第40話 【SIDE:メイア・ブライト】暗殺対象


「この愚か者が!」

「あぁ……!」


 ――バシィッ!


 平手で叩かれ、私は大理石の床を転がった。

 少し遅れて頬から痛みが上がってくる。


「浮浪者にほどこしを与えるなど。そこまで腑抜けに教育した覚えは無いぞメイア!」

「……」


 私の兄、ラルゴ・ブライトが見下ろしながら冷たい声を吐く。

 ラルゴ兄様は見るからに憤っていて、普段の冷静な仮面が剥がれていた。


 昼間、私があの男の人に食事と衣服を提供した結果だ。


「言い訳ができるならしてみせろ。メイア」

「…………私には、ラルゴ兄様が何に怒っているのか分かりません」

「何だと……?」


 つい本音が漏れていた。

 ラルゴ兄様の怒りを買い、私は二度三度と叩かれる。


「メイア。貴様はまだ暗殺者の一族に生まれた自覚が無いようだな」

「……暗殺者の一族に生まれたから何だと言うのですか。私は罪もない人を殺すラルゴ兄様のようにはなりたくありません」

「黙れっ! 一族の侮辱をするなど許さんぞ!」


 私が生まれたブライト家は金のために人を殺すことを生業としていた。

 物心付いた頃から暗殺のための戦闘術を教え込まれ、随分と辛い思いをした覚えがある。


 私が神様から【アサシン】のジョブを授かった時、お父様とラルゴ兄様はとても喜んでくれた。

 これで優秀な手駒が増えた――と。


 私は人を殺すなどしたくは無いというのに。


 近頃はラルゴ兄様に連れられ王都リデイルに行くことも増えた。

 人をよく観察しろと。そしてどう動くのかを見ておけと。


 いずれ人を殺すための「練習」であることは言われずとも分かった。


 私にはそれがたまらなく嫌だった。


 定められた稼業に染まるのではなく、もっと別の道を歩みたい。

 女の子らしく可愛いものを愛でながら生きたい。

 そして、人に優しくできる人でありたい。


 それは叶わない願いなのだろうか?


「貴様は自分に酔っているだけだ。自分より弱い者に施すことで自分は優しい人間なんだと思いたい。そういうただの自己満足だ」

「……っ」

「良いかメイア。弱い者は利用すること、利用できない者は排除することが強者の義務だ。いつの世もそうして回ってきた。かつて魔人族を排除し人間が今の繁栄を築き上げたようにな」

「でも――」


「もうよい、ラルゴよ」


 ラルゴ兄様の言い分に反論しかけた私の言葉を遮ったのはお父様だった。


「それ以上言葉で言っても無駄だ」

「しかしですね、父上」

「メイアよ。確かにお前の中には甘さがある。しかしそれはお前がまだ殺しを経験したことがないからだと我は考える」


 お父様は私に冷めた目を向けたままで告げる。

 そして、次に続けられた言葉は私にとって受け入れがたいものだった。


「お前にとって適した相手を用意した。一人殺せばその甘さも消えよう」

「…………え?」


 お父様は言って、一枚の紙を取り出す。

 それは見慣れたもので、私たち一族が暗殺対象を確認するための紙だった。


「念のため確認しておこう。メイア、お前は女だ。ならばそれ・・を活かす道もあるが?」

「嫌、です。自分が心に決めていない人に身を捧げるなど……」

「ならばやるべきことは一つ。分かるな?」


 そう言ってお父様は暗殺対象が書かれた紙を前へと差し出した。

 そこに書かれている人物を殺せと、拒否すれば女である私を一族のための道具として使うと、そういうことだ……。


「メイアに適した暗殺対象というのは、どんな相手ですか? 父上」

「見れば分かる」

「ほう……。どれどれ」


 ラルゴ兄様がお父様から紙を受け取り、そこに描かれているであろう暗殺対象の顔を見る。

 そして、一瞬驚いたように目を見開いた後、声を上げて笑い出した。


「ハハハッ! これは良い。確かにお前の甘さを断ち切るには格好の相手だ」

「それは、どういう……」


 ラルゴ兄様が寄越した紙が私の前に落ちる。

 そこに描かれていた人物を見て、私は息を呑んだ。


「この人、は……」


「その者は追放された身だ。故にその者をお前が殺したからとて悲しむ者は一人もおらんということになる」


 私が拾った紙には、私が食糧と外套を与えたあの人が描かれていた。


「アデル・ヴァンダール。第七王子だ。と言っても、だがな。数ヶ月前に王家を追放されている。更にその者はジョブ能力を持っておらんらしい。初任務としては適しているだろう」

「ええ。まさに仰るとおりですよ、父上」


 お父様とラルゴ兄様が話しているが、その内容はまともに耳に入ってきてくれない。

 そして……、


「アデル・ヴァンダールを殺してこい、メイア。それでお前は真にこの家の一員となるのだ」


 ひざまずいた私の上から、そんなラルゴ兄様の声が響いた。

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