私立東郷学園諜報部
ひま☆やん
第1話『倉田エミの事情』
「1年D組の倉田エミについての情報が欲しいんですけど…」
その日、ある男子生徒から私達諜報部に調査依頼がきた。依頼者は1年A組の保科史弘君。見た目と話し方からは、優等生タイプで大人しい感じの印象を受けた。黒縁メガネと優しそうな顔立ちが、より一層優等生的イメージを与えてくれる。きっと自宅の本棚には参考書がズラ~っと並んでいて、学級委員とかもやっているんだろうな~なんて勝手に想像してしまった。
1年A組ということは私の隣のクラスなんだけど、彼とは話した事も無いし、その存在自体を私は今日迄知らなかった。
「オーケー、引き受けましょう」
そう軽く受け答えるのは、諜報部の部長である岡隆雄。私の1年先輩で2年A組所属。ひょろっとした長身痩躯、面長でもみあげが長い。東郷学園の生徒なんだけど、何故か制服じゃなくてスーツを着ている。もし赤いジャケットを着ていたら、まるでルパンみたいに見えるんだろう。
「コレ、料金表ね。情報収集の精度に合わせて金額が変わるから」
そう言って依頼料の説明をしているのは深山楓。彼も私の1年先輩で、岡隆雄と同じ2年A組所属。茶色い長髪に整った顔立ちと均整の取れた体格。その見た目からは、何となくチャラそうな印象を受けるけど、意外なことにテコンドーをやっているそうだ。彼も制服ではなくスーツ姿。こっちのルックスは、例えるならホスト系かな?
そして私は城ヶ崎朋子。1年B組。先月福岡から東京に引っ越しして、この学園に転校してきたばかり。まだ東郷学園のことをよく分かっていないうちに、半ば強引に、不本意な形でこの諜報部の部員になってしまったんだ。
諜報部とはいっても、本格的なスパイ映画のような事はやっていないし(たかが高校生なので当たり前だけど)、もちろん学園公認の部活動じゃない。その存在は、学園内の大多数の人が知っているようだけど、学園非公認の同好会的な位置付けのようだ。そんな訳で顧問の先生もいないし部室も無いから、基本的には放課後誰もいない視聴覚室を拠点に活動している。
そんな諜報部の具体的な活動内容としては、学園内での情報収集と情報操作が主なところ。「好きな人の事を知りたい!」とか「変な噂が広まっていて困っている!」とか、そういった依頼に対して情報戦を繰り広げている…らしい。部長である岡の話を聞く限りは。
まぁ、私の認識としては、学園内の便利屋、何でも屋的なイメージだ。
依頼者が去った後の視聴覚室、私達は今回の依頼に対する打ち合わせを始めた。いつも通り、部長の岡がリードしてしゃべり始める。
「じゃあ、現時点での情報を整理しよう。今回のターゲットは1年D組の倉田エミ。俺達のデータベースには情報が無い生徒だな。依頼者の保科史弘は、倉田エミに好意を抱いていて、可能な限り情報を収集して欲しいと依頼してきた…っと」
そう言いながら、岡はノートパソコンのキーを打っている。コレは東郷学園の備品ではなく、岡の私物であって、過去の調査依頼で収集した数百人分のデータがストックされているらしい。コレって、法的にどうなんだろう?やっぱアウトなんじゃないんだろうか?
ちなみに、その数百人分のデータの中には、私の情報も含まれている。
「城ヶ崎さん、D組に友達とかいないかな?」
岡にそう尋ねられたが、まだ転校したばかりで、ようやく自分のクラスに馴染んできたところなのに、他のクラスに友達なんかいる訳がない。
「いや~、D組に友達はいないですねぇ…」
と、苦笑しながら答えると、今度は深山が、
「城ヶ崎さんは、まだ転校して1ヶ月ぐらいだよね。その立場を上手く利用出来ないかな?」
なんて提案してきた。
「利用するっていうと?」
どういう事かと問いかけると、
「まだこの学校の事がよく分からないから、職員室の場所はどこ?とか、何か適当な理由で話しかけるとかさ」
続けて岡も、
「城ヶ崎さんには究極の方向音痴という特技がある訳だし、その線でターゲットに接近出来るな」
なんて言って頷いている。究極の方向音痴だなんて失礼な!…でも、実際私が方向音痴なのは確かなことだ。さすがに転校して1ヶ月も経つと、もう慣れちゃったけど、転校初日なんか、昼休みに中庭から教室に戻ろうとしたら、さんざん道に迷った挙げ句、何故か校舎の屋上に出てしまっていたしなぁ…。初めての場所では必ず道に迷う。これが私の不本意な特技である。
「道を尋ねるのはいいとして、その後はどうするんですか?教えてくれてありがとう~って、それで終わっちゃいそうですけど」
知らない人に話しかけるだけでもドキドキもんなのに、個人情報を引き出そうだなんて、私に出来るんだろうか?そんな不安が頭をよぎった。
でも、そんな私の不安にはお構い無しに、岡は気楽そうに話を進める。
「まぁまぁ、そこは城ヶ崎さんのコミュニケーションスキルで上手い事やってよ。とりあえず楓はいつも通り、周辺人物から情報を収集してくれ。俺は学園のサーバをハッキングして、基本的な情報を固めておくから」
そんなことをサラリと言ってのける。学園のサーバをハッキングって、本当に高校生なのか?と疑ってしまった…。少なくとも、普通の高校生ではないな…。
私立東郷学園、生徒総数およそ五百人。偏差値は都内の平均辺りで、文化系、体育会系を問わず、部活動も盛ん。最近は女子野球部なんかも結構話題になっているようだ。
自由な校風が売りで、個性的な生徒が多数在籍しているらしい。まぁ、諜報部なんてのが存在している事からもそれは分るだろう。
入学試験には普通教科のテストとは別に、高校では珍しい一芸入試制度を導入している事でも知られている。私は特にこれといった特技も無かったので(一応、料理が得意ではあるけど、アピールするには弱いし、岡が言う究極の方向音痴なんてのは本来特技と言わないもんね)、普通に編入テストを受けて合格したんだけど、この諜報部の二人、岡と深山は、一体どういう風に入試を突破したんだろう?さすがに入学試験の時に「諜報部を作りたいです」なんて事は言わなかっただろうけど。てゆーか、何で諜報部なんて作ったんだろう?学校の部活動でやる内容じゃないよねぇ?
