第3話『美術室のさおりさん』
「美術室の幽霊?」
まぁ、学校の怪談なんてよくある話だけど、やっぱウチの学校にも、その手の話があるんだな~。その時私は、そう軽く考えていた。
「そうなのよ~。諜報部に、その幽霊について調べて欲しいの」
太田さんは困った顔で、そう言った。調べるも何も、そういうオカルト的なモノに対して、ウチら諜報部が役に立てるんだろうか?甚だ疑問ではあるが、とりあえず依頼という事であれば、部長の岡に話を通しておかなければな。
今は昼休み。お昼ご飯を食べた後、私は1年D組の太田さんから、相談したい事があるという事なので、話を聞いていた。太田さんとは、倉田さんの一件以来、友達としてお付き合いさせてもらっているんだけど、今回改めて諜報部への依頼という形で話をする事になった訳だ。
その日の放課後、視聴覚室で岡と深山に太田さんからの依頼について話すと、意外な事に、すんなりとOKしてくれた。
「何か面白そうじゃないか。超常現象の謎を解明するチャンスなんて、そうそう訪れるものじゃないよ」
岡は澄ました顔でそう答えた。深山も特に抵抗無いみたいで、
「俺も賛成~。普段の依頼とは違った面白さがありそうだし」
二人とも何だか乗り気なようだ。まぁ、私としては反対する理由も無いし、太田さんも困っているようだったから、別に良いかな~。しかし、幽霊かぁ…。本当にそんなもんがいるんかいな…?
さっそく美術室に向かうと、何か美術部の人達は普通にデッサンをしていた。見た感じ、至って普通に部活動をやっているような気が…。
中央に何だかよく分からない壺を置いて、皆で輪になってデッサンをしている。一人だけデッサンしないでウロウロしている人がいるけど(しかも制服が違う)、見学か何かかな?
私が太田さんに声を掛けると、待ってましたと言わんばかりに、顧問の先生や他の部員達を紹介してくれた。
「私が美術部顧問、仁科です。太田さんから話は聞いていると思うけど、よろしくね」
改めて自己紹介されたけど、美術部顧問の仁科真理絵先生は、私のクラスの担任をやっている仁科百合絵先生のお姉さん。直接関わった事は無いけど、私もその名前ぐらいは聞いていた。百合絵先生のお姉さんのはずなんだけど、見た目の印象は真理絵先生の方が幼く見える。担当する学年が違うからよく分からないけど、真理絵先生は結構友達感覚で接してくれるんだとかで、生徒から人気があるらしい。
「諜報部部長の岡です。何でも、幽霊が出て困っているとか?」
岡はそう言うけど、学園公認の部活じゃないんだけどなぁ~。まぁ、ここは突っ込まないでおこう。
「そうなのよ~。幽霊さんに話を聞いてみたんだけど、どこの誰で、何故この美術室に居着いちゃったのか、全然分からないのよねぇ~」
真理絵先生は、ほとほと困り果てた顔でそう言った…。イヤ、ちょっと待って、今サラッと、とんでもない事を言ったような気がするんだけど!?
「この子が幽霊のさおりさん。さおりさんの身の上とか、何故この美術室に居着いちゃってるのかとか、その辺を貴方達に調べて欲しいの」
真理絵先生はそう言って、さっきまで皆がデッサンしている中、何もしないでウロウロしていた女子生徒を紹介する。イヤ、幽霊って、こんなにハッキリ見えちゃうもんなの!?しかも、まだ昼間だし。何かの冗談でしょ?
「…どうも、さおりです。よろしくお願いします」
その人は無表情で名乗った。この人が幽霊?は?何それ?悪い冗談だとしか思えない。
すると岡が、さおりさんの胸に向かって手を伸ばす。イキナリ何を?と思ったけど、その手は何の抵抗も無く、さおりさんの体を突き抜けた…。
嘘ッ!?本物の幽霊!?
「本物ッ!?今、ス~ッて体を突き抜けた!?」
軽くパニックになる。てゆーか、マジで?本物の幽霊!?嘘でしょ!?
「さおりです…。よろしくお願いします」
さおりさんは、再び名乗った。イヤ、一体何なの?この状況は。訳が分からない。
「本物ですね…」
岡は真面目な顔をしてそう言った。
「本物なのよね~」
真理絵先生も、困った顔をしてそう言った。何でこの人達は、こんなに落ち着いていられんの?何なの、この状況は!?
