第5話『朋子の空手道』

「神崎さんの事を調べて欲しいのです!」

 その日、私達諜報部に新しい調査依頼が入った。依頼者は2年C組の金山美穂さん。上級生なんだけど私より背が低くて、見た目の印象としては少し幼く見える。こう言ってはなんだけど、中学生と言っても通用するんじゃないんだろうか。

 しかし…、何だろう?この人の声には聞き覚えがあるような気がする。どこかで聞いた事があるんだけどなぁ~?

「オーケー。その依頼、引き受けましょう」

 部長の岡は、軽いノリで引き受ける。毎度の事ながら、少しは考えたらどうだろうか。

「相手は堅物の神崎琢磨か~。あの人硬派だから、たぶん彼女とかはいないと思うよ」

 なんて深山が答える。ふむ、そういう人なのか、今回のターゲットは。

「とにかく、よろしくお願いします!です!」

 金山さんはそう言い残し、顔を真っ赤にして視聴覚室を飛び出して行った。すごい照れ屋さんなんかな?あの人は。あんなに顔を真っ赤にしなくてもいいのに。でも、何だか好感持てる人かも。ああいう人の恋愛は応援してあげたいかな~。初々しいというか。一応、向こうの方が年上なんだけど、何だか妙にカワイイと思ってしまった。

 今回のターゲットは3年B組の神崎琢磨さん。空手部の部長で深山が言う通り、硬派を売りにしているような人らしい。なので、彼女とか好きな人なんていう、浮いた話は全く聞かないそうだ。そんな人を好きになっちゃって、金山さん大丈夫なんかな…?


 私達は早速、神崎さんについて調査を開始した。上級生とはいえ、岡も深山も男同士なんだし、調査は簡単だろうと思っていたんだけど、意外な事に調査は難航しているらしい。

「個人情報程度なら、学園のサーバから簡単に抜き取れるんだけどねぇ…」

 サラっと、とんでもない事を言いながら、岡が珍しく溜め息を吐いている。

「部活ではよく後輩の面倒見たりしているみたいだけど、実際友達は少ないんだな~。直接本人と接触しない限り、情報は引き出せないかもしれないね」

 深山も少し困った顔をしている。共通の友人や知人でもいれば接触しやすいんだろうけど、岡も深山も神崎さんとは接点が無いらしく、調査が捗らないようだ。

「まぁ、接触するにしても、不自然にならないように気を付けなきゃな~。下手に動くと勘ぐられる可能性もあるし」

 岡が腕組みしながらそう言った。確かに、変な接触の仕方をすると、こちらの思惑がバレてしまう可能性も否定出来ない。でもまぁ、ここは岡と深山に任せて、私は高みの見物とさせて頂こう。…なんて考えていたんだけど、岡にこんな事を言われて面食らってしまった。

「城ヶ崎さんも何とかして神崎さんに接触してくれないかな?たぶん後輩には優しく接してくれるはずだから」

 え?イヤイヤ、一体私にどうしろってーの?1年の私が3年生の男子と接触するなんて、何か余程の理由が無い限り発生しないと思うんですけど?

「う~~ん、どういう風に接触したら良いんですかねぇ?学年も違うし同じ部活をやってる訳でもないし、全く接点が無いんですけど」

 そう言うと深山から、

「城ヶ崎さんは誰とでも仲良くなれるタイプだから、そんなに深く考えなくても大丈夫だと思うよ」

 なんて、気休めにもならない事を言われた。ノープランかい。

「とにかく、神崎さんのプライベートな部分にまで踏み込んだ調査が必要だ。何とかして親しくならなきゃ話が進まない。依頼者の情報が漏れないよう、細心の注意を払って行動しよう」

 岡にそう言われたけど、本当にどうすれば良いんだろう?良いアイディアが思いつかないなぁ~。神崎さんを調査するうえで必要な接点、そして、最終的には神崎さんと金山さんを結びつける接点、これらをどう作れば良いんだろうか…。



 次の日。あれこれ考えていたって何も進まない。ここは正攻法で行くべきなんじゃないんだろうか?私はそう思い、とりあえず昼休みに3年B組へ向かってみた。事前に岡から写真を見せてもらっていたので、どの人が神崎さんなのかは一目瞭然。問題はどう接触するか?だな。はてさて、どうするべぇ…?

 神崎さんのルックスは、髪は短くスポーツ刈り、眉毛が太くて男らしく引き締まった顔立ち、空手をやっているだけあって、背も高くて体格が良い。友達は少ないって話だったけど、同じクラスの男子とは普通に接しているみたいだな。見た感じ、爽やかスポーツマンって印象か。

 う~~ん、しかし、何も用事が無いのに、いきなり3年生の男子に1年の私が話しかけるのは不自然だよなぁ…。

「あ、城ヶ崎さん」

 どうするべきか悩んでいたら、岡と深山がやって来た。

「あ、どうも」

 とりあえず軽く会釈する。岡も深山も、私よりも神崎さんに接触しやすいだろうに。私なんかを当てにしないで、男同士で何とかしてもらいたいもんだ。

「どう?城ヶ崎さんは何か切っ掛け掴めた?」

 岡にそう聞かれたが、進捗なんて有るはずもない。

「いや~、さすがにまだ何も…」

 そもそもが無茶振り過ぎるんだよなぁ~。いくらなんでも、私がどうこう出来る話じゃないだろうに。

「俺達も何とかして神崎さんと接触する方法を探すからさ、城ヶ崎さんも頑張ってよ」

 そう深山に言われたものの、一体どうすれば良いのやら…。


 放課後、私は空手部の練習を見に道場へ行ってみた。本当はこういう体育会系的な場所には近寄りたくないんだけど、これも任務の為だ。仕方が無い。

 男女合わせて三十人位いるのかな?空手部の人達は、まずストレッチから始めて、腕立て伏せとか基本的なトレーニングを行い、形の稽古、そして組み手をやり始めた。あちこちから威勢の良い掛け声が上がり、何だか勇壮な感じがする。

 神崎さんも組み手をやっているんだけど、やはり結構実力が高いのか、神崎さんの方が優勢に見える。おぉ、あっという間に一本取ったか。

「あら、あなた入部希望なのかな?」

 練習風景を眺めていたら、不意に横から声を掛けられた。まぁ、こうして見ていれば誤解を招いても仕方が無いか。

「あ~、いえ、ちょっと通りがかっただけですんで…」

 とりあえず誤魔化したけど、この人は空手部の人なんかな?でも、道着じゃなくてジャージを着ている。

「私は空手部マネージャーの武邑ゆかり。興味があるならいつでも見学しに来てね。みんなで歓迎するわよ」

 なるほど、この人空手部のマネージャーなのか。大きなリボンが頭の上でゆらゆらしていて、こういう場所には全然似つかわしくない感じのカワイイ人だな。

 あ…、そうだ、体験入部とかで潜入調査出来るんじゃないかな?う~~ん…、でも空手部だからなぁ~。1日たりとも私に務まるとは思えない。それに、男子と女子は別々にやってるからなぁ~。やっぱ、神崎さんと接触するのは厳しいんじゃないんかな?

