第2話『私ピンチなサウスポー』
密室の中、私は川中さんに、突然服を脱がされた。
「ちょ、ちょっと川中さん、イキナリ何するの!?」
思いっきり狼狽する私。だが、そんな私にはお構いなしに川中さんは、
「あらあら、城ヶ崎さんって結構イイ体してるじゃないの♪」
下着姿になった私を見て、川中さんは何やら笑みを浮かべている。
「ちょっと待って!とりあえず落ち着きましょう!?」
そう言う私に、川中さんは、
「大丈夫、心配しないで私に任せてくれれば良いから♪」
と言った。イヤ~~~~!私これからどうなっちゃうの!?
……、これは…、何だろう?
「ホラ、良く似合ってるじゃないの。城ヶ崎さん、今日はヨロシクね♪」
川中さんはそう言うが、イマイチ自分の置かれている状況が分らない。
事の発端はこうだ。川中さんから「城ヶ崎さんって左利きだよね?」なんて聞かれたので、そうだと答えたら、突然ここに連行された。ここは女子野球部の部室。今私は、何故か野球のユニフォームを着せられている。
「今日練習試合なのに、ウチのピッチャーの子が急にケガしちゃったのよねぇ。ウチって部員もギリギリ9人しかいないし、余ってるグローブも左利き用しかないから、城ヶ崎さん、今日は代理役お願いね」
川中さんはそう言って、私を拝むように手を合わせた。とりあえず状況は理解出来たけど、イキナリ野球のピッチャーやれってーの?いくらなんでも無茶振り過ぎるんですけど?
今日は女子野球部の練習試合。試合の相手は、駅を挟んで向こう側にある西郷学園だ。聞いた話によると、東郷学園と西郷学園は、昔からライバル関係にあるらしく、部活や試験の成績でいつも競い合っているらしい。そんな訳で、応援席には両校の理事長まで見に来ている。こりゃ、無様な姿は見せらんないなぁ…。
不安を抱えたまま、審判の掛け声と共に試合が始まった。東郷学園が先攻で、私の打順は4番。滅茶苦茶プレッシャー感じるんですけど?
「城ヶ崎さん、変に力んだりしないで、リラックスして行ってね」
なんて川中さんは言ってるけど、何で代理役の野球素人に、ピッチャーで4番なんかやらせんの?私、別に運動神経抜群って訳でもないし、単に左利きだからって理由だけで連れて来られたんですけど?意味が分らない。
まぁ結局、1回表は0点のまま。ヒットは出たものの、得点には繋がらなかった。とりあえず、私に打順が回って来る事は無かったので一安心した。
だが、うかうかしてはいられない。今度は私がピッチャーを務めなければならないんだから。大雑把だけど野球のルールぐらいは分っている。でも、だからといって、知識だけで通用する程甘くはないだろう。
この私の予想は的中し、あっという間にフルベース。投げれば打たれるという無残な結果となった。キャッチャー役の川中さんが、何か色々サインを出しているけど、結局は打たれてしまう。何か気が重いなぁ…。コールドゲームとかになっちゃいそうなんですけど…。
ふと、応援席を見ると、岡と深山が居る事に気が付いた。二人とも、私の気も知らないで、のんきに見物しているんでしょうねぇ…。
結局、1回裏は5失点。守りに助けられた形となった。そして2回表の打順は私からだ。上手く当てられるかなぁ…?
「やぁ、城ヶ崎さん。今日は女子野球部の助っ人なんだね」
そう岡に声を掛けられたけど、愛想笑いするぐらいしか余裕が無い。
「えぇ、まぁ…。私、野球は素人なんですけどねぇ…」
そう言うと、深山に
「バッターボックスに入ったら、相手のキャッチャーに聞こえるように『早く弘樹君にLINE返さなくっちゃ』って言ってごらん」
なんて言われた。何だそりゃ?何の意味があるんだろう?てか、弘樹君って誰よ?
「さぁ、城ヶ崎さん、早く行っておいで」
岡に促されて、私はバッターボックスに向かう。うぅ、何か凄いプレッシャーが…。最初の1球目は内角高目のストレート?とにかく早くて、体が反応する余裕も無かった。2球目も同じく内角高目。あっという間に2ストライクか…。とりあえず、ここは深山に言われた通りにしてみるかな…。
「早く弘樹君にLINE返さなくっちゃ」
そう言うと、西郷学園のキャッチャーの子が、『えっ!?』という表情で私を見た。何コレ?弘樹君って、この子に何か関係がある人なの?
