正教会を見てみたいかな。ラサラの一番の特徴はこの宗教だろうと思うから」
「ラサラ教のこと?」
「うん。道中いろいろ教えてほしい。それとも信者でもないのに見学はまずいだろうか」
ルツィカには判断がつかなかったので、出発がてら一階に下りてビアンカに訊いてみた。
なにしろ国外からの旅人という存在自体が珍しい。ビアンカもちょっと不安そうだったが、たまたま居合わせた第三区教会の司祭が恐らく大丈夫でしょうと頷いたので駄目元で行ってみることにした。
養護院を出て、今日は二人が出逢った路地裏ではなく目抜き通りを歩きながら、通りかかった東廻りの乗合馬車をつかまえる。
栗毛の二頭が牽く幌付きの馬車に乗り込み、空いていた席に座った。
ヨルマの白い髪はとても目立つ。
ほかに乗っていた数人の客が悉く彼に視線をやってぎょっと驚き、この辺りにこんな人がいたかしらと顔を見合わせ、まさか『外の人』かと目を疑った。ラサラに住むほとんどの人にとって、外の人との邂逅は初めての体験なのだ。
ヨルマは苦笑しきりだったけれど、昨日の子どもたちの攻勢に較べればましだと自分を納得させたようだった。
「最初の二、三日もかなりじろじろ見られた。本当に珍しいんだな」
「珍しいっていうか、自分が生きている間に『外の人』を見ることになるなんて、みんな思っていないんだよ」
ヨルマが口の中で何かつぶやく。徹底してるなぁ、とかなんとか──馬蹄や車輪の音に紛れてはっきりと聞こえない。
訊き返す前に、ヨルマはすらりとした顎を親指と人さし指で支えて首を傾げる。
「なんでここまで閉鎖的なのかな。確かに周囲は荒野と山で、一番近い国でも近いというのが馬鹿らしいくらい遠いけど。今どき便利な移動方法も色々あるのに、ここまで他国との往来がないのも不思議だ」
「ラサラの外は……とても危険だから」
ヨルマはきょとりと目を丸くした。「危険?」
「そう。外の人にとってどうかは解らないけれど、この国の血を引くわたしたちにとって外はとても危険な場所なの。だからラサラの周りには教皇さまが強い結界を張っていて、わたしたちもお祈りを絶やさないし、軽々と国外に出てはいけない。……だからヨルマのような旅人もあまり歓迎することができないの。一人や二人なら大丈夫だろうけれど、あんまりたくさんの人が国外と往来していたら結界も意味がなくなってしまうから」
「成る程。ラサラの教皇さまは強い力を持っているのか」
ヨルマは微笑を浮かべた。
もとが彫刻のようだからか、どきりとするほど妖しい表情だった。
「だって、教皇さまだもの。ラサラで一番特別なひとよ」
「ルツィカは教皇さまに会ったことがある?」
慌てて首を振った。教皇猊下はラサラ教国で最も尊い人だ、教会の聖職者でも気軽に会える存在ではない。
「ということは、この国の最高指導者は教皇猊下なんだね。そのラサラを守る結界のあたりも含めて、詳しく教えてくれると助かるんだけど」
「詳しくといっても……難しい話じゃないわ。ラサラに住む人ならみんな知ってる」
ラサラの子どもなら寝物語に何度も読み聞かされる話だし、ルツィカも施設の子どもたちに絵本を読んでやったことがある。教会の施設に住んでいるのだから諳んじて当然、学校のテストでも問題になるから普通の子でも知っている内容だ。
ラサラ教の歴史は古い。
ルツィカが学校で勉強した歴史は、時代を大別して神代、古代、中世、近現代とあるが、ラサラ教は起源を古代中期にまで遡る。
「昔、むかし、アルベルド山の麓にはひとつの名もなき村がありました……」
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