第5話 異世界聖女巡礼 ~旅立ち~
「オスカーをですか?」
「ああ、巡礼の旅に連れて行きたい」
にまっと笑う穣を見て、シャムフールは少し思案げに指を口許へ運んだ。
この異世界人は警戒心が強い。那由多にもそういった雰囲気はあるが、彼女の場合、ストレートチルドレンであった経緯が関係しているのだろう。
だが、この異世界人は豊かで平和な国からやってきたはずだ。
過去の召喚聖女らの話から総合しても、彼等の世界は争い事と無縁で、悪く言えば平和ボケした世界だと聞く。
そんな贅沢が許された世界で真綿に包まれるかのように育てられた聖女らは総じて穏やかで、優しく慈悲深い者達だったと記録されている。
そんな事を思い出しつつ、シャムフールはチラリと穣を一瞥した。
たしかに彼も穏やかで優しく、あらゆることに寛容だ。こちらからみれば、無頓着に等しいほど無欲。
だが時折見せる獣のような雰囲気が、シャムフールの心に引っ掛かっていた。
極たまにだが、ぎらりと双眸を剥き、刺さるように凍てついた眼差しを穣は浮かべるのだ。胡乱に見据える微かに濁った光芒。
飢えたケダモノでも、あんな眼はすまいに.....
彼の豹変する理由が分からない神殿長は、困惑げに首を傾げる。
シャムフールは知らない。
過去に妹を奪われたせいで、穣の家が崩壊した事を。
多感な年齢に立て続けで起きた不幸。奪われ、棄てられ、自暴自棄の奈落を孤独に這いずり回り、彼が長く苦しんできたことを。
その経験から、穣は奪われる、あるいは棄てられるという現実を受け入れられない。過剰に反応し、凄まじい拒絶反応を見せる。
そういった感情の片鱗を、確証はないまでもシャムフールは敏感に察していた。
コイツは敵か? 味方か?
穣の判断基準は、この二つ。敵だと認定した場合、容赦はない。それしか考えていない。
那由多と二人で幸せになる。今の穣の頭は、それで一杯だった。
そんな穣自らが選んだ護衛騎士。どういう経緯で選んだのかは分からないが、望まぬ者を押し付けるよりはマシだろう。
そう一人ごち、神殿長であるシャムフールは快諾する。
「承りました。では、従者は如何なさいますか? こちらから付けることも出来ますが、誰か気に入った者はおりますか?」
言われて穣は少し考えた。
神殿に住まう多くの巫女や神官。那由多が女の子な事を考えれば、従者は巫女がいい。しかし、あてどもない巡礼の旅だ。女性にはキツくないだろうか。
なにより不測の事態を考えれば巫女は足手まとい。神官なら、ある程度の護身術も身に付けていた。己の身は己で護れる。
だが巫女となれば話は別。非常事態に陥った時、護衛対象が二人になり騎士も苦戦するに違いない。
戦力を削ってまで足手纏いを連れていく理由はなかった。
「.....つけるなら神官かなぁ。なるべく強い奴が良い。那由多を護れそうな」
ぶつぶつ呟く穣を眺めて、シャムフールは花が綻ぶかのように破顔した。
良い父御だ。常に娘のことばかり考えている。
悩む穣に快く頷き、神殿長は体躯のいい真面目な神官をつけると約束してくれた。
そんなこんなで日々が過ぎ、いよいよ出発となった朝。
「貴女が貧民の聖女? みすぼらしいわね。とっとと辞退して貧民街へお帰りなさい」
一人の少女が鼻白んだ顔で吐き捨てるように那由多を罵る。
美しい金髪を背の中程まで靡かせ、整った顔立ち。年の頃は十二か十三か。細めた眼に浮かぶ青い瞳は、まるで汚物を見るかのように那由多を見下ろしていた。
あん?