疑問に思いながらもピッチャーは投球開始。3球目も内角高目にボールが飛んできて、私は空振りしちゃったんだけど、キャッチャーの子はそれを取りこぼしてしまった。
「城ヶ崎さん、チャンス!走って!」
岡がそう叫んだので、慌てて一塁に向かって走る。訳も分らず無我夢中で走り、どうにかセーフ。一体アレは何だったんだろう?
結局、後続の人達の頑張りで、どうにか私もホームインする事が出来た。ベンチに戻ると、何故か岡と深山に出迎えられる。
「城ヶ崎さん、やったね。この調子で逆転出来るよ」
岡にそう言われたけど、結局弘樹君って何なの?
「さっき言った『弘樹君』ってのは西郷学園のキャッチャーの彼氏だよ。スポーツの試合でも、精神的な揺さ振りは有効だからね」
なんて深山に言われた。いつの間にそんな事調べたんだ?この二人、やはり侮れない…。
「とにかく、西郷学園の選手の情報は調べがついているから。俺達諜報部流のやり方で勝ちを目指そう」
岡にそう言われたけど、本当に大丈夫なんか?情報戦だけで勝てる程甘くはないと思うんだけど…。
2回表は、皆の頑張りで、どうにか2点だけ返す事が出来た。問題はこれからだな。岡からもらった情報が、果たしてどんだけ通用するのか…?まぁ、今更後には引けないし、やれるだけの事をやるしかないか。
2回裏、今度はこちらの守り。西郷学園の打者それぞれのクセは、岡と深山から教えてもらっている。問題はそのクセを突くだけのコントロールが私にあるか?だ。こればっかりはやってみるしかないか~。
最初のバッターは外角低目が苦手、っと。私は狙いを定めてボールを投げる。スピードはそれ程乗っていないけど、何とか狙ったコースにボールを投げる事が出来て、バッターは空振りしてくれた。この調子で守り抜ければ良いんだけど…。
どうにかバッターを3人抑えて、チェンジとなった。途中、打たれはしたものの、ちゃんとバッターの苦手なコースを突いていたので、大きな当たりも無く出塁はゼロ。こんなに上手くいくとは思わなかったなぁ~。
でも、問題はこれからだ。いかにして逆転するか?って事なんだけど、その辺も岡と深山はぬかりなく、ちゃっかりチームの一員みたいに作戦会議に加わって、西郷学園の守備のクセや個人情報を皆に説明している。いつの間に、どうやったらこれだけの情報を集められるのか…?敵に回すと恐ろしい…、私は改めてそう思うのだった…。
試合は進み、7回裏。取って取られてを繰り返し、この時点で何とか1点リードにまで持ってこられた。野球素人の私が参加している事を考えれば、これは奇跡に近いだろう。
「徐々に追い上げて、とうとう逆転する事が出来ました!この調子で勢いに乗って勝っちゃいましょう!」
何故か岡が、この女子野球部の監督みたいになっている…。まぁ、ここは敢えて突っ込まないでおこう…。
とにかく、岡と深山のお陰で逆転する事が出来たんだ。後はこのまま、9回裏まで乗り切る事が出来るか…?せっかくなんだから、やっぱ勝ちたいしなぁ~。最初は無謀に思えたこの試合も、何だか勝利が現実的に思えてきた。
ピッチャーマウンドに立っても、試合が始まった頃のような緊張は消えていた。何か、野球って楽しいとさえ思えるようになっている。たまにはスポーツするのも悪くないな~。
なんて思っていたが、ここに来てイキナリ現実の厳しさを知る事になる。
「西郷学園選手交代、深沢まゆ!」
ガーーン!敵の秘密兵器の登場だ!事前に岡と深山に聞いた話によると、苦手なコースは無し!攻めも守りも完璧にこなす、超高校級選手の登場だ!
