第9話『クリスマスソング』

「南雲君の事を調べて欲しいんだけど」

 その日、私達諜報部に新しい調査依頼が入った。依頼者は2年A組、一ツ橋優子さん。調査対象も同じく2年A組の南雲奏刻さん。ついでに言うと、私達諜報部の部長である岡と、部員の深山も同じ2年A組だ。

「オーケー。その依頼、引き受けましょう」

 部長の岡は、いつも通りに軽いノリで引き受ける。まぁ、岡と同じクラスの人なんだし、多少は気軽に引き受けられるのかもしれないな。

「とりあえず、南雲君に彼女とか好きな子とかがいるのかも重要だけど、どんな女の子が好みなのか、出来るだけ詳しく調べてね」

 一ツ橋さんはそう、少し照れくさそうな顔をして注文し、度が強そうなメガネの奥で、優しそうな目を細めている。黒いロングヘアーは後ろで一本に束ねてあって、こう言うと何だけど、ルックスは少し野暮ったい感じの人かなぁ。南雲さんの好みを調べたら、イメチェンでもするつもりなんだろうか?

「南雲だったら同じクラスだし、調査もそんなに難しくないだろうな。まぁ、俺達に任せてよ」

 深山はそう言って、軽く背伸びをした。最近調査依頼が入っていなかったので、少し退屈していたんだろう。

「今回のターゲットは俺達と同じクラスの男子だし、調査は俺と楓がメインで進めるよ。城ヶ崎さんには一ツ橋さんとの連絡係をお願いしようかな」

 岡はそう言って、一ツ橋さんに私を紹介する。まぁ、連絡係程度なら、私も少しは気楽に出来るかな~。一ツ橋さんも優しそうな人だし。

「うん。じゃぁ、よろしくね」

 そう言って、一ツ橋さんは視聴覚室を出て行った。


 今回のターゲット、南雲奏刻、十七歳。東郷学園2年A組所属。出身は広島で、2年生になった時に東郷学園に転入。将来はミュージシャンを目指しているんだとかで、実家を出て一人暮らしをしているらしい。

 趣味と特技はギター。自分で作詞作曲もするらしい。学園内の音楽好きと一緒にバンドを組んでいるんだとかで、絵に描いた様な夢見る少年だな。

 はたして、一ツ橋さんの思いは南雲さんに通じるんだろうか…?



 さすがに同じクラスだけあって、調査はかなりスムーズに進んだようだ。次の日の放課後には、岡と深山が南雲さんの色々な情報を持ってきた。

 ただ、その情報を聞くにつれ、私は何とも言えない、どうしたものか?といった心境になってしまった。

「う~~~ん、これってどうなんでしょう?南雲さんの好きなタイプって、一ツ橋さんとは全然違うタイプですよねぇ?」

 二人から聞いた南雲さんの好みのタイプ。ロングヘアーよりもショートカットの子。メガネっ娘よりも裸眼の子。性格は明るくてノリが良くて、音楽の趣味が合う人。南雲さんは、そういう女の子が好きなタイプらしい。

 幸い、今の所彼女や好きな子はいないらしいけど、この調査結果はなぁ…。

「確かに、南雲が好きなタイプとして挙げたのは、一ツ橋さんとは全然違うタイプだけど、調査結果は正しく伝えないとね。とにかく城ヶ崎さん、伝達ヨロシク」

 岡はそう言って私を促す。仕方が無い、一ツ橋さんに報告しに行かなくちゃなぁ~。一ツ橋さん、気を悪くしたりしない…よね?気が重いなぁ…。



 二日後、朝登校する時に、不意に後ろから声を掛けられた。

「城ヶ崎さん、おはよう!」

 後ろを振り向いて、声を掛けてきた人の顔を見る。…アレ?この人誰だっけ?

「えっと…、おはようございます」

 うちの学校、登下校時は名札を外す事になっているから、誰なんだか名前が分からない。何か顔は見た事があるような気がするんだけど、誰だったっけなぁ…?

「どうしたの?ポーッとしちゃって」

 その人は優しそうな目を細めて笑っている…。あ!!ひょっとして、一ツ橋さん!?

「どうかな?髪型、変じゃない?」

 変も何も、あんなに長く伸ばしていた黒髪を、バッサリ切って、茶髪のショートカットにしている!!しかも、メガネもかけていないし!!

「イヤ、全然変じゃないです!似合ってますけど、随分思い切った事しましたね?あと、コンタクトにしたんですか?」

 そう聞くと、一ツ橋さんは目を細めたまま、

「うん、イメチェンしたの~。南雲君の好みに合わせてね♪」

 そう小声で言って、小悪魔の様な笑みを浮かべた。本当に、ガラッと変わっちゃったなぁ~。この人、本気で南雲さんの事を好きなんだ…。


 その日の放課後、視聴覚室で岡と深山に話を聞くと、やはり一ツ橋さんの突然のイメチェンは、クラスでも結構な話題になっていたそうだ。前の少し野暮ったいルックスから一変して、急にオシャレな感じに変わっちゃったんだから、そりゃ話題にもなるだろう。

「いや~、俺達もビックリしちゃったよ。まさか、あんな直球勝負でくるとはねぇ」

 岡が目を丸くしてそう言った。深山も少し興奮気味に、

「彼女、イメチェン大成功だよな。俺も、思わず口説いちゃおうかなんて…」

 そう言って、何だかニヤけている。一体何を考えているんだか…。

「これで一ツ橋さんの気持ちが、南雲さんに通じれば良いんですけどね~」

 多分、大丈夫なんじゃないんだろうか。ショートカットにした一ツ橋さん、かなり可愛かったし、メガネを外したのもポイント高いと思う。何より、南雲さんの好みのタイプに限りなく近くなっているはずだ。これで上手くいってくれなくちゃ、私達諜報部の立場が無い。

 そんな事を考えていたら、急に視聴覚室のドアが開いた。

「おう、岡、深山~」

 ドアを開けて入ってきたのは、2年A組、南雲奏刻…。

 え!?何で?調査依頼のターゲットだった人が、何でここに?と思っていたら、南雲さんは岡に、

「ちょっと調べてもらいたい事があるんだけどさ…」

 と言った。ひょっとして、それって一ツ橋さんの事を調査して欲しいとか?それだったら両思い成立で万々歳じゃん。そんな展開を期待したんだけど、南雲さんの言葉には意表を突かれてしまった。

「うちの学園に『深森このは』っていう女の子がいるはずなんだけど。1年生でな。ちょっと調べてくれないかな?」

 え?誰それ?調べて欲しいって、一ツ橋さんの事じゃないの?唐突に全然知らない人の名前を出されてしまい、混乱してしまった。

「深森このは…?楓、お前知ってるか?」

 岡はそう、深山に尋ねる。どうやら岡の所有するデータベースには、情報が無いようだ。

「イヤ…、知らないなぁ。1年何組?転校生か?」

 女子生徒に対しては異様に顔が広い、深山も知らないようだ。1年生って言ってたけど、何組の生徒なんだろう?てゆーか、南雲さん、その子の事が好きなの?せっかく一ツ橋さん、南雲さんの為にイメチェンしたっていうのに、その事についてはスルーなの?それってあんまりなんじゃないの?

