第8話 異世界聖女巡礼 ~聖女の奇跡~


「.....ですから、聖女としての品位を失わず~」


 こんこんと那由多を諭すラルザ。

 聞いてるのかいないのか、にこにこと笑う聖女様。

 そんな二人を眺めつつ、苦笑いな従者達。


「まだ五歳であらせられる。その辺にしておけ、ラルザ」


 ひょいっと那由多を抱えあげた老騎士は、ほっほっほっと笑い、小さな聖女様を肩に乗せた。


「じぃじっ! 剣見たいっ!」


「父御に聞いてみましょう」


 きゃあきゃあ言いつつ和気藹々と外へ向かう二人を追って、ラルザやアストルも村外れへと向かっていった。


 今日は村人に頼まれた穣がそこを調べているからだ。


 なんでも村の水源となっている湖の水が、少しずつ減ってきているのだという。

 雨が少ないとか、上流の流れが悪いとかでもないのに、確実に減ってきている。何か悪いことの前触れではないかと、朝早くから相談にやってきたのだ。


 訪れた人々から話を聞き、ざっと顔色を変え、がたっと椅子から立ち上がる穣。


「それ、ヤバいかもしらん。案内しろ」


 そう短く答え、村人と共に駆け出しつつ、危ないからついてくるなと穣は皆に言い含めた。

 護衛騎士であるオスカーだけは、スチュアートが那由多の傍にいる事を理由にして穣の後を追う。


 あれから、かれこれ一刻も経とうか。


 気もそぞろになり始めていた面子は、那由多のおねだりを理由に件の湖へ様子を見にきたのだ。




「主殿?」


 林を抜けた先に湖はある。


 スチュアート達が遠目で確認すると、そこには数人の村人らが不安そうな顔で湖を見つめていた。

 さらに近づき、御互いの声が聞こえるあたりまで距離を詰めた瞬間、ざばっと音をたてて穣が水面から顔を出す。


「やっぱりだ。湖の底にうっすらとだが亀裂がある。あそこから水が抜けてるとすれば.....」


 水の滴る髪を無造作き掻き上げて、湖の畔に上半身を出した穣は、枯れ枝をつかいガリガリと地面に図を描いていた。非常に真剣で近寄り難いムードである。

 そんな空気を読めない那由多は、穣の姿を眼にしてスチュアートの肩から飛び降り、満面の笑みで一目散に駆け出した。


「お父ちゃーんっ」


「那由多っ?!」


 駆け寄ってくる愛娘と従者達。それをカッと睨み付け、穣は鋭く腕を一閃させる。


「馬鹿野郎っ! こっち来んなっ! お前ら何のための従者だっ!! ここは危ないって言っただろうがっ!!」


 驚き止まる那由多を慌てて抱えるスチュアート。だが、オスカーが止めるのもきかず、その脇を縫ってラルザが飛び出してきた。


「そのような仰りようはございませんでしょう? 聖女様は父御の傍にありたいのです」


 非難するかのように細められた眼差し。傾国とも評されるラルザの美貌は、仄かな怒りに彩られ、さらに凄みを増している。

 常人であれば、うっとりと見惚れるだろうソレを、ぺいっと叩き落とし、穣は瞳に辛辣な侮蔑を浮かべた。


「戦場でも同じこと言えるかい? お前さんよ」


 思わぬ言葉を耳にして、ギクッと身体を震わせる従者達。


「ここは戦場並みに危険なんだよ、今っ! とっとと離れろっ! オスカーっ、説明してこいっ!!」


 顎で示す穣に大きく頷き、オスカーは憤るラルザの肩を掴んで、皆を村へと誘導する。


「鉄砲水や土砂崩れの危険があるそうです」


 言葉少なな説明だが、護衛騎士の二人や平民のアストルには、その言葉の恐ろしさが理解出来た。

 そういった災害の支援にあたるのも神殿騎士や神官の役目である。悲惨極まりない現場を彼等は何度も見てきたのだ。

 

「だが、そういう災害は大雨や嵐などが理由で起こるものではないのか?」


 困惑げなスチュアートの疑問に、オスカーは困り顔で首を傾げ、穣の言葉を辿々しく説明する。たぶん彼にも正しく理解は出来ていないのだろう。


「その..... 湖の水が減っているのは、その水が何処かに漏れているのではないかと言う話だ。だが、その水の流れた形跡が何処にもない。これは危険だと主殿が.....」