この深沢さんって、本当は西郷学園の空手部所属らしいけど、スポーツ万能で、色んな運動部に助っ人として参加しているらしい。
「城ヶ崎さん、落ち着いて!ビビっちゃダメだよ!」
深山がそう叫んだが、一体私にどうしろってーのよ?今迄は、だましだましやって来た感じだけど、今度ばかりは年貢の納め時か…。
キャッチャーの川中さんを見ると…、あのサインは『気合いでGO!』か…。いくらなんでも、そりゃ無理っすよ…。
とりあえず、ストライクコースを外して投げてみたんだけど、イキナリ打たれてホームラン。さすが、超高校級。私みたいな素人じゃ話にならんですよ。
これでまた同点になってしまったか…。今打たれた深沢さんは特別だけど、他の選手なら今迄通りに抑えられるはず…。
私は、岡と深山に与えられた情報に基づく、バッターの弱点を突いたピッチングを貫き、どうにか後続を抑える事が出来た。今度はこちらの攻撃か…。またリードする事が出来れば良いんだけど…。
「西郷学園は、秘密兵器の深沢まゆを出してきた。彼女には他の選手と違って、特にこれといった弱点が無い。でも、心配は要らない。飛び抜けた選手が一人加わっても、総合力でこちらが上回れば良いんだ。俺達ならそれが出来る!」
もう完全に、岡が女子野球部の監督みたいになっている…。本当の監督は、ベンチの隅で少しいじけているように見えるが、ここはそっとしておこう…。
「とにかく、守ったら負ける!ここは積極的に攻めるべきだ!西郷学園の深沢はピッチングも凄いけど、だからといって守りが盤石という訳じゃない。隙を突いてガンガン攻めよう!」
岡は一体、どんだけ野球を分かっているんだろうか?この自信はどこから出てくるんだろう。でもまぁ、ここまでチームを優勢に導いてくれたんだから、一応実績はある訳だ(姑息な手段ではあるけど)。まぁここは一つ、岡と深山に賭けてみるしかないか。どのみち、私達だけじゃ勝てそうにないからなぁ…。
8回表、東郷学園の攻撃。私の打順は2番目だ。西郷学園は深沢さんにピッチャーを交代し、第1球目は高目のストレート。遠目に見ても、凄い剛速球だという事が分る。あんな球、私達に打てるんか?今打席に入っている鏑木さんは、何とかタイミングを合わせようとしているんだけど、やっぱどうも上手くいかないようだ。結局、キャッチャーフライでアウトとなって、次は私の番に。バッターボックスに入ってピッチャーの深沢さんを見る。カワイイ顔して、もの凄い剛速球を投げるもんだな…。
そして深沢さんは投球を開始した…。え!?何か、気が付いたらキャッチャーミットにボールが吸い込まれてたんですけど?早過ぎて全然反応出来ない。最初のピッチャーの人もストレートが早かったけど、深沢さんの投げるボールは段違いに早い。こんなんじゃ、バットに当てられるかどうか不安だな…。最初の打席で使ったキャッチャー陽動作戦はもう利かないだろうしなぁ~。でも、あの剛速球にバットを当てるのは、もっと無理な気がする…。後は…、デッドボール?イヤイヤ、あんなのに当たったら死ぬわ!他に何か良い方法は無いものか…?そうこう考えているうちに、2球目もストライク。もう時間が無い…。とにかくやるしかない!
私は覚悟を決めて、バットを構えた。とにかく勝負は一瞬で決まる。こうなりゃ出たとこ勝負だ!深沢さんは大きく振りかぶって…投げた!今だ!
カキーン
ボールはどこ!?イヤ、バットに当たったのは分ったから、今はとにかく走らなきゃ!とりあえず、ボールの行方を確認する前に一塁を目指して走り出す。ファーストの守備は動いていない。間に合うか?とにかく無我夢中で走って、ようやく一塁を踏んだ。どうにか間に合ったか…。正直ホッとした。んで、ボールはどこに行ったんだろう?そう思ったら、何か観客がワーワー言っている。
「城ヶ崎さん、ホームランだよ!」
「え!?」
川中さんに言われて初めて気が付いたけど、思いっ切りフルスイングしたらホームランになっていたらしい。自分でも信じられないけど、とにかく塁を回らなきゃ。
何だか夢を見ているようだ。まさか、自分がホームランを打つなんて思いもしなかったなぁ~。打たれた方の深沢さんは、ガックリうなだれているけど、まぁ、これは試合なんだから仕方が無い。悪く思わないでね~。
ベンチに戻ったら、岡を始めとして全員とハイタッチをする。何かテレビでよく見るけど、実際にやると気分良いなコレ。
「城ヶ崎さん、よくやったね。まぐれ当たりでもホームランはスゴいよ。しかも、相手はあの深沢まゆだからね」
そう深山が興奮気味に言ったが、確かに、野球なんてほとんど経験の無い私が、あんな剛速球をホームランにしちゃったんだもんなぁ~。そりゃ誰だって驚くだろうし、私自身が一番ビックリしてるわ。
「とにかく、城ヶ崎さんのお陰でまたリードする事が出来たね。そして西郷学園の深沢にも弱点がある事が分った」
岡がそう言ったけど、深沢さんの弱点?それって何の事だろう?