「う~~ん、1年何組なのかは聞いてないんだよ。ただ…、まだ出席していないって言ってたな…」

 南雲さんはそう言って、ちょっと困った顔をした。どうやらこちらはこちらで、何か訳アリな感じがする。

 でもなぁ…。せっかく調べた情報に合わせて一ツ橋さんはイメチェンしたっていうのに、当の南雲さんは完全スルーって訳?何だか釈然としないなぁ…。

「とりあえず、調査依頼という事なら引き受けるよ。その『深森このは』って女子生徒の事について調べれば良いんだな?」

 岡はそう言って、南雲さんに確認する。岡も深山も、一ツ橋さんの事については何とも思ってないんだろうか?

「あぁ、頼むよ。とりあえず東郷学園の1年生だって事は分かっている。後は…、病気なのか怪我なのか分からないけど、車いすに乗っている子だ」


 結局、諜報部としては、南雲さんからの調査依頼を正式に引き受けた。南雲さんが立ち去った後の視聴覚室、私は岡と深山を問い詰める。

「南雲さんの依頼を引き受けちゃって、どうするんですか?一ツ橋さんは南雲さんの事が好きで調査依頼してきて、その情報に合わせてあんな風にイメチェンまでしたっていうのに…」

 そう言ったけど、岡と深山は全く動じない。

「まぁまぁ、城ヶ崎さん、俺達諜報部の本来の活動内容は、調査依頼が入れば情報収集して、それを提供するだけだから。もちろん、先に依頼してきた一ツ橋さんの気持ちは配慮するべきだと思うよ。でも、だからといって、南雲の依頼を断る理由にはならない。南雲が一ツ橋さんを選ぶか、それとも深森さんを選ぶのか、アイツ自身が決める事だから」

 岡はそう言って、私をなだめようとする。続けて深山も、

「まぁ、城ヶ崎さんの気持ちは分かるよ。確かに、一ツ橋さんと南雲がカップルになれば、それで何も問題無い訳だし。でも、南雲の気持ちもある訳だし、そう都合良く物事は進まないのも現実だからねぇ…。今はとりあえず、アイツの言う『深森このは』って子の情報を収集するべきだと思うよ」

 二人の言ってる事も分かるけど、私はまだ納得できんかった。本当に、どうしてこうなんの?って疑問しか浮かばんかった。

 今の時点で分かっている情報を整理すると、一ツ橋さんは南雲さんの事が好きで、好みのタイプに合わせてイメチェンまでした。でも、当の南雲さんは、深森さんの事が好き(?)らしく、私達諜報部に調査依頼をしてきた。そして、その深森さんについては今の所、何も情報が無い。これから一体、どうなっちゃうの?



 名前と東郷学園の1年生だという事以外、何も情報が無い状態だったけど、さすがに諜報部の情報収集力は大したもんだと思った。毎度の事ながら、岡は学園のサーバをハッキングして個人情報を掴んできたし、深山も独自のネットワークから情報収集してきたようだ。もちろん、私も同じ1年生として、女子生徒への聞き込みなんかをしたんだけど。

 深森このは、十五歳。1年A組所属。東郷学園への入学が決まった直後に、不運にも交通事故に遭ってしまい下半身不随に。現在は車いすでの生活を余儀なくされている。

 東郷学園はバリアフリー設備も整っているので、車いすでも通学は可能なんだけど、理由は不明ながら不登校を続けているらしい。

 深森さんと同じ中学出身の子の話だと、元々大人しい性格で友達も少なく、引っ込み思案な所はあったそうだ。交通事故で体が不自由になった事が切っ掛けで、より一層引っ込み思案な性格に拍車がかかってしまったのかもしれない。

 ちょっと気になったのは、そんな深森さんと南雲さんに、一体どんな接点があるんだろう?南雲さんの話からは、多少深森さんとコミュニケーションを取っているらしい事は分かる。何が切っ掛けで二人は知り合ったんだろう?そして、南雲さんは本当に深森さんの事を好きなんだろうか…?



「あの…、ちょっと良い?」

「え?」

 昼休み、私は深森さんの情報収集を続けていたんだけど、全然知らない人に声をかけられた。名札を見ると、2年B組の吾妻さんというらしい。一体何だろう?

「あ、あのね…、私…、優子の…、一ツ橋優子の友達なんだけど…」

 吾妻さんはたどたどしく、言葉を詰まらせながらも説明する。一ツ橋さんの友達って事は…、何だかイヤな予感がする…。

「最近優子…、突然イメチェンしちゃったから、何かあったのかと思ってね…。色々話を聞いてみたら、好きな人の好みのタイプに合わせてイメチェンしたって…。その好きな人の好みのタイプについては、諜報部に調べてもらったって言うから…」

 やっぱり、その事か…。

「その好きな人って…誰なの?優子に聞いても教えてくれないから…」

 吾妻さんはそう言うが、依頼者の友達だからといって、依頼内容を教える訳にはいかんだろう。守秘義務ってもんがあるし。

「あ~~、そうなんですかぁ…。でも、一応諜報部には守秘義務がありますから、誰がどんな依頼をしたかとか、そういう事を他の人には教えられないんですよ~」

 背中に冷や汗をかきながら受け答える。一ツ橋さんの好きな南雲さんは、今まさに別の女の子の調査依頼を出している最中なんだよなぁ…。

「…やっぱり、そう…だよね…。でも、これだけは教えて欲しいの…。優子が好きな人の情報って、ちゃんと調べた正しい情報なんだよね?適当な事を言って誤魔化した訳じゃない…よね?」