 穣が描いていた図を真似して描きつつ、オスカーは説明を続けた。


「外部に水の漏れた形跡がない。ならば減った水は何処へ行ったか。主殿が言うには、地下の何処かに溜まっている可能性が高いと.....」


 ガリガリ描かれる不思議な図。


「.....で、溜まった水の量にもよるが、地面が緩み、噴き出して大規模な鉄砲水や土砂崩れが起きる可能性があるとか」


 図と説明で、ようやくスチュアートやアストルにも理解出来た。これが本当ならば、確かに不味い状況だろう。

 思わず冷や汗を流し、この村そのものも危険なのではないかと顔を見合わせる。


「すぐに避難しなくては.....」


「村人らにも声をかけないとっ」


 慌てる二人を交互に眺め、オスカーは否定するように首を振った。


「その心配は無いとも仰ってましたよ?」


 簡単に湖のある山と村を描き、その中間を枝でなぞる。


「一見、村と直線的に見えますが、ここらにある急勾配で水や土砂の進路が変わるらしいです」


 描かれた図を確認して、アストルはバッと湖方面を見上げた。確かにゆるやかな傾斜が複数あり、それが切れ込むように村の斜め下へ向かって穿たれている。


「.....なるほど。たしかに」


 一斉に安堵する那由多一行だったが、次の瞬間、大きな地響きが身体を揺らし、それと共に轟いた轟音に硬直した。

 ぐらぐらと揺れる大地。しだいに小さくおさまったソレに顔を凍りつかせ、がしっと那由多を抱き締めたまま、スチュアートが辺りを警戒する。


「地震か?」


「何が起きてっ?」


「まさかっ?!」


 安じていた危険が現実となったのかっ?!


 顔面蒼白な面々が、慌てて湖のある山へと駆け出す少し前。




「ここだな、たぶん」


 ざっと身体を拭いて服を着た穣は、水底のひび割れを頼りに湖周辺を探索する。

 そして地面に明らかなズレを形成する断面を発見した。


「崩れた内側に巻き込まれて、地表が動くんだよ。ほら、ハッキリひきつれた跡が分かるだろう?」


 言われて、村人達がじっと地面を見つめると、確かに捻れるように歪んだ土が長く続いていた。


「こんな..... 女神様がお怒りなのでしょうか?」


 地面がまるで傷痕のように捻れるなど見たことも聞いたこともない。人知を超えた誰かの仕業としか思えない村人達。

 青を通り越して真っ白な顔色になってしまった人々に苦笑し、穣は、ひらひらと掌を振る。


「ナイナイ、これは自然現象さ。大事にならないうちに片付けるぞ?」


 そう言いながら、穣は捻れた大地を杖で叩きつつ音や振動を確認していく。すると先を行っていた村人が大声を上げた。


「ここっ! 水が染み出てますっ!」


「あったかっ!」


 思わず駆け出した穣達は、湖からかなり離れた丘で、微かに滲み出す水を発見する。

 ここと湖までの距離は約百メートルほど。捻れた地表がなくば、見つける事は出来なかっただろう。


「あっぶねーな、これ。ネットで斜め読みしただけだけど、自然災害、怖っ」


 誰でもやるネットサーフィン。興味を引かれたモノには全て眼を通してきた穣だが、こうして目の当たりにするとは思わなかった。

 にわか知識でも無いよりマシなのだと、つくづく実感する。

 現代知識による解析や考察を知らなくば、穣とてこれを看破は出来なかっただろう。


「よし、じゃあ、ここを掘るぞ? 慎重に少しずつな」


 神妙に頷き左右から掘ろうとした村人らを、慌てて穣が止めた。


「駄目だ、だめだっ! 掘るなら左側からだけでっ! ほら、地表の断面がここから湖の方に向かってるだろう? こちら側に水が溜まってるなら、こっからあっちに地面が滑り落ちる危険があるんだよ」