「深沢さんの弱点って何ですか?私がホームランを打ったのは、たまたまのまぐれ当たりだと思うんですけど」
そう聞くと、
「深沢はピッチャーとしては、あの剛速球が持ち味になっているけど、逆に言えば剛速球しか投げられないんだと思う。今の所、変化球は一球も投げていないからね。そして、直球でストライクゾーンを狙って投げてくるから、タイミングさえ合えば大きな当たりが期待出来るって訳だよ」
う~~ん、分ったような分らないような…。野球部の人は何か頷いているけど…、まぁ、戦略の役に立ったのなら良しとしよう。
「じゃぁ城ヶ崎さんに続いてガンガン攻めよう!そして、この試合に勝とう!」
皆で円陣を組んで、掛け声をあげた。何かもう、『チーム岡』って感じだな…。
結局、8回表の得点は、私が打ったホームランのみで、現在1点リード。チェンジして8回裏か…。この回を3人アウトで抑えたとしても、9回裏には深沢さんに打順が回ってしまうな…。
とにかく、これ以上得点を許さない事だな。深沢さんの攻略法は見えてきたけど、まだまだ実践するには難しいだろう。得点するのが難しい以上、守備をキッチリやっておかなければ。私は岡から聞いた、西郷学園のバッターそれぞれの弱点を思い出す。まだまだ私のピッチングでも行けるはずだ。ここまで抑えて来られたんだし。やってやろうじゃないの!
カキーン
「え!?」
イキナリ最初のバッターにヒットを打たれてしまい、超焦る。ちゃんと苦手なコースにボールを投げたんだけどなぁ…?
次のバッターは、内角低目が苦手なはず…。
カキーン
「嘘ッ!?」
また打たれてしまった。何で?コントロールが乱れている?スピードが落ちている?確かに疲れてきてはいるけど、まだまだ大丈夫…なはず。
カキーン
また打たれてしまった…。あっという間にフルベース。1回裏の悪夢が甦る…。
ここで岡がタイムをかけて、作戦会議。ピッチャーマウンドに全員集合する。
「どうも、バッターの弱点を突くっていう作戦が読まれているみたいだね…。苦手なコースでも、最初からそこに来ると分っていれば、待ち構える事は出来るだろうからね」
岡はそう説明する。う~ん、じゃぁ、これからどうすれば良いんだろう?