 吾妻さんは、私達諜報部の情報を信用出来ないって事?岡も深山もチャランポランした男だけど、情報の信頼度は十分高いものだと思う。ここは信頼してもらいたいもんだ。

「はい。ちゃんと調べた上で依頼者に情報を提供していますから。いい加減な事はしていません」

 新入部員の私がこういう話をするのも何だけど、岡も深山も、そして私も、いい加減な気持ちで、遊び半分でやっている訳じゃ無い。これだけは断言出来る。

 でもなぁ…、一ツ橋さんの依頼に従って南雲さんの情報を集めて提供したものの、その南雲さんが別の女の子の調査依頼を出してきているって状況は…。どう考えても一ツ橋さんの気持ちが通じる可能性は低いよなぁ…。

「そっかぁ…。そうだよね。ゴメンね、変な事聞いて。じゃぁ…」

 そう言って、吾妻さんは立ち去った。吾妻さんは多分、一ツ橋さんの事を心配しているんじゃないんかな?突然あんな風にイメチェンしちゃった訳だし、これで気持ちが通じず失恋とかなったら、他人事ではあっても気の毒過ぎる。

 でも、だからといって、私にはどうする事も出来ないしなぁ…。どうするのが一番良いんだろう?あちらを立てればこちらが立たず、まさにそんな状況だ。一ツ橋さんの気持ちが通じるには南雲さんが深森さんの事を諦めるしかないだろう。でも、南雲さんも深森さんの事を好きだと、ハッキリ決まった訳じゃないしなぁ…。

 そうだ、まだ肝心の深森さんと接触出来てないじゃん。深森さんの気持ちがどうなのか、それが重要なんじゃないの?南雲さんが深森さんをどう思っているのか、そして深森さんは南雲さんをどう思っているのか、それが分からない事には話が進まない。何とかして深森さんに直接会う事は出来んだろうか?

 そう考えて、私は1年の女子生徒を中心に聞き込みを繰り返したけど、やはり深森さんと親しい人はいないようだ。入学が決まってから一度も出席していないって話だから、誰とも友達になれていないんだろうなぁ…。せめて、同じ中学出身の子となら多少は…と思ったけど、誰に聞いても、深森さんとはほとんど喋った事すら無いそうだ。う~~ん、八方塞がりだな…。

 放課後、私は鬱屈した気分のまま視聴覚室に向かった。岡と深山の調査状況はどうなってるんだろう?

 視聴覚室のドアを開けて、まずビックリしたのが、そこに一ツ橋さんがいた事だった。岡と深山を相手に何か話していたみたいだけど、私がドアを開けたもんで、一斉に三人の注目を浴びてしまった。

「あ…、え~っと、一ツ橋さん、どうしたんですか?」

 何かヤバイ展開になるんじゃないんかと冷や汗タラタラだったけど、一ツ橋さんは例のごとく目を細めた笑顔を向けてくれて一安心。

「うん。今、二人に話していたんだけどね、南雲君をクリスマスパーティーに誘えないかな?って思って」

 クリスマスパーティー?一ツ橋さんの家でやるの?イマイチ話が飲み込めなかったんだけど、そんな私に岡が説明してくれた。

「ウチの学園では毎年、十二月二十四日に生徒主導でクリスマスパーティーをやっているんだよ。講堂でステージイベントをやったり、みんなでダンスをやったりもするからね。一ツ橋さんはそのパートナーに南雲を誘えないかって相談に来た訳だ」

 なるほど、そういう事か。…って、そんな話、引き受けちゃって良いの!?南雲さんの調査依頼もある訳だし、どう考えたってマズイでしょ!?

「とりあえず、南雲の予定がどうなっているのか聞いてみるよ。アイツ、バンドやってるから、ステージイベントに駆り出されるかもしれないけどね」

 深山はそう一ツ橋さんに言ってるけど、予定が分かったところで、当の本人の気持ちは?南雲さんは深森さんの事を好きなのかもしれないってのに。この二人は一体、どう収拾つけるつもりなんだろう?もう訳が分からない。


 一ツ橋さんが立ち去った後の視聴覚室、私は改めて二人に問い糾す。

「二人とも、何考えているんですか?今はまだ南雲さんの依頼で深森さんの事を調査中だっていうのに、何でまた一ツ橋さんの依頼を受けるんですか?」

 これからの展開を考えると、頭がグラグラする。何でこんな事になっちゃったんだろ?

「まぁまぁ、とりあえず一ツ橋さんの依頼としては、南雲をクリスマスパーティーに誘う手助けをして欲しいってだけだから。南雲と相思相愛にして欲しいって依頼じゃないから、特に断る理由はないよ。勿論、南雲の依頼は並行して進めるけどね」

 岡は澄ました顔でそんな事を言うけど、何か根本的に間違ってない?このまま進むと話がこじれて、本当にどうしようもなくなってしまう予感しかしないんだけど。

「城ヶ崎さんの言いたい事も分かるよ。一ツ橋さんは南雲と付き合いたいから俺達に情報収集を依頼して、あんな風にイメチェンまでした。そんな彼女の気持ちを考えると、俺達はもうこれ以上、ノータッチで静観するべきなのかもしれない。だけど、南雲は南雲で深森さんの事を気に掛けている。それが恋愛感情なのか、それとは違うものなのかはまだ分からない。ハッキリさせる為にも、南雲からの調査依頼は進めるべきだと思うし、一ツ橋さんが追加で依頼をしてくるなら、それが無理難題でなければ引き受けても良いんじゃないのかな?」

 深山はそう言うけど、私はまだ納得出来ん。でも…、どうするのがベストなんだろう?南雲さんの深森さんに対する気持ちが恋愛感情なら、完璧な三角関係が成立してしまう。これは私の勘だけど、南雲さんはやっぱり、深森さんの事が好きなんじゃないんだろうか?問題は深森さんだよなぁ…。まだ直接会って話せていないから、どんな人なのかイマイチよく分からないし、南雲さんに対して恋愛感情を抱いているとしたら…、そうなったら、一ツ橋さんの失恋が確定してしまう。でも…、だからといって、南雲さんと深森さんの恋路を邪魔するのも違うような気がする。一ツ橋さんの気持ちは応援してあげたいと思うけど、だからといって、何が何でも一ツ橋さんと南雲さんをくっつけようってのも、何か違うよなぁ…。本当に、一体どうしたら良いんだろう…?



