第18話 異世界聖女巡礼 ~河の渡し~


「だいぶ景色が変わってきたな」


 グラーダの街を出てから二日。途中、旅人広場で夜営を重ねつつ、穣の一行は東北東へと向かっていた。

 気づけば森が途切れ、緑が薄くなり、荒涼とした大地が現れる。乾いた空気に刺激され、一行の喉がざらりとした不快感を訴えていた。

 那由多もときおり、けほけほと軽く咳をする。

 それを見て、穣は薄いハンカチーフを取り出すと娘の口元をおおった。


「空気中の塵が増えたのかもしれん。これしとけ」


 鼻から下をすっぽりと覆われ、きゃっきゃと楽しげな聖女様。穣も同じようにハンカチーフをマスク代わりにして、ふむと思案する。

 それを見ていた従者らも、二人の真似をして適当な布を使い口元をおおう。


「おお、なるほど。掃除で埃落としをする時の要領ですな」


「そうか、眼には見えないけど、塵が多いのですね」


「風もありますし、舞い散る砂など、きっと沢山あるのですわ」


 うんうんと納得顔な従者ら。


 そんな他愛もない会話をしながら進んだ穣達は、大きな河に差し掛かる。まるで大地を割るかのように横たわる雄大な流れ。

 その向こうに街が見えるが、向こう岸まで二百メートルくらいありそうな河には橋がない。

 その代わり、渡しの船が用意されていた。

 日干しレンガで造られた小さな小屋を覗き込むと、二人の男が昼寝をしている。

 くかーっと寝息をたてて寝転ぶ二人に穣は声をかけた。


「なあ? ここは渡し船なのか?」


 その声に驚いたのか、男の一人が飛び起きた。


「おぅ? おお、そうだ、渡し船だ。乗るのか?」


 慌てて帽子をかぶり、長い棹を持ち出して男は快活な笑みで小屋から飛び出してきた。

 そして船を結わえたはしけへ一行を案内する。


 なんでも、街の住人達が交代で渡し船を管理しているのだそうだ。

 無料のボランティア。あちらとこちらの両方に船が二隻ずつあり、一隻に三人まで乗れるという。


「無料といってもいくばくかの気持ちは頂いているよ。金子でなく、食べ物とかでもかまわないよ」


 遅れ馳せてやってきたもう一人の男も船の用意をして、一行を手招きした。


 そりゃそうだ。普段の仕事を休んで渡しをしているのだろう。丸一日潰れるのだから、いくらボランティアといっても、多少の心付けがあって良いはずだよな。


 ちょうど三人ずつで乗れる。


 男達は脚ではしけを蹴り、対岸に霞んで見える街へと船を出した。


 ところが河の中央まで来たあたりで、男達は船を止める。そしてニタリと嫌な笑みを浮かべて、穣らを高圧的に見下ろしてきた。


「ここまでは無料。ここからはお代が必要だぜ? 払ってもらおうか」


 掌を差し出して、くいくいっと指を動かす男。


 船に乗る時、兄の方が力があるからと、身体の大きい騎士や神官を一纏めにして乗せたのは、こういう事か。


 抜かったな。

 

