第21話 どんぐりのカラメリゼ
「まぁ、アダリヤの分は取ってあるんだけどね」
セリムはもうひとつの鍋に取っておいたオークシロップをノエルに見せた。
「取ってあるのかよ!」
「甘いものが好きっていうから、カラメリゼを作ってやろうかなって思って」
カラメリゼとは砂糖に水を加えたものを煮詰め焦がしたりして、独特の苦みと香りのあるお菓子である。
「お前、カラメリゼ作れんの?」
「シェフと一緒に作ったことあるし、食べたこともある。大丈夫だよ」
何度か別邸のシェフと作って、焦がし具合も『理解』している。
カラメリゼは、焦がし具合が命なのだ。
「もう、お前、マジでシェフになればいいのにな」
ノエルは呆れたように笑っていた。
「もう俺、何か疲れた。昼寝するわ」
コーヒーを飲み終えたノエルは、洞穴でかたまってゴロゴロしている、子うさぎの中に入っていった。
再び、ひとりになったセリムは、残ったコーヒーをカップにうつすと、鍋を軽く水で洗い、オークシロップを火にかけた。
別邸のシェフが、祖父に作っていたのは、砂糖を水に溶かして作るカラメリゼだったけれども、シロップも糖分が水分に溶けたものだから、問題はないはずだ。
***
「セリム。いるんだろう」
静かに見ていたのになぜ気づいたのだろう。
セリムは木の陰から、ひょこっと顔を出した。
別邸に来てから3年、セリムは元の素直な少年に戻っていた。
祖父の威厳というのか計らいというのか、父の息のかかったものが現れることはなく、別邸の使用人も優しい。
そんな中で、セリムは穏やかに暮らしていた。
そんなセリムが、緊張した様子で、祖父を見ていたのだ。
「ぼ、僕、知ってるんです!」
「どうした?」
「お祖父様が僕に隠れて、お菓子を食べていることです!」
祖父シリルは、従者も連れず、ふらっと山に出かけることがある。
この国の要人である祖父が、ふらふらとひとりであちこち歩くのは、本来良くないのだが、ワイルドベアーも、フォレウルフも剣一本で倒してしまうのだから、誰も止めることはできなかった。
今日、セリムは別邸の裏手にある山に登っていく祖父をみかけた。
もしや、また隠れてお菓子を食べているのかもしれない、と後を着いてきたのだ。
セリムは先日、祖父が山に出かけるときに、厨房でシェフが甘い豆菓子を作っているのを目撃してしまった。
いつも甘いお菓子は食べる個数を決められているセリムとしては、祖父が自分に隠れてお菓子を食べているところを押さえて、毎日のお菓子を増やしてもらおうという魂胆だ。
というのは建前で、本音はどんな味のお菓子を食べているのか、祖父の秘密を知りたかったのである。
ちなみに、なぜ貴族子息のセリムが厨房に出入りしているかというと、スキル『分解』の練習に調理がとても役に立つのがわかったからだ。
調理は、たくさん『分離』『抽出』『再結晶』など、セリムが与えられているスキルが利用されている。
祖父の許可も得て、勉強と剣の授業以外の時間は、ほぼ入り浸りだったのである。
孫のかわいい発言に、祖父シリルは目を丸くしていたが、豪快に笑いだした。
「そうか、ばれてはしょうがない。セリム、こっちに来なさい」
切り株に座っている祖父に手招きされて、セリムはスススっと近寄った。
「これが、『お祖父様専用』のお菓子だよ」
それは、アーモンドが琥珀色のツヤツヤの飴にコーティングされたお菓子だった。
いつもは、少しなら味見させてくれる厨房のシェフも『シリル様専用』だからといって一粒もくれなかった。
その貴重な一粒が、セリムの手のひらに載せられている。
おそるおそる口に含むと、鼻に抜ける香りに驚いた。
「うわっ」
その後には、まわりにコーティングされた飴部分の苦いのと甘いのが舌に伝わった。
苦味が来ると思ってなかったセリムは、眉間にしわを寄せた。
アーモンドを噛んで砕いて、口の中が丁度いい甘さになったところで飲み込むと、祖父が、セリムを見て笑っていた。
「セリムには、ちょっと早かったかな」
後に、祖父はラム酒とバターで風味づけしていたことを『理解』した。
「お祖父様、僕もう『お祖父様専用』は欲しいと思わないので、お家で食べてもいいですよ」
「別に隠れて食べていたわけじゃないぞ。私は、これを見に来ていたんだ」
祖父の指差す方向には、コルマール領を含めた、南側の国土が広がっていた。
国土の南側は、軍港がある。
まわりには赤茶けた外壁が並んでいて、そこで勤める人間たちが暮らしている。
手前の山手側には、緑豊かな農作地帯が広がっている。
遠くにはきらめく内海も見えており、侯爵家が所有する島もあるだろう。
「我々が守っているこの国は、こんなに美しいんだよ」
セリムは黙って頷いた。
「この中で生活している民の暮らしを守るのが、私達の役目だ」
コルマール侯爵家は、建国時以来、軍閥のトップとして君臨してきた家系だ。
その当主である剣聖は、国の守護神として活躍してきたのである。
「でも、お祖父様。僕は剣聖になれませんでした」
セリムには、その資格が与えられなかった。
「スキルは所詮、添え物に過ぎん」
祖父は、迷うことなく、そう答えた。
スキルで成り立っている侯爵家当主が、そんなことを言い切ってよいのだろうか。
「しかし、持つものは、そのスキルを最大限に活用せねばならん。持つものの責任だ」
「はい」
祖父シリルは、セリムの肩に手を置くと、優しく語りかけた。
「そのためには、勉強を怠ってはならん。スキルを活かすも殺すも自分次第だ」
「はい。僕、頑張ります」
セリムは祖父の期待が嬉しかった。
***
セリムは懐かしい記憶を思い出した。
あの日みた海の上の島に、今、自分がいるのは不思議な気分だった。
ーーお祖父様。僕はあなたの期待に応えられていますか?
セリムは感慨に耽りながらも、ふつふつと泡立ってきたシロップに、まとめてローストしておいたどんぐりを入れて、絡め始めた。
絡め続けると、だんだんとろみが強くなってきたので、火から下ろした。
火から下ろしても、しばらくは加熱が続いているので、ちょっと手前で下ろすのが、おいしく作るコツである。
どんぐりを、もうひとつの鍋に移して、平らにならすと、これを食べる予定の彼女の顔を思い浮かべて、笑みがこぼれた。
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