 翌日、私は意を決して深森さんと会う事にした。1年A組の人に聞いた話によると、放課後、学級委員の女子がプリントを届けに深森さんの家に行くという事なので、私も同行させてもらう事にしたのだ。今迄全く関わりの無かった人の家に、突然押しかけるのは気が引けたけど、もうグズグズしてはいられない。深森さんが南雲さんをどう思っているのか、ハッキリさせておかなければ、どうしようもないと思ったからだ。

 正直言うと、知らない人の家に行くのは不安で一杯だったけど、私も諜報部の一員として、キッチリ役目を果たさなければならないような、そんな責任感みたいなものを感じていた。

 深森さんの家は、東郷学園から電車で二駅離れた所で、A組の女子学級委員、沢渡さんを先導に移動する。移動しながらも深森さんの事について尋ねてみたけど、やはり沢渡さんも全然親しくはなれていないそうで、プリントを届けに行っても深森さんと直接会う事は無く、いつもお母さんに渡して帰っているそうだ。そんなんなのに、私なんかが突然押しかけて行って大丈夫なんだろうか?不安だけがどんどん膨らんでいく…。


 駅から歩いて二十分程、とうとう深森さんの家に到着した。見た目はごく普通の一戸建てだけど、門扉から玄関へと続く緩やかなスロープは、まだ真新しく見える。コンクリートの見た目から、スロープは家を建てた後で作られた事が分かるので、車いすを使う彼女の為に後付けされたものなんだろう。

 沢渡さんがチャイムを鳴らすと、少し遅れてインターフォンから返事が返ってきた。応対してくれるのは、どうやらいつも通り、深森さんのお母さんらしい。玄関のドアが開き、二人で挨拶を交わすと、深森さんのお母さんは、初めて会う私に少し驚いていたみたいだった。まぁ、面識も無い隣のクラスの子が、何の用で訪ねて来たのか?不審に思われても仕方が無いだろう。ここで事情を全て話せば面倒が無いんだけど、諜報部への依頼内容が外部に漏れるのはマズいので、私は移動中に考えた言い訳でこの場を誤魔化した。

「私、1年B組の城ヶ崎といいます。深森さんの事を聞いて、何か私でも役に立てる事がないかと思って、お節介かもしれませんがお邪魔しました」

 咄嗟の言い訳だけど、無難にまとまったと思う。でも、深森さんのお母さんは残念そうな顔をしてこう言った。

「アラ…、すみません…。でも、あの子今出掛けているんですよ…」

 出掛けている?一人で?意表を突かれたけど、深森さんのお母さんは続けてこう話す。

「あの子、最近いつも、この時間はどこかに出掛けているんですよ。一人で大丈夫なのか心配なんですけど、ついて来なくていいって言って聞かないんですよ…。それなのに、いつも、誰が来ても会おうとしませんし…、ごめんなさいね…」

 いつもこの時間に出掛けている?一人で?どこに行ってるんだろう?色んな疑問が沸き上がったけど、深森さんのお母さんも行き先を知らないようだし、これ以上ここにいても迷惑かもしれない。このまま深森さんの帰りを待たせてもらうのも気が引ける。残念だけど、この場は引き下がるしかないだろう。

 それでも私は一縷の望みを託し、連絡先を書いたメモを深森さんのお母さんに預ける事にした。

「どうしても深森さんと話がしたいって…、そう伝えて下さい」

 あまり期待は出来ないけど、何もしないよりはマシだ。とりあえず、私達はこの場を引き上げる事にする。


 私達は深森さんの家を後にし、駅に向かって歩いている。すると、歩きながら沢渡さんから、こんな質問をされた。

「どうして隣のクラスなのに、深森さんの事をそんなに気に掛けるの?」

 まぁ、当然そう思われるわな。でも、諜報部の任務としてだなんて言えないし、何より私自身、深森さんの事が本心から気掛かりになっているのは事実だ。

「入学が決まってから一度も登校してないなんて…、それで友達もいないなんて、何だか寂しいじゃない。私、福岡から引っ越しして東郷学園に転入したんだけど、最初はやっぱり、色々と不安だったから。私は何とかクラスの人と仲良くなれたけど…、深森さんにも学校に通って、友達作って欲しいな…って思ったの」

 あまり考えなくても、スラスラ口から言葉が出てきた。きっとコレは、私の本音なんだと思う。お節介かもしれないけど、やっぱ深森さんには学校に来て欲しい。少しでも友達を作って欲しい。私はそう思った。

「城ヶ崎さんって優しいのね。私も同じ。深森さんにはちゃんと学校に来て欲しいし、友達も作って欲しいと思っているの。でも…、ダメね…。何度行っても、直接会ってはくれないの。今日みたいにお母さんが応対してくれるのがいつものパターン。深森さん、どうすれば会ってくれるのかなぁ…?」

 沢渡さんは、そう言って溜め息を吐いた。同じクラスの人でさえコレなんだから、私が深森さんに会うのは、かなり難易度が高いんだろう。何とかして、切っ掛けを掴む事が出来ないかなぁ…?


 沢渡さんもこの近くに住んでいるという事なので、私は途中から一人で駅に向かった。私の不本意な特技である『究極の方向音痴』が変に働かなければ良いんだけど…と、心配はしたけど、そんなに複雑な道は通らなかったし、多分大丈夫だろう。

 …なんて軽く考えていたんだけど、ものの見事に道に迷ってしまった。時間的には、とっくに駅に辿り着いている筈なのに、駅も見えないし電車の音も聞こえない。マジで焦る。どこをどう進んだのか、駅から深森さんの家までどう歩いたのか、全然分からない。そうだ、携帯のGPSで地図を…と思ったけど、イマイチ使い方が分からない。あ~、もう、どうしてこうなるのかな~?

 無意味な特技を持つ自分に嫌気がさしながらも、トボトボと歩いていたら、道の先に見覚えのある後ろ姿を見付けた。あれ?ひょっとして南雲さん?何でこんな所に?

