第25話 異世界聖女巡礼 ~堕ちた御令嬢~


「.....なんとまあ」


 スチュアートからの報告に、神殿長は軽い眩暈を覚える。

 聖霊様の顕現。しかもそれを従えての巡礼。各地に奇跡を起こし、今は辺境を緑の大地に変えまくっているとか。


 人々に祝福をという聖女巡礼の主旨がおかしくなり始めていた。


 誰も住まない荒れ地に祝福を施してどうするんだ。人心を掴むには、多くの人々に目撃される奇跡を起こさないと。


 はあっ、と疲れたかのような仕草で手紙を机に置き、シャムフールは他の報告にも眼を通す。

 神殿からつけた護衛騎士らから次々と届く報告書。


『ファルシア様は穢れた水を浄化し、街の井戸を清浄化いたしました。これで疫病の心配はありません』


『今日の聖女候補様は、小さな村の診療をなさいました。治癒師のおらぬ村です。いたく感謝されましたが、ここにも診療所が必要かと存じます』


『この街には干ばつの気配があり、ヒルデ様が、もう三日ほど雨乞いをしておられます。だいぶ雲が集まってきたので、明日には雨がふるでしょう』


 などなど。神殿の騎士は、護衛と同時に各地の様子を報告してくる。巡礼とはそういった視察もかねているのだ。

 それが聖女巡礼を五十年おきに行う理由でもあった。

 国中隅々まで施される祝福。十年という月日をかけて各地の問題点を洗い出し、正しく正常化を行うための大切な儀式。

 候補とはいえ聖女に任命された者らの殆どは貴族である。彼女達が現実を目の当たりにして考える。後に高位な貴族の伴侶となる女性にとって大切な経験になるだろう。

 民の目線に立って物事を考えられる貴族。そんな期待をこめて、延々と聖女巡礼は続けられてきたのだ。


 なので閉口する。


 聖女失格と言い渡されてから、ずうぅぅっと神殿へ抗議を申し立てるエリスに。


 今日も彼女は神殿長に会おうと、正面玄関入り口で叫んでいた。




「だからっ! 何かの誤解なのですわっ! わたくしが聖女になれないなど、間違いに決まっていますっ!!」


 半泣きで唇を噛み締め、エリスは昨夜の家族を思い出していた。




『なぜ、わたくしが失格なのですか? お父様、何とかしてくださいっ!』


 号泣して泣き崩れる愛娘に、父公爵も彼女の兄らもかける言葉が浮かばない。

 あれほどの醜態を万人の眼にさらしたのだ。聖女だなんだと拘っている場合ではないのに、エリスは何も考えていないようだ。


『そなたが連日神殿に押し掛けてきて困っていると聞いたが。本当なのかい?』


 力ないエリスの抱き起こし、椅子に座らせながら侯爵は尋ねる。


『当然でございましょうっ? わたくし、何も悪いことはしていないではないですか、不当な扱いをされて黙ってはおられませんっ!』


 不当.....


 あの時、彼等はエリスの見送りで現場に居合わせた。事情を知るエリスの兄達も顔を見合せ、がっくりと頭を項垂れる。

 神殿から顰蹙を買っただけでも大事なのに、その重要性を全く理解していない娘。

 神殿は癒しと祝福を占有する組織だ。これに逆らい破門にでも食らえば、一切の癒しや祝福が受けられなくなる。

 子供らの祝福も、成人の儀式も、死者への弔いも何もかも。揺りかごから墓場まで。人々の生活を補うアレコレを仕切っている。それが神殿だ。


 祝福されぬ子供は魔法を使えない。漠然と溜まっていく魔力が暴発し、命を失う危険性さえある。

 神殿で成人を認められない者は、職にもつけないし結婚も出来ない。あらゆる恩恵から見放される。

 神殿の世話になれないということは、怪我や病を得ても治癒が受けられない。呪いや穢れを得ても浄化を受けられない。そんな危うい人間を誰が雇おうか。家族も一蓮托生なので婚姻も絶望的だ。

