陶器に住む魚

 次の日。

 魚沼くんは隈くまをなくしたすっきりした顔で登校してきた。みんなに囲まれて、おはようと明るくあいさつをしている。自分の席からその様子を確認してちょっぴりホッとしていると、ぱちりと目が合った。そして、こちらにまっすぐと歩いてくる。


「半間、おはよう」

「おはよう」

「昨日はありがとう。それでさ……」


 そこで魚沼くんは言葉を切って、私のほうに身を乗り出してきた。そして耳元で、みんなに聞こえないぐらいの声でささやかれる。


「放課後、一緒に半間のおじさんの家に行ってもいい? 場所は教えてもらったけど、一回も行ったことないし」

「わかった。それじゃあ、家に帰ってからまた駅前で集合しよう」

「うん、それで。それじゃあ、また放課後ね」


 にっと歯を見せて笑ったかと思うと、ひらひらと手を振ってまた魚沼くんは男の子たちのグループに戻っていった。手を振られたから私も振り返していると、横から私の手がつかまれた。

 私の手を握り込んでいる両手の持ち主は、さっきまでいっしょに話していたつむぎちゃんだ。熱っぽい手をして、こちらをじいっと見つめてくる。


「昨日はありがとうって、なに? 昨日、二人の間になにかあったの? もしかして、もしかしなくても、恋の――」

「そういうことじゃないから」


 つむぎちゃんが全部言い切る前に、自由なほうの手で彼女の口を封じた。それでも興奮が収まらないのかもごもごと口を動かしている。つむぎちゃん以外にも、周りの子がこちらを興味しんしんという感じでこちらを見ていた。

 お年頃って大人が言うやつなのか、最近ちょっと女子と男子が話しただけで騒ぎ立ててくる。それに、相手はクラスでも男女問わず人気な魚沼くんだ。転校してきたばかりでいままで大して話してもいなかった私と一緒にいるだけで、話題性は十分だろう。

 なんだか朝からげっそりとしてしまう。魚沼くんもそういううかつところがあるから、陶器を割ったりすることになるんじゃないだろうか。

 昨日回復したばかりの魚沼くんへの評価がまた下げながら、私は適当に言い訳を考える。


「昨日の体育の時間、ドッジボール中に魚沼くんのボールに私が当たっちゃったでしょ。それについて謝ってもらったり、いろいろあっただけ」


 うそはついていない。いろいろの部分に話していないことがたくさんあるだけなんだ。

 そう言っても、つむぎちゃんは本当なのと疑ってくる。結局、その日はつむぎちゃんを含めて女の子の何人かに何度もこの話を掘り返されて、放課後になったときには逃げるように家に帰っていた。

 ランドセルを自分の部屋に置いて、私はそのまま駅前に向かった。もうすぐ駅に着くというところで、そういえば魚沼くんはいつごろ来るのだろうかということが気になった。私が教室を出たときはまだクラスメイトの男の子たちと話をしていた。もしかしたら、もうちょっとゆっくり来てもよかったかもと歩くスピードを緩めながら駅に近づくと、そこにはもう魚沼くんが立っていた。

 驚いて駆け寄ると、魚沼くんはよっと手を上げた。


「それじゃ、行くか」

「ごめん、遅れて。すごく来るのが早かったんだね」

「ああ、気にしなくていいよ。あの陶器がどうなったのか気になってしようがなくて、学校からそのまま駅前に来ただけだから」

「そっか」


 二人でそのまま電車の踏切を越えて、まだ人が少ないスーパーの前も通って、大通りから一本横道に入る。魚沼くんは長くこの町に住んでいるし、ここまで来たこともあるだろうとも思ったけど、興味深そうにきょろきょろと見ている。この通りを歩くのは初めてらしい。


