第3話 異世界親子 ~金策・前編~


「.....承知しました。では、当座の生活費や資金は神殿から回します。旅支度をよろしくお願いいたしますね」


 覚悟を決めた様子の穣に頷き、シャムフールは出来る限りの援助を申し出る。

 微笑む神殿長から詳しく聞けば、聖女選定の旅に規定は無いらしい。期間は十年。その年数内で女神様から認められない場合、失格なのだそうだ。ただ、ひととこに半年以上滞在してはいけない決まりらしい。

 人々の幸せを願い、各地を祝福をして回る旅。十年間、何処をどう回ろうと聖女の自由だという。それこそ直感で回るのが御仕事な聖女巡礼。


 えらくアバウトだな。でもまあ、中世の旅事情なんて、こんなモンか。


「なるほど。俺はこの世界を知りません。教えてくれる人の紹介を御願い出来ませんか?」


「理解しております。しばらく神殿に滞在なさると良いでしょう。ここならば、王家も手出し不可能ですから」


 神殿は各国共通で国境を超えた組織。一国の一存で手を出せる場所ではないのだという。

 

 それは僥倖。


「お父ちゃん」


 ほくそ笑む穣に那由多がよじ登る。んしょ、よいしょと肩にまたがり、にっと穣の顔を覗き込んできた。

 そして穣は、ふと気になっていた事を口にする。


「そういや、なんで父ちゃんなんだ? 俺は刹那の兄で叔父にあたるんだが.....」


「アタシ、ずっとお母ちゃんと二人暮らしでさ。お父ちゃんに憧れてたんだぁ」


 二人暮らし.....


 聞けば、地球から拉致され身分証明も出来ない刹那は、王家から逃げ出したものの、高い壁に囲まれた王都を脱出することが出来なくて、街の外れの貧民街で医者まがいなことをやっていたらしい。

 まともな職も持てないし、手元にあるのは逃げ出してきた王宮でもらったアクセサリーが数種。

 それを売って食い繋いだようだが、キシャーリウの世界を知らぬことで足元をみられて買い叩かれ、半年ももたず貧民暮らし始めた。

 しかしそれが功を奏す。現代知識をもつ刹那は、見よう見まねだが病気の処方や怪我の手当てがやれたのだ。

 聖女として得た光の魔法も役にたった。地球では医療従事者を目指して、進路を看護学校に決めていた刹那には、きっと嬉しかった事だろう。


 そうして妊娠が発覚するも貧民街で那由多を産み、育てながら慎ましく暮らしていたとか。


 地球に居たならそれなりに充実した生活を送れていたはずの刹那。

 返すがえすも、聖女召喚とやらをやらかした王家に、灼けつくような穣の怨みが降り積もる。


「そうか..... 墓はあるのかい? あるなら顔を見せたいんだが」


 しんみりと呟く穣の言葉に、那由多は黙り込んだ。ぎゅっと穣の頭に掴まる小さな手。


「分かんないの..... お母ちゃん、消えちゃったから」


 消えた?


 上唇を噛んで、への字口の那由多に代わり、シャムフールが続きを請け負う。

 那由多の話からの予測でしかありませんがと前置きして。


「.....夜、眠っている時に物音を聞いたナユタが起きると、床に沼地の泥のようなモノがあり、そこに聖女様は呑み込まれたのだそうです」


 深夜に起きた悪夢。


 那由多が最後に見た光景は、泥にほとんど呑み込まれて、もがく白い手首だけ。

 全て呑み込んだ泥は、あっという間に消えたらしい。

 深夜に上がる幼女の絶叫。それを聞き付けた人々により那由多は保護され、人拐いに合わないよう大切に匿われ、五歳の魔力審査で、ようやく神殿側に発見された。


 ぐすぐす鼻をすする那由多に髪を齧られつつ、神殿長にされた説明を聞き、穣は目を見開く。


「それって..... ひょっとしたら、まだ刹那は生きてるかもしれないんじゃないか?」


 一抹の希望を得て煌めく瞳。


 シャムフールは微かに眉を寄せた。


 穣は異世界人だ。キシャーリウの常識を知らない。汚泥を使う魔術は闇の魔術。光の魔術と対極にあり、その使い手は残忍で狂暴。

 狡猾な彼等に囚われた犠牲者が無事でいたためしはない。

 今までも、多くの者が無惨な亡骸と成り果て発見されている。遺体が見つかるのはマシな方だ。大半の被害者は爪の欠片すら見つからない。


 .....したくはないが、せねばなるまい。


 シャムフールは言葉少なに、闇の魔術師の話を穣にした。


 一瞬絶句した穣だが、次には挑戦的に口角を歪めて吐き捨てる。


「だからなんだ? パーセンテージがとんでもなく低いというだけで、可能性は皆無じゃないよな? 相手の思惑が何かはわからないけど、俺も刹那も大人しくやられるようなタマじゃないんだよ」


