運命のビニール袋
風鈴が鳴るなんて特別でも何でもないことが、本当に魚沼くんやおじさんが言うように不思議なことが関わっていたのか。ぽん子はさも自分が関わっていましたと体全体で表すように、あからさまに体をねじって視線を合わすまいとしている。
「風鈴自体は最近買われたものでありふれたものだ。もし、ほかに何か原因があるとすれば、風鈴を鳴らすほう、つまり風が普通ではないと考えた。それで、風を起こせる妖怪の代表であるかまいたちかと思ったんだが」
「たぬきだって風の一つや二つぐらい起こせるわ! かまいたちの専売特許みたいに言わないでっ!」
「では、君が風を起こして風鈴を鳴らしていたということだ」
かまいたちの名前を出されると、ぽん子はどうしても黙っていられないようだった。言ってしまってから、はっとしたように固まってしまったけど、口から出した言葉は戻らない。ちらちらとぽん子は右へ左へ頭を振ったかと思うと、開き直ったのかぐいっとバスタオルの中で反り返った。
「そうよ、私が風鈴を鳴らしていたのっ! ちょっとした術の訓練というところね。うまい具合に風を生んで風鈴を鳴らすの」
「そうか。でも、茶屋の店員は迷惑がっているそうだから、やめてやってくれないか」
「め、めいわく……っ!」
おじさんの直接的な言葉にぽん子はショックを受けたようだった。ぽかんと口をまぬけに開いて鋭い牙から小さい奥歯まで見せていた。
「実際、こうしてここに風鈴があって、どうにかできないかという話になっている。そういうふうに話を聞いたんだったね?」
「は、はい。店員さん、風鈴があまりにもうるさく鳴るから困ってるって。もう取り外そうかなんてことも言ってました」
おじさんに問われるがまま、ぽん子を怖がりながらおそるおそる答えた魚沼くんの言葉でさらにショックを受けたらしい。自分が包まれてるバスタオルにあごを埋めてがっくりしている。そしてぽそぽそと消え入りそうな声で魚沼くんに話しかける。
「店員の人、困ってたの?」
「え……? 俺?」
「ほかに誰がいるのよ? それで、あの人はなんて言ってたの?」
「えっと、最初は気にしてなかったらしいよ、風が強いなって。でも、毎日毎日同じ時間に、風が強くないはずの日でも突然風鈴が激しく鳴るからだんだん気味悪くなってきたって、俺は聞いた」
「そう。そうだったのね……」
そう言ったっきり、ぽん子は黙り込んでしまった。魚沼くんは、自分が変なことを言ってしまったかと慌てている。
ぽん子の姿、どこかで見たことがある気がする。それは、似たようなたぬきを見たことがあるという意味ではなく、同じような様子をつい身近で見たことがあるという意味で。学校の休み時間に、教室のすみで女子だけで集まって話しているときみたいな感じだ。
なんとなく思いつくものがあって、私は魚沼くんに質問した。
「店員さんって、どういう人?」
「え? いい人だったよ」
「いや、そうじゃなくて……」
思ったとおりに答えてくれない魚沼くんにいらいらしていると、横からおじさんが口をはさんだ。
「あのお店には店員は二人いる。一人は感じのいいお年を召した女性で、もう一人は愛想のいい好青年だよ」
「そうなんだ。それじゃ、魚沼くんに風鈴のことを言ったのはその好青年のほう?」
「そうだけど」
魚沼くんは、それが何だと言わんばかりだ。
私は横目で、お店の好青年のことを話題にした瞬間にうなだれていたはずのぽん子がぴくりは反応したことに気がついていた。
「その好青年の気を引きたくて、風鈴を鳴らしてたんだ」
「そっ、そんなわけないでしょっ! その、ちょっとあの人の顔を見て、話さないといけない用事があって」
バスタオルの中でぽん子はすっかりもじもじしている。学校の休み時間、教室の片隅で恋話をしている女の子たちにそっくりだ。
しかし、魚沼くんはそんなこと思いもよらないらしい。首をかしげて、疑問をそのまま口にする。
「何回も風鈴を鳴らして、あの店員さんの顔は見れなかったの?」
「何度も店先には出てきたけど、その、私のほうの準備がうまくできていなくって」
「準備?」
ぽん子の話を聞いてもいまいち通じてなさそうだ。魚沼くんはたびたび教室の片隅で起こる女子の恋話に登場する。ほかの男子と違って変に女子を意識したようなことをしないからというのが理由の一つに挙がっていたけど、ただ単にそこまでの情緒というやつが育っていないだけだと思う。
この中で、ぽん子の事情を分かっているのは私ぐらいなものだろう。どうやって説明しようかと頭を悩ませていると、おじさんが話を続けていってしまう。
「顔を見せたところで話せないだろう。普通の人間は、たぬきが話すとは思っていない」
「私はただのたぬきじゃなくて化けたぬきよ!」
「人間にとってその区別はない、残念なことではあるが。彼がいい人であることは私も知っているが、たぬきに話しかけられてさけばずにいられるかと言われればそうではないだろう」
おじさんの言葉は正しい。たぬきが話したことなんて暑さのせいだと、さっきの私だって思った。でも、枯れかけたひまわりみたいにしおれているぽん子を見ているとずきりと胸が痛んだ。
何とかぽん子の顔を上げさせたくて、私は思わず声をかけてしまう。
「その、どうしてその人に会って話したいの? 何かあった?」
「そりゃ、何かはあったけど……」
ぽん子は何だか重いため息をついてから、ぽつりぽつりと語ってくれた。