 私はそそくさとその場を退散して視聴覚室に向かう。岡と深山の方はどうなっているんだろう?調査は進んでいるんかな?すると、視聴覚室に行く途中で、金山さんとばったり出くわした。

「あ、金山さん」

「わぁ!城ヶ崎さん、どうもです!」

 う~~ん、やっぱり金山さんの声って、どこかで聞いた事があるよなぁ?どこでだろう?

 金山さんは、何かプリントの束をたくさん抱えているけど、先生のお手伝いでもしているんかな?一人で運ぶのは大変そうだな。

「あの、良かったら私も一緒に運びましょうか?それ、一人で持つの大変でしょうし」

 そう言ったのだが、金山さんは首を横に振り、

「いえ、大丈夫です!これも私の仕事ですから!…それで、…あの~、調査の方はどうですか?ガンバです!よ」

 ん?あぁ、頑張ってねって事か。しかし、今の時点で報告出来る事は何も無いからなぁ~。

「はい、ご期待に応えられるように頑張ります」

 とりあえず誤魔化す。他に答えようがないし。

「よろしくお願いします!です!」

 そう言って、金山さんは走り去った。本当にカワイイ人だなぁ~。全然先輩っぽくないし。いわゆる妹キャラってヤツだろうか。ちょっと天然入ってるっぽいけど、悪い印象は受けない。何とかして金山さんの期待に応えてあげたいんだけど…。


 視聴覚室に入ると、岡と深山は何か話し合っていたようだった。

「どうも。調査の方は進んでますか?」

 そう尋ねると、岡はお手上げといったジェスチャーをして首を横に振った。

「城ヶ崎さんの方はどう?何か進展あった?」

 深山にそう聞かれたけど、私だって何の進展も無い。マジで今回の調査依頼については、私を当てにしないでもらいたいもんだ。

 とりあえず、さっき空手部の練習を見に行った事を話すと、何故か岡が食いついてきた。

「それ、使えるんじゃないかな?城ヶ崎さん、ちょっと空手部に体験入部してみてよ」

 はぁ?マジで言ってるんか?コイツは。

「あぁ~なるほど、その手があったか。良いじゃん、それで行こうよ」

 深山まで同調している。ちょっとはこっちの身になってよね…。

「あの…、空手とか全然私向きじゃないんですけど?いくら体験入部とは言っても、中途半端な事では済まないと思うんですけどね…」

 そう抵抗するが、岡は澄ました顔でこう答える。

「大丈夫だよ。何も知らない初心者をアピールすれば、そんな無茶なしごきとかも無いだろうし、逆に後輩の面倒見の良い神崎さんと接触するには好都合かもしれない。城ヶ崎さん、お願い出来ないかな?」

 あうぅ…、出来る事なら拒否したい…。



「お腹に力を入れて~、押忍ッ!」

「お、押忍ッ!」

 次の日、私は空手部に体験入部した…。何でこうなっちゃうかな~?

「まずはストレッチからね。無理はしないで徐々に体を慣らしていけば良いから」

 女子空手部部長の峰岸さんが、そう説明する。言われなくても無理はしませんですよ。とりあえず二人一組になって、お互いの体を押したり引いたりする。

「い、痛い痛い痛い!もう無理です!」

 開脚した状態で前屈をやらされたんだけど、股の筋が滅茶苦茶痛い。皆、よく平気な顔してこんな事出来るなぁ~。

「城ヶ崎さん、体が硬いわねぇ~。日頃からストレッチをやっておかないと、スポーツする時にケガするわよ」

 そんな事を言われても、まさかこんな事をやらされるなんて思ってなかったし。これから先も、体育の授業以外でスポーツなんてやる気はさらさら無いわ。

「じゃぁ次は筋トレ。腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットを三十回ずつね」

「はい…」

 滅茶苦茶しんどい…。基礎トレーニングだけでへたばってしまいそうだ…。だが、筋トレが終わったら休む間もなく次のメニューへと進む。

「じゃぁ今度は形の練習。形は空手の基本だから、しっかり覚えてね。私の動きを真似すれば良いから」

 峰岸さんはそう言って、空手の形を始める。ん?手はこうやって、足はこれで良いんかな?何だか頭がこんがらがってきた。

「そうそう、良いわよ城ヶ崎さん。これが平安初段の形。基本は大事だから、しっかり反復練習をやってね」

 そう言われても、自分が上手く出来ているのかどうか判断つかない。反復練習とか言っても、別に本格的に空手をやろうと思っている訳じゃないしなぁ~。でもまぁ、体験入部とはいえ、真面目にやらなきゃ怒られてしまいそうだし、素直に言う事を聞いておこう。

「城ヶ崎さん頑張ってね。筋が良いからすぐ上達すると思うわ」

「お、押忍ッ!」

 とりあえず、道場の隅で言われた通りに形の練習を続ける事に。どうやら空手初心者は私だけみたいで、他の人達は皆組み手稽古をやっている。何か、私1人だけ浮いているな…。

 う~~む、これからどうしよう?ここでただひたすら形の練習を続けていても、神崎さんとは接触出来ないだろうし、だからといって、男子の練習に混ぜてもらう訳にもいかんだろう。

「ハイハイ~、よそ見はしないでね~」

 おぉっと、男子の方を見ていたのがバレてしまったか。武邑さんに注意を受ける。

「あ~、どうもすみません」

「一人で形の練習するのって退屈でしょ?でも基本はしっかり身につけておかないとね。何事も全ては基本から。焦らなくても、じっくり時間を掛ければ応用に進めるからね」

「はい~、頑張ります」

 別に、じっくり時間を掛けて空手を習得しようとは思わない。私は潜入調査の為だけにここにいるんだから。

 しかし、この武邑さんは、何で空手部のマネージャーなんてやっているんだろう?女子に人気がありそうなのは、野球部のマネージャーとかだと思うんだけどなぁ。その辺の疑問をぶつけてみる。

「あの~、武邑さんは空手やらないんですか?」

 武邑さんって見た目の印象からも、全然空手とか似合わないしなぁ~。普通に疑問に思った。

「私?私は頑張っている人を応援するのが好きだから。それにね、格闘技とか見るの好きなのよ」

 ほう、なるほど。そういう人なのか。でも、他に理由は無いのかな?例えば、空手部に好きな人がいるとか…。

「ちなみに…、武邑さんは彼氏いるんですか?」

 一応、ちょっと探りを入れておいた方が良いだろう。もしかしたら、武邑さんも…って可能性もある。

「え!?いないわよ、そんなの」

 そう言って、武邑さんは顔を赤らめている。これは…怪しいな…。今の段階では相手が誰か分らないけど、空手部に好きな人がいるっぽいな…。


 はぁ…、やっと終わったか。形の練習だけで終わるのかと思ったけど、途中から軽く組み手もやらせてもらえたので、少しは退屈せずに済んだ。かなり手加減されていたみたいだけど。

「城ヶ崎さん、お疲れ様。空手部を体験してみてどうだったかしら?」

 峰岸さんにそう尋ねられたんだけど、今日一日だけだと調査が進んだとは言えないしなぁ~。ここはもうしばらく、空手部にいさせてもらうべきだろうか?