 そして穣は、未だに自分の髪を齧る那由多を肩から下ろし、満面の笑みで笑った。


「旅のついでに、お前のお母ちゃんを探そうぜ? なっ!」


 少女の大きな瞳に映る、穣のその笑みは、奇しくも那由多の母である刹那にそっくりな笑みだった。


「うんっ!」


 誰もが那由多に言った。


 母親は死んだのだろうと。闇の魔術に絡め取られた者が生きていたためしはないと。

 

 彼女が三歳の間近の時である。

 

 母親に多大な恩を感じていた貧民街の人々は、乏しい食べ物を工面して那由多を育ててくれたが、大きくなるにつれ少女は理解した。母の死と絶望と諦めを。

 自分の光の魔力が発覚し、神殿に保護されてからも同じ事を言われた。だから思ってた。母は死んだのだと。


 でも目の前の叔父は言う。生きてるかもしれない。探しに行こうと。


 暗雲が垂れ籠めていた那由多の心の中に、希望に満ち溢れた一条の光が射しそむる。

 それは瞬く間に、朗らかな風で真澄の空から暗雲を蹴散らしてくれた。すきっと晴れ渡る那由多の心の青空。


 彼女がどちらを選ぶかなんて、分かりきったことである。


「「行こうっ!!」」


 わっと煌めく二人の周りが神々しく瞬き、キラキラとした蛍のような光が幾つも舞い踊りながら、ふわりと広がる黄金色の風。


 まるで時が止まってしまったかのような美しい光景に、シャムフールは目を見開いた。

 

 本物の..... 聖女?


 金を纏うは光の証。女神様の祝福だ。普通に光魔法を使っても黄金色にはならない。白っぽい仄かな光が瞬くだけ。


 愕然とする神殿長を余所に、二人は意気揚々と旅の準備を始めた。


 五十年ごとに行われる聖女選定は、有史より前から行われているが、実は女神様から認められた者は一人もいない。

 すでに形のみで、形骸化しつつある儀式でもあった。それでも聖典の始まりに、《女神様は人々に、光の聖なる人を遣わされた~》から始まるため、未だにに続けられている風習だ。

 

 二人を包んでいた黄金色の光は一瞬で空気に溶け、そこにあるのは、ただの微笑ましい親子の姿。


 .....目の錯覚か?


 いきなり見せつけられた光景に瞠目しながら、神官長は穣を那由多の部屋へ案内した。




「ここが?」


「はい。ナユタの部屋です」


 案内された部屋はそこそこな広さの部屋だ。畳で言えば、江戸間八畳ほど。そこに最低限の家具が置かれている。

 大小の物書き机とシンプルなベッド二つ。壁沿いに設えられたクローゼット二つ。

 陽当たりも良く、広くも狭くもない居心地の良さそうな部屋だった。


「机がサイズ違いなのは.....」


「ナユタのために小さめな家具を揃えてありましたので。父御が来るとのナユタの言葉を信じ、大人用も搬入しておいたのです」


 なかなかに気配りしてくれているようだ。なら.....?


「これだけしてくれてるのに、那由多の格好が襤褸なのは何でだ?」


 ん~っと生温い笑みを天井に向け、神殿長は未だに穣の頭に張り付く那由多をチラリと一瞥する。


「ナユタは、ここを使わないんですよ。気づくと貧民街に戻ってしまっていて..... 身体を拭かせもしないし、服を脱がそうとすると、光の魔法で抵抗されるのです。まあ、その魔法の浄化が働き、身綺麗にはなっていますので、我々も無理強いはしておりません」


