第27話 異世界聖女巡礼 ~闇の魔術師~




「あれは闇の魔術ですっ!」




「霧や汚泥を媒介として発動するのは捕縛術、狙いはナユタ様でしょうっ!」


 駆け抜ける穣を守るようについてくるオスカーとアストル。スチュアートはラルザに手を貸して、その後に続いていた。


「そんなんがどこからやってきたんだよっ! それに、あれはアーリャなんだろっ? 何が起きて、こーなったんだ?」


 絶叫する穣に難しい視線を向け、オスカーは歯切れの悪い口調で答える。


「.....闇の魔術師らは死人を使います。少年の妹御は、まだ弔われておりませんでした。憶測ですが、その妹御の遺体を使い、某かを企んでいるのではないかと」


 オスカーの言葉を聞いた瞬間、穣の足がピタリと止まる。ぞわぞわと蠢く不気味な霧に間を詰められ、急いでスチュアートが大剣を構えた。


「主殿?」


 突然停止した主を訝り、狼狽しつつも尋ねるオスカー。その視界で静かに振り返った穣は、顔に深い陰を落として爛々と双眸を輝かせている。

 狭まった瞳孔に凄まじくギラつく眼光。薄い油膜が張ったように淀んだ光を見て、思わず従者達は背筋を凍らせた。


「闇の.....魔術師?」


 その単語はDNAレベルで穣の魂に刻まれている。愛しい妹を拉致した慮外者として。

 不倶戴天のごとき雰囲気を醸し、穣はゆらりと身体を反転させた。

 じゃりっと大地を踏みしめる爪先。


「これが闇の魔術なら。.....いるんだよな? このへんに?」


 またもや嘆きを呼ぶのか。絶望にうちひしがれるアーリャの妹の遺体を使って? 何しやがったっ?!


 獰猛に荒れ狂う穣の脳内。その憎悪にも似た陰惨な思考に圧され、彼の身体から言い知れぬ覇気がぶわりと溢れた。

 魔力ではない何か。言葉に表すのは難しい不可思議な空気が辺りを満たす。

 呼吸すら阻むような重苦しい空気。それに護衛騎士の二人は覚えがあった。


 .....殺気。それも尋常ではないほど深い殺意。


 数多の戦いを経験してきた強者二人は、只人であるはずの穣が放つドロドロとした殺気を信じられない面持ちで見つめている。


「那由多。あーちゃん。力を貸してくれ」


「あいっ!」


『あーいっ!!』


 むんっと仁王立ちする小さな勇者達。絡み付くように重くのし掛かる空気をモノともせず、二人はありったけの魔力と聖力を練り上げる。

 複雑に糾う二種の力。白っぽい陽炎が那由多を包み、黄金色の靄があーちゃんを宙に浮かべた。


 他力本願で情けないが、立ってる者は親でも使えだっ! 刹那探しの手がかりになるかもしれないしな。


「闇の魔力と聞いて驚いたが、よくよく考えれば、こっちにはその天敵たる光の魔力があるんじゃん? あーちゃんの聖力もさぁっ! 逃げるいわれはないよなぁぁっ!!」


 眼を見開いて吠える穣が合図だったかのように、小さな勇者達は渾身の魔力を黒い霧にぶつけた。

 合わさり捻れ、きりもみ状に打ち込まれた魔力は黒い霧を貫き、その大半を霧散させる。

 それを見て、神殿メンバーは思い出した。


 .....神殿は闇の魔術師を押さえ込める唯一の存在なのだということを。


 だからこそ闇の魔術師らは神殿に関わらない。一歩間違えば己の破滅を招く光の魔力を奴等は忌避している。

 那由多の母親が拐われたのはイレギュラーだ。彼女は神殿におらず、しかもキシャーリウの世界を知らない異邦人だった。神殿に察知されず無垢な聖女を拐かせる絶好の機会を奴等が見逃すはずはない。


 たが那由多は違う。正しく聖女として巡礼している。


 彼女を襲えば神殿に知られるのを奴等も理解しているはずだ。だからこそ安心して旅が出来きていた。

 なのにこうして襲ってくるとは..... いったいなぜ?