暴言を耳にして振り返る異世界血統の聖女親子。
出発は全員同時。ここから十年の歳月が計られるため、聖女候補全てが、各国王都の入り口へ集まっていた。
そこでいきなり起きた騒ぎに、神殿騎士のみならず王家から派遣されてきていた騎士らも顔面蒼白。
あわあわする彼等を余所に、異世界血統の聖女親子は不思議顔。
ん? と視線を見合わせて、二人はにんまり笑った。
「そうなんだ? 辞退しても良いんだな? らっき♪」
「わあいっ、お父ちゃんと家に戻れるぅっ」
きゃっきゃと嬉しそうな親子を見て、眼を丸くする金髪の少女。そこへ知らせを受けたらしいシャムフールが血相を変えてやってきた。
「何事ですか? 説明をっ」
「私が」
「私も見ておりました」
一部始終を見ていた騎士らが軽く挙手をする。そんな彼等から話を聞き、シャムフールは那由多を嘲った少女を厳しく見据えた。
「マゼラン侯爵令嬢。聖女選定は貴賤を問わず選ばれます。何者であろうと聖女候補は皆同じ。御心得違いをなさいますな」
「な......っ! わたくしは侯爵令嬢なのですよっ? 無礼ではありませんことっ?」
顔を真っ赤にして詰め寄る少女を呆れたかのように見下ろし、シャムフールは軽く首を振った。
「聖女候補となった時点で、貴女は侯爵令嬢ではありません。ただの聖女エリスです。ナユタと同じ、巡礼者です」
肩書きとして侯爵令嬢と呼んだが、ここから出発すれば身分は関係ない。誰もが平等に聖女候補である。
そう説明を受けたはずだと、シャムフールはエリスの背後にズラリと並ぶ従者達を睨めつけた。
「理屈は存じております。けど、御嬢様が侯爵令嬢であらせられることに間違いは.....」
そこまで言いかけた侯爵家の従者の言葉を容赦なくぶった斬り、シャムフールは声高に叫ぶ。
「ならば今すぐ聖女を辞退せよっ! 特例などはないっ! どのような身分であろうとも巡礼中の聖女は等しく平等っ!! それが気に入らずば、即刻立ち去れっ!!」
きっぱりと言い切ったシャムフールの姿に、穣は思わず口笛を吹いた。
聖女達の旅立ちを見送りに来ていた人々や貴族達から、何事かと声が上がる。
悔しげなエリスと、それを冷たく見下ろすシャムフール。そんな一触即発な空気を漂わせる中、一人の男性が慌ててシャムフールへ駆け寄ってきた。
「どうかしましたか、神殿長? 我が娘が何か?」
「御父様ぁぁっ!」
わっと泣き出したエリスを抱き締めて、おろおろ困惑気な男を一瞥し、シャムフールは事のしだいを説明する。
「御令嬢に聖女としての教育はなされたのか? あまりに浅慮で考えなしすぎます。これから各地に祝福を与えるための巡礼だというのに.....」
侮蔑を隠しもしないシャムフールと顔から血の気を下がらせる侯爵様。
そんな二人を交互に眺め、穣はあっけらかんと呟いた。
「別に構わないぜ? 聖女とやらを辞退しても。ってか、辞退出来るなら教えろよ。旅支度に散財しちゃったじゃないか。もったいない」
なー? と顔を見合せ微笑む親子。あまりに緊張感がなさすぎる。思わず呆れたかのように顔をしかめるシャムフール。
「馬鹿を言いますなっ! 辞退するなど、問題を起こした聖女のみですっ!」
「問題起こしたら辞退出来るん? どんな事したら辞退になるんだ?」
「辞退するために何やらかす気ですかーっ!」
やも堪らず、がーっと穣を怒鳴り付けるシャムフールを見て、ぴゃっと仰け反る異世界聖女親子。
「冗談半分じゃないか。そんなに怒るなよぉっ」
「それって半分は本気だったって事になりゃしませんか?」
じっとりと眼を座らせる神殿長様から、そっと眼を逸らす穣。
その情けない姿に、穣らの後ろに控えていたオスカーが失笑した。
まるで茶番劇を見るかのように好意的な空気が辺りに漂う。
「まったく..... で? どうなさいますか、侯爵?」
「しっ、謝罪をっ! 娘を御許しくださいませ、神殿長っ!」
「御父様っ?」
謝り倒す父侯爵を信じられない眼差しで見つめ、エリスは怨みがましい視線を那由多にぶつける。
その視線に気がついたシャムフールは、軽く柳眉を上げて侯爵を見た。
「謝る相手が違うだろう。私ではなく、ナユタとその父御に謝罪せぬか。エリスもだ」
「はっ、失礼いたしましたっ! 聖女ナユタ様々っ、大変な無礼、御許しくださいっ!! ほら、お前もっ!」
侯爵は慌ててエリスの頭を下げさせようとするが、頑としてエリスは頭を下げない。
それどろろが、さらなる憎しみに満ちた眼差しをナユタに向けた。
前述されてきたように、神殿は外部の身分至上主義に左右されない組織である。治癒や浄化。弔いや祝福など、人々の生活に密着し必須なモノを賄う神殿。
ここに集う者は全て平等。年齢や役職的な階級はあるものの、上は下を慈しみ育て、下は上を敬い労う。
正しき宗教観と人間関係が確立された場所だった。
そんな人々の中で、身分を笠に着て振る舞おうなどという愚か者はいない。侯爵どころが王家とて敬意を払うのが当たり前。
だが、まだ幼いエリスには、それが理解出来なかった。文章として読んでも上滑り。ちんぷんかんぷん。