「皆にちょっとお願いしたい事があるんだけど…」
岡はそう言って、新しい作戦について話し始めた…。
私達は作戦会議を終えて、試合再開となる。しかし、本当にこんな事やっちゃって良いのかなぁ?何だか気が進まないんだけど…。
西郷学園の応援席を見ると、岡が言っていた男子がいる。うぅ…、やんなきゃダメなんかなぁ?変に恨みを買う事になりそうなんだけど…。
「雅彦く~ん♪私のピッチング見ててねぇ~♪」
…滅茶苦茶恥ずかしいんですけど。こんなんで効果あるんかなぁ?今バッターボックスに入っている西郷学園の人の彼氏らしいけど、岡が言うには、これで精神的な揺さ振りを掛けられるらしい。
しかも、これだけじゃぁ終わらない。
「清く~ん♪」
「秀夫く~ん♪」
「俊く~ん♪」
守りについているウチのチームから、次々と声があがる。皆、西郷学園の選手の彼氏や好きな人達の名前ばかりだ。岡も、何つー作戦を考えるんだよ…。バッターもランナーも、唖然としているのが分る。
一応、効果はあったのか、バッターは空振り三振。塁に出ていたランナーも、次々とアウトになった。とりあえず1点リードは守り抜いたけど、こういうやり方はいかがなものか…。
「皆よくやってくれたね。お陰で西郷学園側の動揺を誘う事が出来た。後は9回表でどれだけ点差を広げられるか?そして9回裏でしっかり守る事が出来るか?にかかっている。最後まで気を抜かず、全力で行こう!」
もうすっかり岡の監督っぷりが板についている。しかし、こういう作戦は…、無駄に敵を増やす事になりそうなんだけど…。
「あの~、ちょっとやり方が姑息過ぎやしませんかね?一応、スポーツなんだし、正々堂々戦うべきなんじゃ…?」
堪りかねて疑問を呈するが、岡は全く意に介さない。
「勝てば官軍だよ、城ヶ崎さん。どうせなら、この試合勝ちたいでしょ?勝つ為には時に手段を選ばない。勝負の世界はシビアなものなんだよ。スポーツの世界は、何も身体能力だけで競い合うものじゃないさ。精神的な駆け引きだって立派な戦術の一つだと思うよ」
何か、正論とも屁理屈とも取れる事を言っている…。岡と言い合っても、全然勝てる気がしないな…。
「とにかく、私はこういうやり方良くないと思いますんで。ラストの9回は、正々堂々行こうと思います!」
岡に啖呵を切ったものの、9回表の攻撃は7番から。私に打順が回って来るとは思えないな…。もどかしいけど、今の私にはバッターボックスに入るチームメイトを応援する事しか出来ない。でも、祈るような気持ちで見つめていたら、奇跡は起こった!
ツーアウトで打席に入った川中さんが、1球目でイキナリ三遊間を抜くヒット!それに続くのはスラッガーの宮代さん。ここ一番で良い仕事をしてくれる人だ。これが期待に応えてくれて、一二塁間を抜くヒットで川中さんは一気に三塁へ。ツーアウトながらもランナーは二人。ここで何とかホームインして欲しいところだ。
次のバッターは俊足の大迫さん。その足を活かしたバントが持ち味で、この打席でもバントの構えを見せる。当然、西郷学園側はバントシフトに移るけど、その裏をかいてのバスター、そして川中さんはヒットエンドラン。これが上手くいき、川中さんはホームイン!ここに来て東郷学園が2点リードとなった。
次の打者、鏑木さんが出塁出来れば、その次は私の出番だ。内心ドキドキしながら、私は神に祈った…。もう一度、深沢さんと真っ向勝負をしてみたい。正面から正々堂々ぶつかって、私の力はどれだけ通用するのか、それを確かめたいと思った…。
バッターボックスに入った鏑木さんは、バットを短く持っている。ここは確実に打ちに行くつもりなんだろう。前の打席ではキャッチャーフライで打ち取られてしまったけど、3番バッターとしての実力はある人だと思う。お願い…、打って…!
カッキーン
打球は鋭いライナーとなって、一二塁間を抜いた!これでフルベースとなり、とうとう打順は私に回って来た…。
「城ヶ崎さん」
バッターボックスに向かう時、川中さんに声を掛けられた。
「私も城ヶ崎さんと気持ちは同じだから。思いっ切りぶちかましてきちゃってね」
「うん!」
チームメイトに見送られて、バッターボックスに入る。ここで一気に点差をつけるチャンスだな。ただ、前の打席のような、まぐれ当たりは期待出来ないだろう。深沢さんも警戒するだろうし、ここは私の実力が問われる場面だ。
正直言うと、勝てる気はしない。でも、やる。やってやる。やってやろうじゃん!