すると深山も、さおりさんの体に向かって手を差し出すけど、スルッ、スルッと、突き抜ける。
「おぉ、本物だ!スゲェ!」
スゲェのは、アンタらの頭の方だよ!何でこの状況に順応出来てんのよ!?
「とにかく、状況は理解しました。さおりさんの身の上とか調べれば良いんですね」
岡はあくまで冷静に、そう話す。ちょっと待て。こんな依頼引き受けちゃってどうすんのよ?私達の手に負える内容じゃないでしょ!?
「さおりです…。よろしくお願いします」
さおりさんは、また同じように名乗った。え~~~~~、マジですかぁ~~~~~~!?
結局、諜報部としては正式に依頼を引き受ける事になった。真理絵先生の話だと、さおりさんが現れる様になったのは今週に入ってからなんだとかで、騒ぎになると色々マズイので、なるべく大事にならないよう、ひっそりと速やかに解決して欲しいらしい。てか、こんな依頼マジでどうすんの?
「とりあえず、手掛かりになりそうなのは、彼女の名前が『さおり』っていう事。後は、美術室に何らかの縁があるだろうって所かな」
岡はそう言うけど、たったそれだけの情報で、何をどう調べるっての?てゆーか、相手は本物の幽霊なんですけど。諜報部の出る幕じゃないような気がするんですけど?
「あの、本当にこんな依頼引き受けちゃって大丈夫なんですか?手掛かりも少ないし、私達だけでどうにか出来る問題じゃないんじゃ…」
私はそう言ったが、岡も深山も大して問題視していないようだ。
「そうでもないさ。本物の幽霊、つまり彼女は既に死んでいるって事。それなら過去に、事件や事故で死んだ生徒がいないか調べれば良いって事になるよね?」
岡はサラッと、そう言った。言われてみれば、確かにそうなんだけど…、だからって、さおりさんの事を調べ上げたとして、彼女を成仏させる事が出来るんだろうか?それこそ、お寺のお坊さんでも呼んだ方が良いような気がするんだけど…。
「とりあえず、東郷学園の過去について洗ってみようか。意外と答えはすぐ見付かるかもしれないよ」
深山もそう軽く言っている。う~~~ん、まぁ、やれるだけの事はやってみましょうかねぇ…。
私達はまず、東郷学園の歴史について調べ始めた。幸いな事に、図書室には学園史や新聞のスクラップがたくさん保管されていたので、それらを片っ端から調べてみたのだ。
そもそも、この東郷学園が創立されたのは五十年程前で、結構歴史のある学園なのを改めて知る事になる。ただ、美術室で生徒が死んだなんて話はどこにも見当たらなかった。まぁ、もし何らかの事件や事故があったとしても、表向きの学園史には残さないのかもしれないなぁ。
ただ一つだけ、学園史を紐解いていくうちに分かった事がある。それは、さおりさんの着ている制服について。彼女の制服は、今から三十年程前の東郷学園の制服だったのだ。つまり、彼女が死んだのは、少なくとも三十年以上昔という事になる。その時代に、一体何があったんだろう…?
「とりあえず、俺達がアクセス出来る情報は洗い終えたけど、それらしいモノは無かったなぁ…」
深山が、資料の山を整理しながら呟いた。いつもとは勝手が違う依頼内容だし、深山も資料とにらめっこして疲れているんだろう。学園史、古新聞、インターネット、調べられる情報は一通り見てみたが、やはりさおりさんに関連がありそうな情報は何も見付からなかった。
「もう、お手上げじゃないんですか?これからどうするんですか?」
そう言う私に、岡は
「情報として残っていないのなら、後は人の記憶にアクセスするしかないね」
と言った。どういう意味だろう?