 なるほど。


「那由多、そんな襤褸より綺麗な服を着たくないのか?」


「ボロくないっ! これ、お母ちゃんが作ってくれた服っ!」


 キッと睨み付ける幼子に、大人二人は眼をしばたたかせた。

 穴空きで色褪せ、つんつるてんな洋服を何故に那由多が手離さないか。その理由を神殿長も初めて知ったようだ。


「そっか。じゃ、俺が繕ってやろう。可愛いワッペンつけような」


「ワッペン? なに?」


 わくわく顔で穣へ絡まる那由多。それに得心げな笑みを返す穣に冷めた一瞥をくれ、シャムフールは御機嫌そうな那由多を見つめる。


 個人的には力ある貴族にナユタを任せたかった。身分は絶対のモノだ。これから聖女選定の旅に出る彼女に、過不足無い旅支度をしてくれたことだろう。

 だが、結局はナユタの幸せが一番大事である。聖女は、自身が得た幸福を祝福に変換するのだ。ナユタが幸せでなくば、旅をさせる意味がない。


 父御はキシャーリウという世界を知らない。過去に訪れた聖女達同様、文字から計算や日常生活、こちらの常識、他、色々な事を学ばせねばならない世間知らずだ。

 女神選定の旅路では全く役にたたないだろう。

 それでも彼は那由多の気持ちに寄り添える。

 神殿で保護してから数ヶ月。誰もが那由多を我が儘な子供だと思っていた。

 襤褸な服に固執し、神殿を抜け出して聖女の勉強もせずに貧民街で遊び回る困った子供だと。

 だが何のことはない。話を聞けば無理からぬことだったのだ。

 母親の形見にもなる服。それを取り上げようとする神殿を彼女が信用する訳がない。我々もまた、那由多を我が儘な幼児としてしか見ておらず、尋ねることもしなかった。


 穣だけが尋ねたのだ。穣だけが、那由多を理解した。着替えたくない理由があるのだろうと。


 はあ.....っと大仰な溜め息をつき、神殿長は穣が那由多の父親であると認識した。


 こうなっては仕方がない。それなりの旅支度を神殿で用意してやらねば。従者も神官と神殿騎士から選んで.....


