第3話 1層〈ストレチア〉

 喧噪が聞こえる。目を開くと、エナは感嘆の声を漏らした。

 レンガ造りの建物が建ち並び、噴水のある広場を中心に石畳の道が四方に伸びている。中世ヨーロッパのような街並みを、剣や杖などを手にしたプレイヤーが多く行き交う。

 現実とはかけ離れた世界を楽しく歩く人々にエナは瞳を輝かせた。


「来たんだ……ゲームの世界に!」


 ゲーム初心者でも自然と気分が高揚した。手を高々と掲げたくなるのを堪え、アバターの見た目を確認するために通路の一つに駆け込む。一面ガラス張りのショーウィンドウを見つけ急ブレーキを掛けた。


「おぉっ……!」


 ガラスに映っていたのは可憐な少女だった。燃えるように紅いショートヘアはところどころ癖っ毛が目立つが、動くのに支障は無い。瞳は紫晶石の鮮やかな紫。すらりと伸びる手足には程よく筋肉が付いており、腰には一振りの剣が提がっていた。高くもなく低くもない身長も現実の体と遜色ない。しかし、一点──胸元に手を当てると沈んだ表情を浮かべた。


「…………無い」


 現実よりも胸が薄かった。アバター作成の時にこれ以上良いのは出てこないと思って決定したので今さら文句は言えない。虚しい気持ちにはなったが、戦う時に邪魔にならないと前向きに捉えることにした。

 気を取り直してフィールドへ向かおうと踵を返す。噴水広場まで戻ってきたところでエナは足を止めた。


「…………どこに行けばいいんだろ」


 誰かに聞こうと決めた矢先、傍を通った四人組の一人がぶつかってきた。よろけた体を立て直し、一言も無しに立ち去ろうとする背中に向け声を張り上げた。


「ちょっと! ぶつかったんだから、謝ったらどうなんですか!」

「……あぁ?」


 肩越しにギロリと睨まれる。その装備から振り返ったプレイヤーが高レベルであることが窺えた。


「何か文句でもあんのか?」

「あります! 明らかにそっちからぶつかってきたのに、謝らないのはおかしいって言ってるんです!」

「うるせぇ、初心者のくせに俺らに楯突いてんじゃねぇよ! 突っ立ってたテメェが悪ぃんだろぉが!!」


 一触即発。額がぶつかりそうなほど顔を寄せていがみ合う二人を、周りは誰も止めようとはしない。ひそひそと話している者はちらほらいるが、多くが「もっとやれ!」とはやし立てていた。

 自身の主張を曲げようとしない両者はヒートアップしていき、


「いい度胸じゃねぇか。決闘デュエルでぶっ殺してやる!!」


 男がウィンドウを呼び出して操作する。エナの眼前に決闘を受けるか確認するため青いパネルが現れた。頭に血が上っていた少女は、決闘デュエルのルールも分からないまま迷うことなく“Yes”へと腕を伸ばす。


「──そこまで」


 画面に触れようとしていた腕が横から伸びた別の腕に掴まれる。驚いて目を向けると、水色の房がいくつも混ざった黒髪の小柄な少女が立っていた。前髪で右目を隠し、気だるげな目でエナを見つめている。エナよりも小柄なのに掴まれた腕は微動だにしない。


「離して! 私はこいつと戦わなきゃいけないの!」

「……必要ない」


 無気力に答えた少女の右手が動き、決闘の申し込みを拒絶した。画面が消え、ようやく腕が解放される。黒髪の少女は男の方を向くと、


「初めての子に対して先輩がやることじゃない。古参として恥ずかしい」

「黙れ! これは俺とそいつの問題だ! 邪魔すんならテメェから潰すぞ!!」

「あなたが私に勝てるわけないじゃん」

「ふざ、けんなぁっ!!」


 ブチ切れた男が牙を剥いた。背中の斧を手に取り、大きく振りかぶった。凶刃が少女の頭上に落ちる。だというのに、彼女は斧を睨んだままで回避しようとしない。

 斬られると誰もが思ったその時、ゴォンッという音が響く。どこから現れたのか、少女と斧の間に大盾が割り込んでいた。

 一撃では飽き足らず、何度も何度も振るわれるがその凶刃は少女には届かない。男の動作に引けを取らない速さで盾を操り、攻撃のことごとくを弾いていく。その間、表情は一切変わっていなかった。