「用務員のゴンさんに聞いてみよう。あの人は、東郷学園の生き字引みたいなもんだから」
用務員のゴンさん…、そんな人もいるのか。
「それでもダメなら、理事長にでも聞くしかないかな~」
深山は欠伸をしながら、そう言った。まぁ、私達に出来るのは、その程度だろう。とりあえず調べ終えた資料を手早く片付けて、私達は用務員室へと向かった。
もう既に日が暮れ始めている。運動部もそろそろ、後片付けをして帰ろうかという時間、私達は用務員室を訪れた。
「やぁ、ゴンさん。ちょっと良いかな?」
岡はそう、気さくに挨拶をする。そのゴンさんは、テレビのニュース番組を視ながら、のんびりお茶をすすっていたらしい。岡の顔を見ると、孫の顔を見るかの様な優しい笑顔を見せて、
「おう、悪ガキども。まだ帰ってなかったのか?」
と、そう言った。年齢は六十代かなぁ?ウチのお爺ちゃんより年配の人に見える。年齢による顔の皺が、笑顔になると余計に目立っている。優しそうな人で良かった。
岡に聞いた話によると、本名は遠藤権六。勤続四十年なんだとかで、東郷学園で過去に何かあったのなら、必ずゴンさんの耳にも入っているだろうとの事だ。
「ちょっと東郷学園の歴史について調べているんだけどさ、美術室で何か過去に、事件や事故って起こってないかな?」
岡がそう尋ねると、ゴンさんは何かを思い出すかの様に遠い目をして、
「…いんやぁ、特に何も無いのぅ」
と答えた。う~ん、手掛かり無しか…。ゴンさんでも知らないという事は、本当に何も無かったのかもしれない。だとすると、さおりさんは何故、東郷学園の美術室にいるんだろう…?
「じゃぁさ、ゴンさんの覚えている範囲で良いから、美術室に関する思い出とか何か無いかな?」
そう深山が尋ねると、ゴンさんは静かに目を瞑り、何かを思い出しているようだった。
「そうだのぅ…、ワシも長い事この学園に勤めているから、色んな生徒や教師を見てきた。お前達の様な悪ガキも数え切れん程おったわ。しかし、美術室となるとのぅ…。皆良い子ばかりだったぞ」
ゴンさんはそう言って、静かにお茶をすすった。
「さおりって名前に心当たりはありませんか?たぶん、昔この学園の生徒だったと思うんですけど」
今度は私から質問してみた。するとゴンさんは、
「さおり…?何じゃ、お前達『佐倉さおり』の事を言っておるのか?」
と答えた。もしかしたら、さおりさんの手掛かりになるかも?と期待したけど、ゴンさんの話を聞くと、どうやら関係無い人のようだった。
「佐倉さおりは、絵が上手い子でのぅ。何度も絵画コンクールで入賞しておったよ。この学園を卒業した後は美大に進学したらしいが、その後の事は知らんなぁ。今頃はどこぞの男と結婚でもして、良い母親にでもなっているじゃろうなぁ…」
ゴンさんは遠い目をして、そうしみじみと語った。う~ん、美術室のさおりさんとは別の人なんかなぁ?話からすると、まだ存命中の人みたいだし…。
結局、ゴンさんから色々話を聞いたものの、東郷学園では過去に、さおりさんに関連のありそうな事件事故の類いは一切起こっていないようだ。もう時間も遅いし、今日の調査はここまでにして、私達は帰る事にする。
視聴覚室に鞄を取りに行く時、美術室の前を通ったんだけど、既に美術部の人達は部活を終えて帰った後だった。ただ、美術室の中には一人だけ、さおりさんが佇んでいた…。特に何かをする訳でもなく、何を考えているのか、ただフラフラと、美術室の中を歩いては立ち止まり、また歩いては立ち止まりを繰り返していた…。
何だか、見ているだけで悲しくなってくる。最初は本物の幽霊ってだけでパニクってしまったけど、さおりさんの置かれている状況、自分がどこの誰で、何故ここにいるのかも何も分からないなんて、何だか気の毒過ぎる…。
しかも、さおりさんは幽霊…、つまり、もう死んでいるって事…。何とかして、さおりさんの素性をハッキリさせてあげたい。私達諜報部には情報を調べる事ぐらいしか出来ないけど、さおりさんが成仏出来るよう、何か手助けが出来れば…、私はそう思った…。
次の日、私達は理事長や勤続年数の長い先生方にも聞き込み調査をしてみたんだけど、やはりゴンさんと同様に、さおりさんに繋がる様な情報は得られなかった。昔の東郷学園の制服姿で、美術室にのみ現れるさおりさん…。絶対何か理由があるはずなんだよなぁ…。
放課後、途方に暮れて美術室に向かうと、昨日と同じく、美術部の人達はデッサンをしていて、さおりさんはフラフラと美術室の中を歩き回っていた。何だかんだで、美術部の人達は、さおりさんの存在を受け入れているんかな?どの人を見ても、さおりさんに怯えているような様子は見られなかった。
「私達も最初はビックリしちゃったけどね~。ホラ、さおりさんって、特に何かする訳でもないし、見た目も怖くないでしょ?どちらかと言うとカワイイし。ただ、ウチの部長はオバケとか怪談とかが大の苦手だから、さおりさんが出る様になってから、ず~っと部活を休んでいるのよねぇ」
真理絵先生はそう言って、困った顔をした。そうか、そういえば美術部の部長を紹介してもらってなかったなぁ。
そんな事情を知ってか知らずか、さおりさんはフラフラと美術室の中を歩き回っている。
私は改めてさおりさんと向き合った。
「さおりさん…、私は城ヶ崎朋子。あなたの名字は?」
「……」
さおりさんはキョトンとした顔をしている…。私が言っている事の意味が分からないんだろうか?