 ぶつぶつあれやこれやと考えて、頭が痛くなるシャムフールだが、後日、その認識を覆される。


 穣は世間知らずで役立たずな異世界人などではなかったのだ。




「これは.....?」


「らっしゃいよーっ、見てっておくれーっ!」


 穣の周りには多くの人だかり。目の色を変えて買い物をする人々に、神殿長は瞠目する。


 事の起こりは一週間ほど前。




「色々教わって街も見学してきたけどさぁ。あんまり発展してないね、この世界」


 小さな何かを小刀で削りつつ呟く穣に、シャムフールは不思議そうな顔をした。


 なんだろう? あれは。小さな板のような? 沢山あるな。


「そうですね。過去の聖女召喚の被害者らによれば、貴殿方の世界はずいぶんと発展していますし。我々には想像もつかないモノが沢山あると聞きます」


 そう。過去に訪れた彼女達の記録には、多くの謎な物品が記されている。

 《うぉーくまん》や《けいたい》、《こんぱくとですく》など、こちらでは理解不能なモノばかり。

 召喚されて暫くは使えていたのだが、すぐに使えなくなってしまったという。

 聖女らによれば、《でんち》切れだとか。こちらでいう魔術具に使われている魔石のようなもので、魔力同様、《でんき》という力を充填しないと使えないらしい。

 だが、使えていた時の記録も記されていて、見事な複写や動く絵、天文学的数字を瞬時に計算したり、楽器や歌い手もなく音楽を奏でたりと、随分奇天烈な記録が残されていた。

 嘘か真かは分からないが、前述した機械共々、《しゃーぷぺん》や《ぼーるぺん》とかが、未だ原理を解明出来ずに神殿で保存されている。


 ショリショリと木片を削る穣を見下ろしつつ、シャムフールは過去の記録の真偽を尋ねてみた。


 そして答えは現物と共に返ってくる。


「携帯? スマホならあるけど?」


「すまほ?」


 首を傾げるシャムフールに、論より証拠と、穣は懐からスマホを取り出す。充電は八十%。大事に使えば、今しばらく持ちそうだ。


「これ。ネットに繋がってないから落としたデータしか再生出来ないけど」


 そう言うと、穣は保存してあった動画を起動する。それはあるアーティストのライヴ映像。

 画面一杯に映し出されたライヴの様子に、シャムフールは度肝を抜かれた。

 見たこともないような多くの人々。煌めくライトや、立ち上る演出の煙。大音響で響く演奏や額に汗して熱唱する歌い手らしき人間達。

 それが処狭しと画面のなかで暴れまわっている。


 固唾を呑むシャムフールを軽く一瞥し、穣はスマホの電源を切った。


「あ.....っ」


 名残惜しげに穣を見つめるシャムフール。そのすがるような眼差しに穣は肩を竦めて苦笑する。


「すまん。動画は電気食うんだ。あんまり使いたくない」


 言われている意味はよく分からないが、穣が《スマホ》をあまり使いたくない事だけをシャムフールは理解した。


「貴重なモノを、ありがとうございます。.....聖女らの遺された文献は真実だったのですね。驚きました」


 興奮醒めやらぬ風情で胸を押さえ、夢心地に眼を伏せる神殿長を見て、今度は穣が疑問を口にする。


「それなんだけどさ。なんで女ばかりなんだ? 男は召喚されなかったのか?」


 神殿で教わったキシャーリウの伝承。


 まず女神ありき。


 そこから始まる伝説には、《女神に認められた聖なる光の人が僕となり、世界に祝福をもたらす》としか書かれていない。

 地球世界には聖女ばかりでなく聖人もいる。なのに異世界召喚されるのは聖女のみ。おかしくはないだろうか。

 小首を傾げる穣を見て、ああ、とばかりにシャムフールは説明をした。


「それは光属性の魔力を持つのが女性のみだからです。異世界召喚の場合も同じ。光属性の人を招く事が前提なので、おのずと女性が選別されてしまいます」


 逆に闇属性の魔力は男性にしか宿らないという。陰と陽。そのへんがクッキリと分かれているらしい。

 ちなみに穣は何の属性も魔力も持っていなかった。神殿の魔術具で確認したが、うんともすんとも言われず、残念そうな顔を神官にされた。

 召喚でなく、ただ繋がった道を渡っただけなのだ。こういう事もあるでしょうとシャムフールは慰めてくれたが。


 少しはと期待していた穣が、一番落胆したのは秘密である。


 光属性は女性のみね。なるほど、そういう括りなんだな。それで聖女召喚、聖女選別とか呼ばれる訳か。


 そしてさらに詳しく聞けば、巫女の殆どは光属性。神官はそれを補佐する水属性で、神殿は常に女性上位。平民から貴族まで、あらゆる女性達を守る場所なのだそうだ。


 なら、ナユタが蔑ろにされる事もあるまい。


 ここに居を構えて正解だったと、穣は胸を撫で下ろす。

 何気に手を動かして作業を続けていた彼に、再びシャムフールが尋ねた。


「ところで、先ほどからしておられるソレは何ですか?」


 シャムフールの問いににんまりと口角を上げ、穣は削っていた板を指先で弄りつつ、細い針金を曲げ始める。

 くるりと輪を描き、曲がる複数の針金。


「まあ、あれこれ学んだしな。取り敢えず金策さ。手元不如意じゃ、那由多に満足な拵えもしてやれないからさ」


 かちゃかちゃと作られる不思議な何か。疑問符を浮かべるシャムフールだが、後日、その何かが何なのかを知る。




「恐れ入ったな..... ははっ」


 瞠目する神殿長の目の前で展開される大行列。その目的は洗濯バサミや泡立て器などの日用雑貨である。

 毛糸スポンジ、豚毛の歯ブラシ、他色々。


 穣は各エリアを見学して、そこに無い物を選んで製作していた。そして其々のエリアで商品を試してもらい、市場の片隅で屋台を開いたのだ。

 試してもらった人々の口コミが広がり、連日大盛況な穣の屋台。

 一気に稼ぐため、神殿から支給された費用で材料を購入し、那由多繋がりの貧民らに手伝ってもらい、物は十分用意している。

 一つ一つは安価だが数で勝負だ。今なら多少割高でも人々は買ってくれる。


 今現在、穣の店でしか買えない商品なのだから。


「らっしゃーせーっ! 雑貨販売の《異世界雑貨屋ナユタ》は、ここだよぅーっ!」


 景気よく朗らかに声を上げる穣。愛想の良い笑顔につられ、客達も気前良く購入してくれていた。


「.....父御は、異世界で商人でもやっておられたのかな?」


 呆れたかのような笑みを浮かべて一人ごちるシャムフールに、背後につく護衛が首を振る。


「先だって聖女ナユタ様の護衛につきましたが..... お二方の会話の中では学生だと申されておりました」


「.....あれで?」


 思わず穣を指差す神殿長。然もありなんと頷く護衛騎士。

 言葉を失い呆然とする二人の視界で、穣の屋台に駆け寄っていく少女がいた。


「お父ちゃーん、手伝うよーっ」


「おお、那由多。勉強は終わったのか?」


「うんっ!」


 満面の笑みで抱き合う親子に、人々は微笑ましげな眼差しを向ける。


 聖女が幸せであれば、そこは祝福で満たされるのだ。


 知らず祝福をばら撒きつつ、のこのこ異世界を征く二人だった。

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