 南雲さんもこの近所に住んでいるのかな?なんて考えながら歩み寄ると、南雲さんは道端で誰かと話をしているようだった。その相手は車いすに座った女の子…。ひょっとして、この人が深森さんなの!?

 ここからじゃ会話の内容までは分からないけど、二人とも、何だか楽しそうに話をしている。これは…、近寄り難いなぁ…。会話の内容も気になるけど、何より、謎の存在だった深森さんがそこにいる。何とか話を聞きたいところだけど…、私、完全にお邪魔虫だよなぁ…。

 とりあえず、私は物陰に身を潜めてこの場をやり過ごす事にした。う~ん、どんな事を話しているんだろう?気になるなぁ…。


 結局、三十分位だったかな?南雲さん達は道端でおしゃべりして、それぞれの家に帰るみたいだった。どうしよう?深森さんと接触するべきか、南雲さんに事の経緯を聞くべきか…。少し迷ったけど、私は南雲さんの後を追いかけた。いきなり全然面識の無い私が深森さんに声を掛けても、不審に思われるだけだろう。まずは南雲さんに、どうしてあんな道端で深森さんとおしゃべりしていたのか、どういう経緯で知り合ったのか、そして…、出来れば、深森さんの事を好きなのかどうかを確認しておいた方が良いと思った。

 私は少し距離を置いて南雲さんの後を歩き、頃合いを見計らって声をかけた。

「あれ?確か君、諜報部の人だよね?」

 南雲さんは少し驚いていたようだけど、こっちはそれどころじゃない。深森さんの家に行ったけど空振りだった事、道に迷って歩いていたら、偶然南雲さん達がおしゃべりしているのを見かけた事など、色々と説明した。そして改めて私は南雲さんに問う。

「南雲さん…、深森さんの事をどう思っているんですか?」

 しばしの沈黙…。聞いちゃぁマズかったのかと不安になったけど、南雲さんは静かに語り出した。

「先週の放課後…、学校帰りにさっきの道を歩いていたら、彼女…、深森このはに出会ったんだよ。その時彼女は地面に這いつくばっていて、その傍には倒れた車いすがあったから、助けなきゃ!って思ったんだ。良い子ぶるつもりは無いけど、周りに誰もいなかったし、そのまま素通りなんて出来ないからね。最初は彼女、ちょっと怯えているみたいだったけど、抱き起こして車いすに座らせてやって、その時はそのまま、名前も聞かずに、俺も名乗らずにその場を立ち去ったんだ」

 そんな事があったのか…。それが二人の出会いだったのね…。

「その次の日、また同じ場所で彼女を見かけた。でも、その時は彼女、普通に車いすをこいでいたんだけどさ、俺に気付いたらちょっと下を向いて、そのまま素通りされちゃったよ。俺も彼女に気付いたから、軽く挨拶ぐらいは…と思ったんだけど、呼び止める訳にもいかないし、そのまますれ違っただけだった。そして次の日も、また次の日も同じ事があったんだよ。彼女はいつも俯いたまま、お互い一言も話す事も無く、ただすれ違うだけ…」

 南雲さんは静かに溜息を吐いた。一体この後どうなるんだろう?二人の出会いは分ったけど、全然関係が進展していない。さっき見たような、親しそうに話が出来る関係になれるまで、どんな事があったんだろう…?

「だけど、そんな退屈な日も突然終わった。彼女が変えてくれたんだ。俺はいつも通りに、放課後、帰宅する道を歩いていた。そして彼女も車いすをこいでいた。何も言葉を交わさず、俺と彼女はすれ違うはずだった…。でも、俺は彼女に呼び止められた。彼女は俺が歩いてきた道を指差して、『アレ…、落としましたよ』ってね。彼女が指差している場所をよく見ると、ギターのピックが落ちていたんだ。たぶん、ポケットから手を出した時に落としたんだと思うけど、とにかく、それを切っ掛けに彼女と会話する事が出来たんだよ。彼女も音楽が好きだっていう事も分ったし、自分でキーボードを弾いたりしているって事も分った。俺と彼女は道端で、音楽の話で盛り上がった。まぁ、俺が勝手に舞い上がっていただけかもしれないけど、彼女は俺の話をよく聞いてくれたんだ」

 南雲さんと深森さんの間に、そんな事があったのか…。一度も登校していない彼女と、どうやって知り合ったのかと思ったら、そういう事だったのね…。でも…、それって…、もしかしたら深森さんは、南雲さんの事を…。

「最初の出会いは偶然だった。たまたま彼女が困っている時に出くわして、俺は彼女を助けてあげた。でも、その日から何日も、同じ時間の同じ場所ですれ違っていたのは、単なる偶然とは思えない。自惚れる訳じゃ無いけど、もしかしたら…って気持ちはある。そして俺も、彼女の事が気になっている。俺は…、彼女の事を、好きなんだと思う」

 あぁ~~~~~~~~~~、やっぱりそうなるのかぁ~~~~~~~。これで深森さんの気持ちがハッキリしたら、カップル成立じゃん…。一ツ橋さんはどうなっちゃうの?

 でも、そんな私の気持ちにはお構いなしに、南雲さんは更に畳みかけてくる。

「俺さ、今年のクリスマスパーティーに彼女を誘おうかと思っているんだけど…。諜報部にも協力してもらえないかな…?」

 完全にバッティングしてしまった。何かもう、この場から逃げ出してしまいたい…。

「あ~~、えっと…、諜報部への依頼という事…ですよね?」

「そう。こういう依頼は…ダメかな?」

 う~~~ん…。まぁ、私も諜報部員だとはいえ、簡単に引き受ける訳にはいかないよなぁ…。しかも、事情が事情なだけに…。

「とりあえず、部長に連絡しておきます。私がこの場で勝手に引き受けるのも、ちょっとどうかと思いますので…」

 この話を聞いたら、岡と深山はどうするんだろう?やっぱりあの二人の場合、普通に引き受けちゃうのかなぁ?ホント…、どう収集つけたら良いんだろう?

「うん、じゃぁ、よろしくね。俺も明日、学校行ったら岡と深山に話してみるよ」

 そう言って、南雲さんは立ち去ろうとする。

「あ、スミマセン、ちょっと待って下さい!」

「え?」

「あの~~、駅に行く道を教えて下さい…」



 次の日、私は朝から憂鬱だった。南雲さんが深森さんの事を好きだという事が、ハッキリ分かってしまい、尚且つ、南雲さんは深森さんをクリスマスパーティーに誘いたいと思っている。問題は深森さんの気持ちなんだけど、南雲さんの話を聞く限り、たぶん深森さんも南雲さんの事を好きなんじゃないかなぁ?