「あの…、もう何日か体験させてもらっても良いですか?」

「えぇ、良いわよ。正式に入部するかどうか、じっくり考えてね」

 とりあえず、部長の了解を得る事は出来たか。後はどうやって神崎さんと接触するかだな~。普通にやってたんじゃ男子とは関わらないだろうし、どう攻めるべきかねぇ?

 マネージャーの武邑さんは、練習を終えた部員全員にタオルを配っている。マネージャーの立場の方が、自然に男子と接触する機会はありそうだなぁ。かといって、マネージャーの体験入部なんてやらせてもらえないだろうし…。どうしたもんかねぇ?


 空手部の練習を終えて、私は商店街の喫茶店『遊民』に来た。このお店は岡と深山が暇つぶしによく利用しているお店なんだとかで、二人に状況報告するのと、今後の打ち合わせを行う為だ。

「城ヶ崎さん、お疲れ様。空手部の体験入部はどうだった?」

 岡にそう尋ねられたが、どうもこうもない。私は今日一日、空手部で体験した事を二人に話した。男子と女子は別々に練習しているから、神崎さんと接触するのは難しいという事、マネージャーの武邑さんなら男子も女子も関係無く接する機会があるって事、そして、まだ確証は無いけど、武邑さんは空手部に好きな人がいるっぽいって事を。

「う~~ん、2年E組の武邑ゆかり…か。そういう事なら、彼女の情報も調べる必要があるね」

 岡がコーヒーをすすりながら、そう言った。続けて深山も、

「じゃぁ、そっちは俺が調べておくよ。城ヶ崎さんには引き続き、空手部の潜入調査をお願い出来るかな?」

 イヤイヤ、人の話は聞けよ。神崎さんと接触するのは難しい状況だって言ってるのに。

「でも、どうやって神崎さんと接触すればいいんですかね?男女別々に練習している訳ですし」

 そう言うが、岡は相変わらずお気楽に

「城ヶ崎さんのコミュニケーションスキルなら大丈夫だよ。同じ場所で同じ時間を共有すれば、切っ掛けなんていくらでも作られると思うよ」

 なんて言っている。アホか。お気楽過ぎるだろうが。

「とりあえず、楓には武邑さんの調査を頼むとして、俺は情報屋のむ~さんにあたってみるよ。だから、城ヶ崎さんには引き続き、空手部の潜入調査をお願いしようかな」

 う~~む、本当にこんな事続けていて、意味があるんかねぇ?



 次の日。お昼休みに教室でご飯を食べていたら、校内放送が流れ始めた。

「生徒会からのお知らせです!自転車通学している人は、必ず担任の先生に届け出を出して、駐輪許可シールを自転車に貼って下さい!駐輪マナーはちゃんと守るようお願いします!」

 この放送を聴いて、すぐ金山さんの声だという事に気が付いた。なるほど、初めて会った時、どうりで聞き覚えがある声だと思った訳だ。金山さんって、生徒会の人だったんだな~。それじゃぁ昨日、大量のプリントを運んでいたのも、生徒会の仕事だったって事か。何だか頑張り屋さんって感じがして、ますます好感持てる人かも。


 放課後、私は再び空手部の体験入部の為に道場に向かった。いつまでこんな事を続ければいいんだろうか?特に成果をあげられるとは思えないんだけどなぁ~。

 今日も昨日と同じく、ストレッチや基本的なトレーニングをやった後、形の稽古に入る。何となく、どう動けば良いのかは分ったけど、峰岸さんみたいなキレの良い動きにはならないなぁ~。やっぱ基礎体力の違いだろうか?

「おい、そこの白帯」

 不意に声を掛けられてビックリしたんだけど、その人が神崎さんだったのでまたビックリした。一体何だろう?

「今の追い突き、下段払いからの方向転換を、もう一度やってみろ」

 何だかよく分らないけど、とりあえず言われた通りにしてみる。私、何か間違った動きをしていたんかな?

「そこ!足の動きが違う!運足はこう、まっすぐやるんだよ」

 あうぅ、間違いを指摘されてしまった…。でもまぁ、神崎さんと話す切っ掛けにはなったか。

「えっと…、こうやるんでしょうか?」

「そうそう、足をまっすぐ運んでから回転するんだ。平安初段は基本的な形だから、しっかり覚えておけよ」

 神崎さんはそう言って、男子のグループに戻っていった。やっぱり、後輩の面倒見の良い人ってのは本当なんだなぁ~。最初はちょっと怖かったけど。

「城ヶ崎さん、神崎さんと何話してたの?」

 今度は武邑さんに声を掛けられた。

「あ~、いえ、形の動きが違うって指摘されちゃいました」

 そう答えたんだけど、武邑さんはちょっと不機嫌そうに見える。

「そう…。気を付けてね、城ヶ崎さん」

 うぅ…、冷めた目で見られている…。これは…、やはり私の推測が当たっているっぽいな…。武邑さんは、神崎さんの事を好きなんじゃないんだろうか?だとすると、ちょっと厄介かもしれない…。


 空手部の練習を終えた後、今日もまた商店街の喫茶店『遊民』で状況報告と打ち合わせを行う。

「じゃぁ、まずは城ヶ崎さんの状況から聞かせてもらおうかな」

 岡にそう言われ、私は今日、空手部で体験した事を推測も交えて説明する。神崎さんは、やはり後輩の面倒見が良い人だという事、私が神崎さんに指導を受けた後、武邑さんが不機嫌そうにしていた事など。

「これは間違いないね。武邑さんも神崎さんの事を好きなんだろう」

 私の話を聞いて、岡がコーヒーをすすりながらそう言った。まぁ、改めて言われるまでも無く、傍目に見ても分りやすい事だからなぁ~。

「俺が調べた情報からも裏は取れている。武邑ゆかりは明らかに神崎琢磨を意識しているな。隆雄、む~さんの方はどうだった?」

 深山がそう言うと、

「俺がむ~さんから入手した情報も、やはり同じような内容だったよ。これで武邑さんも神崎さんの事を好きなのは確実になってきたね」

 そう言って岡は腕を組んだ。これで金山さんと武邑さんのどちらも、神崎さんの事を好きらしい事が判明してしまった訳だ。これから諜報部としては、どうするつもりなんだろう?