翌日、私はターゲットである倉田さんと接触するべく、休み時間にD組の前をウロチョロしていた。ポケットには岡から借りたボイスレコーダーとデジカメが入っていて、コイツで倉田さんとの会話を録音し、チャンスがあれば隠し撮りするよう言われているのだ。
今は休み時間だから教室を出入りする生徒は大勢いるけど、お目当ての倉田さんが中々出て来ない(出入りする女子の名札をくまなくチェックしている)。あぁ~、じれったいけど、出来れば出て来ないで欲しいような、何だか複雑な気分だ。今回のターゲットは同じ学年だからまだいいけど、上級生が相手だとやりづらいんだろうなぁ~。
廊下からD組の中を覗くと、女子が数人集まっておしゃべりしている様子が見える。そもそも、どの人が倉田さんなんだろう?
依頼者である保科君は、倉田さんの情報を手に入れたら告白とかするんかな?やっぱ倉田さんの事を好きで、情報欲しさに諜報部へ依頼してきた訳だし。そう考えると、ちょっと応援したいような、でも諜報部に調査依頼をするのってどうよ?って気もしなくもないけど…。
「城ヶ崎さん、調子はどう?」
ふと、声をかけられて気付いたんだけど、いつの間にか横に深山が立っていた。そういえば彼は、周辺人物から情報を集める役割なんだっけ。
「あ~、イヤ、まだ接触出来てないです…」
何だかちょっと情けないような、申し訳ないような気分になってしまった。やはりここは、もっと自分から積極的に動いて、早く倉田さんと接触するべきなんだろうか?
「まぁそう気張らないで、肩の力を抜いてリラックスしてね。あくまで自然体で接近するようにお願い」
「はぁ…」
深山にそう言われたけど、自然体でなんて出来るんだろうか?私、別に演技力がある訳でもないしなぁ…。岡が「コミュニケーションスキルで~」なんて言っていたけど、それについても自信が無い。私って、自分から積極的に友達を増やすタイプじゃないし。同じクラスの人とだって、まだそんなに親しくなっている訳じゃないのになぁ~。
ところで、深山の方はどうなんだろう?調査、進んでいるんかな?
「深山さんはどうなんですか?調査、進んでます?」
そう尋ねてみると、
「ある程度の人間関係とかは分ってきたよ。あ、ちなみに、あそこにいる茶髪でポニーテールの子。あの子が倉田エミだから」
深山はそう言って、D組の中にいる女子の集団の方を指差す。茶髪でポニーテールの子っていうと…、あ~、あの人が倉田さんなのね。遠目に見ても、結構カワイイ人だなぁ~。明るく活発な感じがするし、たぶん友達も多いんだろう。
D組の女子の集団、その中で中心になってしゃべっている人がいた。会話の内容までは分らないけど、よく笑い、よく頷き、表情がコロコロ変わっている。今回の依頼者である保科君は、あの人の事が好きなのね。何か納得してしまう程カワイイ人だ。
「隆雄の方は、ちょっとハッキングに手間取っているらしい。どうやら学園側に、システムのセキュリティを強化されちゃったみたいだね。まぁ、隆雄にかかれば時間の問題だろうけど」
深山はこんな事を軽く言ってのける。つくづく、とんでもない高校生だなぁ~と思った。こんな人達の仲間に入って、私は本当に大丈夫なんだろうか?やっている事が全部学園にバレたら、内申点とかにも響きそうだし、最悪、停学とか退学とかになるんじゃないんだろうか?岡と深山はその辺り、どういう風に考えているんだろう?
「おっと、もうすぐ休み時間が終わるよ。じゃぁ、焦らず確実に、頑張ってね」
そう言って深山は立ち去った。私もここらで一旦引き上げるとするかな~。
帰り際、D組の中を覗くと、まだ倉田さん達はおしゃべりを続けていた。う~ん、上手く出来るんだろうか?
昼休み、私はいつも通りに同級生の川中さんとお昼ご飯を食べている。東郷学園には学食や購買もあるけど、私は自分で作ったお弁当持参、川中さんは登校途中にコンビニでパンを買っているので、四時間目が終わったらサッサと教室で食事に入っている。
川中さんはうちのクラスの学級委員で女子野球部所属。面倒見が良くて転校初日に校舎を案内してくれたりもしたんだけど、ちょっとおっちょこちょいな部分があって、案内してもらっている最中に先生に呼び出され、私を置いてけぼりにした事もあったりするのだ。お陰様であの時は道に迷いましたよ。ええ。
「城ヶ崎さん、今日は休み時間にどこ行ってたの?ちょくちょくいなくなってたよね?」
そんな事を言われてドキッとした。川中さんには既に、私が諜報部の一員になっている事は知られているんだけど、任務については言っちゃぁマズいだろう。
「えっと…、トイレ行ったりとか、ちょっと校舎を探検したりとか…」
苦し紛れに言い訳したけど、どうにか誤魔化せた…かな?