 スチュアートは、闇の魔術を退ける那由多を凝視しつつ固唾を呑む。精霊の加護もあろうが、幼女の魔力は相手を圧倒していた。


 .....精霊の加護だけとも限らないが。


 右に那由多。左に精霊。その中央に立つ穣は、今にもはち切れそうなほどの憤怒を溢れさせている。


「返せよ、アーリャを。それは、俺んだ」


 霧散しながらも未練がましく辺りを彷徨う黒い霧。その霧がまとわりつく地面には、小さな少年が倒れていた。


『起きろ。聖女を掴むのだ、それだけでいい』


 付かず離れずウロウロする不気味な粒子。だが、それが少年に触れようとすると、ばちっと大きな音をたてて火花が散る。

 ふわりと柔らかな膜がアーリャを包み、その周囲をたゆとうように煌めく星が舞っていた。


「封じるの? 滅するの?」


『良グネェ、あいハ良グネェ奴ダ』


「封じる? 滅する? ラルザ、なんだそれ?」


 穣は那由多の言葉の意味を先輩巫女に尋ねた。


「封じるはアレをそのまま石にします。滅するは文字通り消し去ります。聖女の学びでナユタ様は、それらがお出来になりますわ」


 うわぉ、異世界不思議現象か。俺は魔力もないからなぁ。そういのは分からんもんな。


 ただでさぇキシャーリウ初心者な穣である。学ぶ事が多すぎて、自身にやれない事まで教わる暇はなかった。


「どちらが良いんだ? 違いはあるか?」


 再び穣に尋ねられたラルザは、しばし考えるが判断がつかないらしく、選択肢を出した。


「滅すれば安全は保証されますわ。通常であれば、こちらが最適でしょう」


 しかしラルザは知っている。異世界聖女親子が、失われた母親を探していることを。なので、あえて危険な方法も伝える。


「石にした場合、封印が解ける可能もありますが、神殿に持ち込めば相手を辿り特定出来る事もあります」


 ラルザの予想どおり、穣の炯眼が喜色に輝いた。それはそうだろう。全く手がかりのなかった闇の魔術師の魔法が、今、目の前にあるのだ。


「那由多っ! あーちゃんっ! 封じろっ!!」


「『了解!』」


 ですよねー。


 襲撃の恐怖もどこへやら。真っ当に光の魔力を使える那由多や、それ以上の聖力を使える精霊様によって事態は力業により終息する。


 二人は穣の指示どおり黒い霧を魔力で包んで閉じ込め、その光と聖の魔力を徐々に小さく圧縮した。

 かすれたようなダミ声をあげつつ、のたうち回る黒い霧。

 必死の抵抗を見せた霧だが、さすがにタッグを組んだ最強勇者らには敵わず、一瞬で縮まり、きんっと硬質な音をたてて地面に落ちた。

 コロコロ転がった元霧。それは指先でつまめる程度の石に変貌している。


「これが..... さっきの霧か?」


 直径二センチほどのゴツゴツした小さな石。見る者の心をざわつかせる不気味な雰囲気の石は、真っ黒で鈍い光沢を放っていた。


「本来であれば結界と術式札を必要としますが、そうです」


 呆れたかのように達観の眼差しを禁じ得ないラルザ。


 神殿にはこういった荒事本職の聖女もいるとかで、闇の魔術師の相手はその彼女らの仕事らしい。

 数人で張った結界に闇の魔力を封じ、術式札を用いてその場に石として封印するのだとか。それの用意がなかったため、今回彼らは逃げる選択をした。


「こんな小さな石ではなく、もっと、人が両手で抱えるような石ですわ。.....ナユタ様のお力は規格外ですわね」


 はあっと感嘆の溜め息をつき、ラルザは穣の持つ石を見つめる。


 なるほど。たぶんだけど、那由多の張った結界を、あーちゃんの聖力が術式札とやらがわりに封じた感じか。


 術式札は一夕一朝に作れる物ではなく、じっくり時間をかけて準備する物らしい。

 神殿にはそういった、闇の魔術師に対抗する術がある。なので奴等も神殿に感づかれるようなあからさまな真似はしないし、足跡も残さない。

 だからこそ異世界聖女親子も安心して巡礼の旅をしていたのだ。


「今まで闇の魔術師らが神殿関係者を襲うことなどありませんでした。いったい、何がおきたのか」


 オスカーも驚愕に眼を見開いている。


 この世界は未発達な中世観の強い世界だ。闇の魔術師達が獰猛で残忍、狡猾であるなど色々判明していても、これといった手段を講じるわけではない。

 キシャーリウにとって、奴等は知性を持つケダモノのようなもの。災害に近い位置付けになってるらしい。

 行方不明者が出たとして、それが本当に奴等の仕業かは分からないのだ。

 治安が比較的良いとはいえ、人拐いもいるし犯罪も横行する。兵士や騎士が守ってるとはいえ、警察のように民を守る組織はないし、被害者がよほど身分のある者か、大規模な事件でもない限り捜査らしい捜査もされず、記録として残ることも少ない。

