第4話

 ある時、彼女がこう言った。


「本物の桜が見たい。満開に咲いた桜が」


 外を見る彼女の目はどこかうつろで、僕はどうしても、いたたまれない気持ちに襲われた。

 彼女が世界にいられる時間は一年の内の2か月間。秋の季節にしか起きることができない。

 紅葉は、と聞くと、腐るほど見てきたから飽きたと心底つまらなさそうに彼女は窓の外の木々を眺めていた。


 その日の夜、僕は桜を作ろうと決めた。

 材料は本物の桜の花弁ではなく、桃色の折り紙。本物は流石に用意ができなかった。できれば用意してあげたかったけれど。

 一枚一枚を花弁に見立ててはさみで切っていく。

 ふと我に返り山盛りになった竹籠の中を見て、僕は後片付けのことを考えてしまった。


 翌日、僕は彼女に目を瞑ってほしいとお願いをする。

「こう?」と素直に従ってもらうと、僕は昨夜作った折り紙の桜の花びらを、まるで日本昔話の“花咲かじいさん”のように降らせていく。

 ひらひらと室内を舞う花びらを見て、彼女は驚いた表情をした。


「……すごい……」

「……こうやって、今は疑似的なものだけれど……いつか君の病気が治ったら、一緒に咲き乱れる桜を見に行こう」


 この時の彼女の表情は、僕の心の中に今も鮮明に記録されている。

 彼女はまるで子供のような無邪気な笑顔を向けてくれた。

 絶対に治してあげたい、そう思わせてくれた。


「……先生、鹿目かなめ先生、起きて」


 ふと、爽子さんの呼ぶ声で目が覚める。

 目が覚めるということは、僕はいつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。

 ソファの上で乾いた洗濯物を畳みながら、転寝うたたねをしてしまっていたらしい。膝元に、洗濯物のタオルの代わりに、ブランケットが掛けられていた。

 窓の外は雨が降っており、随分と暗くなっていた。あれから数時間が経過していたようだった。


「……ああ、ごめん。寝てしまっていたのか……」

「すごく気持ち良さそうだった。疲れがたまっていたんじゃない? 仕事が忙しいんでしょ?」

「いや、仕事は、そこまで」


 僕は微笑みながらゆっくりと起き上がる。爽子さんは心配そうにしていた。


「大丈夫だよ、爽子さん」

「うん」


 爽子さんはそれでも心配そうにしていたけれど、僕が頭を撫でるとむくれて部屋へと戻って行ってしまった。


 僕は申し訳なく思う。

 僕の隠し事はすべて彼女に筒抜けなのだ。

 けれど、それでも僕は知られてはならないと爽子さんに嘘をく。


 たとえそれが、双方に利益の無いものだとしても。

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