「そっかそっか~。もうこの学校にも慣れたよね?転校初日なんか二回も迷子になってたものね」
そう言って川中さんは笑っている。まぁ、誤魔化せたのなら良しとしよう…。
そういえば、川中さんはD組に友達とかいないんかな?いるんならその人を紹介してもらって、何か倉田さんと接触する切っ掛けを掴めるかもしれないな。
「川中さんって、他のクラスにも友達いる?」
「ん~、何人かいるよ。中学が同じだった子とかもいるし」
「例えば、D組とか…は?」
一瞬沈黙が流れたけど、川中さんは小声で
「ひょっとして、諜報部絡み?」
なんて聞いてきた。しまった、ストレート過ぎたか。
「あ~、イヤ、あのね…、実はまぁ、そうなんだけどね…」
こうなったら下手に誤魔化すよりも、正直に言って協力を仰いだ方が良いだろう。私も小声でヒソヒソ話しになる。
すると川中さんは、ちょっと怪訝そうな顔をして、
「何があったのか知らないけど、あんまりあの人達と、深く関わらない方が良いわよ?変な事で有名人になっても困るでしょ?」
と、忠告してくれる。イヤ、私も出来れば関わりたくなかったんですけどね…。そこはそれ、やむを得ない事情というものがありまして…。
思いっ切り冷や汗をかいてしまったが、川中さんは「しょうがないなぁ~」という風に、
「D組なら友達いるから、紹介してあげようか?」
と言ってくれた。あぁ~、川中さん、ありがとう!
お昼ご飯を食べた後、私は川中さんと一緒にD組へ向かった。事前に聞いた話だと、川中さんの友達は太田かなえという人で、川中さんと同じ中学出身、東郷学園では美術部に所属しているんだそうだ。大人しい性格だけど社交的で友達も多く、クラスでも上手くやっているらしい。彼女を基点にして、上手く倉田さんと接触出来るといいんだけど。
とりあえず太田さんを呼び出して、D組の前で立ち話。お互いに軽く自己紹介とかをした。もちろん、諜報部の事は絶対秘密だ。
「城ヶ崎さん、よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
太田さんと話しながらもD組の教室を覗くと、倉田さんの姿は見えなかった。まぁ、これはこれで都合が良いのかな?さて、本題に入らないとな。
「ところで、太田さんって倉田さんとも仲良いの?」
「うん。まぁ、同級生だしね。普通に話すぐらいはしているよ」
太田さんはそう、明るく受け答えた。優しくて大人しい感じの顔立ちで、話した印象も悪くない。背は高くもなく低くもなく、私と同じ位かな。長い黒髪を後ろで二つに分けて三つ編みにしている。美術部所属ってのがよく似合いそうな雰囲気だな~。
「倉田さん、今はいないみたいだけど、すぐ戻ってくるんじゃないかな?昼休みは大体いつも、教室にいる事の方が多いから」
太田さんは、そう説明してくれた。う~ん、いよいよ任務遂行の時が近付いてきたか。胸のドキドキが止まらない。果たして、上手くいくんだろうか?
「あ、倉田さんだ」
そう太田さんに言われて後ろを振り向くと、ちょうど倉田さんが戻ってきたところだった。さぁ、ここからが本番だ。上手く出来ると良いんだけど…。
さりげなくポケットに手を突っ込み、ボイスレコーダーのスイッチをオンにする。初めてだから、どこまで情報を引き出せるか分らないけど、とにかく自然に振る舞おう。
「何、どうしたの?」
倉田さんを間近で見て、やっぱりカワイイ人だなぁ~と思った。ちょっとハスキーな声で、パッチリした目。チラッと見える八重歯もチャームポイントになっている。左右の耳たぶに一つずつリングピアスをつけていて、結構オシャレに気を遣っている人なのかもしれない。
とりあえず、太田さんと川中さんに私の事を紹介してもらい、自分でも自己紹介をする。
「えっと、私、城ヶ崎っていいます。先月福岡から引っ越しして東郷学園に転入したんです。良かったら友達になってくれませんか?」
倉田さんは興味深そうに私を見ていたけど、話を聞いて、すんなりオーケーしてくれた。
「ボクと友達に?うん、いいよ~。ヨロシクね♪」
諜報部の任務とはいえ、一気に友達が二人出来たのは単純に嬉しいかも。何か、任務を忘れて、普通に友達としてお付き合いしたいな~。
だが、そんな私の気持ちに、絶妙なタイミングで水を差す存在が居た。廊下の向こう、ちょうど角のところから、岡と深山が顔を覗かせていたのだ。
何やら笑顔でハンドサインを送っているのが見えるけど、一体何を伝えようとしているのか…?オーケーサインは分るとして…、もっと押せって事?
「え~っと、倉田さん…、趣味は何?」
あぁ~、これは精神的に疲れるなぁ~。意図的に個人情報を引き出す事が、こんなに難しい事だとは…。
「城ヶ崎さん、お疲れっ。初めてにしては上出来だよ」
岡はそう言いながら、ボイスレコーダーから再生されている会話内容に耳を澄ましている。結局、今日は自己紹介的な話に終始して、それ程成果が上がったとは思えない。依頼者である保科君が一番欲しい情報は、倉田さんに彼氏がいるのかとか、好きな人はいるのかとか、そういう情報だろうからなぁ~。でも、そういう突っ込んだ話をするには、もっと親しくなってからじゃないと無理なんじゃないんかなぁ?
「イキナリ友達になれただけでも大したもんだよ。これから徐々に突っ込んだ話も出来るようになれば良いんだし」
深山もお気楽に、そんな事を言っている。徐々にって言われても、その突っ込んだ話が出来る関係になれる迄、どれ位の時間がかかるんだろう?
「ただ…、今回の調査依頼、何も問題が無い訳じゃない」
岡が急に、シリアスな顔をしてそう言った。深山も何か、シリアスな顔になっている。一体どういう事だろう?
「問題って…、何ですか?」
自分が何かしくじったのかと不安になったけど、次に言われた岡のセリフに混乱してしまう。
「学園のサーバをハッキングする事は出来たんだけどさ…、倉田エミの情報は見付からなかったんだよ」
「え?情報が…無い…?」
どういう事なんだろう?学園のサーバに情報が無いだなんて、意味が分らない。私は確かに今日、1年D組の倉田さんと会話して、友達になってもらった。同じD組の太田さんや他の人達も、普通に倉田さんと接していたし、確かに1年D組の生徒として存在しているはずだ。それなのに、学園のサーバには情報が無いだなんて、あり得るんだろうか?
