第26話 異世界聖女巡礼 ~嘆き~


「なんだろな」


「さあ? まあ、ああいう輩は結構おります」


「ですわね。祝福に感動して心酔気味に同行しようとする者らはわりと見かけますわ」


 じっとり眼を据わらせる穣の視界には幼い二人の兄妹。年の頃は十いくかいかないか。彼等はグジャールから付かず離れずな距離を維持して、ずっと異世界聖女親子を追ってきていた。

 でっかいズタ袋を引きずり、まるでネズミの引っ越しみたいである。


「地球でいう追っかけって奴かね? どこの世界にもいるんだなぁ」


「追っかけ? ですか?」


 聞きなれない言葉に首を傾げるオスカー。それに苦笑し、穣は簡単な説明をした。


「なるほど。好意や敬意を抱く相手を《推し》と言い、それを崇めて追従していく者が《追っかけ》ですか。ふむ。たしかに。こちらの世界にも形は違えどありますね」


 高名な誰それに憧れて尽くしたり、美形な人々にときめき侍ったり。

 《推し》と《追っかけ》という言葉は、あらゆるシチュエーションに当てはまる便利な言葉だ。


「定義がそれであれば、確かに後ろの二人は《追っかけ》ですね。たぶん、ナユタ様の奇跡にあやかりたいのでしょう」


 ラルザも得心顔で頷く。


 あやかるって何に? 聖女の力は生まれつき宿っているモノで学ぶとかは出来ないよな? 祝福? 幸運? そんな曖昧なもんにあやかりたいのか?