 ただ、南雲さんよりも先に、一ツ橋さんが諜報部に依頼して来ているんだよなぁ…。どう考えたって、これはマズイよなぁ…。

 私は授業も上の空で、この事態をどう収集つけるべきか、そればかり考えていた。事態は一刻を争う。本当なら朝のうちに、岡と深山のいる2年A組に向かいたい所だけど、一ツ橋さんも南雲さんも同じ2年A組だからなぁ…。バッタリ顔を合わせちゃうと気まずいよなぁ…。

 一応、昨夜のうちに、岡にメールで事の成り行きを説明しておいたけど、岡からは『分かった』と、ただそれだけしか返事をもらっていない。岡は本当に、事態を理解しているんだろうか?

 仕方が無いので、悶々とした気持ちのまま、私は放課後までやり過ごした。


 放課後、急ぎ足で視聴覚室に向かうと、既にそこには岡と深山が待ち構えていた。

「やぁ、城ヶ崎さん。昨日は大変だったみたいだね」

 そう口では言っているけど、岡は相変わらず、お気楽そうな顔をしている。本当に大丈夫なんかな?

「南雲さんの依頼、どうするんですか?一ツ橋さんの依頼と完全にバッティングしちゃってますけど…」

 私は内心、ドキドキしながら岡に尋ねる。この二人は、一体どう収集つけるつもりなんだろう?

「その事だけど、南雲の追加依頼も引き受ける事にしたから」

 やっぱりそうなるのか…。ホント、これからどうなっちゃうの?

「じゃぁ、一ツ橋さんの依頼についてはどうするんですか?南雲さんをクリスマスパーティーに誘いたい、っていうの。南雲さんは深森さんを誘いたいと思っているんだから、どう考えたって無理なんじゃないんですか?」

 南雲さんの深森さんへの気持ちがハッキリした今となっては、一ツ橋さんの気持ちは通じないってのもハッキリしている。当然、クリスマスパーティーに誘いたいって願いも叶わないだろう。

「まぁまぁ、南雲は今回のクリスマスパーティーで、バンドのライブをやる事になっているから。一ツ橋さんに限らず、誰の誘いも受けられない状況なのは確定している。こういう事情があれば、一ツ橋さんも納得してくれるよ」

 岡は澄ました顔で、そう説明した。結局、うやむやに終わらせるんかい。

「何かスッキリしないですけど、それで一ツ橋さん、納得してくれるんですか?」

 すると深山が、

「まぁ確かに、南雲をクリスマスパーティーのパートナーとして誘えないって事では納得してくれるだろうけど、問題はその後だね。一ツ橋さんは、クリスマスパーティーで南雲に告白するんじゃないかと俺達は見ている。でも、それについては俺達に任せてもらって、城ヶ崎さんは、何とかして深森さんと接触してもらえないかな?」

 この二人…、また裏で何かやるつもりなのね…。良いじゃないの。やってやろうじゃん。

「本当に大丈夫なんですね?一ツ橋さんの事。私は深森さんの調査を続けるって事で」



 奇跡は待っていてもやって来ない。だったら、こっちから行ってやろうじゃん。私はあの日以来、毎日放課後に深森さんの家を訪問し続けた。やり始めて数日は、沢渡さんに書いてもらった地図を頼りに歩いていたけど、もうしっかりと駅からの道順も覚えてしまっている。

 深森さんが南雲さんと会って、外でおしゃべりする時間を計算に入れて訪問してみたけど、対応してくれるのは、いつも深森さんのお母さん。それでも根気強く通い続け、時には休日にも押しかけて、二週間が過ぎた頃にようやく奇跡と巡り会う事が出来たのだった。

「どうぞ、あがって下さいね」

 その日、私は初めて深森さんの部屋へ通された。心なしか、深森さんのお母さんも、少し機嫌が良いように見える。こうなる事を望んでいたとはいえ、いざその瞬間を迎えると、緊張してくるな…。

 そして、初めて対面する深森さん…。あの日、南雲さんと楽しそうにおしゃべりをしていた彼女は、今私と向かい合っている…。

 彼女はとても小柄で色白な人で、愁いを帯びたその瞳は、見ているこちらの方まで、もの悲しくさせる雰囲気を持っている。

 何から話すべきか迷ったけど、先に言葉を発したのは彼女の方だった。

「…あの、…ごめんなさい。何度も来てくれていたのに…。私…、誰にも…、会いたくなかったから…」

 深森さんは言葉を詰まらせながら、謝ってきた。何だかこっちの方が、申し訳ない気持ちで一杯になってしまう。

「ううん、いいの。気にしないで。私の方こそ、クラスも違うのに何度も押しかけて来てゴメンナサイ」

 あの日の帰り道、南雲さんと道端でおしゃべりしていた人とは、別人のような印象を受けた。今、私の目の前にいる深森さんは、とても大人しく、控え目で、そして…、とても愛らしい。その小さな体を、ギュッと抱きしめてあげたくなってしまった。

「どうして…、城ヶ崎さんはどうして私の事を、そんなに気に掛けてくれるの?」

 深森さんにそう尋ねられたけど、私にだって本当の所はよく分らない。諜報部員としての任務なのも理由の一つだし、深森さんの置かれている状況が心配だっていうのもそうだ。理由や理屈じゃ片付けられない事が世の中にはある。私は私の立場から、今出来る事を、今やりたい事をやれば良いんじゃないかと思う。

「他人から見れば単なるお節介かもしれないけど、どうしても深森さんの事を放っておけなくて…。私自身、福岡から引っ越しして来て、知ってる人が誰もいない状況だったけど、それでも新しい友達や面白い先輩とか、色んな人と知り合えたから。だから深森さんも学校に来て欲しいと思うの」

 これが今の私に出来る、精一杯の説得の言葉だと思う。問題は深森さんの気持ち…。こうして私に会ってくれただけでも、かなり前進出来ているとは思うんだけど…。

 しばしの沈黙…。深森さんは何か考えていたようだけど、戸惑いを見せながらも口を開いてくれた。

「私ね…、好きな人がいるの…」

 それって南雲さんの事じゃ!?って喉まで出かかったけど、私は咄嗟に息を飲み込んだ。

「その人は…、とても優しくて、話してて楽しくて…、そして…、夢を持っているの…。私なんかが一緒にいると、邪魔しちゃうんじゃないかってぐらいに、大きな夢を持っているの…」

 確かに、南雲さんは将来、ミュージシャンになるのが夢らしい。でも、だからって、深森さんの存在が邪魔になるなんて思えない。深森さんは、自分の体の事を引け目に感じているんだろうか?