「さおりさん、何でも良いの。あなた自身の事を、何か思い出せない?」
「……さおりです。よろしくお願いします」
本当に、さおりさんは自分自身の事を思い出せないんだろうか。でも、もしも思い出すのも辛いような事が、生前のさおりさんにあったのなら、それを思い出させようとするのは酷な事かもしれない…。
「さおり!?」
その時、背後から聞き覚えのある声が響いたので、何事かと振り向いたら、そこにはゴンさんがいた。
「そんな馬鹿な…、どうしてあの時のままの姿でここにいるんだ!?」
そう言って、ゴンさんはさおりさんに歩み寄る。でも、さおりさんは無表情のままだ。
「ゴンさん、それってどういう事?さおりさんを知っているの?」
岡がゴンさんを問い糾した。美術部の人達も、真理絵先生も、一体何事かと様子を窺っている。
「あぁ、昨日のお前達の話が気になってのぅ。ちょっと様子を見に来たんだが…、まさか、さおりが…、あの日のままの姿でいるとは…」
ゴンさんは、さおりさんを見て明らかに動揺している。昨日話した、佐倉さおりっていう人がさおりさんなんだろうか?私は堪らず、
「あの日のままっていうのは…、昨日話した佐倉さおりっていう人の事なんですね?」
そう聞くと、ゴンさんは無言で頷いた。
「彼女は佐倉さおりだ。ワシがまだ、この学園の用務員に成り立ての頃、彼女はこの学園の生徒だった…。明るく元気で友達も多く、本当に良い子だった…。だが、何故今ここに…、あの時の姿でいるんだ!?」
ゴンさんは、さおりさんの肩に触れようとしたが、その手は虚しく空を切った。今のさおりさんに触れられる人はいないだろう。
「お前…、まさか…、死んじまったのか?嘘だろ?」
ゴンさんは今にも絶叫しそうな勢いだけど、さおりさんはキョトンとした顔のまま、状況を理解出来ていないように見える。
佐倉さおり…、それがさおりさんの名前なのか。でも、ゴンさんの話だと、まだ存命中の人みたいだったけど、この美術室に昔の姿で現れているって事は…、もう亡くなっているって事…?
私達は改めて、ゴンさんから佐倉さおりさんについての話を聞いた。
「あの時はワシも若かった…。生徒達がまるで、弟や妹のように可愛くてのぅ…。部活で遅くまで残っている生徒や、事情を抱えている生徒達の相談に乗ったりもしたもんじゃよ…。その中でも、佐倉さおりは特別でな…」
ゴンさんは慈しむ目で、さおりさんを見つめている…。でも、さおりさんは顔色一つ変えず、無表情のままだ…。
「正直言うとな、あの時ワシは、彼女に惚れていたよ…。彼女の若さが、明るさが、何もかもが眩しかった…。だが、口には出さんかった。ワシも自分の立場を考えると、一歩前に出る事が出来なかったんじゃよ。そんなワシの気持ちを知ってか知らずか、彼女はようワシを慕ってくれたのぅ…」
そうだったのか…。ゴンさんは、さおりさんの事をずっと思っていたんだ…。
「結局、ワシは彼女が卒業する迄、ただ見届ける事しか出来なかった。卒業していく彼女をただ見送るのは無念じゃったが、未来のある若者を世に送り出すのが大人の役目じゃからのぅ…」
ゴンさんはそう言って、静かに目を閉じた…。ゴンさんとさおりさんに、そんな過去があったのか…。何だか話を聞いているだけで切なくなってしまった…。
「とにかく、さおりさんの素性はこれでハッキリしたな。後は何故彼女が、この美術室に現れるのか、その原因を探ってみよう」
岡は冷静に、そう話す。確かに、さおりさんの名字と東郷学園に在籍していたという事実は分かった訳だし、後はこの世に留まっている原因を探らなければ…。何が彼女を、この美術室に縛り付けているんだろうか…?