身分至上主義に囲まれて暮らしているのだ。分かる訳がない。神殿だけが特別なのだと理解が及ばない。
エリスは侯爵家の一人娘として蝶よ花よと甘やかされてきた。思いどおりにならない事などなかった。
父親も兄達もエリスの望みは何でも叶えてくれたのだ。
なのに、なぜ、こんな子供一人に頭を下げなくてはならないのか。エリスは納得出来なかった。
ぎぎぎっと押さえる侯爵の手に逆らうエリスを見て、シャムフールは軽く手を振る。
「もう良い」
うんざりとした神殿長の声を聞き、侯爵は顔を愕然とさせ、エリスはしたり顔でほくそ笑む。
ほら、ごらんなさい。やっぱり、わたくしは謝らなくても宜しいのよ。
しかし、ふふんっと鼻を鳴らしたエリスの両腕を神殿の騎士らが掴んだ。
「え?」
呆けるエリスを冷めた眼で一瞥し、シャムフールは侯爵へ向き直る。
「御令嬢から聖女候補としての資格を剥奪し、今回の巡礼から外します。よろしいな? マゼラン侯爵」
ああああぁぁっっと低い叫びを上げて頽おれる侯爵。それを見て、エリスの瞳が凍りついた。
気づけば周りから浴びせられている無数の侮蔑。その全てが忌々しそうにエリスを睨んでいる。
「あれが聖女.....?」
「まさか。嘘だろう?」
「貴族の出来レースだとしても、どんだけ下駄をはかせたら、あんな奴が聖女になるんだよ」
「身分を口にした時点で聖女失格だわ」
全ての人々は神殿とその在り様を知っていた。だからこそ、聖女となるために身分を捨てて巡礼に挑む娘達を敬愛し、労る。
愛し、愛され、万人によって育てられるのが聖女なのだ。
そこに紛れ込んだ不協和音を、聖女候補を見送りにきた民達は唾棄するような顔で眺めていた。
「.....終わりだ、エリス。そなたは聖女になれない。.....何処で育て方を間違ったのだろう。そなた、その年にもなって、神殿の意味を知らずにいたのか?」
この言葉は、後ろに控える侍従達にも向けられている。おまえらは一体何を娘に教えてきたのかと。
動揺する従者達。侯爵家に仕える彼等もまた貴族だ。身分至上主義で、それに相応しい教育をエリスに施していた。
彼等だって神殿の在り方を理屈では知っている。だが、普段は殆んど接触のない隔絶された神殿を軽んじてもいた。
結局は身分に従うだろうと、何の根拠もなく考えていたのだ。五十年おきに行われる聖女選定。彼等は前回のそれを知らない世代だから。
聖女選定のたびに、このような騒ぎは起こる。神殿を軽視し、身分を振りかざそうとする愚か者らが必ず出てくる。
半端な貴族らほど無意味なプライドを持つ。むしろ、無辜な大衆の方が神殿を熟知していた。
貴族とて弔いや祝福では神殿を頼るが、治癒や浄化には専門の魔術師を囲っている。
神殿は相手の収入によって、その代金が決まるから。つまり高収入な貴族らには多額の御布施を請求してくる。
それなら一律の賃金を払い、魔術師を雇った方が安いのである。
だから神殿の恩恵の殆どは平民へと向かう。神殿が常に資金に乏しいのもそのせいだ。
だが倹しい生活であろうとも、それに後悔のない巫女や神官達。
《癒しは独占されてはならない。どんなに貧しくとも、その恩恵が滞る事があってはならない。心正しき者と共に女神様は在る》
初代召喚聖女が遺したと言われる言葉。これを頑なに守る、各国の神殿各位だった。
結果、毎回起きる貴族らの横暴。ここでいつも貴族らの意識をリセットさせる。
神殿は如何なる人間であろうとも平等に扱うと。神殿には身分や地位はは通用しないのだと。これが誇張やはったりなどではないことを、万人に知らしめるのだ。
ぎゃーぎゃー叫ぶエリスと項垂れる侯爵を見送り、疲れたかのような溜め息をつくシャムフールの肩を、穣が慰めるように叩いた。
「お疲れ。でも良いのか? アレ」
「良いのです。あの設え。どうせ直ぐにボロが出ましたよ」
多くの従者や身辺護衛と大量の荷物。きっと街の外には馬車でも用意していたに違いない。
聖女の巡礼は徒歩と決まっている。神殿が巡礼用のマジックバックを貸し出すため、本気で選定に挑む気の聖女なら、手荷物は最小限のはずなのだ。
貸し出したマジックバックの容量は小さな馬車一台分。通常の旅の荷物なら十分に入る大きさである。
なのにあの大所帯。シャムフールは、御令嬢らが外で馬車にでも乗り込んだ瞬間、即失格を申し付けるつもりでいた。
つまり遅かれ早かれ、あの甘えたなエリスは失格になっていたのだ。
そう説明するシャムフールをマジマジと見つめ、穣は那由多の手を握る。
「怖や怖や。神殿長様は全てお見通しってか。じゃあまあ、行ってくるわ」
軽く手を振りながら、穣は思う。
ほんと、怖いねぇ。ああいう御仁を敵に回したらいけねぇな。
聖女らの動向をつぶさに観察していたシャムフール。だが逆を言えば、これほど頼もしい味方もいない。
それぞれ街の入り口へと歩き出した聖女達に、多くの声援が贈られる。
輝く朝陽の射しそむる早朝、民からの熱い期待を背負い、聖女選定の試練が始まった。
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