「私ね、こんな風になっちゃったから、自分一人じゃ普通に生活出来ないの。お医者さんからも、もう自分の足では歩けないだろうって言われているし…。これから先の事を考えると、どうしても…、前に出られないから…」

 そんな事ないよ…って言ってあげたい…。でも、当事者でない私に、そんな事を軽々しく言う権利はあるんだろうか…。

「だから…、私…、もうあの人とは…、これ以上関わらない方が良いんじゃないかって…」

「そんな事ないッ!!」

 思わずデカい声を出してしまい、深森さんは、少し怯えたような表情を見せた。でも、どうしても言わずにいられん。

「なんでそんなに、自分を卑下するの?深森さんは南雲さんの事が好きなんでしょ?良いじゃないの。自分の気持ちに正直になれば。深森さんには深森さんにしかない魅力があるはずよ。南雲さんだってきっと、そんな深森さんの気持ちに応えてくれるはずよ」

 一気にまくしたてられ、深森さんは少しビックリしたみたいだけど、さっきみたいに怯えた表情はもう消えていた。でも、

「南雲さんの事、知ってるの…?」

 そう聞かれてしまい、ハッ!と我に返る。まだ深森さんの口からは、南雲さんの名前は出ていなかったんだった。

「あ…、うん…。実はね、初めて深森さんの家に来た帰り、南雲さんとおしゃべりしている所を見ちゃったの…」

 ヤバいかな…?深森さんに、変に勘ぐられるような事にならなければ良いんだけど…。諜報部の活動について知られると、一気に信用を失うような気がする…。

 でも、深森さんは変に詮索するような事は無く、私の言葉を素直に受け入れてくれたようだった。

「そう…。見られてたのね…。南雲さんから、何か私の事を聞いたの?」

「…うん。南雲さんも、深森さんの事を気にしているみたいだったよ。だから…、深森さんには、どうしても学校に来て欲しいの」

 再び、彼女との間に沈黙が訪れた…。だけど、私には切り札がある。

「これ、南雲さんから預かってきたの」

 私は鞄の中から、南雲さんに預けられたクリスマスカードを取り出した。それは、クリスマスパーティーへの招待状…。



 そしてクリスマスパーティー当日。私は気が気じゃ無かった。今自分に出来る精一杯の事はやったつもりだ。後は深森さんがそれに応えてくれるかどうか…。

 それともう一つ、岡と深山は、一ツ橋さんの件をどう片付けてくれたんだろうか…?結局、あれから何をどうしたのか、私は何の情報ももらっていない。

 学園内は、どこもかしこもクリスマス一色。理事長までも、この日ばかりはサンタのコスプレをして校内を練り歩いている。(一部の生徒からは『なまはげ』なんて呼ばれているけど)

 既に講堂には大勢の生徒が集まっており、ステージ上では南雲さんのバンドが軽快な音楽を演奏していた。メインイベントのライブまでは、まだ時間がある。私は大勢の生徒をかき分けて、深森さんの姿を探した。結局、クリスマスカードは渡したものの、必ず来ると約束を交わした訳じゃないからなぁ~。ちゃんと来てくれるかなぁ…?

「あ、城ヶ崎さん」

 ウロウロしていたら一ツ橋さんに声をかけられた。あらら…、一ツ橋さん、かなり張り切っておめかししている…。岡と深山は何やってんのよ…。

「南雲君、張り切っているね。見て、ステージの方」

 一ツ橋さんはそう言って、ステージ上の南雲さんを指差した。確かに、南雲さんにとっては晴れ舞台。水を得た魚って所か。今はまだBGM程度にしか演奏していないけど、この後やる予定のライブでは、かなり盛り上がるんだろうなぁ~。…って、岡ッ!深山ッ!あの二人は何やってんのよ!!

「あ…え~っと、一ツ橋さん、あれ…、ウチの部長とか見ませんでした?」

 もう、何を言えば良いのか分らない。軽くパニクってしまったけど、一ツ橋さんは例のごとく、優しそうに目を細めてこう言った。

「岡君と深山君なら、さっきまで一緒にいたんだけどね。あ、そうだ。彼女は私の友達、2年B組の吾妻清美」

 そう言って、隣にいる吾妻さんを紹介してくれた。まぁ、吾妻さんとは既に面識あるんだけど、ここは初対面という風に装っておこう。

「あ…、どうも、城ヶ崎です」

「…うん。城ヶ崎さん、よろしくね」

 吾妻さんも私に調子を合わせてくれている。正直ホッとした。

 と、携帯に着信あり。何だろうと思ったら、岡から電話だった。とりあえず電話に出てみたが、周りの音がうるさくて全然聞き取れない。仕方が無いので講堂の外に出ると、そこには岡と深山がいた。

「ちょっと、二人とも、何やってるんですか?一ツ橋さんの事、ちゃんとフォローしたんですか?」

 軽く苛つきながら問い詰めるけど、この二人は全く動じない。

「ゴメンゴメン。連絡が遅くなっちゃったね。でも大丈夫。今のところ作戦通りに動いているから」

 岡は澄ました顔でそう言うけど、何がどう作戦通りなのか、サッパリ分らない。ちゃんと説明してくれなきゃ困るんだよな~。

「結局、一ツ橋さんの事、どうするんですか?何か凄く張り切って、おめかししちゃってましたけど」

「まぁ、全ては時間が解決してくれるよ。今はそのまま、成り行き任せで見守っていれば良いから」

 岡はそう言うが、イマイチ要領が掴めない。時間が解決するって、どういう意味なんだろう?何か私の知らない所で、この二人が手を打っておいてくれたというのだろうか?