ボコッ
「ぐえぇ…」
てっきり、今度もストライクコースにボールが飛んで来ると思っていたら、横っ腹に思いっ切りデッドボールを食らってしまった…。い、痛い…。
痛みを堪えて一塁に向かう。とりあえず、押し出しで1点追加、3点リードになったか…。ぶっちゃけ、試合の事なんかどうでもいい位に痛い…。こんなんで、9回裏はどうすんのよ…?代走を頼みたいところだけど、ウチのチームは9人しかいないからなぁ…。
投げた方の深沢さんは、帽子を取って深々と頭を下げていたが、正直どうでもいいわ。元々こっちが相手の神経逆撫でするような作戦を取っていたんだから、身から出た錆とも言えるかもしれないし。とにかく、今は早くベンチに戻りたい。でも、チェンジになったら、休む間も無くピッチャーやらなきゃならないんだよなぁ~。何とか打線を繋いで、時間を稼いでもらいたいところだけど…。
横っ腹に鈍い痛みを抱えたまま、私は塁を進む。だが結局、私は二塁止まりでホームインする事は出来ず、こちらが4点リードした状態でチェンジとなった。
とりあえず、一旦ベンチに戻って救急手当てを受ける。こういう時、本当はRICE処置ってのを受けるそうなんだけど、時間が無いのでアイシング用のコールドスプレーを思いっ切りかけてもらう。多少は痛みが和らいできたかなぁ…。
「城ヶ崎さん、大丈夫?無理はしないでね」
川中さんも心配してくれるけど、あと1回抑えれば試合は終了。まだまだ頑張らなくっちゃ。
「あと1回でおしまいなんだから、頑張らなくっちゃね。打たれるかもしれないけど、皆守備の方よろしくね」
私は精一杯の強がりを見せる。岡にああ言った手前、ここで引き下がる訳にはいかないしな。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、岡はアドバイスをくれる。
「城ヶ崎さん、ハッキリ言うと、今のコンディションではピッチングにも限界があるだろう。それに、西郷学園もこちらの作戦を全て見越した戦略で攻めてくるだろうからね。でも、付け入る隙が無い訳じゃない。急場凌ぎだけど、9回裏を守り切れればこちらの勝ちなんだから、今から言う事をしっかり覚えてくれないか」
そして、岡は新しい作戦について語り出す…。
運命の9回裏が始まった。ポジションは引き続き、私がピッチャー。他の皆も同じポジションのままだ。正直、岡の考えた作戦には面食らってしまったけど、今の私達に出来るベストな戦略なんじゃないかと思う。あとは実行するだけか…。まだデッドボールの痛みが残っているし、ぶっつけ本番になるけど、ここはやるしかない!
最初のバッターと向かい合う。上手くいけば良いんだけど…。私はグローブの中でボールを掴みながら、岡に言われた事を思い出す。そして…、投げた!
ボールは不規則な動きを見せて飛び、バッターは空振りする。どうにか上手くいったか…。岡に託された作戦はこうだ。今の私のコンディションでは球速には期待出来ないし、コントロールも乱れるだろうと。だったら、バッターが予想出来ないような変化球を投げる事がベストだという事だ。そして教えられたのがナックルボール。詳しい事はよく分らないけど、あまり速度を出さなくても変化を付けられるらしい。ただ、どう変化するのかが全く予想出来ないらしく、キャッチャーが捕球するのも難しいという諸刃の剣。だけど、こちらが4点リードしている状況なので、西郷学園側は積極的に打ちに来るだろうというのが岡の読みだ。予想もつかない変化球なので、例え当たっても凡打になるだろうから、あとは守備でカバーすれば良い、というのが岡の考えた作戦の全容だ。姑息な手段を使わなくても、ちゃんとした戦略でいけそうじゃないのよ。ほんの少しだけど、私は岡を見直した。
だが、次のバッターは深沢さんだ。あの人にこの作戦が通用するかどうか…。私はボールの握り方を確認し、狙いを定め、大きく振りかぶって…投げる!
ゴンッ
「うわッ!?」
深沢さんは初球から打ちに来たんだけど、鈍い当たりだったにも関わらず、その打球は鋭いピッチャーライナーとなった!危うくピッチャー返しを食らうところだったけど、とっさにグローブを出したらスッポリとボールは収まってくれたので助かった。とりあえず、アウトにはなったけど、まだ心臓がバクバクいってるわ…。
とにかく、これで2アウト。あと一人抑えれば試合は終わる…。バッターボックスに入っているのは、度々ヒットを出して、私を苦しめてくれた人だ。果たして、新しく覚えたナックルボールが通用するんか…?
大きく振りかぶり、第1球目…行けッ!
「ボ―――ル!」
1球目はストライクコースを外れてしまったか…。バッターはそのまま、スルーした。でも今は、これしか手が無いからなぁ…。ここは、岡の作戦を信じよう。
気を取り直し、第2球目…行けッ!
