よるのほんやさん

月白イト

プロローグ①





四月のまだ肌寒い深夜に黙々と段ボールの山を開けて、本をヴィンテージの机へと置いていく。自分で決めた開店日は3日後にもかかわらず、一向に作業が終わらないのはなぜだろう。本の山に囲まれた中で一人溜息をつく。それもこれもここ1週間で起きた不思議な出来事のせいだ。



平山泰一、32歳。都内の某書店で10数年間勤務していた。その書店での勤めはそれなりに充実していた。長く勤めて担当の棚をいくつも持ち、その棚に合わせたプロデュースをしていくことに苦労はあったが満足感もあった。しかし泰一は“自分の店を持つ”という夢があった。惜しまれつつも退職したのは半年前だ。

物件を探し続けている内にここに店を作りたいと思い、駅前にあるマンション下の物件を購入したのは四ヶ月前。その場所は泰一が幼い頃に通っていた町の本屋さんと同じ立地だったので懐かしくなったからだ。


当時はその本屋さんの上のマンションに住んでいて、頻繁に店を出入りしていた。幼い子供が店内でほぼ毎日ウロウロしている姿を初老の店主は温かい目で見守ってくれていた。

初めて貰ったお小遣いはその本屋で本を買うのに使おうと思ったものの、何にしたらいいのかわからず、店主に勇気を出して相談したことを覚えている。彼は店の客と話をすることはあまりなかったし、常連客との雑談も比較的短いので怖かった。でも店主は初めて本を買う泰一にとても親切に一冊一冊本を紹介してくれた。

泰一がその店で初めて買ったのは岩波少年文庫版のミヒャエル・エンデの『モモ』。店主が「これは少し君には早いかも知れないが・・・」と言いつつ紹介してくれた本だ。話を聞いているうちに夢中で続きを聞く泰一に笑みを浮かべながら内容を教えてくれた。

初めてのお小遣いで買った本を母親に見せると「まあ」と言いつつ笑顔で頭を撫でてくれた。


それからというものの店に泰一が行くと、店主は手でこちらへ来るよう招き、カウンターの中で色々な話をしてくれた。泰一専用の椅子を用意してくれて、そこで買った本や店主の話を聞くのが大好きだった。そんな店主の姿が珍しいのか常連客は初め不思議そうな顔をしていたが、次第にその状況に慣れ、泰一と店主が話している話題に入ってくるようになった。その姿を見ていた他の客が店主に好感を持ち、次々と客が来店して繁盛する店となった。



今思えば店主が仕入れる本のセレクトはとても素敵だったし、自然と色んな本に手を出したくなるような工夫が所々にされていた。買う予定がなかったと言っていた客は見事に五冊程その手に本を携えてレジに並んでいることもしばしばあった。



「泰一」

「なに?」



物語が終盤に差しかかり面白いところまできて店主に呼ばれた。本から顔を上げずにいると、手が伸びてきて没収されてしまった。普段の店主なら絶対にこんなことしない。



「どうしたの・・・?」



いつもと違う雰囲気の店主が、店の奥から青い包装紙に包まれたものを泰一に渡した。ずっしりとした重さがある。



「これは?」

「開けてみなさい」



店主に言われるがまま開けると、そこには『モモ』と『はてしない物語』のハードカバーがあった。



「え!これって!」



普段から欲しいとは言っていたものの、値段が高くて買えなかった本だ。満面の笑みを浮かべる店主は、泰一の頭を撫でる。



「僕は泰一がここにいてくれて本当に嬉しいんだよ。そのお礼さ」


そういうと読んでいた本を返してくれた。その時、泰一は読んでいた本よりプレゼントされた本に夢中で、店主のメッセージに気づくことが出来なかった。



泰一の大好きだった店は店主の突然の逝去により無くなってしまった。彼は身寄りもなく天涯孤独の身で葬儀は質素に行われ、店を引き継ぐ者もいなかった。その時、子供ながらに悔しいと思った。もし自分が子供じゃなくて大人だったら。そうしたらこの店をずっと続けていくことができたかもしれないのに。


しばらくの間泣き続けて両親を心配させた。店主から貰った本をぎゅっと握りしめていると、あの日店主が没収した本のページから何かはみ出ている。それを抜くと、白い栞に『泰一が面白いと思う本に出会えますように』と書かれていた。それはいつも見慣れた店主の癖のある字。その時に泰一の将来の夢は“本屋の店主”に決まった。店主のような書店員になりたい。訪れた人が面白いと思う本に出会える本屋さんを作りたい。そこからはひたむきに本と向き合い続けた。









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