 その時、講堂からワァッっと歓声が上がった。どうやらメインイベントのライブが始まったらしい。さっきまでの、クリスマス向けのBGMとは違った、なんというか、ハードな感じのロックが聞こえてくる。

「お前ら全員、盛り上がってるかーーーーーーッ!!」

 南雲さんのシャウトが聞こえてくる。たぶん、ノリノリなんだろうな~。聞こえてくる音楽も、かなりノリの良い曲になっている。

「城ヶ崎さん。ホラ、あそこ」

 深山に促され暗闇に目を凝らすと、そこには…。


 講堂でのライブは予想以上に盛り上がっていた。南雲さんのバンドは結構レベルが高く、普通にライブハウスを借りても、それなりに集客が見込めるんじゃないんだろうか。

 ハードロックが何曲か続いていたけど、急に曲調が変わり、南雲さんが語り出す…。

「次の曲は…、ある人に捧げる歌だ…。俺にとって大切な人に捧げる歌…、聞いてくれ」

 さっきとは打って変わって、静かなバラードが流れ始めた。南雲さんの歌声は、まるで誰かに語りかける様に優しく、そして元気づける様な力強さを感じさせる。歌詞の内容は、主人公が一人の女性と出会う事によって、人生が変わるといったもの。辛い事も悲しい事も、どんな事だって二人一緒なら乗り越えていける…。そんな歌だった…。

 私はすぐに気付いた。これは南雲さんと深森さんの歌なんだって事を。正直、涙を誘う歌だな…って思う。

 そして、それに気付いたのは私だけじゃないと思う。一緒にこの歌を聞いていた深森さんも、南雲さんの気持ちを受け取ったのか、感動で涙目になっている。

「…城ヶ崎さん、私…、私なんかで良いのかな…?」

 私は深森さんの問い掛けに、言葉ではなく、とびっきりの笑顔で答えた。何だか、こっちまでもらい泣きしてしまいそうだ。

 演奏が終わり、講堂の中は拍手と歓声で一杯になった。すると、南雲さんはステージから飛び降り、こちらに向かって歩いて来る。最初は南雲さんを取り囲んでいた生徒達も、空気を読んだのか、徐々にこちらへの道を空けてくれている。そして、とうとう南雲さんと深森さんは対面した。二人の会話を待つ様に、講堂は静まり返る…。

「このは…、俺の歌…、聞いてくれたか…」

 南雲さんの言葉に無言で頷く深森さん…。今、全校生徒の注目を浴びる中、南雲さんは告白する…。

「俺は君の事が好きだ!俺の彼女になってくれ!!」

 南雲さんの告白を受け、深森さんの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「…私なんかで良いなら…、喜んで…」

 割れんばかりの拍手と歓声が講堂に響き渡る。まるで二人は、全校生徒から祝福されているかのようだった。

 ただその時、講堂から出て行く一ツ橋さんと吾妻さんの後ろ姿を見付け、私はその後を追いかけた…。


「一ツ橋さん!」

 後を追いかけたものの、彼女にどんな言葉をかけるべきか、私には思い付かなかった。

「城ヶ崎さん…」

 こちらを振り向いた一ツ橋さんは、いつもと同じく、目を細めた笑顔をしてくれたけど、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた…。

「あの…、スミマセン!一ツ橋さんの依頼を受けておきながら、お役に立てませんでした!」

 何かもう、謝るしかないような気がした。謝って済む問題じゃないけど、一ツ橋さんに対しては、本当に申し訳無い気持ちで一杯だ。

「いいのよ、城ヶ崎さん。そんな謝らなくたって」

 一ツ橋さんはそう言うけど、諜報部が集めた情報を基にイメチェンした事も、クリスマスパーティーに誘いたいって楽しそうに話していた事も、その全てに同情してしまう。結果的に、諜報部は彼女を翻弄しただけなんじゃないんだろうか…。

「良いのよ、そんな風に頭を下げなくっても」

「いえ、でも…、一ツ橋さん…」

「だって、しょうがないじゃない。あんな告白シーンを見せられちゃったら」

 一ツ橋さんはそう言って、笑顔のまま涙を拭った…。



 結局、南雲さんと深森さんは公認カップルとなり、深森さんも普通に登校する様になってくれた。これからは皆と一緒に勉強して、学校行事にも参加して、楽しい学園生活を送ってくれると信じている。何かと苦労もあるかもしれないけど、あの二人ならきっと乗り越えていけるんじゃないんだろうか。

 問題は一ツ橋さんの事。結局、岡と深山は何をやっていたんだか…。

「一ツ橋さんはあぁ見えて強い人だから、一度や二度の失恋で挫ける程、ヤワな性格じゃないよ。俺達がフォローしなくても吾妻さんがいるしね。吾妻さんから聞いた話によると、彼女は既に立ち直ってるみたいだよ」

 岡は平気でそんな事を言っている。

「実際、深森さんの情報が確定した時に、一ツ橋さんには『南雲に好きな人が出来たかもしれない』って事は伝えておいたんだよ。だから、彼女もそれ程大きなショックは受けていないと思うよ」

 深山もしれっと、そんな事を言う。だったら、ちゃんと事前に教えてくれってーの。この二人はどうしてこうなのかねぇ~。本当に私は諜報部員として認められているんか?

「まぁ、とにかく、南雲さんと深森さんが上手くいった事だけは素直に喜べます。苦労して深森さんと接触した甲斐があったかなぁ~って」

 そう言うと岡が、

「その事については城ヶ崎さん、本当によく頑張ってくれたね。諜報部員として成長していると思うよ」

 なんて言った。続けて深山も、

「城ヶ崎さんの働きぶりには驚かされるよ。何しろ、全く接点が無い不登校の女子を、学校へと導いてくれたんだからね」

 褒められているのは嬉しいけど、もういい加減、秘密主義は止めてもらいたい。同じ諜報部の人間同士なんだから、情報共有はやって当然でしょうに…。

 考えようによっては、私の行動パターンと性格を見抜いた上で、敢えて何も伝えなかったって可能性もあるけど、岡のお気楽そうなマヌケ面を見ると、そんな考えは全否定だ。

「とにかく、これからは裏で二人して何かやるのは止めて下さいね。ちゃんと情報共有してくれないと困ります」

「了解。これからも城ヶ崎さん、よろしく頼むよ」

 窓の外を見ると雪が降っていた。今年は初雪が遅いとかニュースで言ってたっけ。

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