第21話 異世界聖女巡礼 ~精霊の庭園~
「ところ変わればだよなぁ」
ラーナの街で宿をとり散策に出掛けた一行は、王都と全く違う風景に眼を見張った。
アブダヒル王国の王都は西欧風だったが、どことなく中東の雰囲気も醸していた。
あれだ、古式豊かなオスマントルコみたいな感じ。イタリアやスペインの影響を受けつつも風土的な文化が失われてはいないような。
そんな王都と違い河を渡った途端に、仄かだった中東色がぶわりと濃くなる。
女性は頭から被をかぶり爪先しか見えない。
形状としては顔だけ出した、ゆったりめのヒジャブが多い。中にはアバヤやブルカのようにガチ目元しか見えないようなのもいるが、そういったのは貴人なのだそうだ。
なるほど。多くの布を使って、細かい刺繍もされてるもんな。財力がある証か。ヒジャブ系がシンプルな黒色ばかりだから、余計に目につくな。
男性の服装もカンドゥーラとか呼ばれるような足元まである長いシャツ。だいたいは白い布ばかりだ。
中にはカラフルな染め物の服装の男性もいるが、そういう服装の男性は総じてカフタンも併用していた。
聞けば、案の定、貴人の服装らしい。
「基本的に黒と白が平民。艶やかな色目が貴人か、富人です。平民はファーバルをかぶるだけでコチも使わず、どちらかと言えば略式なリィマの帽子が多いですね」
ファーバルとは中東の男性が頭にかぶっている布だ。地球でならクーフィーヤとか呼ばれている。
コチは、その布をとめているサークレットのような黒い輪っか。ようはイガールだ。リィマは小さな帽子。
名称は変われど、人間の築く文明は、何処も似たような形に収まるだろう。
地球でなら、中東のイスラム教では男性が装うことを善しとしない。なので素材も綿か麻ばかり。
だが、こちらは異世界だ。平民は贅沢しないからか綿素材が多いが、貴人らしい人々のシャツは見るからに上質の絹で仕立てられており、本場イスラム教徒の方々が見たら憤死しかねない装いである。
豪奢なオスマントルコ風な王都と質素なアラブ風のラーナ。
たった二十日ほどの距離で、えらい差だと、穣は街を見渡す。
街の風景も全く違った。
王都やその近辺では木材や煉瓦などの加工品が使われていて、石材中心でも長閑な暖かみがあったが、こちらはガラリと変わり、日干し煉瓦とか切り出したままの石とか、乾いたイメージの町並みだ。
山岳地帯な事も関係しているのだろうか。
ふあぁあぁとお上りさん丸出しで歩き回る聖女親子を、微笑ましく見守る従者達。
屋台も物珍しく、店内一杯に飾られていたランタンやランプにつられて、穣はある一角へと迷い込んだ。
そこは店ではなく、長い通路のような商店街。
左右に並ぶ煌びやかな品物らを見学しながら通路を抜けると、眼前に広がるは一面の花畑。
設えられた庭園のようで、計算され尽くした見事なトピアリーがそこら中を彩っている。
「綺麗だなぁ。公園なのか?」
辺境の街に似つかわしくない豪奢な造り。それも品良くまとめられているあたり、名のある庭師の仕事だろう。
感嘆に眼を見張る穣と那由多だが、その彼の視界にいきなり噴水が現れた。
思わず穣は刮目して眼をこする。
さっきまで何もなかったよな? なんだ? あれ。
ひらけた花畑に忽然と現れた噴水の縁には誰かが腰かけていた。
艶やかな朱色のブルカを纏った人影。ブルカということは女性なのだろう。
金糸銀糸の刺繍に見事な装飾品。どこから見ても高位な出で立ちで、思わず穣は数歩後退る。
だが、空気を読まない愛娘様が、興味津々でその女性へ駆け出していってしまった。
ああぁぁっ!
内心大慌てな穣ではあるが、それを相手に覚られたら、あからさまに不審者だ。
なので意図してゆっくりと近づき、相手に気づいてもらう。
突然やってきた幼子に眼を丸くしている女性は、その後ろからやってきた穣に気づいて警戒した。
まあ、そうなるわな。
あいかわらず空気を読まない那由多は足元に咲いていた花を摘んでいる。そして、やってきた穣を見て、お父ちゃーんと抱きついた。
「うちの娘が失礼をした。じゃ.....」
当たり障りなくその場を辞しようとした穣と那由多を交互に見て、女性は立ち上がり、おずおずと声をかける。
「あのっ、少しお話ししてもよろしいかしら?」
よろしくないです。
すぐにでも立ち去りたい穣が口を開くより先に、大きな声で那由多が答えた。
「いーよぉぉっ」
娘ぇぇぇっ!
