金融資産と金融取引のシェア算2

 金融資産のトレーディングは金融取引とどう異なっているのか。これは貯蓄を資本提供として贈与するか資産比率の運用権として適用される主体を利得発生の機会として生成するかの違いである。これは株式などの形式と同じではないのか。どうして株式としてそのような利得の発生機会を生み出すことが金融取引ではなくなったのか。それは有形資産と無形資産の利得の分配が株式の運用権という名目だけでは資産比率を反映しなくなったからにほかならない。単純な株式の運用権を主体化するとなれば流動性の含み損のリスクだけを発生の機会に対する「利得」の形式として受け取るだけになってしまうのだ。これが銀行の預金の低金利の基本前提だと言える。もし純粋な資産価値を有形資産として査定することができるというだけなら、金利はとっくに上がっていてもおかしくないのだ。しかしそれは利得の発生機会に対する含み損を考慮に入れると技術的な反映を貧困に移転するための仕組みに成り下がってしまう。デザインに対するブランド創造のストックとデザインの資産運用に対するブランド保持のストックとではその意味合いが全く異なるのだ。ブランド保持のポジションを維持するための金利は確率的に相場として一定であっても、デザインの需要に対する創造のための金利は常にインフレ状態で金利のポジションが下がる様な位置づけには決してならない。もし貸付と借入がこの関係に類比するとすれば創業者が誕生した時と死んだときの関係でしかありえない。しかしそれは明らかに「有形資産」としては反映させてはならないストックである。なぜならそれはブランドの資産比率の構成とはその過剰分を吸収するために労働者に対する搾取を死ぬまで行うと言っているに等しいからだ。



 デザインの創造とデザインブランドの価値を保持することの関係を表現するのにTCGは格好の素材なので、それを使って無形資産の金融取引の形態を説明しよう。まず無形資産とは文字通り「無形」であるから何らかのパッケージ形態として売買される必要がある。デザインのストックはここでは金融商品のパッケージとはまったく別の意味で配置されており、個々のデザイナーの需要によってそのブランドをパッケージに組み込む構築が模索される。ここではそれぞれのブランドがどのようにパッケージに組み込まれるかはデザインの質や素材によってしか判断されない。とはいえブランドが成立するためにはある基本的な創造性の視線で統一感が出ていることが好ましい。この統一感の規模がデザインの創業者が個人としては死んでいるかどうかに関わりのない信用の確保にきわめて大きな役割を演じる。カードとは無形資産としてのブランドに有形資産としての価値の流動性を生み出すものであると考えるのが理に適っている。この流動性は資産価値としての流動性ではなく好みの移り変わりの変動であり、あらかじめ金利の差額としての取引の可能性を技術的な選択のシェアに移転させておくことでプールの共有が生じる。このプールは情報の非対称を生み出さないように配慮された共有性であり、あらかじめテキストの処理やデザインの納品などを確認するための保証の役割も兼ねている。デザインの創造とブランドの保持の区別はデザイナーの需要と消費者の好みの反映に関する許容度が情報の非対称性を生み出さない限度で仮想的な対戦として共有され、それが機会発生と機会損失の利便性を判断する際の材料となる。



 TCGが金融取引の比喩として有用なのはそのマイナス面についても同様である。それは端的に個別的なカードのブランド保持と新しいカードを有用な意味で販売しなければならないというアクションバイアスに関わっている。もしカードが無形資産としてその資産比率を構築できるだけのパッケージ商品として流通しているだけならサプライとは既存のカードプールに時世に適応するような調整を加えるだけとなる。しかしカードが有形資産としてプレミアムで販売されるとカードは金融のパッケージ商品と同じような時価分割で売りに出されることになる。これはカードプールが広ければ広いほどレバレッジがかかりやすくなり、その流通の規模が狭いほど価格の基準が盛り上げられる。対戦環境は機会の生成に関わるのではなくゲームのプレイングの巧拙という水準から環境の調整が行われることになる。よくカードゲームで無限ループが発生することを規制する裁定が出されるが、それは対戦環境に機会発生の有無を応答させるためであり、それがなくなると純粋なマネーロンダリングの形態と変わらなくなってしまうからである。それは確かに目につきやすいのだが環境の固定化という名目で勝率の流動性を平均化するという裁定も実は同じくらい対戦環境という機会を縮減させる。なぜなら供給されるカードの構築から勝敗の優劣を決める水準が無形資産のブランド形成に存在しないのなら、勝っても負けても運しだいのディールだということになるからだ。デザイナーズコンボというものが嫌悪されるのは、それが運営にデザインされた発想だからではなく、ブランド形成に無関係なゲームの勝敗にのみ関連付けられた枠組みだからだ。



 カードが無形資産を有形資産に結びつける役割を持っているというとき、これを技術的に反映させるデジタル化とはなんであるのか。NFTだ、と言いたいところだが、私の考えはそれとは微妙に違う。もちろんNFTをうまく活用することが無形資産に対する有用な機会としての需要を紐づけることができる手段のひとつであるということは間違いない。しかしNFTを誰がどう使ってもそれを資産比率として信用される記入の確定であるということになるためにはその人間の存在に対する一定のブランドマーケティングが要求されている。これはデザインに対する能力の非対称性ではなく宣伝可能な分野に関する環境形成の一方性が問題なのである。カードゲームは共有プールの効果処理の裁定の同一性という形でトークンの価値を個人の好みに反映させるが、実際の無形資産が必ずしも個人の好みとしてトークンを生成していると仮定する根拠はない。もしトークンがデジタル化された形態であれ必ず再生可能なデザインイメージの売買として定義されるとしたら、やはりそれを有形資産のトレーディングとして差額の比率に金利を設定することができてしまうのである。だからこそ「キャラクター」を資産比率のブランド構築と同じ創造の存在にする必要があるのだ。キャラクターを非代替トークンとして活用する際にそれがトレーディングの差額として有効なら性的な処理の交換性と同じになってしまうということに対する抵抗として性的な表現のパッケージを構築しなければならなくなるからだ。

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