「それって、どういう事なんですか?倉田さんは確かに1年D組にいましたし、他の同級生とも普通に会話していましたよ?」
訳が分からない。一体どういう事なんだろう?
「謎なんだよなぁ~。生徒は存在しているのに何故か情報が存在しない。普通に考えればあり得ない話だよ」
岡はそう言って、腕組みしたまま考え込んだ。いつも飄々としている岡にしては、珍しい程シリアスだ。すると深山が、
「とにかく、倉田エミは確かに1年D組に存在している。これは俺と城ヶ崎さんが確認している確かな事だ。何か事情があって、情報を秘匿している…って事はないかな?」
と、そう言った。だとしたら、事情って何?倉田さんには他の生徒と違って、東郷学園で特別扱いしなければならないような事情、秘密があるって事?全然そうは思えなかったんだけどなぁ~。
すると、さっきまで思案に耽っていた岡が、何か思い付いたのか、
「ここは一つ・・、む~さんの力を借りてみないか?」
と、深山に向かって提案してきた。む~さんって誰?たぶん、誰かのあだ名だよね?
「う~ん…、そうするしかないかなぁ…?」
深山は何やら苦笑いしている。一体何なんだろう?二人の間では既知の事かもしれないけど、私には何の事だかサッパリ分からない。
「あの…、む~さんっていうのは?」
恐る恐る質問すると、岡がこう答える。
「あぁ、城ヶ崎さんはまだ会った事が無いだろうけど、うちの学園の情報屋だよ。城ヶ崎さんが諜報部に入る前、女子生徒の情報を集める時なんかはよく頼りにしていたんだけど…。そうだね、一度挨拶ぐらいはしておいた方が良いだろう。じゃぁ一緒に行こうか」
岡はそう言って、ノートパソコンを閉じた。どうやらこれから、む~さんという人物に会う事になるようだ。しかし、情報屋?そんな人までいるんだな~、うちの学校は。
何か変に感心していたら、深山が横からお金を差し出してきた。突然何で?と思ったら、
「む~さんに手土産を持っていってあげて。カスタードクリームドーナツとホイップクリームあんパンとフレンチトースト、それにペプシコーラも忘れないようにね。俺は一緒に行けないけど、俺からの差し入れだって言って渡してくれれば良いから」
なんて言われた。つまり、私にパシリしろっていう事か…。む~さんって人は、甘党なんかな?差し入れって、何に対する差し入れなんだか。
幸いな事に、深山に頼まれた品は全部購買で揃える事が出来た。私は岡に言われた通り、急ぎ足で図書室に向かう。
図書室に向かいながらも色々考えたんだけど、件の『む~さん』って人は、一体どんな人なんだろう?この学園の情報屋だと説明されたけど、やっぱ高校生なんだし、映画やドラマの情報屋みたいな人とは違うんだろうなぁ~。それでも、情報屋という言葉からは、ちょっとカッコイイ、アウトローみたいな人をイメージしてしまうんだけど。でも、む~さんって呼び方からは、カッコイイイメージには繋がらないか。
それ以前に、男子と女子のどっちなんだろう?岡が、女子生徒の情報を集める時に頼りにしていたって言ってたし、深山に頼まれた手土産からは甘党だと推測出来るので、たぶん女子なんじゃないかと思うんだけど…、一体どんな人なんだろう?
ドキドキワクワクしながら図書室のドアを開けると、窓際の席に岡の姿を発見。その向かいには…、大きい人がいた。
「あ、城ヶ崎さん、こっちこっち。この人がさっき話した、情報屋のむ~さん」
岡に手招きされつつ説明されたけど、近寄るのを一瞬躊躇してしまう。岡の向かいに座っている人は…、かなり大きかった。細身な岡と一緒にいるから対照的に、その大きさが際立っているけど、何というか、ぽっちゃりを超越した感じの…、かなりおデブな女生徒だった。ふくよか過ぎるその体型で、圧倒的存在感を醸し出している、この人がむ~さんなのか。私が想像した情報屋のイメージとは全然違っていたな…。
チラッと名札を見ると、3年生で『瀬戸睦美』という名前なのが分かった。瀬戸睦美…、むつみ…、ひょっとして、むつみの『む』でむ~さん?
「えっと、城ヶ崎です。よろしくお願いします。それでコレ、深山さんからの差し入れで…」
そう言って深山に頼まれた品を手渡そうとしたら、意外な程に俊敏な動きで、すぐさま奪われてしまった。
「ヤダァ~、楓君が私に~?アラ~、私の好みをちゃんと分ってるじゃないの~。本当に気が利くわねぇ~♪ホラ、私3年生だし~、受験勉強で頭が疲れちゃってるから~、甘い物が欲しかったのよねぇ~。あ、よろしくね~、城ヶ崎さ~ん」
そう言うが早いか、既に袋を開けて食べ始めている。む~さん、しゃべるテンポはゆっくりなのに、動きは意外と速いな。その迫力に圧倒されたけど、岡は既に慣れているのか、全く動じる様子もなく話を続けている。
「それで、今調査に行き詰まっているんだよねぇ。情報屋のむ~さんなら、何か知っているんじゃないかと思ったんだけど」
すると、む~さんは食べ続けながら受け答えする。
「何だっけ~?あぁ~、1年D組の倉田エミって子ね~。依頼主が誰だか知らないけど~、下手に手を出さない方が良いわよ~」
下手に手を出さない方が良い?一体どういう意味なんだろう?む~さんは倉田さんの事情だか秘密だかを知っているんかな?