 穣の指が示す広大な丘。軽く見渡しても三百メートルはあるこれが、下方に見える耕作地帯へと滑り落ちたら大事だ。

 今日は穣の説明から農作業をさせていないが、いつもなら何十人もが作業に精を出している時間である。


 そこに、この丘が土砂として滑り落ちていたら? 大惨事待った無しに違いない。


 ぞっと背筋を凍らせ、村人達は言われた通りに片側からだけ水の染み出る丘を掘り出した。


 そして大当たり。


 さして掘らないうちに水が勢い良く噴き出し始め、みるみる土を削り、大量の土砂を含んだ水流がうねりを上げる。

 ダバタバ溢れ、流れていく水を呆然と見つめる村人達。

 まるで呼吸をするかのように、ゴブゴブと渦を巻く大穴。生き物のようなソレに悪寒を禁じ得ず、さすがの穣も冷や汗が止まらない。

 見渡す限りを軽く水で埋め尽くす濁流の恐ろしさに、ひやりと顔を凍りつかせる。


 これが大地を割って一斉に噴き出してたら、どうなってたことか。怖や、怖や。


 思わず歯茎を浮かせつつも、安堵したその瞬間。誰もが気を緩めていた隙を狙うかのように、ずず.....っと音をたてて地面が滑り落ちた。


「え?」


 思うが早いか、数人の村人らの足元が崩れ、そのまま土砂とともに呑み込まれていく。

 ドドドドっとけたたましい音が轟き、まるで砂のように溶けて滑る急勾配。

 呑まれなかった者らも立ってはおられず、揺れる大地に張り付き、必死で身体を支えていた。

 そしてあらかたの土砂が流れ、大地の揺れもおさまりだすが、茫然自失な人々は顔を凍りつかせたまま、ピクリとも動けない。

 軽く舌打ちし、村人達の硬直を解くかのように穣は絶叫を上げた。


「下がれーっ!!」


 絶叫する穣の声で正気づいた村人らは、慌てて高台へと逃げ出していく。それを横目で見送り、穣は呑まれてしまった村人らを脳裡に浮かべた。


 油断した。大量の水を見て、もう大丈夫だと..... くそっ! どうする?!


 穣は素人だ。どう判断するべきか分からない。下手に救出に赴いて、二次災害が起きたら? 再び、土砂崩れが起きたら? 本当に、もう安全なのか?

 さっきも、もう安全なのだと思った。それが間違いだった。今度は? 


 ぐるぐる堂々巡りする思考に絡め取られ、穣は泣き出しそうに顔を歪める。


 土砂崩れや雪崩に巻き込まれた被害者の救助は時間との勝負だと聞いた。こうして考えている間にも、どんどん容赦なく生存のパーセンテージが下がっていく。


 どうしたらっ?! どうしたら良いっ?!


 喉が大きく震え、思わず喚き出しかかった穣の耳に、心地好い声が聞こえた。


 .....は?