 不思議顔な穣を見て、その内心を察したらしいスチュアートが後を引き取った。


「聖女様の祝福や幸運は現実に作用する力です。まじないや迷信とは違います。なので、傍にあるだけでその恩恵が受けられます」


「はっ? マジでっ?!」


 揃って首肯する従者達。


 一ヶ月近くも異世界親子と共にいるのだ。最初は聞き返したり疑問な言葉を尋ねたりしていた彼等だが、今は穣の現代よりな口調にも慣れた。

 少し困惑しつつも、穣はストーカーじみた兄妹を黙認する。

 実害もないし、何かしら起きれば護衛騎士の二人が対応してくれるだろうと。


 後にこの時の判断を、心から後悔する未来を穣は知らない。


 その未来は、存外早く訪れた。




「何がどうなってんだよーっ!!」


「いいから逃げて下さいっ! 全速力でっ!!」


 那由多を抱えて逃げる穣の背後には大きく揺らぐ不気味な霧。高さ五メートル近い霧の固まりは愛娘を奪おうと聖女一行を追ってきた。


『聖女..... 聖女が.....いれば』


 低く唸るような呟き。


「追っかけの少年ですっ!」


「情熱的過ぎますな。婦女子への求愛は、もっと段階を踏まないと」


 揃って全力疾走する聖女一行。オスカーに答えるスチュアートの台詞を聞き、あんな婿候補は真っ平御免だと穣は絶叫した。


「願い下げだわ、ぼけーっ! 敵意をもって追ってくるのは追っかけと言わねぇっ! 追い剥ぎっつーんだよっ!!」


 闇暗くなりかかった深夜の静寂を引き裂く彼の叫び。


 事の起こりは半日ほど前だった。




「妹がっ! 聖女様っ! 妹に祝福を下さいっ!!」


 いきなり兄妹の兄が夜営の準備する穣達の元に駆け込んできた。

 頭を地面に擦り付けるかのような少年の雰囲気にただならぬ事態を察し、穣らは彼の妹の元へと駆けつける。

 そこには今にも息たえそうな少女。ひゅーひゅーとか細く聞こえる呼吸音だけが、彼女がまだ生きているのだと穣に伝えていた。


「病気か? 治せるのか、これ?」


 今まで那由多やラルザは多くの病人を癒してきている。今回も何とかなるのではないかと穣は二人を振り返った。

 少女の手を取り軽く診察したラルザは、沈痛な面持ちで左右に首を振る。


「これは..... 痼の出来る不治の病です。これに祝福は効きません。むしろ、病状を悪化させます」


 祝福やそれによる治癒は、人間が生来持っている生命力を促進させるものだ。つまり、治ることが前提のモノにだけ効くのだとか。

 治らない病に祝福や治癒をかけても焼け石に水。それどころが、病気の進行を早めてしまうらしい。

 ラルザの説明を聞いて、穣は漠然と理解した。

 痼とはガンのことなのだろう。治癒によって病や怪我が治るのは人間自身が持つ細胞増殖や免疫を高めているに過ぎず、外科的に患部を切除しているわけではない。

 だから細胞の一種であるガンをも活性化させてしまうため、否応なく病の進行が早まるのだ。


 祝福や治癒は万能じゃないのか。時間をかければ治るモノを早回しで治しているに過ぎないんだ。


 聖女一行らと行動を共にしていたため、この少女の病も悪化の一途を辿ったのだろう。

 なんとも言えぬ憐憫が辺りを満たした。

 それに戦き、少年はすがるようにラルザを見上げる。今にも壊れてしまいそうなほど大きく揺れる鳶色の瞳。


「せ.....、聖女様っ? 巫女様っ? 妹に祝福を御願いいたしますっ! せめて癒しでもっ! 御願いしますっ! 御願い.....」


 御願いします、御願いしますと頭を擦り付ける少年を誰も直視出来ない。

 今思えば、彼は病の妹を治したくて聖女一行を追ってきたのだろう。

 それならそれで、もっと早く打ち明けて欲しかった。そうすれば、すぐに痼に気付き、悪影響な我々から離れるよう教えられたのに。


 今さら取り返しもつかないことに臍を噛むラルザ。


「妹を、誰かっ! 助けてくださいぃぃっ!!」


 ボタボタと大粒の涙を溢して号泣する少年。彼は良かれと思い、妹を連れてグジャールの街から出てきた。


『聖女様だっ! 本物の聖女様だったんだよ、ミーシャ!』


『.....聖女様?』


 痩せ細り、今にも倒れそうな妹を背におぶり、少年は手当たり次第詰め込んだズタ袋を引きずって穣達を追いかける。


『聖女様は祝福と癒しを施すらしいんだ。近くにいるだけで幸運に恵まれるって。心からお仕えしたら、お前の病もきっと治るよ』


『うわぁ..... 治るといいなぁ』


『治るさっ!』


 そうして少年は妹と二人で聖女一行についてきた。


 しかし、なんと話しかけたものかとまごまごしているうちに、妹はどんどん弱っていく。


『兄ーちゃ..... 寒い.....眠い』


『ミーシャ?』


 とろんっと淀んだ妹の瞳。揺すっても大声をかけてもミーシャは反応を示さなかった。


 .....まずい。


 小さな部落育ちの少年は、多くの死と直面してきている。

 老人、怪我人、病人。そういった者達に共通する死の気配が、目の前で横たわる妹からこれでもかと伝わってきた。

 あまりの恐怖に飛び起き、彼は倒つまろびつ聖女一行の元へ駆け込んだのである。


 僕が馬鹿だった。もっと早く聖女様に助けを求めるんだった。


 祈るような気持ちで頭を地面に擦り付ける少年。


 しかし誰も動かない。


 ラルザもオスカーも、スチュアートですら苦悶に眉をよせていた。

 だが教えぬわけにもいくまいと、ラルザは真っ直ぐ少年を見つめる。


「不治の病に祝福や癒しは効果がないのです。神殿であれば常識なのですが、このように遠方の村では知らなかったかもしれませんね」


 淡々と語られるラルザの説明。それを耳にしながら、少年は泣き笑いのように複雑な面持ちで眼を見開いた。


「.....え? だって..... そんな..... ミーシャ? ねぇ、起きてよ、ミーシャ」


 嘘でしょう? 神様?