「あの…、それってどういう意味なんでしょうか?倉田さんには一体どんな事情が…」
そこまで言いかけて、む~さんに言葉を制されてしまった。
「あんまり親しくもないのに~、そう軽々しく他人の事情に首を突っ込まない方が良いわよ~。あの子が傷つくかもしれないし~」
傷つくかもしれない?やっぱり、む~さんは倉田さんの抱えている事情を知っているんだ!倉田さんが傷つくかもしれないって、一体何なんだろう?もし倉田さんが何か困っているんなら、力になってあげたい。私はそう思った。
「確かに、まだ倉田さんとはそれ程親しくなってないです。私、倉田さんとは今日友達になったばかりなんで。でも、友達になったからこそ、倉田さんが何か事情を抱えて困っているんなら、私に出来る事があれば力になってあげたいと思います」
そう言うが、む~さんは首を縦に振らない。
「ダメよ~。貴方がどんなに頑張ったとしても、こればっかりは無理だから~。あの子の事は、そっとしておいてあげなさいよ~」
全く取り付く島がない。倉田さんの事情って、そんなに深刻なもんなんだろうか?一体何なんだろう…?
すると岡が、む~さんに交渉しだした。
「その事情ってヤツが何なのかを知りたいんだよねぇ。無理を承知で情報提供、お願い出来ないかな?もちろん情報源は明かさないし、礼は弾むよ」
む~さんは既に差し入れのパンを食べ終わって、ペプシをゴクゴク飲んでいる。このまま一気飲みしそうな勢いだな。
「こればっかりは、私から情報提供出来ないわね~。どうしてもっていうのなら~、じっくり時間をかけて~、あの子が自分から事情を打ち明けるぐらい親しくならなきゃダメよ~。誰も傷つけたくないのならね~。それより楓君はどうしたのよ~?最近、全然会いに来ないじゃないの~」
う~ん、深山が苦笑いしていた理由が何となく分かったような気がする…。
しかし、む~さんからは、どうやっても倉田さんの情報を引き出せないみたいだな。学園の情報屋が、情報提供を拒む程の事情って何なんだろう?私はこれから、倉田さんから事情を打ち明けられる程、親しい友達になれるんだろうか…?
翌日、私は倉田さんとの関係を深める為、また休み時間にD組へと向かった。休み時間に足繁く通っていれば、少しは早く、親しい関係になれるだろう。もちろん本音を言えば、諜報部の任務とは無関係に、新しい友達が出来たのが嬉しいっていう事もある。
「あ、城ヶ崎さんだ~。ヤホー♪」
「やほー、倉田さ~ん」
倉田さんって、同じ女子の立場から見てもカワイイ人だ。何にでも興味を示すし、人の話は良く聞いて、しっかりリアクションも返してくれるから、話していて楽しい。ルックスがカワイイってだけじゃなく、性格も良い人なんだろうなぁ~。
「でね、でね、昨日ウチのお兄ちゃんがさぁ~」
私がこれまでの会話で得た、倉田さんの個人情報。家族構成は両親と兄が二人の五人家族で末っ子。お父さんはプロカメラマンでお母さんは専業主婦。上のお兄さんは大学2年生、下のお兄さんは高校3年生。兄妹は仲が良いらしく、お兄さんの面白エピソードをいくつか披露してもらっている。
趣味は雑貨屋さん巡りで、カワイイ小物や珍しい輸入雑貨なんかを見て回るのが好きなんだそうだ。他にもスイーツが好きだとか、本当に女の子らしい普通の人なんだけど、学園のサーバに情報が無い、情報を秘匿されなければいけない事情なんてものを、倉田さんは本当に抱えているんだろうか?こうして面と向かって話していても信じられない。
「城ヶ崎さんは弟と妹がいるんでしょ?良いなぁ~。ボク末っ子だから、弟か妹が欲しかったなぁ~」
「うん。ウチは弟二人と妹が一人いるけど、弟なんかうるさくてがさつで、そんなに良いもんじゃないよ~。私も倉田さんみたいに、良いお兄ちゃんが欲しかったなぁ~」
本当に普通の人だ。魅力的な女の子だとは思うけど、何か特別な事情を抱えているようには思えない。この東郷学園において、倉田さんは一体どういう存在なんだろう…?
「でさぁ、今日の放課後予定ある?一緒にクレープ食べに行こうよぉ。ボク、美味しいお店知ってるんだ♪」
不意に、倉田さんから放課後のお誘いを受けた。これは受けない訳にはいかないでしょう。早く親しくなる為のチャンスだよね。
「うん、良いよ~。太田さんも一緒に行くでしょ?」
「あ、私は部活があるから、また今度ね」
そうか、太田さんは美術部なんだっけ。倉田さんは部活に入っていないみたいだから、放課後も利用して仲良くなれそうだな。
「城ヶ崎さん、先月引っ越ししたばっかりなんでしょ?ボクが東京の色んなお店、教えてあげるね♪」
倉田さんはそう言って、明るく元気にはしゃいでいる。積極的な性格なのはありがたい。本当に、普通に友達になりたいな…。
放課後、諜報部の調査任務については、岡に簡単なメールで報告だけ入れて、私は倉田さんと一緒に、電車を乗り継いで渋谷に出た。東京に引っ越ししてから、まだそれ程遊びに出ていないので、こうして案内してくれる人がいるのは心強いな~。何しろ私は、究極の方向音痴ですからねぇ。
「このお店~。ボク、ここのショートケーキが好きなんだ♪」
クレープ屋さんでショートケーキ?一体何の事だろうと思ったけど、メニューを見ると確かにショートケーキというクレープがある。
「あ、でも何か美味しそうね。私もコレにしようかな~」
「うん、そうしよう♪」
二人で同じものを注文して食べ始めた。なるほど、クレープの中にスポンジケーキが入っているのね。だからショートケーキっていうのか。コレは美味しい♪
「コレ、美味しい♪」
「でしょでしょ~♪」
二人してベンチに座り、クレープをパクつく。何か良いなぁ~、こういうの。月並みだけど青春しているみたいだ。学校帰りに渋谷に寄り道してクレープを食べるだなんて、福岡にいた時は想像も出来なかったもんなぁ~。いざ東京に引っ越ししてからも、家の事でバタバタしたり、仲良くなった川中さんは部活があるから一緒に帰れないしで、あんまり遊びに行く機会が無かったんだよねぇ。まぁ、私も諜報部に入ったりして、あの二人に振り回されたりもしていた訳だけど。