「そういえば、昨日は何もなかった?」

「変なことは何も起きなかった。ただ、母さんにはこんなに遅くまで出歩いたらだめって叱られたけど」

「結局叱られたんだ。それじゃあ、陶器のこともさっさと謝っちゃえばよかったのに」

「母さん、そもそも陶器がなくなったことに初日から気付いてて、俺がどうするか見てたらしいよ。どこに捨ててきたのってめちゃくちゃ怒られて……」


 まぁ、気づくだろうなと思う。魚沼くんはたぶんうそがつけないようなタイプだし、見ているだけでも何かやったなとばれると思う。ばれてなかったと思うほうがまちがってる。本人は、どこでばれたんだろうなんて不思議がっているけど。


「それで、本当のことは言ったの?」

「いや、クラスメイトのおじさんに割れた器を直せる人がいるから預けてきたって言った。勝手なことしてとか、お金はどうするのとか……あの、俺、お金とか全然持ってないけど、いつか必ず返すから」

「お金? え、どうなんだろう。そういうのはおじさんに聞いてみないと」


 まさかお金の話になるとは思わなかった。そもそもおじさんは古本屋だし、器を直すことは仕事じゃない。お金、いるのかな?

 そんなことを考えているうちに、おじさんの古本屋が見えてきた。


「あれだよ、おじさんの店。あそこの――」


 魚沼くんにおじさんの古本屋を指さそうとして、その前に人影があることに気がついた。

 桃色のカーディガンを羽織ったワンピースの女性だった。すらりと身長が高くてまるでモデルさんみたいだったけど、バケットハットをかぶっていて顔はよく見えなかった。おじさんの古本屋さんの前に立っているものの、中に入ろうとすることもなくじっとただ店内をのぞいているようだった。

 もしかして、気になるけど入りにくいのかな。薄暗いし、汚いし、本は崩れそうだし。一声かけようかと思っているうちに、その女性はふいと私たちは反対の方向に歩きだしていってしまった。いつもさびしいおじさんの店の貴重お客さんだったのかもしれないのにと残念に思っていると、横から魚沼くんに声をかけられた。


「半間? あの古そうな店?」

「あ、そう。周りと比べてすごく古く見えるお店」


 私がそう言うと、魚沼くんは速足になってお店の前まで行ってしまった。そして、お店の入り口で立ち止まって、何度も何度も外観を上から下、奥の方までじろじろと観察しては、その場で何度か足を前、後ろに行ったり来たりさせていた。やっぱり、初めての人だと入るか入るまいか迷うような外観だろう。本に埋もれて、おじさんの姿も見えないし。

 慎重についてくるようにと魚沼くんに言って、わたしはいつものように本の間をすりぬけてお店の奥へと進んだ。

 おじさんは、カウンターの前に座ってまた古そうな本を読んでいた。いつもと違うのは、カウンターの横にバスタオルの上に乗せられた大きな青色の陶器が置いてあることだ。


「おじさん、来たよ」


 私が声をかけても、おじさんは顔を上げない。ああと生返事のようなものをしながら、眼鏡の奥の目はずっと手元の文字を追っている。いつもならそれでもいいけど、今日は戸惑っている魚沼くんがいる。

 私はカウンター前に立って、おじさんと本の間に手を差し込んだ。それでようやくおじさんが顔を上げて、それからああっと空気が抜けるような声を出した。


「いらっしゃい。悪いな、つい集中してしまった」

「今日はお客さんがいるんだから、しっかりしてよね。……ところで、その器直ったの?」


 私が指さすと、下に敷いてあるバスタオルごとおじさんは青い陶器を引き寄せた。ぱっかりとふたつに割れていたはずの陶器がしっかりとくっついてる。でも、上から覗き込むと円を半分にするようにひび割れた線が見える。