 そして極めつけに、魔法の生きるこの世界では弔われない死体は超危険物。闇の魔術師に悪用される恐れがあった。奴等は死者を操り弄ぶという。


 慈悲を持ち、心ある神殿各位だが、さすがに聖女にまつわる何かを台無しにされたら黙っておるまい。


 破門の二文字がエリスの家族の脳裏を過る。エリスが今のままでは、そんな悲惨な未来しか用意されていない。

 真摯な面持ちで頷きあい、侯爵とエリスの兄達は、細かく噛み砕いて諭すようにエリスへ説明をした。


 しかしその説明も徒労に終わる。


『このままでは、そなた嫁げる家がなくなるぞ? 神殿に無礼を働いてはならぬ』


『そんなことありませんわ! わたくしマゼラン侯爵家の娘ですものっ、王家にだって嫁げますでしょうっ?!』


 確かに。しかしそれに足りぬと判断されたから、エリスは未だに末っ子王子との縁談がまとまらないのである。

 我が儘なお子様令嬢。いくら侯爵家の娘といえど、妃の名をいただくには足りなさすぎると。

 だが不幸中の幸いか、末っ子王子と歳まわりの良い高位貴族の娘はエリスしかいなかった。二人の婚約は時間の問題だろう。

 思慮分別が足りないところは、これから学んでゆけばいい。歳を重ねればそれなりに落ち着くものだ。誰もがそう思っていた。

 そのため侯爵らは油断した。聖女巡礼が近いことを見落としていたのだ。


 弱小貴族だろうが平民だろうが、聖女の称号を得れば王家にも嫁げる。その歴史的事実を忘れていた。


 これは不味い。


 年齢だけなら吊り合う貴族家はあるのだ。たんに身分が足りないだけで。それを差し引いても、聖女の称号を持つ者が出たらエリスと末っ子王子の婚約が危ぶまれる。

 だがこれまた幸いなことに、エリスは魔力が高かった。上手くすればエリスこそが聖女の称号を得るかもしれない。

 マゼラン侯爵家の人々は四方八方へと奔走し、なんとか愛娘を聖女巡礼の末席に捩じ込んだのだが.....


 このていたらく。


 もはや為す術はない。心から神殿に謝罪し、少しでも不興を買わぬよう心がけねば。 

 マゼラン侯爵は神殿が王家に賠償申請をする前に自ら多額の寄進をしたし、それ以上に慈善にも力を入れた。

 金子で片をつけようという魂胆が見え見えではあるが、いつも手元不如意な神殿各位。金子に綺麗も汚いもないと、快く侯爵の謝罪を受け入れる。

 王家に申し出ては面倒な手続きが多いし、何より王族に借りを作る形になってしまうからだ。大した借りではないが、神殿はなるべく王家と対等でありたいため、そういうのを極端に忌避する。

 だから侯爵が自ら賠償を行ってくれたことを神殿は大きく評価した。評価したのに.....


 連日怒涛の勢いで神殿に押し掛けるエリス。その傍若無人な行動で、せっかくの努力が水の泡になりそうだった。


『頼むから大人しくしてくれ、エリス。このままでは、そなたを修道院に入れなくてはならなくなるぞ?』


 沈痛な面持ちで、すがるように侯爵は愛娘の両腕を掴んだ。あからさまな不安の浮かぶ父侯爵の瞳に、エリスは大きく喉を鳴らす。


 宗教的本流の神殿関係とは別に、この国には修道院というモノがある。ここは神殿の末端も末端。手に終えない身分ある人々に労働をさせるための施設だ。

 多額の寄付と引き換えに問題児らをあずかり、教育と礼儀作法と労働を叩き込む場所。

 あらゆる処から集められた問題児を矯正し、働かせる施設なのだ。

 エリスも噂だけは知っていた。遠縁の従兄弟があずけられたと、面会に訪れた兄から前に聞いたことがあるから。


『.....酷いところみたいだよ? あれほどふくよかだった彼の面影もなかった。痩せて、手先もガサガサで..... 気の毒に』


 エリスの記憶のなかでも、その従兄弟は恰幅が良かった。ふくよかさは富の象徴。それが面影もないほど痩せて?


 彼女はぞっと背筋を震わせる。手先がガサガサなのも、きっと酷い労働をさせられているのだろう。そう思うと、大して親しくもなかった従兄弟が気の毒で仕方無い。


 しんみりとする侯爵兄妹。


 しかし、事実は常に小説より奇なり。


 彼等が憐憫を投げ掛ける従兄弟殿が、実は健康で溌剌とした人生を楽しんでいるなどとは思っていない。

 貴族らのいうふくよかとは、通常なら極度の肥満だ。修道院でバランスの取れた食事を摂り、何ヵ月もかけてそんな肉の枷から解放された彼等の従兄弟殿は、軽やかに動ける自身の身体に感動中。

 他にも色々な仕事を覚え、雑事を覚え、彼は新たな人生を謳歌している。


 そして修道院は、更正したと思う人物達には還俗も勧めていた。


『身分は平民になりますが、全てのしがらみと縁を切り、新しい人生を歩んでみますか?』


 にっこりと微笑む神官達。


 平民として暮らせるよう、雑事も仕事も常識もしっかりと学ばせ、修道院から解放された者達は表向き死んだことにされる。

 愚かだった過去を悔やみ、もう一度やりなおしのチャンスを貰った人々は、それはそれは丁寧に日々を重ね、満足のいく余生を過ごした。


 黙って見守る神殿の人々。神々は人の努力を尊ぶ。


 だが、そんなこんなの裏事情を知らない貴族らにとって、修道院は恐怖の代名詞。


『酷いわ、お父様っ! わたくしを見捨てるというのですか?!』


『したくない。したくないから頼んでおるのだ。大人しくしておれと』


 毎夜のごとく交わされる非生産的な親子の会話。毎夜食らうお小言に、エリスは食傷気味である。


 それもこれも、みんなあの平民のせいだわっ! あんなみすぼらしい子供が聖女候補になんて選ばれるからっ!!