「コレ食べ終わったら雑貨見に行こうよ♪ボク、珍しい輸入雑貨のお店知ってるよ♪」
「うん、行こう。私、渋谷のこと全然知らないから、よろしくね♪」
クレープを食べ終えた私達は、一緒に雑貨屋さん巡りをする事に。倉田さんは本当に色々なお店を知っていて、結構マメに回っているんだろうなぁ~と思った。
こっちを見たら、次はあっち、その次はまたこっちという具合にせわしなく動いているけど、不思議と疲れるよりも楽しいと思う気持ちの方が強い。何だか倉田さんに、元気を分けてもらっているみたいだ。
「ね、ね、コレ、カワイイよね~♪」
好奇心旺盛で元気一杯、明るくてアクティブ、倉田さんは本当に魅力的な人だ。諜報部の事なんか忘れて、素に戻って友達関係を楽しみたい。私は本心からそう思った。
だが、無情にも時は夕暮れ。楽しい時間程あっという間に過ぎてしまうもんなのよねぇ~。あんまり帰りが遅くなるとお母さんに怒られてしまいそうだし、今日はこの位で切り上げるかな~。
「今日はそろそろ帰ろうか?」
そう言うと、倉田さんは本当に残念そうに、
「うぅ~ん、そうだね…。じゃぁ、また今度遊びに来ようね♪」
と言った。電車で途中迄一緒に帰り、倉田さんとはお別れする。今日は本当に楽しかったなぁ~。東京に引っ越しして以来、こんなに楽しい放課後を過ごしたのは初めてだ。本当に倉田さんと友達になれて良かった~♪
と、良い気分でいたのだが、不意に現実に引き戻された。鞄の中に、マナーモードのまんましまいっぱなしだったので全然気が付かなかったけど、携帯にメールが1通着信していたのだ。差出人はもちろん岡で、件名から察するに諜報部の連絡のようだ。何だろう?とメールを開いてみると、明日の朝、早めに視聴覚室に来るようにとの指示が書かれてあった。どうやら岡の方も、調査に何か進展があったみたいだな。一体何が分ったんだろう?学園のサーバから、倉田さんの情報は見付かったんだろうか…?
翌朝、私はいつもより1時間程早く登校した。校庭では運動部が朝練をやっており、遠くから威勢の良いかけ声が聞こえてくるけど、校舎の中はほとんど人の気配が無く、シーンと静まりかえっている。
そんな静かな校内、視聴覚室に入ると、既にそこには岡と深山が待ち構えていた。
「おはよう、城ヶ崎さん。昨日は頑張ったみたいだね」
そう、いつも通り軽いノリで挨拶する深山。岡もいつもと変わらず、お気楽そうな顔で、こちらを見ている。
「おはよう、城ヶ崎さん。今日は早くに呼び出して悪かったね」
「おはようございます。昨日は倉田さんと遊びに行っちゃって、報告に来れずにスミマセン。それで倉田さんの事、何か分ったんですか?」
私は、はやる気持ちを抑えられずに質問した。すると岡は「まぁまぁ」といった感じに、手で押さえるようなジェスチャーをしてこう言った。
「結論から言うと、倉田エミの情報は見付かっていない。だが、一つの推測と状況証拠とでもいうべきものが浮かび上がってきたんだよ」
一つの推測?状況証拠?一体何の事だろう?もったいぶった言い方をしないで早く教えて欲しいもんだ。だが、岡はこういう時、変に段取りを踏むのを好む傾向があって、無駄にイライラさせられる。
「倉田エミは確かに1年D組に存在しているのに、何故か彼女の情報は学園のサーバに存在しない。これは普通に考えればあり得ない事だ。城ヶ崎さんもそう思うよね?」
「え、えぇ、まぁ…」
改めて言われるまでもなく、あり得ない、不自然な事であるのは分っている。推測でも何でも良いから早く教えて欲しい。だが、岡のもったいぶりはまだ止まらない。
「生徒は存在するのに肝心の情報が存在しない。そんな事はあり得ない。じゃぁどういう事か?情報は既に見付かっているけど、俺が見落としたって可能性もある訳だ」
う~ん、まぁ確かに、あり得なくはないけど、この岡が重要情報を見落とすなんて事があるんだろうか?それこそあり得ない話なんではないんだろうか。
「俺も、そんな馬鹿な事が…とは思ったよ。だが、やはり見落としがあった。1年D組に倉田エミは存在しないが、情報はちゃんと学園のサーバに存在したんだよ」
え?倉田さんは存在しないけど情報は存在する?イヤ、逆でしょ?倉田さんの存在は確認出来ているんだけど情報を見付けられないって話だったんじゃないの?急に話の方向性が変わってしまい、頭が混乱してしまう。意味が分らない。
「それってどういう事なんですか?倉田さんはちゃんと存在しているし、見付からないのは倉田さんの情報についてなんじゃないんですか?」
訳が分らず岡に質問する。だが、今度は岡ではなく深山が答えた。
「倉田エミについて色々調査してきたけど、どうも不自然な事がある。東郷学園に入学してから一度も体育の授業には参加せず、いつも見学しているそうだ。あんなに元気そうなのにね。同級生から聞いた話だと、何か持病を持っているというような話は特に聞いた事が無いそうだ。他にも過去の交友関係を洗えないかと、同じ中学を卒業した女子生徒、東郷学園だけじゃなく他校に通っている生徒にも接触してみたけど、どうも皆口が重くて、倉田エミについて多くを語らない。かといって、過去に何らかのトラブルがあったのかというと、そういう訳でもないようだ。俺が調査した感じでは、まるで触れてはならない、タブー的な存在みたいに感じられたね」
深山の話が全然信じられない。倉田さんはあんなにクラスの女子とも上手くやっているのに、触れてはならない存在?何でそうなるの?あんなに良い人なのに。岡と深山が調査した倉田エミ、そして私が友達になった倉田エミが、まるで別人のように感じてしまった。
「結局、どういう事なんでしょうか?倉田さんって一体…」
もういい加減、答えを出して欲しい。頭がクラクラしそうになってきた。この前友達になったばかりだけど、あんなにおしゃべりしていて楽しい、一緒にいて元気を分けてくれるような倉田さんが、何だかよく分らない謎な存在になってしまった。岡が言う推測と状況証拠っていうのは、一体何なんだろう?