「とりあえず、専用の接着剤でくっつけた。ただ、完全に隙間なくっつけられたわけではない。水はもれてこないようになっているが」


 そう言ったおじさんに促されて、私と魚沼くんはひび割れた線を上からゆっくりと指でなぞった。陶器からひやりと冷たさは感じたけど、ぬれるような感覚はなかった。


「本当だ、ぬれない」

「ありがとうございます! これなら、家に持って帰っても――」


 魚沼くんがお礼を言って、陶器を両手で持ち上げようとしたときだった。まるで手を避けるように、器ががたりと音を立てて身震いをするように揺れた。おじさんが無理やりくっつけたせいで、器のバランスでも悪くなってしまったのかもしれない。でも、まるで生きているようなその動きに、魚沼くんはすぐに手を引っ込めてしまった。

 おじさんのほうを見ると、眼鏡の奥の目でじいっと熱心に器の様子を見つめていた。しばらくして満足してのか、ようやくおじさんは私たちがいるということを思い出したらしい。こほんとごまかすようにせきばらいをした。


「そうだな。まずは、その陶器が何なのかを話さなくてはいけない。そもそも、これはどういう目的のものかわかるか?」


 おじさんにたずねられて、私と魚沼くんは顔を見合わせた。いきなり言われてもわからない。そもそも目的って何だろう、陶器がなぜ作られたのかという話?

 私が黙り込んでいると、魚沼くんが迷いながら答えた。


「何かを入れるために、あるんじゃないですか?」

「そうだな。何かを入れるためにある。そして、大体は何を入れるかは決まっているものが多い。例えば、お茶碗はお米を入れるためにあるだろう」


 お茶碗はお米を食べるときぐらいにしか使わないし、わざわざお味噌汁や煮物を入れたりしない。

 つまり、この陶器も何か特定のものを入れるということだ。両腕で抱えるぐらいの大きさでの器といえば何だろう、花とか植物は違う。洗面器にしては深さがずいぶんとあるし、重すぎる。古そうだし、なにか私の考えつかないような昔にある使い方だったりするのかもしれない。隣で魚沼くんもうなっている。


「そうだな。この中をのぞいてごらん」


 答えが出そうもない様子に、おじさんが手招いて陶器の中をもう一度よく見るように促した。

 いま一度改めて見ると、つりさげられた電球に照らされて、昨晩の薄暗さの中ではよく見えなかったところまでわかってくる。陶器の底の方は、湖の深いところをのぞきこんでいるみたいに青色は濃くて深い。波紋をつくっているみたいに、その青色は淡くなったり、また深くなったり、器の縁のほうは白っぽくなっている。陶器の側面には黒い影のようなものが泳いでいるように描かれており、それは二匹の魚だった。


「えっと、魚を入れるためのもの?」

「そうだな。睡蓮鉢とも言うけど、二人には金魚鉢と言ったほうが分かりやすいか」

「金魚鉢……」


 金魚鉢と言われて思い浮かぶのはガラスの小さな器だ。いまいちぴんと来ないけど、器の中を涼し気に泳いでいる魚の絵を見ると、そういうふうにも思える。


「本来の使い方としては、魚を飼育するためのものだ。もともと倉庫でほこりをかぶっていたようだし、そこにさらに土をかぶせられて植物を植えられるという、本来とは正反対の使い方をされて怒ったんだろう」

「怒った?」


 誰が? とっさにそのまま疑問を口にすると、おじさんは何のとまどいもなく言った。


「この金魚鉢が、怒ったんだ」


 おじいちゃんとかおばあちゃんとか大人の人がたまに子どもに言う、ものを粗末にしたらたたられちゃうみたいな言葉だ。でも、実際に不思議なことは起こったし、おじさんは本当に金魚鉢が生きている口ぶりだ。


「その金魚鉢にとりついた、妖怪とか、悪霊とかそういう感じのが怒ってるんですか? このまま持って帰ったら、うちが呪われて……」


 想像をしたのか、言葉の途中でぶるりと魚沼くんは身震いをした。どうやって元気づけようか私が悩んでいるのに、おじさんは魚沼くんが怯えていることに気づかずに話を続けていってしまう。おじさんはそういうところが無神経だ。

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