キャラクターの信用創造とは何か?
コロナの対策とは何を意味するのか?端的にいって政府と内閣の信任を受けないで決済や融資を行える金融組織を設立することである。どうしてワクチン接種や医療機関への補助、医師たちのインフラ整備を充実させるという目的ではないのか。それは政府がそれらを金融操作の財政基盤を民間委員会という名目の国際組織に移転させる「五輪の補助金」として拠出したからである。世界の総資産が増加したからといって貨幣の価値が資産として交換されたわけではない。資産が知的に利用されることで生産性を病気などの阻害要因から効率的に開放したわけではない。なので病院設備に不足があるのではなく病棟に対する労働とその委託機関への人員の必要性に関わるストック及び時間的な消耗が問題なのである。本来医療援助を機能させるための衛生管理が占領的なメンタリティと複合して国債信用の兵器購入を担っているがゆえに、軍産複合体のイデオロギー的な水準から言っても「スポーツ選手のための」体調維持及び消費による地域代表の応援という観光的な論理は手つかずでそのまま残っている。そして政府はストックの代替性を管理する基盤としてのデジタル決済と融資流通の民間機関の期待を阻止する方法としてマイナンバーカードの戸籍登録制度を認可させ、そのメディア的な影響力を国民的賞与の努力として貨幣の信用を結集しようとしたからである。現在でもこの中抜きと中途半端なポイント制による統計的な調査項目の信用欠損の影響は残っている。それゆえ技術的な意味ではなく政治的な意味でネットワーク技術の金融インフラを単に携帯電話会社の競争項目にすることはできない。そうなるとクレジットカードの決済が問題になるが、まさにそれを日銀と電産企業がバランスシートの意義を破壊したから問題の解答にはならない。さてここまでは前提である。ワクチンの接種権がアメリカの金融操作の素材として利用されているにもかかわらず試薬としての信用をマイナンバーカードの番号で管理しているのは事実であり、この線をむやみに動かすことはできない。五輪の招致が国体イデオロギーの人権団体に利用されたことでウイルスの感染をアメリカ軍の治外法権から防衛する手段はすでに失われたとみなければならない。これはウクライナ難民の受け入れにも共通する政治権力である。日本の海外難民の受け入れとウイルスの調査の米軍的例外の二重性は技術移民勢の労働条件に「客観的に」表現されている。それゆえ金融組織を設立すると言ってもそれは「金融」組織ではないし、内閣の信任を受けないというのは「信認」の形式を守らないという意味ではない。必要なのは貨幣の利用方法を労働賃金のコスト引き上げにするような消費税減税の名目ではなく知的労働の名目評価を「金融」政策から独立させるような創造条件の探索であり、社会保障信用のサービスのストックを国債の発行基体から分離することなのである。私はこの定義を満たす貨幣信用の創造媒体をとりあえずキャラクターのカードと呼ぶことを提案する。それは製品としてのTCGと重なることはあるが、概念としては実際のフローとサービスのストックを通貨全体の決済記入から切り離せる労働条件の知的評価に対する姿勢が個々の環境的時間の循環軸と同じという意味で、である。構築的なエクリチュールの紡積を歴史の暦に改作する「天皇陛下」に神々の母親として子供を預けるという天地創造をスフィンクスの謎かけで象徴的に子供が性に殺されるという動物性の剥奪としてホログラフィーの門を構築的な召喚に壊変していくことの相姦性。
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