 シンシンと音もなく降り積むエリスの厭悪。それの行き場がどこにもなく、彼女は聖女失格にされたことを神殿に訂正させようと躍起になっていた。

 せめてそれだけでも払拭されれば周りから笑われることもない。街の人々から蔑んだ眼を向けられることも。

 そう考えたエリスだが、結局は少女の浅知恵。せっかく父侯爵がした早手回しをも跡形もなく台無しにし、とうとう王家に眼をつけられた。




 後日、王宮に呼び出されたマゼラン侯爵は顔面蒼白。信じられない面持ちで国王を見上げている。


「よほど王家に嫁ぎたいとみえるな、そなたの娘御は。喜べ、その願いをかなえ、わしの十六人目の側室に召しあげてやろう」


 目の前の国王は侯爵の父親ほどの歳。あまりの絶望にマゼラン侯爵は項垂れたが、王の命に逆らうわけにもいかない。


「嫌です、お父様ぁぁーっ!!」


 十六人目の側室だ。婚儀も披露宴もない。ただ後宮に連行されるだけの輿入れ。

 泣き叫ぶエリスを捕らえて馬車に押し込み、王宮の兵士や侍女らは慣れた手付きで侯爵家の荷物を受け取った。


「大丈夫です。後宮には専任の教育係や教師がおります。.....側室様の御仕事は陛下を満足させることだけ。国王直々、念入りに躾てくださいましょう」


 にやぁっと卑な笑みを浮かべる兵士。


 ああ..... 終わった。こんなことになるなら、修道院に送っておくのだった。


 今さら送っても娘を逃がしたことで咎を受ける。しかしあのエリスのことだ。きっと素直に国王陛下を受け入れしまい。拒絶一つで娘は無礼打ちされる。我が家もただで済むまい。

 にっちもさっちもいかないドン詰まり。

 まるで枯れ木のように立ち尽くし、胸を吹き荒ぶ寂寥感に、侯爵家の家族は力なく項垂れた。




 案の定、エリスは閨での躾中、国王陛下に無礼を働いたとかで処罰を受ける。

 地下牢に繋がれ、好色で残忍な国王のおぞましい手管に弄ばれ、何日にも亘って散々嬲りものにされてから、奴隷に慰み者として払い下げられた。

 何百人もいる王宮の奴隷達。その玩具として投げ出された少女の末路など御察しだ。

 娘の咎によりマゼラン侯爵家は降爵。広大な領地を没収され、貴族の片隅で子爵を名乗ることとなる。


 国王の側室にさせると聞いた時に見えていた結末だった。


 悄然と肩を落として王都から追い出されるマゼラン侯爵一家。それを据えた眼差しで見つめ、王太子は、さも愉しそうにくぐもった笑いをこぼす。


 彼は数日前、奴隷に下げ渡される前のエリスに面会していたのだ。


「良い様だな、マゼラン侯爵令嬢」


 冷たい地下牢に横たわる少女は見るも無残な状態。衣服はボロボロで申し訳程度にからまり、全身のいたるところに火傷や裂傷。

 王太子は、牢の片隅に投げられた鞭や蝋燭、縄や重りなどの拷問道具を目の端にとめ、さぞや父王に可愛がられたのだろうと昏い嗤いが込み上げる。


「父の悪癖がたまには役にたつな。そなたはまだマシなほうだぞ? 火責め、水責めの末に命を落とした側室も少なくはない。ああ、石積みで圧死なんてのもあったか」


 国王の嗜虐趣味は有名だ。そんな扱いに耐えられる女の方が珍しい。大抵は世を儚んで自ら自裁するが、それもまた国王を拒絶したのだと糾弾し、妃の実家を断罪する材料になった。


 そう。今の国王の治世では、側室に召し上げる=その家を潰すの意味を持つ。


 マゼラン侯爵が覚悟を決めたのも、それを知るからである。


 虫の息のエリスを愉しそうに見下ろし、王太子は大いに溜飲を下げた。


「そなたが愚かで良かったよ。でなくば、この手で縊り殺してやるところだった」


 クスクス嗤いつつ、地下牢を後にした王太子。

 彼は、彼女のナユタに対する無礼をどうしてやろうかと虎視眈々に狙っていたのである。

 出来るだけ残酷に。なるべく苦しみが長引くように。

 エリスの地獄が終わりそうになると、親切ごかして父王を諫めた。結果、彼女は微に入り細を穿ち、好色なケダモノの宴で延々泣き叫ばされ続けたのだ。


「御苦労様。愉しかったよ」


 何も映していない無機質なエリスの瞳。完全に壊されてしまった彼女には、幸せそうな王太子の声ももはや聞こえない。


 そんな修羅場が王都で起こっていたとも知らず、今日も暢気に旅を往く異世界聖女親子である。

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