「これってマズいですよねぇ?これからどうするんですか?」

 私がそう質問すると、

「ん?あぁ、確かにマズい事はマズいけど、俺達は俺達で神崎さんの調査を続けるよ。俺達諜報部が受けた依頼は、神崎さんを調査するって事だけだから」

 岡は澄ました顔で、そう言った。イヤまぁ確かにそうなんだけど、だからといって、この三角関係をそのまま見過ごしちゃって良いの?

「え?それで良いんですか?だって、このままだと金山さんと武邑さんの気持ちがぶつかっちゃいますけど?」

 そう言う私に岡は、

「今回俺達諜報部は、恋のキューピッド役を依頼された訳じゃないよ。あくまで神崎さんの情報収集を依頼されただけだ。それに最終的には、神崎さん自身が金山さんと武邑さんのどちらを選ぶか、または二人以外の誰かを選ぶのか決める訳だから」

 まるで教え諭すようにこんな事を言われてしまった。何かまるで、私の方が間違ってるみたいじゃないのよ…。すると深山に、

「まぁ、城ヶ崎さんの気持ちも分かるよ。依頼者である金山さんの方を応援したいと思っているんじゃないかな?でも俺達は中立でいるべきだし、必要以上に関与するべきじゃない。金山さんからの依頼は、あくまで神崎琢磨の情報を収集するって事だからね。俺達は神崎琢磨の情報を調べて提供する。それ以上の事はやらないし、やるべきじゃない」

 こんな事を言われてしまった。何か釈然としないなぁ~。

「とにかく、城ヶ崎さんには引き続き、空手部での潜入調査をお願いしようかな。俺と楓は別のアプローチから攻めてみるから」

 う~~ん…。本当にこれで良いんかなぁ?岡と深山が言っている事も分るけど、だからといって、情報を提供するだけで「後は知らん」みたいな対応はいかがなものか。いくらなんでも無責任過ぎやしないだろうか?



 次の日。私は昼休みに3年B組に行ってみた。放課後に空手部の練習をやる時でも良いんだけど、やはり武邑さんの目が気になるというのがあるからだ。丁度神崎さんが教室から出てきたタイミングだったので助かった。

「ん?あぁ、昨日の白帯か」

「どうも、1年B組の城ヶ崎です。昨日教えて頂いた空手の形なんですけど、またちょっと見てもらっても良いですか?」

 とりあえず、廊下でやるのも何なので、二人で校舎の外に出る。なるべく人が少ない場所に移動して、神崎さんに形のチェックをお願いした。

 うんと…、こうやってこうして…、んで、こうか。

「あ~、ちょっと待て。ストップ」

 神崎さんに止められたので、また何か間違えたのかと思ったけど、どうやら違ってた。神崎さんは少し照れ臭そうに、視線を逸らしながら

「…こういう事は、スカートの時はやらない方が良いな」

 なんて言った。…え!?ひょっとして…、パンツ見られた!?

「あ…、あの…、見えちゃいました?」

 そう聞くと、神崎さんは黙って頷いた。うわ、最悪!何で私がこんな恥ずかしい思いしなきゃならんのよ!?

「あの…、えっと、スミマセン…」

 何でパンツ見られた私の方が謝ってるのか、自分でも分らない。何だか顔が熱くなってきた…。そんな私に気を遣っているのか、神崎さんは、

「イヤ、俺の方こそスマン。形のチェックなら、放課後に道場でやってやるから。とりあえず、戻ろうか」

 結局、二人で校舎に戻る事に。何やってるんだろう?私は。空手を通してなら神崎さんと接触出来ると思ったものの、恥をかいただけで終わってしまった。虚し過ぎる…。

 ところが、神崎さんから突然こんな事を聞かれてしまった。

「城ヶ崎…、お前、彼氏とかいるのか?」

 へ?何この質問は?何でこんな事を神崎さんから聞かれているんだろう?神崎さんの真意が分らないけど、これは良い機会かもしれない。

「そんなのいませんよ~。神崎さんこそ、彼女いるんですか?」

 そう質問して返すと、

「俺だって、彼女なんていない…」

 照れ隠しなのか、そう言って神崎さんは視線を逸らした。これは…、多分、信用しても良いだろう。こういう事について、嘘をつくような人には見えないし。

 とりあえず、これでようやく重要情報が一つ手に入ったか。難攻不落の要塞を攻略する取っ掛かりが掴めた気分だ。後は、誰か好きな人がいるかどうかだな~。誰も好きな人がいないのなら、何とかして金山さんと結びつけてあげたいんだけど。

「じゃぁ城ヶ崎、放課後道場でな」

 そう言って、神崎さんは自分の教室に戻って行った。そろそろお昼休みも終わるだろうし、私も教室に戻らなくっちゃな。とりあえず、神崎さんに彼女はいないらしいって事を、岡にメールで報告しておこう。


 放課後、空手部の練習の為に道場に向かっていたら、また金山さんに出くわした。今日も金山さんは、何やら大量のプリントを両手で抱えている。

「あ、城ヶ崎さん、どうもです!」

 本当にこの人、頑張り屋さんだな~。多分また断られるんだろうけど、一応言っておこう。

「金山さん、それ運ぶの手伝いましょうか?」

「いえ、大丈夫です!一人で出来ますです!」

 何だか微笑ましいな、この人は。一人で出来るもん!って感じで。

 あぁ、そうだ、調査依頼の途中経過ぐらいは教えてあげても良いんじゃないかな?神崎さんには、今の所彼女はいないみたいだって事を。

「金山さん、まだ調査段階ですけど、神崎さんって彼女いないみたいですよ」

 そう言うと、金山さんは頬を赤らめて喜んでいるようだ。

「そうなんですか?えっと、あの…、よろしくお願いします!です!」

 うん、やっぱり私は、金山さんを応援したいのかもしれない。何だかこの人の頑張ってる姿や、感情の表し方なんかを見ていると、どうしても放っておけない気がする。岡も深山も、中立の立場を崩すつもりは無いみたいだけど、私は金山さんを応援してあげたい。諜報部員として相応しくない考えかもしれないけど、そんなの知ったこっちゃないわ。武邑さんには申し訳ないけど、金山さんの方を応援しよう。私は改めてそう思った。


 道場に着くと、もう既に道着に着替えてウォーミングアップしている人がたくさんいる。ただ、道場の隅で、峰岸さんと神崎さんが何か話しているようで、何だか峰岸さんは渋い顔をしているように見えた。