ある日。用事があってこの近くまで来ていたぽん子は、夏にしては涼しい風を楽しみながら通りの塀の上を歩いていたらしい。ひときわ強い風が吹いて、りりんと風鈴が鳴っているなと思っていたところ、急にぽん子の頭を何かが覆いかぶさった。音もなくぽん子の視界を奪ったそれは、前足を振り回しても、首を激しく振っても、塀から転がり落ちてもなくならなかった。すっかり息切れしてじっとうずくまっていたところ、急に視界が開けたその先に若い人間の男がいたという。
「だいじょうぶ、ぽん子さん?」
勝手にぽん子と名づけて呼んだその人の手にはビニール袋が握られていた。どうやら、それがぽん子を苦しめていたらしい。
私はぽん子じゃないとか、女性を見下ろすとは何事だとか、なにを笑っているんだとかいろいろ思うことはあったらしい。でも、頭にかぶさったビニール袋を外そうと格闘して、その人に対して腹を見せながらあおむけに転がっている自分の姿を思い出し、恥ずかしくなって逃げだした。
「――とまぁ、こんなわけよ。いちおう助けてもらったし、お礼を言いに行かなくちゃと思って。だから風鈴を鳴らして店先に出させようと思ったの。いろいろ準備がうまくいかなくて出ていけなかったけど」
「なんだ、お礼を言いたかっただけなんだ」
だんだんと妖怪に対する怖さというのは薄れてきたのか、魚沼くんはぽん子の言葉に気安く返事をすると、こんなのはどうだと提案をした。
「お礼をしたいなら、お店の前にどんぐり置いたら? 日本昔話とか、動物がお礼するときは家の玄関に木の実とか置いてるし」
「そんなんじゃだめっ! いやよ!」
「ええ。でも、話しかけられないし、それぐらいしかないんじゃない?」
「でも、だけど、それじゃあ、私のお礼の気持ちが伝わらないのっ!」
むきになって反論するぽん子に、魚沼くんはええっと納得いかなさそうな声を上げた。
「それ以外に何か方法とかあるかな? だって、風鈴を鳴らし過ぎて怖がらせちゃったみたいだし、あんまり姿を見せないほうがいいんじゃない」
反射的に私は魚沼くんの背中をたたいたけどちょっと遅かった。
「……怖がらせるつもりはなかったのよ、ほんとに」
ぽん子は、ただお礼を言いたいだけだと説明したけど、たぶん違うと思う。本当は――
「ただ、その人に会いたいんだろう」
さりさりと膝の上で大黒を撫でていたおじさんが静かにそう言った。
まさかおじさんがそんなことを言うなんて思わなくて、私は思わずその顔をうかがってしまう。おじさんはいつもと変わらない冷静で落ち着いた表情だ。
「……べつに、助けられたからお礼を言うだけ。人間相手にわざわざ会いたいなんて」
「会いたくないなら、魚沼くんの言うとおりにしたほうがいい。もしかして、今までずっと会うのに失敗していたのは気が進まないということじゃないのか?」
「そうじゃないもんっ!」
ぽん子が金切り声を上げた。
「ちゃんと会おうとしたわ。でも、飛び出そうと思うと、急に自分の毛つやとか、口の周りに食べかすがついてないかとか、かわいらしく歩いていけるかしらって考えて」
「会うのに準備をするのか、人間に?」
「だって、だってだって……」
いつになくおじさんは意地の悪い言い方をする。ぽん子はじたばたと抵抗したけど、最後には認めた。
「そうよ。私、あの人に会いたいのよ。会いたいから、会いに行くの」
それって、人のところでいうところの恋ではないだろうか。バスタオルの中でもじもじとしているぽん子が、私の友達と変わらないような女の子みたいに見えてきた。
ぽん子の言葉を聞いて、答えはわかりきっているというようにおじさんはうなずいた。
「会いたいのなら会いに行こう」
「でも、どうやって……」
「私たちと一緒に行けばいい。本人を目の前にして逃げないように抱えていこう」
そういっておじさんはバスタオル包みのぽん子を抱え上げた。ぽん子がえっとまぬけな声を上げる。しかし、おじさんは止まらない。そのままカウンターをくぐって出ていこうとするので、こちらが慌ててしまう。
はっと我に返ったらしいぽん子もきゃんきゃんと鳴き始めた。
「ちょっと、今はやだっ! 今すぐはいやっ!」
「今でなかったらいつ行くんだ。そうやって先送りにしてしまうと、ずっと会えなくなるぞ」
「自分のことじゃなかったら何とでも言えるわねっ! でも、本当に今はいやっ! さっき水かぶっちゃったし、毛がぬれてばさばさなんだものっ!」
そのままおじさんは行ってしまうのではないかと思ったけど、ぽん子の言葉にぴたりと足を止めた。そして腕の中のぽん子をじっと見てから、またカウンターをくぐってこちら側に戻ってくる。
思いとどまってくれてよかったと思っていると、おじさんに呼ばれてなぜか一緒に奥の居住スペースに行くことになった。キッチンの横の扉を開けて、さらにその先のくもりガラスの扉をおじさんが開ける。ここはお風呂場だ。
何かを察したのか、ぽん子は今までになく暴れ始めた。
「いやっ! 絶対にいやっ! 毛バモノに洗われるなんて、絶対に無理っ!」
「さすがに私は洗わない。清夏、洗ってあげてくれ。そこの洗面器とシャンプー、自由に使ってくれていい。あっちの部屋で待ってるから、何かあったら大声で呼ぶこと」
「え、あ、うん」
バスタオル包みのぽん子を洗面器に入れると、おじさんはさっさとお風呂場から出ていってしまった。残されたのは私とぽん子だ。しばらくの沈黙の後に、顔を見合わせた。
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