すると岡が、満を持してこう言った。
「今回調査して得た情報は、非常にデリケートなモノになっている。そこで城ヶ崎さん、倉田エミと友達になった、君にしか出来ない事をお願いしたい。実はね…」
その日の放課後、そもそもの発端である今回の依頼者、保科君を視聴覚室に呼び出した。もちろん調査結果を報告するという名目でだ。
与えられた任務は果たしたものの、私は少し憂鬱だった。まさか、倉田さんにそんな秘密があったなんて…。
「あの、情報は掴めたんでしょうか?」
保科君は、ちょっとオドオドした感じで質問する。やはり堂々とは出来ない、後ろめたさみたいなもんがあるんだろうか。
「可能な限り、情報は集めたよ。君が満足するかどうかは分らないけどね」
岡は澄ました顔でそう言った。その手には収集した情報をまとめた調査報告書が握られていて、保科君に見せつけるかのようにヒラヒラさせている。今回の調査結果に、保科君は満足するんだろうか…?
しかし、この大事な場面で、視聴覚室に何故か深山の姿が見当たらない。一体どこに行ったんだろう?岡に尋ねようかとも思ったんだけど、岡はその事には一切触れず、保科君に対して調査結果を語り出す。
「まず結論から言おう。この学園の1年D組に倉田エミという女子生徒は存在しない」
「え!?イヤ、どういう事ですか?D組に間違いなくいるはずですけど?」
岡に突然、突拍子も無い事を言われて、保科君はさぞかし驚いた事だろう。動揺を隠せないでいるのが傍目にも分る。だが岡は、容赦なく話を続ける。
「君が調査依頼をした倉田エミというのは、あくまで本人がそう名乗っているだけだ。本名は違う。そうだよね、倉田さん」
岡がそう言うと、隣の視聴覚準備室に通じるドアが開かれた。そして、そこから少し照れ臭そうに、申し訳なさそうな表情を浮かべて倉田さんが姿を現した…。
「エヘヘヘ…。あの…、ゴメンね。ボク、皆に嘘をついていたんだ…」
突然、調査依頼をした本人が登場するとは夢にも思わなかったんだろう。保科君は軽くパニクっているように見える。この後、倉田さんから真相を語られる事になるんだけど、彼はどう反応するんだろう?そして、倉田さんはそんな保科君に対して、どんな感情を抱いているんだろう…?
「あのね…、ボク、倉田恵三っていうんだ…」
「え!?」
保科君は、倉田さんが何を言っているんか、理解出来ていないようだ。私も本当の事を知った時、全く信じられんかった。倉田さんが…、実は…、男の子だったなんて!!
「ボク、こんな格好しているけど、本当は男の子なんだ…。ショック…だよね?」
保科君は突然、こんな真実を押しつけられて呆然としている。当然だろう。私だって未だに信じられない。悪い冗談であって欲しいと思っている。だって、どこからどう見ても、倉田さんは女の子にしか見えないんだもん。
「性同一性障害…、GIDやトランスジェンダーなんて呼び方もある。彼…イヤ、倉田さんはそういう人なんだよ」
岡が保科君の肩を軽く叩いてそう言った。私も知識としては知っていたけど、実際にそういう人と接する機会なんて今迄無かったからなぁ…。まさか倉田さんがそうだとは思いもしなかった…。
衝撃的な事実を知って、保科君は動揺を隠せないでいる。そりゃそうだろう。好きになった相手に、実は男の子でした~なんて言われて、ショックを受けんはずがない。
「えっと…、あの、嘘だよね?冗談でしょ?アレだ、僕を振る為の口実で、全部嘘なんでしょ?皆で僕を騙そうとしているんでしょ?あ、ひょっとしてドッキリ?どこかに隠しカメラがあったりする?」
震える声で、今にも絶叫しそうな勢いでまくし立てる保科君。いくらなんでも、そう簡単に受け入れられるような話じゃないよねぇ…。
でも、現実は残酷だ。倉田さんは少し迷っていたけど、意を決したように保科君の手を取り、そして…自分の股間を触らせた。
「嘘!?そんな、イヤ、でも、あぁ~~~~~~~~~~~ッ!!」
とうとう保科君は取り乱してしまった。やり場の無い気持ちをどう処理したら良いのか分らないんだろう。さすがの岡も、少し気の毒そうな顔をして保科君を見ている。
一方倉田さんは…、涙目になっていた。
「ゴメンね…。本当にゴメンね。ボク、こんな人だから…。おかしいよね?変だよね?でもダメなんだ。男の子らしくするなんて出来ないよ…。ボク…、ダメなんだよ…」
倉田さんは、今にも泣き出しそうな顔になっている。私は何をやっているんだろう?諜報部の活動って、誰かの秘密を暴いて悲しませるような事を平気でするの?何だか凄い罪悪感を感じる。情報屋のむ~さんが、「あの子が傷つくかもしれない」と言っていたのを思い出した。私はこんな事の為に倉田さんと友達になったの?何だか釈然としない。ムシャクシャする。感情が爆発しそうになる。その時、倉田さんの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「もう止めッ!!倉田さん泣いとるじゃないの!!」
思わず、叫ばずにはいられんかった。私にとって倉田さんは…友達だ!調査任務の為だけに接近した相手じゃない。もう私にとっては大切な友達の一人だ!一緒におしゃべりしていて楽しかった。一緒にクレープを食べに行った事も、雑貨屋さん巡りをした事も楽しかった。本当は男の子だなんて関係無い。倉田エミという人は私にとって、もう大切な友達の一人だ。