「.....ちゃーん」


 人の命が消えていく恐怖で歪んだ穣の視界に、小さな影が飛び込んできた。


「お父ちゃーんっっ!」


 それは見慣れた愛娘。今にも泣き出さんばかりな顔で穣に飛び付く。


「なん.....で?」


 今、ここに一番居て欲しくない人物の登場に、穣は思考が吹っ飛んだ。

 考えがまとまらない。腕の中の温もりが、ただただ愛おしい。


「あれーっ」


 父親に抱き上げられて安心したのか、那由多は土砂崩れの起きた方を指差した。


 それを見て、穣は眼を見開く。


 そこには救助に駆けつけた多くの人々がいたのだ。


「ここにいるぞぉぉーっ!」


「こちらにもですっ!」


 オスカーやアストルが土砂に埋もれた被害者らを発見し、村人らが総出で救出する。

 そしてラルザの元へと運ぶと、彼女が治癒を施していた。


 呆然とそれを眺めるしかない穣。


「主殿、御無事でしたかっ?」


 気づけば目の前にはスチュアートが立っている。どうやら那由多と共に来てくれたようだ。


「あ..... 危なくないのか? あれ。二次災害の恐れも.....」


 震える唇に苦戦しつつも問い掛ける穣に、老騎士はふくりと鷹揚に微笑む。歴戦の強者であろう彼の笑みは、穣の身体に這い回る不安を瞬く間に梳ってくれた。


「そのような災難が起きたら起きた時のこと。我々は今を生きるしかないのです。なあに、こういった救助には慣れております。お任せあれ」


 魔法で生存者を見つけられるし、治癒も御手の物。災害支援は神殿の役目であるのだと、さっくり老騎士は言った。

 そんな彼の横で、穣は魂が抜けたかのように、へなへなと崩折れる。


 .....怖かった。


 映像や写真でなら幾らでも眼にしていたが、目の当たりにした本物の災害は、その非ではない。


「.....こんなの嫌だ。嫌だよ」


 嗚咽を上げて愛娘を抱き締める穣に、胸の中の那由多がぺちぺちと頬を叩いた。


「お父ちゃん、痛い? 泣かない泣かない」


 必死に自分の頬を撫でる小さな手が切なくて、穣はとめどもなく涙が溢れる。


「胸が痛い..... こんな酷いのって無いよ」


 ほたほたと泣き崩れ、那由多を胸に抱き込む父親を見て、少女はむんっと拳を握った。


「泣かないで、お父ちゃんっ! 痛いのはダメっ! 痛いの痛いの、飛んでけーっ!!」


 穣に抱きつき、全身を震わせて那由多が叫ぶと、暖かな光が波紋のように広がっていく。

 その波紋に撫でられた大地にはみるみる緑が萌え、小さな木立が生え始めた。

 唖然とする人々の視界の中で、生々しく剥き出しに崩れ落ちた丘も柔らかな草で埋め尽くされ、気づけば美しい自然が甦る。

 さわさわと空気をはらみ、色とりどりな小花が空を振り仰いで揺れていた。


 まるで何事もなかったかのように穏やかで優しい風景。


 これは光魔法の真骨頂。聖女の《癒し》は何も生き物に対してばかりではない。

 森羅万象。世界に存在する全てに《癒し》を与える。土砂崩れで壊れた大地もその範疇。完全な復元までは出来ないが、瘡蓋くらいは作ってやれる。


 一面に広がる緑。染み渡った光の魔力によって、むしろ、前よりも肥沃な土地となっていた。


「.....奇跡だ」


「聖女様の奇跡だぁぁっ!」


 わっと歓声が上がる。


 幸い救助が間に合い、怪我人も癒され、人的被害は無にされた。

 農耕地の半分が埋まってしまったが、村人らに被害がないならそんなものは何とでもなる。

 未曾有の災害に見舞われたにも関わらず、被害らしい被害がなかった人々は眼を見開いて喜んだ。


「ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!」


「心から感謝しますっ!!」


 わああぁぁっと押し寄せる人々。誰もが歓喜に眼を潤ませている。

 だが穣は、己の油断で被害者を生み出した。それが気まずく、つい顔を俯けてしまう。

 そんな彼の肩に手を置き、スチュアートが眩しそうに辺りを見渡し、穣を見つめた。


「主殿のおかげで災害を最小限に抑えられました。ありがとう存じます」


「俺の.....?」


 訝しげな穣に大きく頷き、老騎士は説明する。


 普通、災害の予知は出来ない。穣がどのようにして今回の土砂崩れを予測したのかは分からないが、湖近くの急勾配には沢山の畑がある。

 もし、今回、我々が訪れず、穣が湖の異常に気づかなかったら、きっともっと大きな災害が起きていたことだろう。

 神殿から支援が駆けつけた頃には多くの死者が出ていたに違いない。

 そう説明し、スチュアートは真摯に穣を見つめる。


「ここに主殿がおられ、我々が居て、光の聖女様がおられた。.....これぞ神々の配剤。奇跡にほかなりません」


 穣が水を排出したことで災害規模が小さくなり、災害支援慣れした神殿の者らによって被害者達は救われた。

 そして那由多の癒しで、災害の傷痕も皆無となる。


 確かに奇跡だ。


 顔をくしゃくしゃにして笑う穣につられ、にぱーっと笑う聖女様。


 暖かな親子の包容を微笑ましく眺める村人達。


 こうして危機は去り、新たな旅に出立した聖女親子を、拝むように見送る村人ら。


 完全修復された湖近辺の丘では、ときおり吹く風に紛れて、淡い黄金色の光が舞うようになる。


 限りなく仄かでそこはかとない慎ましやかな光を、今は誰も知らない。

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