第20話 閑話・実の父親


「あれが.....」


 時を遡ること、巡礼初日。


 聖女らを見送る多くの民を見下ろすように設えられた貴族席。

 そのさらに上段にある豪奢な席に座る男性は、旅立つ聖女ら一行の、ある一組に眼を奪われていた。


 最年少のナユタを。


 ぽてぽて歩く可愛らしい少女。キシャーリウの世界では滅多に見ない黒髪黒目。

 艶やかなそれに大切な女性の面影を重ね、男性は切なげに眼を細める。


 王宮地下に現れた若い女性。歳を聞けば十五だと答えた。

 首もとで二つ結わきにした長い髪。やや吊り気味で大きな瞳。

 異国感満載な少女を見て、男性は一目で恋に落ちる。


 秘密裏に聖女召喚を行って招いた異世界人。黒髪黒目はその証。


 十五歳ともなれば、こちらの世界では成人だ。婚姻にも問題はない。

 問題があるとすれば、彼女の姿形から聖女召喚が露見すること。

 召喚の儀を行える魔法陣は、神殿地下と王宮地下にしかないため、これが公になれば、すぐにバレてしまう。

 そうなると聖女の身柄は神殿に奪われるのだ。聖女の籍は神殿が所有しているために。

 なので彼女を王家に囲うには、まず既成事実を持ち、子をなさねばならない。

 子が産まれれば、彼女も王家から離れはしないだろう。子の権利は父親にある。


 そういった思惑から、拉致された少女、刹那は王宮に監禁されたのだ。


『女など、組み敷いてしまえば言うことをきくものよ。十分甘やかして機嫌をとってやれ』


 そう言う父王に頷き、王太子たる男性、ダルーダは数日に渡って部屋にこもり、刹那に無体を働いた。


 そうは言っても一目惚れした王太子は、彼女に限りなく優しくする。

 刹那が受け入れてくれるよう懇願し、妻として大切にするから傍にいてほしいと囁き続けた。

 ねっとりと甘く絡まるダルーダの愛情。無体を働きつつも、彼は限りなく丁寧に刹那を愛した。


 だが如何にも優しげにされようと、拉致監禁である。

 通常の人間なら、打ちのめされて絶望するか、諦めて達観するような状況。場合によっては絆されることもあるかもしれない。

 そんな爛れた日々が何日も続き、彼女から抵抗が失われ大人しくなったのを見て、王太子は自分を受け入れてくれたのだと思い、有頂天になった。

 

 刹那に贈り物も沢山したし、部屋から出ないなら、望みを何でも叶えると約束するダルーダ。


 微笑む彼を少女は温度のない眼差しで見ているとも知らずに。




『逃げただとっ?!』


 散々、刹那を蹂躙して、その重すぎる恋慕を叩きつけてきた王太子は、騎士からされた報告が理解出来なかった。


 なぜ? 私を受け入れてくれたのではないのか?


 愕然とするダルーダ。


 彼は知らない。魔法素人な刹那が独学で魔法を練習していた事を。

 魔力はあれど、召喚聖女は魔法を知らない。本来なら神殿で勉強して覚えるものだ。


 だから王宮は油断していた。魔法が使えなくば、ただの非力な娘だと。


 魔法はイメージである。そのイメージを固めるために呪文があり、そのやり方を神殿は教える。

 つまりイメージを固める事が出来さえすれば、魔法は発動可能なのだ。

 独学で刹那はそれを成功させ、王宮から逃げ出したのである。


『なぜ.....っ』


 指先が白くなるほど椅子の手摺を掴む王太子。


 事情を知る者らによって密かに捜索はされたが、王宮は刹那を発見出来なかった。

 あまり派手に動くと神殿側に気づかれる。忸怩たる思いで無為に過ぎた数年。

 結局、彼女は見つからず、二年ほどで捜索は打ち切られた。


 


 王宮は知らない。刹那が地下の魔法陣周辺に倒れていた夥しい死体に驚愕していたことを。

 ソレに見向きもせず、満面の笑みで彼女を迎えた王族達を心の底から嫌悪したことにも。

 状況を説明した彼等が、多くの命を贄として刹那を召喚したのだと聞き、我が耳を疑ったことも。


 これが成功してしまったら、それに味を占めてまたやらかすに決まっている。

 そう思った彼女は、絶対に言いなりににはならないと心に誓い、王太子の、暴力と変わらない渾身の愛情に翻弄されながらも、虎視眈々と機会を窺っていたのであった。


 何気に図太く、しぶとい辺り、流石は穣の妹だ。ここに兄がいたならば、よくやった! と抱き締めたことだろう。


 そんな彼女の心のうちも知らず、ほんの数週間で終わってしまった蜜月を、ダルーダは脳裡に描き、眉根を寄せた。


 彼女は失われた。闇の魔術師に拐われたとなれば、もはや生きてはおるまい。


 苦悶に顔を歪め、彼は遠く小さくなっていく我が子の背中を見送る。

 その隣には刹那の兄だという異世界人。彼女と同じ黒髪黒目、神殿に見張られていたので遠目にしか見られなかったが、刹那とよく似た面差しであった。双子なのだと聞いて得心する王太子。


 息災に.....必ず戻るのだぞ、我が娘よ。


 巡礼は長くても十年。帰還する頃には娘盛りとなっているだろう。

 それを想像して蕩けるような笑顔を浮かべるダルーダ。

 刹那そっくりの那由多に夢中のようだ。


 中世あるあるだが、キシャーリウでも王家は近親婚を繰り返していた。

 娘や姉妹を娶ることも珍しくはない。

 

 当然のように、ダルーダもナユタの成長を待ち、娶る気満々である。

 那由多が十五歳のとき、王太子は三十三。王侯貴族ではおかしくもない年回りだった。


 至福の面持ちでそれを考えていた彼の耳に、甲高い声が聞こえる。

 不服を訴えるエリスの声だ。彼女はヒステリックに神殿長に噛みついていた。


 すうっとダルーダの眼が細められる。酷薄な光を宿してエリスを睨め下ろす辛辣な視線。


 たがが侯爵のくせに、我が娘、我妻を侮辱するとはな。.....どうしてくれようか。

 未来の王妃にたいする不敬は許しがたい。


 周囲とはベクトルの違う憎しみを向けられているとも知らず、エリスは泣きわめいてシャムフールの服に皺を寄せていた。


 この後、己が身のみならず、侯爵家そのものに降りかかる人為的災難を、今のエリスは知らない。


 御愁傷様。

 

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