「お、押忍!お二人とも、どうしたんですか?」

 とりあえず挨拶すると、二人は話を止めて私に向き合う。

「城ヶ崎さん、神崎君に形のチェックをしてもらう約束なんてしたの?」

 そう峰岸さんに聞かれたので、あぁ、その事かと返答する。

「はい。形の動きが違うと神崎さんに指摘されましたんで、それでちゃんと正しく出来ているんかをチェックしてもらおうかな~と」

 すると、峰岸さんは少し不満そうな顔を見せた。

「一応、男子と女子は別々に練習する事になっているんだけどねぇ…。まぁ、神崎君なら有段者だし、指導をお願いしちゃっても大丈夫かしらね」

 ちょっとマズかったかな?これじゃあ峰岸さんの立場が無いかもしれない。でも、こうでもして神崎さんとコミュニケーションを取らないと、何の為に空手部に体験入部したのか分らなくなってしまうからなぁ~。

「城ヶ崎さん、これってどういう事なの?」

 後ろから袖を引っ張られたんでビックリしたら、武邑さんが怖い顔をして立っていた。イヤ、これは本格的にマズいぞ。

「あ~、いえ、あのですね…」

 どう答えたもんかと悩んでいたら、神崎さんが助け船を出してくれた。

「武邑、これは俺が城ヶ崎と約束した事だから。スマンが口を挟まないでくれないか」

「でも…、神崎さんが女子の練習を見る必要は無いんじゃ…」

「武邑!」

 すがりつくような目をしていた武邑さんだけど、神崎さんに一喝されて黙ってしまった。何だか凄い、罪悪感がある…。金山さんを応援すると決心した私だけど、こういう場面に遭遇すると、今度は武邑さんに同情してしまうな…。

 いかんいかん、一度決めた事は徹底しなくちゃ。私は金山さんの、神崎さんへの気持ちを応援するって決めたんだ。だったら、武邑さんに同情なんてしてちゃいけない。誰かを応援するって事は、別の誰かを応援しないって事なんだから。武邑さんが悪い訳じゃない。武邑さんの事を嫌いな訳でもない。だけど時には非情になる必要がある。それが出来なくちゃ、誰かを応援する資格なんて無いと思う。

「じゃぁ城ヶ崎、早く道着に着替えて来い。基礎からしっかり覚えてもらうぞ」

「お、押忍!」

 神崎さんの一言で気持ちも切り替わった。私は金山さんの依頼を果たす為に、ここにいるんだから。自分の任務に集中しなくっちゃ。改めてそう、強く意識した。


 道着に着替えてウォーミングアップ。柔軟体操と筋トレを終えたら形の練習に入る…と、思ったら、

「城ヶ崎、形は何の為に練習すると思う?」

 藪から棒に神崎さんから問い掛けられたので、返答に困ってしまった。

「えっと…、技の上達を目的としている…んでしょうか」

 そう答えたら、神崎さんにダメ出しされた。

「技の上達も目的の一つではある。だが大事なのは、襲いかかる敵をしっかりイメージして、現実と同じように攻防を繰り広げる事だ。相手の攻撃をしっかり受け捌き、効果的な反撃を繰り出す。ただ技を出す練習をするだけじゃない。自分に襲いかかる敵をしっかりイメージするんだ。形をしっかり身につければ、イザという時に自然と体が動く様になる。そうなれるように形を練習するんだ」

 う~ん、分かったような分からないような…。とりあえず、形をしっかり練習すれば、実戦で役に立つって事だよね?

「じゃぁ、平安初段から始めるぞ。これが空手の基本だからな。俺の動きをしっかり見ろ」

 神崎さんは、力強い動作で形のお手本を示してくれた。やっぱ、神崎さんみたいに体格の良い男の人がやると、見栄えが良いなぁ~。動作もキビキビしているし、技のキレが良い。素人の私にも分るぐらいにレベルが高い。

「ヨシ、じゃぁ城ヶ崎、やってみろ」

 私は神崎さんの動きを真似て、平安初段の動作をやる。神崎さんが言ったように、敵をイメージして演武するよう注意しながら体を動かしたんだけど、まだまだ上手く出来ていなかったようだ。

「城ヶ崎、敵の攻撃をイメージするのは難しいか?それなら、ちょっと俺の攻撃に合わせてみろ」

 神崎さんはそう言って、私と向かい合った。え?これって何?

「下段払い、そして追い突き!」

「は、ハイ!」

 神崎さんの攻撃に合わせて防御と反撃をやる。あ、何か自然な動きになったかな?

「そうだ、それで良いんだよ。形を練習する意味が分ったか?」

 何だろう?何かを掴みかけているような気がする。形を練習する意味を実感出来てきたって感じかな?

 その後も、要所要所で神崎さんが絶妙なタイミングで攻撃を入れて来て、それを受け、捌き、反撃をする。頭の中でイメージするだけじゃ難しいけど、これなら分かる気がする。確かに、形の動きは襲いかかる敵との攻防になっているんだなぁ~。何か納得した。


 練習を終えて、皆一息吐いている。すると神崎さんが、

「城ヶ崎、喉渇いただろ?ホラ、これ飲めよ」

 そう言ってスポーツドリンクを差し出してきた。

「あ、どうも、ありがとうございます」

 差し出されたスポーツドリンクを手に取ると、まだ買ったばかりなのか、よく冷えている。武道場から自販機まではちょっと離れているんだけど、神崎さんはダッシュして買ってきたんだろうか?

「どうだ?今日の練習で、大分形の意味についても理解出来たんじゃないのか」

「はい。神崎さんのお陰で、形の動きの意味が掴みかけてきました」

 まぁ、だからといって、これから本気で空手に打ち込もうとは思わないんだけど。

「お前まだ体験入部なんだろ?もう正式に入部しちゃえよ」

 うぅ、やはりそう来たか。でも、私は諜報部員として神崎さんの情報が欲しいだけであって、空手に興味があって体験しに来た訳じゃないんだよなぁ~。

「う~ん、家の人とも相談しなくちゃならないですんで…。まだ決断は出来ないんですよねぇ」

 この場は適当に誤魔化すしかないか。でも神崎さんは、

「そういう事なら、俺がご両親に話をしに行ってやろうか?空手を学ぶ事によって健全な精神と肉体を身につけ、礼節も覚える事になる。学校の部活が駄目なら、俺が通っている道場を紹介しても良いぞ」

 なんて言ってきた。何でこの人はこうも、私を空手の道に引き入れようとしているんだろう?イヤまぁ、こうして体験入部なんかやっていると、そういう誤解を招いても仕方が無いのかもしれないけど。

「う~ん…、それはちょっと…、さすがに神崎さんにそこまでやって頂くのもアレですから…」

 そう言うが、神崎さんは食い下がる。

「俺なら構わないぞ。せっかくこうして、空手に触れる切っ掛けが出来たんだから、体験入部だけで終わらせるのは勿体ないじゃないか」

 あ~、何か凄くもどかしい。全部ぶっちゃけた方が話が早いんだろうけど、そういう訳にもいかんからなぁ~。どうにかしてこの場を誤魔化せないだろうか?

