第17話 井戸水

 拾ってきたどんぐりは、うさぎたちに大歓迎された。


「あら、あたし、これ好きなのよ。三編み、あんたいいとこあるのね」


 ノエルの言っていた『おいしくないどんぐり』は、うさぎの好物だったようだ。

 うさぎの目の前に、ザラザラと『おいしくないどんぐり』を取り出した。


「まぁ!全部くれるの?」

「あ、ああ、もちろん。うさぎちゃんたちのために採ってきたんだ」

「悪いわねぇ」


 うさぎたちは、前足でどんぐりを固定すると、強靭そうな前歯でガリッと殻を噛み砕いた。洞穴にはガリガリという音が響き渡った。


 もし万が一、うさぎたちに噛まれたら骨までやられそうだとふたりは震えた。



***



「リヤ、水を汲みに行くけど、セリたちも行く?」

 聞けば、1日1回は水を汲みに行っているという。


「どこに汲みに行くの?」

「この島、川とかないでしょ」

 川がないのは、島に到着した初日に確認済みである。

 あとは、あの毒素入りの水しか出ない、あの井戸しかない。


「なんと、井戸があるの!」

 わかってはいたが、やはり、あの井戸に水汲みに行くという。


「その井戸……」

 セリムがアダリヤを止めようと声をかけようとすると、ノエルが半歩前に出て遮った。


「へぇー、俺たちも使っていいの?」

「いいよ!」

 ノエルが、よそ行きの笑顔で答えると、アダリヤはニコニコして、胸を張った。


 ノエルはどういうつもりなのだろうか。

 あの井戸からの毒素は、飲むのにも適さないどころか、長期間、触れ続けると皮膚が壊死してしまう危険なものだ。


「おい、ノエル。あの井戸は……」

 知っててアダリヤを危険に晒す必要はない。セリムはノエルに批難めいた視線をやった。


「しっ。この島には、あの井戸以外に水を手に入れる手段はない」

「そうだよ。ますます、アダリヤが危ないじゃないか」


 何を当たり前のことを言っているのか。

 セリムはノエルの発言の意図がわからずイライラとした。


「セリム、落ち着け。あの娘は、それをずっと飲んで生きてきたんだぞ」

「あ……」

 毒素がいつから井戸水に入っていたかはわからない。それでも、アダリヤは、その水を飲んで生きてきたのだ。


 アダリヤは人間ではないかもしれない。 


「あの水は、確かに毒素で汚染されていたよ」

「俺の『鑑定眼』でも確認したんだ、間違いない」


 ノエルの『鑑定眼』は間違いがない。

 毒素の入った水を飲んで平気なのだとしたらーー


 人間ではないという答えに近づいてしまう。


 人間でないものが、侯爵家所有の島に住み着いている。

 もしかしたら、祖父が王家に依頼されて、この島に囲っている魔人なのかもしれない。

 それならば、この島が地図に載っていないのも辻褄が合う。

 そんな島が他の人間に見つかっては、侯爵家の名に関わってしまう。

 

 ーーもし、アダリヤが、そんな危険なものだったら。


 セリムが黙り込んでしまい、顔が強張っていくのを見たノエルは、慌てて明るい声で話しかけた。


「それに、いざというときは、お前のスキルで毒素を『抽出』すればいいだろ」

「……そうか……それもそうだよな」

 セリムは顔を上げた。



「セリ!三編み!どうしたの?置いていくよ!」

 どこから出してきたのか、金属製のバケツを2つ下げているアダリヤが、ふたりを呼んだ。

 足元には、さっきまでどんぐりをバリバリかじっていたはずのうさぎもいる。


 アダリヤのことは、今、考えても仕方のないことだ。

 ふたりは、いつもの鍋を抱えて、走り寄ったのだった。


 

「じゃーん、ここが井戸だよ」

 アダリヤは、バケツを持ったまま、井戸を手のひらで指し示した。


 やはり、最初にふたりが過ごした洞穴近くの、あの毒素の井戸であった。


 もしかして、もうひとつ、自分たちが知らない、毒素のない井戸があるのかもしれない、という希望は絶たれた。


 石造りのこの井戸は、蔓が巻き付いて、もう長い間、手入れされた形跡はなく、桶を井戸の中に下げて水を汲む古い方式のものだった。


 アダリヤが水を汲もうと井戸に近寄ると、ノエルが声をかけた。


「ここは、俺がやるよ。リヤちゃん」

「いいの?三編み。重たいよ」

「まかせなさいな」

 ノエルはわざとふざけたように、力こぶを作ってみせた。


 ノエルが汲んだ水をすぐに『鑑定』する、というのが、ふたりで決めた流れだった。

 セリムも水の中に毒があるかどうかはわかるのだが、直接触れないとわからないので、リスクが高い。


 だから、ノエルが水を汲む役割をしている。


 それは、分かっている。


 だが、アダリヤが、ノエルに向けている尊敬に似た視線を、羨ましいと思う自分がいる。

 セリムは、水を汲む役割を代わりたかった。アダリヤに頼りになると思われたかった。

 そして、こんなときなのに、こんな気持ちになる自分が、酷く不真面目に思えて、どうしたらいいか、わからないでいた。


 ノエルが桶を井戸の中に放り投げた。

 ボチャンという音が聞こえ、ノエルが滑車にかかった綱を引っ張っていく。


 井戸の縁から見えた桶には、なみなみと入った水が見えた。

 ノエルは、桶を凝視して『鑑定』を発動させている。


 『鑑定』が終わったであろうノエルは、セリムをちらと見て、頭を小さく左右に振った。

 

 桶の中の水は、毒素入りのままだった。


 やはり、アダリヤは、人ではない、……捕らえられた魔人なのか。


 そんな絶望に似た感情を、アダリヤの能天気そうな声が打ち破った。


「あ、三編み。その水はリヤのおまじないで、よりおいしくなるよ」

「「は?」」

 突然、この雰囲気にそぐわない『おまじない』という言葉に、ふたりとも間抜けな声が出た。


 そんなふたりの変化に、アダリヤは気にせず、ニコニコしている。


「見ててね。よーい、ハイ!」

 アダリヤが声を出し、バケツの中に手をかざすと、彼女の瞳は一瞬、虹のように色を変えた。


 赤に戻っても、その瞳に釘付けになっていたセリムの視界に、バケツの中から湧き出した光がさして、スッと消えていった。


 ノエルの手にある桶には、最初と変わったところはない、水が入っている。


「おい、ノエル」

「消えた」

 水は桶にきちんと入っている。少しの量も減っていない。


「は?お前、何言って……」

「毒素が……消えた」


 ニコニコしているアダリヤの足元にいたうさぎが、じっとセリムを見つめていた。



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