ひきつる穣を余所に、何故か期待の眼差しを向けてくるブルカの女性。
大仰な溜め息をつき、致し方なく話を聞くため穣も那由多を抱いたまま噴水の縁に腰を下ろす。
初対面の怪しい男に何の話なんだか.....
じっとりと眼を座らせる穣に、女性はぽつりぽつりと語った。
どうやら彼女は結構な御身分らしく、数日おきにパーティーや茶会へ招かれるらしい。
で、まあ、世の常というか、そういった上流階級には派閥が存在し、彼女が招かれる催しのバッティングが目立つようになってきたというのだ。
同じ日、同じ時刻に別々な家から招待が舞い込む。
これはどちらが彼女に選ばれるかという、いわば御互いに対するマウント行為。別の日であれば両家に出席するだろう程度に付き合いはある家々らしい。
「両家の仲が宜しくないのは存じておりますの。とりもってやれと夫からも申し付けられておりまして..... でも、どうしたら良いのか」
両方へ交互に出席しようともしたが、今度はどちらが先かで張り合うの始末。
話を聞いただけで、穣は盛大に歯茎を浮かせた。
こういうのは女性独特と思われがちだが、実のところ結構男性の介入が多い。
こういった権力を持つ者と懇意になりたいのは家を支える男性の方だ。奥方達も内助の功に燃え、勤しむのだろう。
それが行き過ぎた結果なのかもしれないが、板挟みになった彼女が気の毒である。
しばし思案し、穣は口を開いた。
「どちらにも行かなきゃいい」
「え?」
思いがけぬ言葉ですっとんきょうな顔をする女性に、穣は説明した。
アンタのが身分は上なんだろう? なら、その高貴な女性に選ばせようと企むは烏滸がましいの一言だ。そのような慮外者の催しになど出席しなければ良い。
出席してもらえねば、相手の面子は丸潰れだろう。透かして見下ろしてやれと穣は悪戯げに笑う。
「出席するしないは、アンタの自由なんだし? かぶった招待は破棄すると宣言しておけば、そんな馬鹿をやらかす奴もいなくなると思うぜ?」
女性は眼から鱗だった。
どのように出席しようかとオロオロしていた彼女にとって、出席しないというのは完全な盲点である。
現代人による逆転の発想。特に面倒事を嫌う穣には当たり前の行動だ。
「喧嘩両成敗さ。どちらにも煮え湯を飲ませてやれや」
にっと笑い、彼は噴水の縁から立ち上がる。
いつも煩いぐらいついて歩くオスカー達が何時までたってもやってこないのを訝しんだからだ。
ひょっとして俺ら迷子か?
軽く挨拶して立ち去ろうとした穣に、女性は慌てて声をかけようとしたが、その彼の後ろ姿を見て言葉を失う。
穣の背中のフードから顔を出した河童が、にっこり笑って手を振っていた。
思わぬ衝撃で彼女が固まっていた間に、親子は来た時同様、何もない空間に溶けるように消えていく。
驚愕に眼を見開いたまま、女性は微動だにせず、彼女の側仕えらが探しにくるまで、件の親子の残像を凝視していた。
「主殿っ!!」
「お、みっけ」
例の商店街っぽい路地を抜けて出てきた聖女親子を見て、驚きつつも安堵の溜め息を吐くオスカー達。
「何処へ行かれていたのですか? 散々探しまわりましたぞっ?!」
「え? この先にある花畑だけど?」
言われて何気に振り返った穣の瞳が凍りつく。
そこの奥は店の壁。商店街のように店の並んでいた通路は跡形もなく消えていた。
「え? 嘘だろっ?」
眼を見張らせながら、穣は那由多に視線を振る。その小さな手に握られているのは、鮮やかな色の花々。
「ほらあっ、那由多だって花持ってるしっ、ほんとにあったんだよ、噴水のある公園みたいな花畑がっ!」
珍しくアワアワと説明する主を見つめ、訝しげにしつつも無事で良かったと呟くラルザやアストル。
そんな一行の中で、スチュアートのみが那由多の握る花を剣呑な眼差しで凝視していた。
鮮やかな花々の中に交じる数輪の白い花を。
「精霊様に逢っただとっ?」
ブルカの女性の話を聞き、驚愕の面持ちで問い返す男性。どうやら彼女の夫らしい。