「たのも~!」

 急に聞き覚えのある声が道場に響いたので何事かと思ったら、道場の入り口に深山が立っていた。いつものスーツ姿ではなく、テコンドーの道着?を着ている。

「空手部一番の実力者、神崎さんにお手合わせ願いたい!」

 深山は一体何を考えているんだろう?これも神崎さんと接触する為の作戦の一つなんだろうか?何かやるんなら、事前に教えてくれれば良いのに。

「何だ?お前は。道場破りか?」

 でもまぁ、深山のお陰で神崎さんの気は私から逸れた事になるのか。そういう意味では感謝しなければな。

「道場破りなんて大層な者じゃありません。2年A組の深山といいます。神崎さん、一手御指南願えますか?」

 そう言って、深山はずかずかと道場に入り込む。一手御指南とか言ってるけど、深山は神崎さんを相手にどこまで戦えるというんだろう?大丈夫なんか?

 二人は試合用の防具とグローブを着けて向かい合う。まぁ、深山がテコンドーをやっててケンカに強いのは知っているけど、神崎さんだって空手部の部長をやってるぐらいだから、かなりの実力者のはずだ。体格では神崎さんの方が一回り大きいぐらいだし。一体どういう結果になるんだろう?

「じゃぁ深山、いくぞ!」

「お願いします!」

 最初は互いに牽制していた二人だけど、深山がイキナリ後ろ回し蹴りを出した。それを神崎さんは防御したんだけど、深山はクルクル回転しながら連続して蹴りを出している。テコンドーって、こんな動きをするんだな。空手とは全然違うスタイルだ。あ、今度は跳び蹴りを出してるし。よくあんな動きが出来るもんだなぁ~。まるで派手なアクション映画みたいだ。

 神崎さんも、深山に負けじと攻撃を繰り出す。深山の動きが流れるような連撃なのに対して、神崎さんの動きは直線的でキビキビとしている。躱し、受け止め、捌いて反撃する。二人の攻防は全く違うタイプなんだけど、強さのレベルとしてはどうやら互角っぽい。

 空手部の人達は当然神崎さんを応援しているんだけど、一応私も神崎さんを応援するべきなんかな?諜報部員としては深山を応援するべきなんだけど、潜入調査している最中だしなぁ。

 そんな事を考えていたら、深山が神崎さんの背よりも高く足を上げ、そして踵落としを出した。神崎さんは間一髪、脳天への直撃を避けたんだけど、肩に打撃を食らってしまう。

「うおぉらッ!」

 肩に深山の足を乗せたまま、神崎さんは深山のボディーに正拳突きを叩き込んだ。大きく仰け反って、深山が倒れる…。神崎さんの勝ち?

「イヤ~、参りました」

 お互いに防具とグローブを着けていたから、打撃によるダメージは大して無いんだろう。深山はすぐ立ち上がって、神崎さんに一礼する。とりあえず無難な形で決着はついたか。正直ホッとした。

「深山、お前のテコンドーも凄いな。空手ではあんな動きをしないからな」

 神崎さんはそう言って、深山と握手した。何か、男同士の友情とか始まりそうな雰囲気じゃないの。ひょっとして、深山はコレを狙ってたんか?

「神崎さん、良かったらこれからも、時々手合わせして頂けますか?お互いを高める事に繋がると思いますので」

「あぁ、いつでも道場に来てくれ。俺もお前と勝負して、良い刺激になったよ」



 部活の後、私達諜報部員は、また商店街の喫茶店『遊民』に集合した。

「城ヶ崎さんも楓も、とりあえず神崎さんと上手く接触出来ているようだね。お疲れ様」

 岡がコーヒーをすすりながらそう言った。私と深山はともかく、岡はちゃんと調査をやってるんか?

「とりあえずお昼にメールで報告しましたけど、今の所神崎さんに彼女はいないみたいですね。ただ、私を空手部に正式に入部させたいみたいで困ってるんですけど」

 そう言うと深山が、

「それについては適当に誤魔化しておいてよ。俺もワザと負けた甲斐あって、神崎さんと接触する事は出来たけど、情報収集ルートは複数確保しておいた方が良いからね」

 やっぱり、神崎さんとのアレは作戦の内だったんか。まぁ、深山の言ってる意味は分る。ただなぁ…。こんな生活がいつまで続くのやら…。すると今度は岡が、

「とにかく、神崎さんのプライベートな情報が得られる迄、あと少しの辛抱だと思って頑張ってよ。俺も何とかしてアプローチしてみるからさ」

 なんて言っている。少しはこっちの身にもなってよね…。

「でも…、これ以上体験入部として誤魔化し続けるのは、さすがに厳しいと思うんですけど?何か神崎さんも、正式に入部しろとか言ってますし、断る理由を考えるのも苦しいんですけど」

 私がそう答えると、

「もしかしたら…だけど、神崎さんは城ヶ崎さんに気があるのかもしれないね」

 なんて岡に言われた。は?何でそうなんの?

「イヤイヤ、冗談でしょ?一体どこに恋愛要素があるって言うんですか?」

 だが確かに、そう言われてみれば思い当たる節がある。何か妙に優しいというか、親切というか…。でもなぁ…、もしそれが真実だとしたら、これは厄介な事になる。依頼者である金山さんを差し置いて、私が神崎さんと親密になるような事になれば…、これは裏切り以外の何物でも無いだろう。

「もし隆雄の考え通りだとしたら、城ヶ崎さんに情報収集をお願いするのは厳しいかな?調査を進めれば進める程、神崎さんと親密になりそうだよね」

 深山がそう言ったけど、確かにそうだ。私が神崎さんの情報を求めて接近すればする程、神崎さんと親しくなるという事なんだから。すると岡が、

「まぁ、諜報部としては城ヶ崎さんに抜けられると困るし、調査対象と必要以上に親しくなるのもマズいけど、城ヶ崎さんなら大丈夫でしょ?ハニートラップだと割り切って、上手く神崎さんと接触してよ」

 相変わらず、岡はお気楽なヤツだな…。本当に、一体私はどうすりゃいいのよ?