私達は東郷学園の卒業者名簿から、佐倉さおりの名前を確認すると、早速連絡を取ってみた。幸いな事に連絡先はまだ繋がっており、さおりさんのご両親と連絡を取る事が出来たのだった。
「ウチのさおりの事で、何かお話しがあるとか…?」
さおりさんのご両親はご高齢ではあるけど、まだお元気なご様子で、娘さんの話を聞きに突然押しかけて来た私達を訝しむ事もなく、丁重に受け入れて下さった。ご自宅にはお二人だけで住んでいるらしく、お子さんは皆、既に独立されているようだ。
「さおりさんが東郷学園に通っていた時の事をお伺いしたいのですが。特に、美術部に関する思い出なんかを」
挨拶もそこそこに、岡はそう質問した。
「そうですねぇ…。あの頃のさおりは、美術部で毎日遅く迄学校に残って、絵ばかり描いていましたからねぇ…。とにかく時間さえあれば、毎日絵を描いていましたよ。帰りが遅くなって、顧問の先生に送ってもらった事も、しょっちゅうありましたからねぇ」
さおりさんのお母さんは、そうしみじみと語った。やはり、さおりさんにとって美術室は、思い出深い場所なんだろうなぁ…。
「あの子は本当に絵を描くのが好きな子で、どこへ行くにも必ずスケッチブックを持って行くぐらいでしたからねぇ。美術部での活動も、本当に楽しんでいたと思いますよ」
さおりさんのお父さんも昔を思い出しているのか、懐かしそうに、どこか嬉しそうに語っている。
私達は何故突然押し掛けて来たのか、詳しい事情を説明した。今、東郷学園の美術室に、さおりさんが昔の姿で現れているという事を…。すると、さおりさんのご両親はお互いの顔を見合わせて、酷く驚いた様子を見せた。
「そんな馬鹿な…、あの子はまだ、生きていますよ!?」
…え!?
佐倉さおり…、彼女は東郷学園を卒業した後、第1志望だった美術大学に進学し、在学中に二科展に入選。以降も精力的に作品制作を続け、大学卒業後はパリに留学。活動の場を海外に移したが、故郷である日本の様々な風景を描き続けた。現在もヨーロッパを中心に活動しており、郷愁を誘う風景画は美術愛好家の間で高い評価を得ているようだ。
1週間後、私達は美術室にゴンさんを呼び出した。今日も相変わらず、美術部の人達はデッサンに励み、さおりさんはフラフラと美術室の中を歩き回っている。
「一体どうしたというんじゃ?こんな所に呼び出して。さおりの事で、何か分かったのか?」
ゴンさんは渋い顔をしていたが、さおりさんはやはり、今日も無表情だった。
「今日はどうしても、ゴンさんに会ってもらいたい人を呼んでいるんだよ」
岡はそう言って、一人の女性を紹介する。年齢は五十代後半のはずだけど、実際の年齢より見た目は若く見える。その人は薄化粧の上にサングラスをかけており、服装は質素で品がある。すると、はにかんで頬を赤らめながらサングラスを外し、ゴンさんに挨拶をした。
「ゴンさん、お久しぶり。佐倉さおりです」
「さおり!?一体これは、どういう事じゃ!?」
ゴンさんが驚くのも無理はない。実体を持たない、過去の姿のさおりさん、そして数十年の時を経て、妙齢になった現在の佐倉さおりさん。二人のさおりさんを交互に見ながら、目を白黒させている。
「ゴンさん、佐倉さんは海外で芸術活動を続けていたそうなんだけど、今回特別に帰国してもらったんだよ。過去の因縁を断ち切る為にね」
岡がそう説明すると、実体の方の佐倉さおりさんが口を開いた。
「私も最初、連絡を受けた時はビックリしちゃったわよ~。そんな馬鹿な話があるもんですかってね。でも、メールで写真を送ってもらったら更にビックリしちゃってねぇ…。荷物をまとめて大急ぎで日本に帰って来ちゃった」
そう言って佐倉さんは、照れた様な笑みを見せた。
「でね、私も考えたのよ。何でこんな事になっちゃったのかな?ってね。これってたぶん、私が不完全燃焼だった燃えかすが残っちゃったのかなぁ?って」
佐倉さんは、霊体の方のさおりさんを、優しい目で見つめながらそう話す。
「不完全燃焼じゃと…?お前さん、あれだけ毎日頑張っておったのに、何かやり残した事があったのか?」