 五メートルほど離れたオスカー達の船を見ると同じようなやり取りをしているのだろう。心配げな顔でアストルがこちらを見ている。


「ちなみに、そのお代とやらは幾らだ?」


 尋ねる穣に、にや~っと笑みを深め、男は答えた。


「一人、大銀貨一枚だ」


 微妙な金額。


 高くはあるが高すぎるというほどでもない。

 こちらの出方を窺っているのか、オスカーらの方が静かになった。


 思案する穣。ここは払っても良い気がする。ボランティアとはいえ、労働に対価は必要だろう。


 しかし別な事も考える。


 基本、無料な訳なのだから対価の規定がない。こうして要求するのが普通なのか、それともコイツらが勝手にやっているのか、穣には判断がつかないのだ。

 もし、他はちゃんと無償でやっていて、コイツらだけ独断でやらかしているのだとすれば、ここで金を払うのは悪い前例を作る事となる。

 これで味をしめさせたら、今後も同じことをコイツらはやらかすだろう。


 どうしたものかと考え込む穣の頭に河童が話しかけてきた。


《オドサ、河ヲ渡リテノケ?》


「ん? ああ、そうだ」


《ナラ任セテケロ!》


 そういうと、あーちゃんは河に飛び込み、みるみる巨大化していった。

 唖然とする人々を余所に、十メートルほどの大きさになった河童様は、二隻の船に両手を差し出す。

 筋骨逞しい手には薄い水掻きが広がり、安定感抜群だ。


 こりゃ良いや。助かった。


 絶句し、固まったままの男どもを置き去りにして、穣は河童の掌に乗り込んだ。


「ここまで、ありがとうな。ほい、気持ち」


 穣は鞄を探って二包みの何かを出すと船に放り投げた。

 オスカー達の方は、精霊様の御手に触れるなど畏れ多いとか叫び、右往左往している。


「おーいっ、さっさと乗れよっ、先に進めないだろーがっ」


「精霊様の手を煩わせるなどっ! 我らは金子を払って船で参りますっ! ほら、受け取れっ!」


 オスカーは懐から財布を取り出して男に金を握らせようとするが、呆然と河童を見上げたままな男は固まってしまっており、その指の隙間から硬貨が滑り落ちる。


 チャリンと虚しい音をたてて船に転がる貨幣。


「なら置いていくからな。ったく、俺らだけで行って、街で何かあっても知らないぞ」


 穣は、あーちゃんを見上げて街へ向かうよう指示をする。

 ばしゃんっと水面を揺らして動き出すあーちゃん。


 それに狼狽え、オスカー達は渡しの男と河童様を何度も交互に見てから絶叫する。


「あーっ! もーっ! 精霊様っ! わたくし共も御願いいたしますぅぅぅぅっ!!」


 アストルの声に反応して、再び、あーちゃんは船に手を差し出した。

 それにおずおずと乗り込み、六人は街を目指して進む。


 河童様の動きにあわせて大きくうねる水面に揺られ、思わず尻餅をついた男達はハッと正気に返った。

 

「せ.....っ、精霊様っ?」


「神殿の礼拝堂のっ? 壁画にある精霊様かっ?!」


 神殿と馴染みの深い庶民なら、誰でも精霊を知っている。

 人類の始まりに、光の聖なる人とともに世界中を駆け巡った巨大な生き物。


「俺達は.....っ、なんてことをっ!!」


「ああああっ! 精霊様の怒りに触れた?」


 精霊を連れているという事は、あの一行の中に真なる聖女様がいたという事だ。神殿の祈りで、いつも顕現を望まれていた聖なる人。


『いつか女神様に認められた真なる聖女様が現れ、人々に幸福を約束してくださいます。それを信じて祈りましょう』


 切実な顔で、そう締め括っていた神官長の言葉。


 それが目の前に現れた。


 青色吐息で腰を抜かし、男達は絶望的な顔で泣き叫ぶ。


 とんでもないことをしてしまった。女神様のお怒りに触れてしまうっ!


 両手で顔をおおい、崩折れた男は、ふと、穣が投げて寄越した包みに気がついた。


 これは.....


『ほい、気持ち』


 なんの感情も無さげな顔で、船に投げられた包み。


 なんたる不敬、なんたる不遜。俺達は、きっと天罰を受けるに違いない。


 男は包みを持ち上げ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔のまま、それを開いた。


 途端に絶句。


 中には肉や野菜を挟んだパン。今まで見たこともない豪勢な食べ物が入っている。


「.....怒っておられる訳ではない?」


 もし怒っていたなら、こんなモノを与えはしないだろう。

 まだ暖かいソレを両手で捧げ上げ、男は号泣しつつ食べた。


 船を寄せてきた兄にも渡し、二人で号泣する兄弟。

 

 精霊様がその気なら、とうに自分達は船ごと潰されていただろう。

 こうして命があり、食べ物まで下さったという事は、精霊様はお怒りでない。


 .....助かった? 俺達は助かったのか?


「ありがとうございます、ありがとうございますっ」


 そんな兄弟が全身全霊で天に祈りを捧げていた頃




「.....これ、ただで済まないよな?」


「当然ですわ」


 乾いた笑みで呟く穣に、すぱっと答えるラルザ。


 あーちゃんに運ばれる六人の目の前に広がる街の光景。

 多くの人々が集まり、こちらを指差して絶叫している。

 中には物々しい武装をした兵士らしき者らもいて、まさに阿鼻叫喚の坩堝と化したらしい風景。


「どうしよっかな。困ったな」


 事は《困ったな》どころの話ではないのだが、一行の主は何処吹く風。


 こうして無意識に人の心を改心させ、傍若無人なまでに無頓着な穣。本人に自覚がないので、なおさら質が悪い。

 その横で楽しげに首を振るのは、規格外な聖女様。穣のブーストを受けて、最近はやりたい放題である。


「困ったなー」


「なーっ♪」


 顔を見合せて笑う親子に、冷や汗を垂らして笑えない従者達。

 

 二人は征くよ、何処までも。


 お気楽暢気に困り顔をしつつ、異世界聖女親子の旅は続く♪

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