「保科君も情けなかよ!そげん取り乱さんでよかやん!大体、好きんなった人の情報が欲しいからっち、諜報部に依頼するなんて男らしくなかよ!!何で直接相手に言わんね!!」
興奮して福岡の訛りが出てしまった。でもそんな事はどうでもいい。やり場の無い怒りに満ちている感じがする。諜報部の活動、依頼してくる人、それに荷担してしまった自分。全てに腹が立つ。
「まぁまぁ、城ヶ崎さん、落ち着いて、落ち着いて」
「やかましい!はたくよ!!」
岡になだめられるが、思わずグーで殴ってしまった。これで何度目だろう、岡を殴ったんは。岡は抵抗する事もなく、あっけなくダウンしている。
「城ヶ崎さ~ん…、やめてよぉ…」
突然後ろから、倉田さんに抱きしめられた。倉田さんの顔を見ると、もう涙でグシャグシャになっている…。
「ボクが悪いんだ…、ゴメンね。ボクがこんなだから…、だから…、お願い…」
倉田さんの泣き顔を見ていたら、どうしようもなく、やるせない気持ちになった。私、何をやっているんだろう?岡を殴ったところで何も解決せん。私が怒りを爆発させたからといって何も変わらん。もう既に起こってしまった出来事を無かった事になんて出来んし、倉田さんが本当は男の子だという事実も変えられん。
「倉田さん…ごめんなさいっ!本当にごめんなさい!私の方こそ謝らなきゃいけないのに…」
「ううん、城ヶ崎さんは悪くないよぉ~。ボクが悪いんだ…。ボクが皆に嘘をついていたからいけないんだ…」
もう、どうすれば良いのか分らんし、どうすればこの場を収める事が出来るんか、見当もつかん。私は本当に、取り返しのつかん事をしてしまったんじゃないんだろうか。
そんな最悪になった場の空気が、急に一変した。
「倉田さんっ!」
突然、視聴覚室のドアが開き、大勢の女子生徒が雪崩れ込んで来た。その顔ぶれを見て1年D組の女子だという事に気付いたけど、何故か彼女達に続いて、行方の分らなかった深山も入ってきた。一体何がどうなっているの?
「倉田さんは悪くないよ!本当は男の子だなんて関係無い!」
「そうよ、私達は気にしないから、今迄通り友達でいようよ!」
「エミちゃんは今のままで良いじゃない!全然変じゃないよ!」
この時私は、何が起こったのか理解出来んかった。私は岡に頼まれて、倉田さんを視聴覚準備室に呼び出し、秘密の告白についての了解を得ただけだったんだけど、これは一体どういう事なんだろう?
「どうやら丸く収まりそうだね」
後ろを振り向くと、いつの間にか復活した岡が、私に殴られた顎をさすりながらそう言った。続けて深山も、
「城ヶ崎さんが保科君を呼びに行っている間に、念の為、1年D組の女子にも声をかけておいたんだよ。もちろん倉田さんの同意を得てね。場合によっては事が大きくなりそうだったから、俺たちだけじゃ対処出来ないだろうと思ってね」
そう説明されたけど、そんな事をやっていたとは全然気が付かんかったし、そんならそうと、事前に教えといて欲しかった…。
結局、倉田さんは皆から受け入れられ、今迄通り、イヤ、今迄以上に友達として仲良くやっている。きっと倉田さんの人柄の良さ、人としての魅力が認められたんだろう。依頼料を払った上、結果的に失恋してしまった保科君は気の毒だけど、まぁこれは仕方がないよね。
幸いな事に、倉田さんは私の事も許してくれて、友達関係を続けてくれており、今度の週末には太田さんや川中さんとも一緒に遊びに行く約束をしている。本当に、一時はどうなる事かと思ったけど、結果的には友達として仲良くなれたんで良かったな~。
あの時、情報屋のむ~さんは、倉田さんが傷つく事に対して気を遣ってくれていたけど、今となると良い結果になったんじゃないんだろうか。あの時確かに、秘密を明かす事によって倉田さんを悲しませ、傷つけたと思う。でも、その悲しみを乗り越えた上で、倉田さんは皆に友達として受け入れられたんだから。一度は傷ついただろうけど、秘密を抱えたままじゃなく、ありのままの自分を受け入れられたのは良い事だと思う。きっと今後も、良い友達関係を続けられるんじゃないんだろうか。
「今回の調査任務も上手くいったな~。城ヶ崎さんも、本当によく頑張ってくれたね」
岡はそう言いながら、せわしなくノートパソコンのキーを打っている。何やら今回の調査結果について、データベースを更新しているらしい。すると深山が、
「今回はやはり、城ヶ崎さんの働きが大きかったね。これで正式に、城ヶ崎さんも諜報部の一員となった訳だ」
と言った。
「正式に?」
じゃぁ、今迄は仮入部だったっていう事?そんな事を考えていると、岡はノートパソコンを打つのを止めて、改まった雰囲気でこう言った。
「俺たち諜報部に、下世話な覗き見趣味で情報収集をやるような人間は不適格だからね。城ヶ崎さんみたいに、ちゃんと相手の気持ちを考えられる人、相手を思いやれる人じゃないと、調査任務は任せられない。そういった意味で城ヶ崎さんは合格だよ」
…これは喜ぶべき事なんだろうか?褒められているのは分るが、諜報部の部員として合格と言われてもなぁ~。あぁ、そうですかと、思わず苦笑いしてしまった。
とにかく、今は諜報部員として頑張るしかないか。何とかして岡と深山を信用させて、チャンスを狙い、そして…、諜報部から私のデータを抹消する。この目的を果たす迄、私は諜報部を離れらんないな。
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