「……もういい」


 乱打を捌いていた少女が動いた。叩きつけられた斧の切っ先を、盾を斜めにすることで脇へと逸らす。ほんの一瞬、男が体勢を崩した。隙を突き、がら空きとなった胴を盾の底で殴りつける。鎧に包まれた体躯が数メートルほど後退した。


「こんの、クソガキが……!」


 怒りが収まらない男が血走った目を向ける。瞳の中に一瞬だが死の気配を感じ、エナの喉がひっと鳴った。

 涼しい顔で男を睨みながら、エナを庇うように立つ盾の少女が言葉を発する。


「プロテクトのおかげでダメージは無いはずだよ。それとも──まだ、やる?」


 語気も表情も終始変わっていない。静かに盾を構えるその目には怒りが灯っていた。

 互いに睨み合っていたが、舌打ちをした男が先に武器を収めた。


「……覚えてろ」


 去り際、不穏な言葉を吐くと彼らは人混みの奥へと姿を消した。決闘が始まるかと期待を膨らませていた大衆も残念がりながら散っていった。

 息を吐いた少女の手から盾が消失する。そのまま地面に座り込んだままのエナに手を差し伸べた。


「大丈夫?」

「は、はいっ。ありがとうございます。ところで……あなたは?」

「私は……私は、護る者。名前は、ちょっと言いたくない」

「はぁ……。分かりました、これ以上あなたのことは何も聞きません。その代わりなんですけど」


 自らを“護る者”と称した少女の手を取り立ち上がる。


「私、このゲーム初めてなんですけど、最初ってどこに行けばいいんですか?」

「……それなら、あっちにある森に行くといい」


 そう言って指を差したのは、エナが姿見として利用したショーウィンドウのある通りだった。遠くに微かだが緑地帯が見える。


「ありがとうございます! 早速行ってみます!」

「うん、気を付けて」


 盾の少女に頭を下げ、駆け足で森へと向かった。街の端から先は野原が広がっており、小路がずっと続いていた。時折吹く風が心地良く、足取りも自然と軽いものになる。運良くモンスターとは遭遇しなかったが、遠くでは複数のプレイヤーが武器を手に戦っているのが見えた。

 時間も掛からず森の入り口に到着する。野原と同様に道が整備され、木のトンネルが形成されていた。ファンタジーっぽいなぁ、と感じながら奥へと歩を進める。

 道中、スライムやウルフなどと何度か戦闘になった。余裕の表情を浮かべていたエナだったが、攻撃がなかなか当たらず思いのほか苦戦を強いられた。ダメージはいくらか負ったものの、おかげでレベルも上がった。

 スライムやウルフ程度なら2、3回の攻撃で倒せるようになり意気揚々と森の奥へと進んでいく。その途中で森の一角が輝いてるのを発見した。道から外れてはいたが、興味本位で茂みをかき分けて近付く。


「なんだろ、これ?」


 木の根元に魔法陣が描かれ、そこから光の柱が伸びていた。大きさは3メートルくらい。

 非常に気になるが、不用意に触れて他のプレイヤーから怒られるのは嫌だ。

 少し距離を取って観察していた時だった。


「──【スタンショット】!」


 背後からエナの体を黄色の光が貫いた。ダメージを受けうつ伏せに倒れる。


「な、にが……?」


 立ち上がろうとするが、体が思うように動かない。状況が分からず目を白黒させていると近くの茂みが揺れた。

 現れたのはモンスターではなかった。


「よぉ。さっき振りだな、クソガキ」


 斧を背中に担いだ男性プレイヤーとその仲間たちがエナの周囲を取り囲む。


「な、なぁ。やっぱりMPKなんてやめねぇか? バレたら団長に怒られるだけじゃ済まねぇよ」

「うるせぇ! テメェらは俺の言うこと聞いてりゃ良いんだよ! ──さて、テメェには恥かかされたからな。少しばかり痛い目に遭ってもらうぜ」


 男はエナの腕を掴むと、魔法陣の上に投げ捨てた。指一本動かせず睨むだけの少女に悪魔のような笑みを見せつけ、


「じゃあな。転移!」


 白い光が森の一角に溢れた。あまりの眩しさに目を瞑る。

 光の奔流が収まると、少女の姿は森から忽然と消え去っていた。

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