 次の日。昼休みにご飯を食べた後、同じクラスの女子で集まっておしゃべりしていたら、私達の教室に神崎さんがやって来た。

「城ヶ崎、ちょっと良いか?」

 何やら入り口から手招きする神崎さん。一体何だろう?イヤな予感しかしないんですけど…。

「どうしたんですか?空手部の方なら、今日も体験入部でお邪魔しに行きますけど」

 そう言うと、神崎さんは何か照れ臭そうな顔をして、

「イヤ…、実はな、今度空手の大会があるんだが、一緒に観戦しに行かないか?」

「へ?」

 唐突な神崎さんからのお誘いに、思わず間抜けな声を出してしまった。

「大会ともなれば、それなりにレベルの高い人達を目の当たりにする事が出来る。それを見に行くだけでも、かなり勉強になるぞ」

 神崎さんの真意は一体…?やはり、岡の仮説が正しいんだろうか?だとしたら、迂闊にOKする訳にはいかないよなぁ…。

「う~~ん…、それって、空手部の人達皆と行くんですかね?」

 そう聞くと、神崎さんは軽く狼狽えているように見えた。

「あ…、イヤ…、他の奴らは誘って…いない」

 これって、デートのお誘いだよなぁ…。よりによって空手観戦デートとは、神崎さんらしいと言えばらしいけど。

「あ、神崎さん」

 今度は、廊下の向こうから深山がやって来た。ナイスタイミングだ、深山よ。

「ん?あ…、あぁ、深山か」

「休み時間にスミマセン。ちょっと空手の事で教えて頂きたいんですけど」

 深山はそう言って、神崎さんを誘導してくれた。去り際にこちらにウィンクしていたけど、多分フォローしてやるって事なんだろう。一応気を遣ってくれてはいるみたいだな。お陰で助かった~。


 放課後、私は空手部の体験入部で道場に向かう途中、またもや大量のプリントを両手に抱えた金山さんに出くわした。

「あ、城ヶ崎さん。どうもです!」

 この人はいつも、何を運んでいるんだろう?てゆーか生徒会の人達は、プリント運びを全部金山さんに押しつけているんか?

「金山さん、一人で運ぶの大変でしょ?お手伝いしますよ」

 そう言うが、やはり金山さんは首を横に振る。

「いえ、大丈夫です!これも私の仕事ですから!」

 さすがにこう何度も目の当たりにすると、放っておく訳にはいかないよなぁ~。私は半ば強引に、金山さんからプリントの束を半分ぐらい奪い取る。

「あ、城ヶ崎さん…」

「金山さん、少しだけお節介させて下さい。頑張り過ぎるのも、あまり良くないですよ」

 話を聞くと、職員室のコピー機でこの大量のプリントをコピーしなくちゃならないらしい。そうなると、余計に運ぶ量が増えちゃうじゃないの…。

 結局、職員室でプリントをコピーしたついでに、生徒会室まで運ぶのをお手伝いする事にした。

「金山さんって、本当に頑張り屋さんですね」

 私がそう言うと、金山さんは照れ臭そうに、

「いえ、そんな事ないですよ。私は私が出来る事をやっているだけですから」

 こう言った。この人、こうして謙遜しちゃう所も何かカワイイな。生徒会書記としてのお仕事らしいけど、何でこんなに頑張っているんだろう?内申点目当てって感じじゃないしなぁ。

「私、特技とか得意科目とか何も無いですから。生徒会の一員として出来る事を頑張っているだけです」

 与えられた役割をキッチリこなす。真面目で几帳面な人なんだろうか。やはり応援したくなる様な、好感持てる人だな。

「私だって特技も得意科目も何も無いですよ。部活だって、訳の分らない諜報部なんてのに所属していますし。金山さんは十分凄いと思いますよ」

 そう言うと、金山さんは

「いえ、城ヶ崎さんの方が凄いじゃないですか。まだ一年生なのに、あの二人と一緒に諜報活動しているなんて、普通の人には出来ないですよ」

 岡と深山は一体どういう評価を受けているんだろうか?まぁ、ただ者では無い事は私にも分るが。すると、金山さんは

「ところで城ヶ崎さん、…あの~、調査の方はどうですか?」

 と、聞いてきた。うぅ、何か答えにくいなぁ…。神崎さんに彼女はいないって事は分ったけど、よりによって、私に気があるかもしれないって状況になってしまったからなぁ…。

「とりあえず、まだ彼女はいないらしいんですけど、それ以上はまだ、調査が進んでいないですねぇ…」

 今はまだ、これ以上説明のしようがないか…。本当に、どうすればいいんだろうか?

「そうなんですか~。ガンバです!よ。城ヶ崎さん」

 う~~ん、期待に応えてあげたいのは山々だけど、どうすれば良いんだろうか?まぁ、あまり深く考えなくても良いのかな?神崎さんが私にモーション掛けてきても、振っちゃえばいい訳だし。

 それよりも、金山さんって何を切っ掛けに神崎さんの事を好きになったんだろう?学年も違うし、生徒会の人と空手部の人で、特に交流があるとは思えないんだけどなぁ?

「あの~、金山さんって、神崎さんとはどういうご関係なんでしょうか?」

 そう尋ねると、例のごとく金山さんは顔を真っ赤にしている。

「え?いえ、あのですね…、その…、内緒にして下さいよ?」

「あ、はい。もちろんです」

 一体何だろう?改まった雰囲気で、金山さんは語り出した。

「実はですね…、城ヶ崎さんと同じ事をしてくれたんですよ~」

 ん?同じ事って何だ?

「もう随分前になりますけど、今日みたいに一人で生徒会のプリントを運んでいたら、偶然神崎さんに、出会い頭にぶつかっちゃったんです。そしたら神崎さん、落ちて散らばったプリントをササッと拾い集めてくれて、職員室まで運ぶのを手伝ってくれたんですよ」

 なるほど、私と同じ事ってそういう意味なんか。神崎さんらしい優しさだな。何か、その場の光景が容易に想像出来る。

「何だか申し訳なくて謝る私に、神崎さんは『あまり頑張りすぎるなよ』って言ってくれたんです。そんな所も城ヶ崎さんと同じですね」

 そう言って、金山さんはクスッと微笑んだ。意外な所で私と神崎さんに共通点が見付かってしまったな。

「それが切っ掛けで、神崎さんを意識するようになったんですか?」

 そう尋ねると、金山さんは顔を真っ赤にして俯き、黙って頷いた。



 金山さんのお手伝いを終えて道場に辿り着くと、既に皆、ウォーミングアップを終えて、組み手稽古をやっていた。

「城ヶ崎さん、遅かったわね。もう辞めちゃったのかと思ったわ」

 武邑さんに、冷めた目でそんな事を言われてしまった。うぅ…、キッツイなぁ…。でも、今更こんな事で挫ける訳にはいかない。最後までしっかり役目を果たそう。

 私も道着に着替えて道場に入ると、さっそく神崎さんに声を掛けられる。

「城ヶ崎、遅かったな。今日も俺が稽古に付き合うからな。しっかり形を覚えてもらうぞ」

「お、押忍!よろしくお願いします!」

 一通りウォーミングアップを行ってから、今日も形の稽古に入る。神崎さんの教え方が上手いから、私も大分上達したんじゃないんだろうか。少なくとも、初日のようにぎこちない動きではなくなっていると思う。

「城ヶ崎、大分上達してきたな。良い調子だぞ」

 甚だ不本意ではあるが、私自身、空手の上達を実感出来ている。だけど、空手の上達が最終目的じゃぁない。神崎さんの本心を聞き出す事。そして、出来る事なら金山さんへ気持ちを向けてあげる事…。それが私に出来るだろうか?


