秋 はんかちの落とし物

秋の紅葉狩り

 少しずつ風が冷たくなってきた秋の日、学校の行事で山にハイキングに行くことになった。さくさくと踏みしめる音が楽しい秋の季節に出かけていって、赤や黄色に色づいた葉っぱを見つけにいくことを紅葉狩りと言うのだと引率の先生が説明してくれた。

 上っていく階段を囲むように空に伸びる木があって、はらはらと上から紅葉が落ちてくる。前髪の上あたりにからまった葉を、つぶさないようにゆっくり指先でつまみ上げる。くるっと手の中で回してから、ぽいっと放るとゆらゆらのんびり遠回りして地面に向かっていった。


「ちょっとつかれてきたね」


 クラスで一番仲のいいつむぎちゃんがちょっと息を切らしながら声をかけてきた。

 学校から電車で移動して山に来るまでもかなり歩いたし、山に入ってから階段をずっと上った。途中まで誰かクラスの男子が段数を数えてたみたいだけど、百何段目かで数えるのもやめてしまっていた。


「まだかな。そろそろお昼だろ思うし、着くころだと思うんだけど」

「あんまり大きな水筒持ってくるんじゃなかったなぁ。リュックが重いや」


 どんどん重く感じ始めた背中のリュックを少しでも軽くできないかと、ちょっとだけ手でリュックを支えてみる。もちろん軽くなんてならないけど、痛くなり始めた肩がちょっとだけましになったように感じる。

 つむぎちゃんととろとろと並んで歩いていると、列の先頭のほうで歓声が上がった。どうやら、やっと山の頂上についたらしい。


「おなかすいたぁ。早く上まで行っちゃおう、清夏ちゃん」

「あ、うん」


 もうすぐゴールということで元気を取り戻したつむぎちゃんはさっきまでの足の重さも忘れたように階段を上っていく。後ろから置いていかれないようについていって、急にさっと空が広くなった、てっぺんだ。向こうのほうで、私たちが乗ってきた電車が走っているのが見える。


「皆さん、お昼休憩にします」


 引率の先生の言葉に、みんなわっとはしゃいだ声を出して駆けだした。

 私もつむぎちゃんに声をかけられて、いつも一緒に行動している女の子のグループと一緒になってお昼を食べようと輪になる形でレジャーシートを広げた。

 シートの上に座ると、ずっと歩きっぱなしで疲れた足もほっと一息ついたようだった。思わず私もため息が出る。

 隣に座っているつむぎちゃんはリュックからお弁当箱を取り出していた。両手で抱えないといけないぐらいの大きな二段弁当におどろいていると、今日はたくさん動くと思ったから大きいお弁当にしてもらったんだと自慢げに言われた。そういえば、つむぎちゃんは給食でもよくおかわりをしている。

 私も自分のお弁当を取り出した。中身は卵焼きとブロッコリーにプチトマト、それからウインナーとミートボールだ。お母さん、今朝まですっかりお弁当のことを忘れていたから慌てて作っていた。


「清夏ちゃん、お弁当見せて」

「大したものじゃないよ。つむぎちゃんのは、おいしそうだね」

「だって、おかずのリクエストをしておいたからね。1段目にオムライスで、2段目にエビフライにハンバーグで、お子様ランチみたいでしょ。あと、ウサギ型のりんご」


 一口いる? と聞かれて、迷わずうなずいた。つむぎちゃんの家のエビフライはお手製のタルタルソースもたっぷりかかっていて、とてもおいしかった。

 私もお返しにとリュックからおやつに持ってきたチョコレートを渡そうと探していると、向こうのほうで騒がしい声が聞こえた。なんだろうと思っていると、べつの女の子のグループがきゃあきゃあ騒いでいた。手をぶんぶん振って逃げまどっているそばには、大きくて鮮やかな羽をばたつかせているチョウみたいなものが飛んでいた。ふよふよと飛んでいたチョウは、しばらくすると彼女たちがレジャーシートの上に置いていた荷物にとまってしまった。絶望的な声を上げているのがこちらまで届く。

 すると、そこへ魚沼くんがやってきた。かぶっていたキャップを外したかと思うと、そっとチョウをつかまえて女の子たちがいないほうへ逃がしていた。泣きながら逃げていた女の子たちがうれしそうにお礼を言っている。


「いいなぁ」


 一緒に食べている女の子たちの一人がそう言った。そして、何人かが同意するようにうなずいている。


「魚沼くんに助けてもらえてうらやましい。こっちにチョウが来てくれればよかったのに」

「えぇ、それは嫌だな。虫とか嫌いだし」

「魚沼くんが来てくれるなら、それぐらい我慢するもん」


 わいわいと盛り上がる彼女たちの話に加わることができない私は、やっとリュックからチョコを見つけ出して、つむぎちゃんに渡した。つむぎちゃんも特に魚沼くんの話題に盛り上がることなく、お弁当を楽しんでいる。