それに大きく頷き、彼女は穣との話を事の起こりから説明する。
「下らない派閥の揉め事に、わたくし疲れてしまいまして..... 精霊の庭園に逃げ込んでいましたの」
精霊の庭園とは各国王宮の奥深くにある中庭の事だ。
大きな精霊様が寛げるようにと設えられた花畑。泉や小川もあり、季節の花々が咲き誇る美しい場所。
そこは王家の者以外立ち入れず、彼女は疲れた時や一人になりたい時などに度々訪れていたという。
今日もそんな感じで訪れ、物思いに耽っていたところ、いきなり子供が現れた。
何処から? と、周りを見渡せば、少し離れた位置に男性が立っている。
思わず警戒したが、その男性の物腰は穏やかで、お父ちゃんと呼ぶ子供の言葉から親子なのだと彼女は判断した。
しかし、ここは見渡す限りの花畑。いったい何処から現れたのか。こんな近くに来るまで、何故に自分は気づかなかったのか。
狼狽える彼女を余所に、男性は子供を抱えると軽く挨拶をして踵を返そうとする。
そこで彼女は気がついた。
親子が黒目黒髪である事に。
キシャーリウの世界では滅多に見ない色目。召喚聖女様らの血筋にのみ発現する高貴な色。
それに気づいた彼女は思わずすがるように親子を呼び止めた。
こうして精霊の庭園で遭遇したのも何かの縁だ。困窮する自分が生み出した幻やもしれぬが、力になってもらえまいか。
そのように考えた彼女は、事のあらましを説明した。
黙って聞いていてくれた男性。そして、その口からされた提案は彼女の考えを根底から覆す。
出席しなければ良い。単純明快。その通りだった。
まるで憑き物が落ちたかのように力の抜けた女性を見つめ、踵を返した男性の背中に、なんと彼女は精霊様を見た。
この庭園に奉られる尊いお姿を。
それに魅入られている間に、その親子は空気に溶けて消えてしまう。
まるで一迅の風のように、ふわりと霧散し、辺りには甘い薫りが漂っていた。
来た時同様、忽然と姿を消した二人。その背で笑っていた精霊様。
「精霊様の思し召しです。わたくし、日程をかぶらせてくるような烏滸がましい者達の招待には応じない事にいたしますわ」
凛と佇む妻のすきっとした顔を見て、男性も大きく頷く。
「それが善かろう。黒髪黒目の親子か。思い悩むそなたのために、神々が一時の慈悲をくれたのかもしれぬな」
信心深い異世界キシャーリウでは、神々は絶対の存在である。その僕である精霊も同様。
その日、アブダヒル王国から遠く離れたフィオーレ王国で貴族らに御触れが回る。
招待の日程をかぶせた催しに《王妃》は参加しないと。
精霊の庭園に植えられたフィオーレ王国特産の白いケシの花。《あなたに毒を》との花言葉を持つ物騒な花は、今、那由多の手に握られていた。
精製すれば麻薬ともなるケシの実。
神々への供物として王宮で厳しく管理されている花の効用を今は誰も知らない。
「綺麗な花だな。.....どっかで見たような気もするが、ま、いっか」
何処とも知れない異空間に繋がる話などは地球でも掃いて捨てるほど知っていた。嘘か真かは分からない与太噺ばかりだが、ここは異世界なのだ。こんな事もあるのだろうと、勝手に納得する穣。
「あーちゃんのお花なんだってー、きれーねぇー♪」
きゃっきゃと嬉しげな那由多に眼を細め、相変わらず大雑把な穣には呆れ気味なオスカー。
「こんな山岳地帯の何処でそんな花を.....」
「街中でも花なんか見ませんでしたよ? 高価じゃないですか?」
別の意味で現実的なアストルを余所に、ラルザも困惑顔をする。
「何処で見たような気もしますが.....? 何処でだったかしら」
神殿でなら即答えが貰えただろう。毎年フィオーレ王国から奉納されている貴重な国花だと。
もちろんソレを知らない穣は、すがめられたスチュアートの眼にも気づかず、のこのこ那由多を連れて歩いていた。
不思議現象もなんのその。あらゆる常識を蹴倒して、異世界聖女親子の旅は続く。
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