 憮然と脳裡で呟きつつ、少年は妹が事切れるまで名前を呼び続けた。


 不幸中の幸いなことに、聖女一行の傍にいたためか驚くような鎮痛効果が働いたらしく、彼の妹は眠るように旅立った。なんの慰めにもならないが。


 遺体を抱き締めたまま微動だにしない少年。


 それを横目に、穣は那由多やあーちゃんに頼んで泉と小さな森を造った。渡る風になびく草原。

 その中央に位置する場所を御神体の御神木にし、さらに茂みを深めてもらう。


「蔓イチゴが良いかな。頼むよ」


 穣は柔らかくなった土をシャベルで掘り返しつつ、その周囲を蔓イチゴで囲ってもらった。

 そして未だに妹から離れない少年に近づき、歯切れの悪い口調で肩を抱く。


「そのさ..... 眠らせてやろう? 四季咲きの花に囲まれた墓標にさ」


 語る口の中が酷く苦い。


 穣は少年と己を重ねていた。理不尽に引き離された妹の刹那と。

 こんな無慈悲に大切な者を失った少年の気持ちが穣には痛いほど分かる。過去に刹那を奪われた穣は、物の見事に壊れたのだから。

 両親にも見捨てられ、絶望の海に沈んだ自分には、引き揚げてくれようとする祖父母がいたがこの少年には誰もいない。


 悲痛な顔で少年を見守る穣。


 こんな感傷は偽善だ。己と少年を重ねて過去の傷を舐め回す自慰行為。くだらない欺瞞。自己満足。


 だが、それのどこが悪い?


 偽善上等、やらない善より、やる偽善だ。金や善意に綺麗も汚いもない。それで誰かが救われた気持ちになれるのなら、それが全てだ。


 そう己を鼓舞し、穣は少年の名前を尋ねた。


「妹はミーシャだっけ? 君は?」


「アーリャ.....」


「そうか。ここに墓標を建てるけど、その後、アーリャはどうする? なんなら俺らと一緒に行くか?」


 少年が望むなら側仕えに置いても良いし、独り立ちしたいなら神殿に口を利いても良い。

 けれど穣の話など耳に入らない少年は、妹と共に穴の底へ横たわる。


「.....一緒に。埋めてください」


「ばっっ!!」


 .....かを言うなと喉元まで出かかった穣。しかし彼は無理やり言葉を呑み込む。

 同じことを祖父母にほざいていた過去の己を思い出したからだ。死にたいと。死なせてくれと、毎夜悪夢にうなされて祖父母を心配させた過去の自分。


 ちくしょう、そこまで似てなくてもいいだろうがよっ!!


 まるで悪夢の再現を見ているかのような錯覚に襲われ、彼は頭を抱える。

 なまじ同じ心境を味わってきただけに。その胸を引き裂く喪失感を知るだけに、穣は少年を見捨てられない。


 .....長丁場かもしれんな。


 こうなれば、とことん付き合おうと、穣はオスカーらを呼び、話し合った。


 だがそれを嘲笑うかのごとく、その夜、事態は一変する。




『兄ーちゃ』


 寝惚け眼のアーリャを、優しく撫でる誰かの手。

 その冷たい手の先には、昼に亡くなったはずの妹がいた。


「ミーシャっ? 生きて.....っ?!」


『.....ううん、まだ死んだままなの。ちゃんと生き返るには聖女様の血が必要なんだって』


「聖女様の血?」


 ぎょっと眼をしばたたかせるアーリャを悲しげに見上げ、ミーシャはとつとつと呟く。

 黒魔術師がミーシャに仮初めの命を与えてくれたこと。それを確たるモノにするには聖女の血液が必要なこと。


『ほんの少しで良いんだって。ねぇ、兄ーちゃ、もらってくれる?』


「もちろんだよっ! すぐに頼んで.....」


 そこまで言うと、ミーシャの胡乱げな瞳が陰惨に瞬いた。


『言質、取ったり』


「え?」


 地の底を這うように不気味な声が響き、アーリャは意識を霧散させた。

 力なく倒れた少年を覆い隠す汚泥。泥に見えるそれは、見る人が見れば分かるおぞましい魔力を携えている。




『おどさっ! 闇ん気配がすっどっ!!』


「.....闇ぃ?」


 寝起きでフニャフニャな穣が聞き返すより早く、オスカーとスチュアートが毛布から飛び起きた。

 彼等は外を確認し、手早く武器と荷物を持ち上げ即座に夜営を片付ける。


「精霊様が仰るなら間違いありませんっ! すぐに移動をっ!!」


「お? おおっ」


 ただならぬ様子の神殿メンバーに驚きつつも、穣は那由多を抱えて外に出た。

 そして夜営が片付けられたころを見計らったかのように、あーちゃん達が造った森が爆発する。


「なっ? やばっ、あそこってアーリャがいるはずじゃっ?」


 慌てる穣を余所にオスカー達が睨みつける中、爆発したかに見えた森から、ぶわりと黒い霧が盛り上がる。

 それは意思を持つかのように蠢き、真一文字に穣を襲ってきた。


「逃げて下さいっ!!」


 闇を引き裂くオスカーの絶叫。


 ここから異世界聖女親子の深夜の鬼ごっこが始まる。

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