 しかし、盛り上がっている子たちはこちらにも話を投げかけてきた。


「ね、魚沼くんに話しかけるきっかけとかないかな?」

「そんなに話したいの? 立派な枝とか探して、渡してあげればいいんじゃないかな」

「もう、清夏ちゃんってばやる気ないっ! 魚沼くん派じゃなかったっけ? たまに魚沼くんに話しかけてるからてっきり……」

「そういうのじゃないよ」


 ちらりと遠目で見る魚沼くんは、ほかの男の子たちと一緒に走りまわっている。その手には、折れた枝がある。チャンバラごっこみたいなことをしているみたいだ。おじさんと比べるのもおかしいのかもしれないけど、でもやっぱり魚沼くんは子供すぎてそういうふうに考えられない。

 全く反応を示さない私を見て諦めたのか、今度はオムライスを食べているつむぎちゃんに話が振られる。


「つむぎちゃんは魚沼くん派?」

「え? うーん、かっこいいとは思うけど、魚沼くん派ではないかな。どちらかというと落ち着いた人のほうが好きかも」

「落ち着いた人? そういうふうに言うってことは、もしや誰か好きな人がいるの?」


 きゃあっと一気に盛り上がるみんなに対して、つむぎちゃんは照れてごまかすようにオムライスを口いっぱいにほおばった。

 みんながそうやっておしゃべりをしている間に食べ終わってしまった私は、お弁当箱を片づけてしまうと、後ろに手をついて空を見上げた。いつも見上げるよりもずっと空が近くて、いつもよりも世界が広く感じる。じっと見上げていると吸い込まれそうで、目がちかちかしてくる。

 ほおを打つような風が流れて、周りの木々がさあっと音を立てるのにふと現実に引きもどされる。そのとき、私の左手にふわりと何かが触れる感触があった。何だろうと振り返ると、秋の山の色と同じようなあざやかな紅葉の色のハンカチの端が私の手をくすぐっていた。ハンカチ自体は、左隣のつむぎちゃんの後ろに落ちていた。つむぎちゃんがこれを使っていたような記憶もないし、風に飛ばされてここまで飛んできたのかもしれない。

 また風で飛ばされてはいけないと手を伸ばしたところ、私が触れる前に誰かの手がそれをつかんだ。その手の持ち主は、振り返ってこちらを見下ろしているつむぎちゃんだった。彼女は、ぐしゃっと握りつぶすようにハンカチを持って、ポケットにそれを突っ込んだ。

 私は、ちょっととまどいながらも笑った。


「つむぎちゃんのだったんだ、それ。そんなの使ってたっけ?」

「うん……」

「えっと、もうお弁当食べ終わったの?」

「……」


 返事がそっけない。つむぎちゃんはぴくりとも表情を動かさずに、私から目を反らした。

 何かしたっけ。ついさっきまで、普通に話していたのに?

 私が混乱していると、すぐ傍できゃあっと悲鳴が上がった。


「虫っ!」

「さっきのと同じやつじゃない!」

「やだぁ、あっち行ってよっ!」


 ふと見ると、円になっている私たちのちょうど真ん中あたりに、さっき遠目で見たチョウみたいなものがひらひらと飛んでいた。近くで見ると手のひらぐらいに大きく、そこまで虫が苦手じゃない私でもちょっと怖いぐらいだ。戸惑うように右へ左へと飛ぶチョウに、周りの女の子たちも右へ左へと逃げ惑う。

 さわぐほどでもないけど、手で触りたくもない私はどうしようかと考えていると、となりのつむぎちゃんが立ち上がった。つむぎちゃんも虫が苦手だったっけと思ったけど、逃げる様子はない。どこか遠くのほうへとぼうっと視線を向けていた。


「お、また出たのか!」

「これ、めっちゃでかくねぇ?」

「つかまえようぜ」


 どこからか男の子たちがやってきた。その手には、ビニール袋を握られている。どうやらあれで捕まえようということらしい。ふわふわと空へ向かって逃げていくチョウに向かって、がさごそとビニール袋をふり回している。どんどんと私たちから離れていくチョウの彼らにほっとしたものの、魚沼くんが助けにきてくれればよかったのにと女の子たちはちょっと不満げだ。


「何だ……」

「え? どうしたの?」


 つむぎちゃんがぼそっと呟いた。聞き返した私の声が届かなかったのか、そのまま彼女は背を向けてどこかへ行ってしまった。

 やっぱり、知らないうちに私が何かしてしまったのか。その後、つむぎちゃんと話すことはできなかった。下山のときも、また一緒に下りようと思って探していたのに全然見つからず、ほかの子と下りている間もずっともやもやと落ち着かなかった。駅まで着いてやっと見かけたつむぎちゃんは、なぜか魚沼くんに楽しそうに話しかけていて、何となく話しかける気になれなかった。

 また、教室で話そう。何が原因かはわからないけど、私に対して怒っているみたいだし。次にまた会うときは、つむぎちゃんも怒っていないかもしれない。どうして怒っているのか、心当たりは本当にないんだけど。

 だけど、そうはならなかった。

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