「ストライ――ク!」
うん、どうにかストライクを取れたか。ボールは微妙なコースを飛んだけど、今度はバットを振ってくれたので、空振りでストライクとなった。あと2回…、それで試合は終わる…。
ふと、川中さんがサインを出しているのに気が付いた。あれは…『運を天に任せる』か…。確かに、今の私達はそういう状況だろう。私の新しい武器であるナックルボールも、確実にストライクを取れる訳じゃないしなぁ~。まぁ、今はあれこれ考えても仕方が無い。思いっ切り、全力投球するだけだ。力むと横っ腹が痛いけど。
バッターはバットを短く持っている。多分、確実にヒットを出すつもりなんだろう。ストライクコースを大きく外さなければ、バットを振ってくるはずだ。例え打たれたとしても、ウチの守備はカバーしてくれる。そう信じている。
私は大きく振りかぶり、そして…投げた!
カキーン
打たれたッ!ボールは内野ゴロだ!前進していた遊撃手が急いでボールを捕り、一塁へ投げる!間に合うか…!?
「アウトッ!」
審判の掛け声がグラウンドに響いた。3アウト、ゲームセット…。
「勝った!?」
応援席からワァッっと歓声があがる。本当に勝っちゃったの?マジで?何だか嘘みたいだ。
「城ヶ崎さん、やったね!」
川中さんや、他の人達もピッチャーマウンドに集まって、皆でハイタッチをする。まるで夢を見ているみたいだ。そうか、勝っちゃったのか~。イヤ、まぁ、何て言うか、素直に嬉しいなコレは。最初は訳も分らず連行されて、強引に助っ人にされちゃったんだけど、こうして一試合終えると、何か感慨深いもんがあるなぁ~。
全員整列してお互いに挨拶する。色々あったけど、最後は握手して試合終了だ。岡に与えられた作戦とはいえ、姑息な手段を使ったりもして、申し訳ない気持ちを否定出来ない。とにかく、これで終わったんだな~。何かホッとしたら、デッドボールの痛みがぶり返してきてしまった。
次の日、放課後に視聴覚室で駄弁っていたら、川中さんを始めとした女子野球部のメンバーが全員押しかけて来た。
「城ヶ崎さん、昨日は急なお願いなのに、助っ人してくれてありがとうね」
改めてお礼を言われると、何だか照れるなぁ~。
「あぁ~、イヤ、私も結構楽しかったし、お礼なんて別に良いのよ」
そう言う私に、川中さんは、
「それでね、皆で話し合ったんだけど、城ヶ崎さんを正式に女子野球部に迎え入れようかってね」
「へ?」
イヤイヤ、ちょっと待ってよ、何でそうなるの?思いっ切り焦ってしまったけど、女子野球部キャプテンの松岡さんはこう言った。
「川中さんから詳しい話は聞いたわ。ほとんど野球の経験が無いのに、あれだけ活躍出来る貴方のポテンシャルに賭けてみたいの。諜報部なんて訳の分らない同好会じゃなく、是非ウチの部に来て!」
何か、力説されてしまい、思わず納得しそうになってしまった。だけど岡は、
「昨日のアレは、あくまで助っ人でしょ?城ヶ崎さんはウチの貴重な女子部員なんだから、勝手に引き抜かれると困るんだよねぇ」
そして深山も、
「訳の分らない同好会なんて酷いなぁ。俺達は俺達で、真面目に活動しているんだけど」
そう言って、二人は間に割って入る。何か、私の気持ちを無視して話を進めるのは止めて頂きたい。でも、実際のところ、女子野球部に入りたいか?って聞かれると返事に困るなぁ~。野球をやるのも案外楽しいもんだと思ったのは本当だけど、部活動としてやりたいか?って聞かれると二の足を踏んでしまう。まぁ、大前提として、今の私は諜報部を離れらんないってのがあるしなぁ~。
そんな私の気持ちは完全無視して、岡&深山と女子野球部の面々は、あーだこーだと言い争っている。何か、自分を取り合っての言い争いってのは悪い気はしないけど、既に答えは決まっているんだよなぁ~。はてさて、どうしたもんかねぇ…。
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