ゴンさんが不思議そうな顔をして尋ねると、佐倉さんはこう言った。
「一つだけ…、出来なかった事…、やり残した事があるの…。ねぇ、ゴンさん、こんな事覚えている?私達、美術部のメンバーが遅くまで美術室に残って、絵を描いていた時、ゴンさんが差し入れに焼き芋を買って来てくれたわよね。熱々ホクホクで、とっても甘くて美味しかったのよね~」
「あぁ、そんな事もあったっけなぁ…」
「他にも、夏の暑い日に、よく冷えたスイカを差し入れしてくれた事もあったわよね。ゴンさんの差し入れ、皆楽しみにしていたし、私も本当に嬉しかったわ…」
「なぁに、今更礼には及ばんよ。人の好意は甘んじて受け入れれば良い」
二人は昔を思い出しているんだろう。とても懐かしそうに語っている…。
「ねぇゴンさん、私ね…、今でも『佐倉さおり』のままなのよ。大学を卒業した後パリに行って、画家としての活動を始めちゃって、四十年近くそのまま走り続けちゃった。気が付いたらこんなオバサンになっちゃってたの…」
ゴンさんは無言で佐倉さんの話を聞いている…。
「今迄一人も言い寄ってくる男がいなかった訳じゃないのよ?色んな人からプレゼントを貰ったりもしたし。でもね、どんなに高価なプレゼントを貰っても、ゴンさんからの差し入れ以上に嬉しいと思える事は無かったわ…」
さっき迄無表情でいた霊体のさおりさんが、何だか切なそうな表情を浮かべている…。まるで、実体の佐倉さんとシンクロしているみたいだ…。
「私ね…、本当は…ゴンさんの事を…」
今、霊体のさおりさんが実体の佐倉さんと重なった!
「それ以上言うな!」
ゴンさんは、強い口調でそう言い放った…。
翌日、空港で私達は佐倉さんを見送っていた。
「わざわざ帰国してもらったのに、スミマセンねぇ」
岡がそう言うと、
「ううん、良いのよ。愛する母校に禍根を残す訳にはいかないじゃない」
佐倉さんは優しい笑みを浮かべながら、そう言った。
「佐倉さん、本当にあれで良かったんですか?せっかく四十年ぶりに再会したっていうのに…」
私のそんな言葉に、佐倉さんは
「大人になるとね、素直になれない事情があったりするのよ。貴方もいつか分かる日が来るわ」
そう言って、イタズラっぽくウィンクしてくれた。
結局、あれは何だったんだろう…?佐倉さんの積年の思いが、積もり積もって生き霊として…、『美術室のさおりさん』として姿を現わした…のかなぁ?
昨日、佐倉さんがゴンさんに告白しかけた時、霊体のさおりさんは、実体の佐倉さんと重なって同じ言葉を口にしていたように思う。でも、その言葉をゴンさんに制されて、霊体のさおりさんはスーッと姿を消してしまった…。
「これからはマメに帰国して、東郷学園にもちゃんと顔を出すわね。そうしないとまた、昔の私が姿を現わしちゃいそうだし」
佐倉さんはそう言って、笑顔で手を振ってくれた。もうすぐフランス行きの飛行機が飛び立つ…。結局、ゴンさんは見送りにも来てくれなかった…。
「何だか、スッキリしない終わり方でしたねぇ~」
私がそう言うと、
「まぁ、大人には大人の事情があるんだろう。俺達が口を挟まなくても、きっと本人達が…、時間が解決してくれると思うよ」
岡がそう言った。随分訳知り顔じゃないの…。私と一つしか違わないってーのに。
すると深山が、
「とりあえず、『美術室のさおりさん』は消えてくれた訳だし、俺達としても、調査依頼は果たしたんだから、あまり気にしなくても良いんじゃないの?」
なんて言った。まぁ、そうなんだけどね…。佐倉さんが言ってた『不完全燃焼』…、その言葉が私の頭をよぎった…。
次の日、朝登校する時に、校門周りを掃除しているゴンさんを見かけた。
「ゴンさん、おはようございます」
私がそう挨拶すると、ゴンさんは笑顔で
「おぅ、おはようさん」
と言った。四十年、東郷学園の用務員として勤め続けているゴンさん。今迄に色んな生徒を見てきたんだろう。そして、これからも…。
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