 形の練習も一段落ついた所で、私は思いきって神崎さんに申し出る。

「神崎さん、私と組み手をやって頂けませんか?」

 突然の頼みに、神崎さんは少し驚いているようだった。

「俺と…か?俺とお前じゃ体重差もあるし、第一、俺は有段者だぞ?」

「構いません。本気で、全力でやってみたいんです。ダメですか?」

 神崎さんは戸惑っているようだったけど、どうにか私の頼みを聞き入れてくれた。やはり神崎さんを相手に、回りくどいやり方じゃダメだと思う。こうして空手部に潜入したんだから、今の立場を利用して全力でぶつかってみよう。これが今の私に出来る最善の策だと思う。

 私と神崎さんは、試合用のグローブと防具を身に着ける。他の人達も何事かと様子を窺っているが、もう今更後には引けない。覚悟を決めなければな。審判役は、女子部長の峰岸さんにお願いした。そうして皆の注目を浴びながら、今開始の掛け声が道場に響いた。

 女子部員を相手に、軽くなら組み手をやらせてもらった事あるけど、こうして神崎さんと向かい合うと、圧迫感というか、威圧感がハンパないな…。神崎さんはまだ遠慮してくれてるんだろうか、こちらに攻めてくる事は無く、じりじりと一定の間合いを維持したまま私と対峙している。ここは、私から攻めるべきだ!

「神崎さん、行きますよ!」

「お、おう!」

 まだ回し蹴りは上手く出来ないから、前蹴りで牽制してから間合いを詰めて、正拳突きを出す。でも神崎さんは、完璧に防御した。神崎さんに教わったコンビネーションなんだから当然だろう。でも止めない。諦めない。

 ローキックでガードを下げさせて、顎を狙ってパンチを出す。これも神崎さんはしっかり防御した。鳩尾目掛けて拳槌を出し、軸をずらして脇腹に裏拳を出す。それでも神崎さんの防御は崩れない。私の腕力じゃ、この鉄壁のガードを崩す事は出来ないだろう。それでも攻撃の手を休めない。全力でぶつからなければ分ってくれないと思う。

「神崎さん!少しは攻めて下さい!」

 一方的に私が攻めているけど、全然私の打撃はヒットしていない。神崎さんが本気を出したら、私なんか一撃でKOされちゃうだろう。それでもやるんだ!

「城ヶ崎、お前一体どうしたんだ!?」

 完璧に防御しながらも、神崎さんはまだ戸惑っているようだ。私は攻撃の手を休める事無くそれに答える。

「神崎さん…、今…、好きな人いるんですか!」

「え!?」

「もしそれが私だったら…、その気持ちには応えられません!」

 その時、私の正拳突きが、神崎さんのボディーに初めてヒットした…。

「一本!」

 一瞬の沈黙の後、峰岸さんの声が道場に響いた。皆、私が神崎さんから一本取った事に、呆気に取られているようだ。

「城ヶ崎…、お前…、その…、俺じゃぁ駄目なのか…?」

 神崎さんが一番ショックを受けているんだろう。でも、こういう事はハッキリさせておかなければ。

「神崎さん…、お気持ちは嬉しく思います。でも、それは私じゃなく、別の人に向けて欲しいんです」

「別の人…?」

「私なんかじゃなく、神崎さんの事をずっと想っている人がいるんですよ。私はその人の気持ちを応援するって決めたんです」

 その時、視界の隅に見慣れた顔を見付け、私は自分の目を疑った。

「え?何でここにいるんですか?」

 空手部の人に混じって、何故か、いつの間にか岡がいたのだ。空手部の人達も、岡の存在に全然気が付かなかったらしく、皆ビックリしているようだった。

「いや~、良い勝負だったね。まさか神崎さんから一本取るとは思わなかったよ」

 岡がお気楽そうに、拍手をしながらそう言った。コイツは一体、何しにここに姿を現したんだ?その頭をはたいてやろうかと思ったけど、岡はスタスタと神崎さんに歩み寄り、何か耳元で囁いているようだ。

 岡の話を聞いた神崎さんは、目を丸くして、何か驚いているようだったけど、一体岡に何を言われたんだろう?まったく、何かやるなら、事前に打ち合わせぐらいやれよっつーの。


 放課後の、人気の無い体育館裏。神崎さんは、岡に導かれてそこにやって来た。そして、それを待ち受けるのは金山さん…。

「お前…、確か生徒会の…」

 神崎さんは、金山さんの事を覚えていてくれたらしい。金山さんは顔を赤くし、それでも嬉しそうな顔をしている。

「私の事、覚えていて下さったんですね。嬉しいです!」

 神崎さんと金山さんを二人だけにして、そっと岡と私はその場を離れた。

「結局、これってどういう事なんですか?」

 岡にそう尋ねると、

「金山さんが、一歩前に出る勇気を出してくれたって事だよ」

 岡ではなく、背後から深山がそう答えた。神出鬼没か?この二人は。

「俺達が提供できる情報はもう出し尽くしたからね。その情報を受けて、金山さんが告白する勇気を出せるかどうか、その選択を迫ったんだよ。その結果がコレって訳」

 岡は涼しい顔をして、そう説明する。だから、諜報部員同士、情報共有はやれってーの!この二人はいつもこうなんだから…。

「城ヶ崎さんも、潜入調査お疲れ様。あぁして神崎さんと勝負するとは思わなかったけど、キッパリ振ってくれた訳だし、金山さんと神崎さん、上手くいくんじゃないかな」

 岡はそう言っているけど、実際どうなるんだろう?ここからじゃ二人の会話は聞こえない。でも、何だか良い雰囲気なんじゃないかと思う。

 神崎さんも金山さんも、何か笑顔で話している。金山さんが、どんな言葉で告白したのか、神崎さんがそれに対してどう答えたのか、私達には分からない。でも多分、二人の関係は良いものになるんじゃないんだろうか。希望的観測も含めて、私はそう思った。そして、心の中でつぶやく。「金山さん、ガンバですよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る