第3話

 秋の爽やかな風が意識を運んでくることからこの名前が付けられた爽籟病そうらいびょうは、4年が経った現在でも治療法がなかった。

 彼女の症例は日本どころか、世界でも類を見なかった。どんな功績を残した世界中の医師たちでされ、彼女の治療は諦めた。


 ――ただ一人、僕を除いて。


 “カシャッ”ともう一枚、爽子さんを撮る。

 爽子さんは「もう」となかあきれた表情をしながら朝食を食べ続けている。ふくれた彼女も可愛らしく、何枚撮ってもいいものだと思える写真が増えていく。


 それが僕は嬉しいのだ。

 これが彼女が生きている証となるのだから。


 朝食を終え、彼女はリビングにあるソファに寝転がり携帯をいじり始める。僕は食べ終わった食器を洗っていた。


「――鹿目かなめ先生。今日の午後から雨が降るらしいよ。洗濯物は室内干しにしよう?」


 不意に彼女の声が聞こえてきた。視線をやれば、じぃ、と僕を一点に見つめる爽子さんがいた。

 確かに彼女の言う通り、窓の外を確認すればグレー色に染まった厚い雲が向こう側に広まっていた。


「そうだね。じゃあ、手伝ってくれる?」

「うん!」


 爽子さんが笑顔で僕に答えた。その笑顔を収めたいと思ったけれど、残念ながら今は洗い物をしていて手が濡れていた。

 くそぅ、これではカメラが持てないではないか。

 僕は彼女のその笑顔を撮影することは諦めた。

 次なるベストショットを狙うべく、僕は洗い物を急いで終わらせた。


 洗濯機から、洗い立ての洗濯物を取り出してかごの中に入れる。

 すべて出し終えると嬉々としてそのかごを爽子さんが持ち、洗濯物を干すための広い部屋へ向かう。

 生憎あいにくと、この診療所は広く空いている部屋が多い。住んでいるのは僕と爽子さんのみ。診療所に診察に来る人間なんていないから、空き部屋が多いのだ。

 日の当たる窓の大きな部屋に入り、濡れた衣類をハンガーに掛け、身長ほどの高さがある物干し竿に掛けていく。


「♩~」


 鼻歌なんて滅多にしないのに。珍しくて僕は思わず彼女を撮った。

 シャッター音に気付いて、爽子さんは僕を見る。


「どうしてそんなに嬉しそうなんだい?」

「だって、久し振りに体を動かすんだもん。楽しいの」

「なるほどね」


 そうだった。


 こんなにも普通に動いていたり喋っていたりしている爽子さんは、昨日までの期間を昏睡していたのだ。

 一年の内、たった2か月間しか世界を見たり話したり動いたりできない彼女にとって、すべての行動が奇跡なのだ。

 さも当たり前のように動いているから忘れていたが、彼女はそういう奇病におかされているのだと、再度思い知らされる。

 僕はなんて酷い大人なのだろう、と、この時反省した。

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