 あざとい闇の魔術師らは、そういった無秩序な部分につけこみ、かなり自由奔放に生きているとか。

 ゆえに対抗手段を持つ神殿が奴等の犯罪を抑止しているのだ。それがまたキシャーリウでの神殿の価値を上げている。


「なるほどなぁ。だからキシャーリウの世界でも神殿は一種独特な存在なのか」


 知らなかったアレコレを説明され、穣は封印した玉を皮袋にしまい、ポケットに入れる。


「このような事態は想定しておりませなんだ。至急、どこかの神殿へ向かい、レジェナーを同行させましょう」


「レジェナーを? .....動いてくださいましょうか。彼女らは忙しいはずです」


 オスカーの言葉にアストルが疑問を投げ掛けた。


「レジェナーって?」


「先ほどお話した闇の魔術師専門の聖女です」


 ラルザに説明を続けてもらう穣。


 魔力の強い巫女の中でも身体能力の優れた巫女に戦闘技術を叩き込み、戦えるようになった者をレジェナーと呼ぶらしい。この彼女らが闇の魔術師を見つけ、追い詰めて封印する。


「封印? 人間を?」


 ぎょっと顔を強ばらせる穣の前で、ラルザは辛辣に顔をしかめた。


「人を襲い餌食とする者を神殿では人間と呼びません。魔物と同じですわ」


 おおう。言うね、ラルザさん。


 唾棄するかのように吐き捨てた彼女を筆頭に、神殿メンバーらは揃って同じような顔し、大仰に頷く。


 はあーん。まあ分からんでもないが、やっぱ中世っぽい世界だよなぁ。利害の塩梅で人の価値が暴落するとことか。ある意味、こっちのが正しい倫理観でもあるな。


 法治国家の居並ぶ世界で育った穣だが、それでも憤るような犯罪を多々見てきた。あきらかに有罪たる人間を擁護する人達。有り得ぬ理由から起きた事故なのに、その原因を揉み消そうとする人達。

 人権、人道、道徳心、その他色々が複雑に絡まり、さらには権力者の思惑まで介入して、結果、虐げられる形となる被害者らや遺族。

 それと比べれば、まだこちらの方が良いかもしれない。


 そんな己の思考に、穣は自嘲気味な笑みを浮かべた。


 そういった感情論が横行せぬよう地球では法律が発達したのだ。多くの民を守るために。

 だがそれは最近歪んできた。心正しく生きる者達とそうでない者らまでをも混同し、平等にしようとしている。

 地球は文明が発達しすぎて迷走を始めた感じだと穣は思った。


 どちらが良いかとは誰にも言えまい。強力なシビリアンコントロールにより、地球では権力者の横暴が鳴りを潜めたが、その反面、弱者を庇うあまり、あるべきボーダーラインが曖昧になっている。

 キシャーリウはキシャーリウで、権力者が幅を利かせてはいるが、神殿が抑止力となり民の生活を守っていた。たがこれも全てとはいかない。多くの貧民が存在し、苦しい生活を送っている。犯罪の数も質も地球とは段違いだ。


 悩ましいねぇ。


 どちらが良いとも言えない穣だが、人間を餌食にして悪辣な犯罪を犯す闇の魔術師らを、ケダモノだと言いきったラルザには好感が持てた。

 魔物と成り下がった人間は封じるべきだと。穣も、そう思う。


 あらかたの説明を終え、一行はアーリャを助け起こした。


 幸いなことに呼吸はある。ラルザが診察しても身体に異常はないそうだ。

 穣が森を確認すると、そこには物言わぬ肉塊が一つ。人の形をしていないソレは、たぶんミーシャの成れの果てだろう。

 ブヨブヨとした肉の塊から飛び出す幾つもの骨。

 あまりの無惨な光景に唖然とし、声を失う穣の背後から忌々しげなラルザの声が聞こえた。 


「.....魔術には対価が必要なのです。身の丈にあったモノなれば己の魔力で賄えますが、それ以上を望むならば..... 他者に対価を求めねばなりません」


 つまり、なにか? ミーシャのこの姿は、闇の魔術師らの仕業か?


 穣は身の内が荒れ狂うのを感じた。溶岩のように逆流する血液。今にも爆発しそうな心臓と反比例して冷たくなる四肢や頭。


「奴等が人間を欲する理由です。人間を対価として、あのケダモノどもは魔術を行使するのですわ。大抵は人を不幸に貶める魔術を」


 他にも研究や実験など、闇の魔術師らは常に獲物を欲しているらしい。

 ようやく見つけた妹誘拐犯の手がかり。それは穣の心に新たな憎悪の燃料を注ぎ込む。


 順風満帆だった聖女巡礼は、こうして否応もなく不穏な空気に満ちてきた。


 それでも異世界聖女親子は元気に進む。穣は空元気かもしれないが、空元気も元気の内。無いよりはマシだった。

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