第9話 執行人アデル・ヴァンダールという人物


「マリーさん、こちらをどうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 メイアが紅茶を用意して、花屋の店主マリーはおずおずという感じで口を付ける。


 花屋を脅していた男連中を追い払った後、マリーから詳しく話を聞くため俺の経営する酒場、《銀の林檎亭》へと席を移していた。

 そこで俺たちはマリーから事の顛末てんまつを聞いている。


 話によれば、花屋の前でマリーに絡んでいたのはローエンタール商会の人間であるとのこと。

 そして、ローエンタール商会があの地区一帯の商人に対して悪行を働いているというものだった。


「暴力をチラつかせて金銭を巻き上げる、か……。絵に描いたような悪徳商会だな」

「しかもマリーさんが大切にしているお店を乗っ取ろうとするなんて……。あの時ちょっとくらい痛い目を見てもらった方が良かったですかね?」


 言葉は物騒だが、メイアが憤るのももっともだ。


 俺も酒場を経営している身だから分かる。

 商いを行う者にとって、自身の持つ店とは文字通り生命線となるものだ。


 母から受け継いだというマリーのように、店は大切な思いが詰まっている場所だという商人も少なくないだろう。


 そこに暴力と権力をちらつかせて他人の尊厳を踏みにじろうとするのは俺にとって許せることではない。


 ――そういえば昔、王家が商人の店を潰す都市計画を進めようとしていて、強く反対したことがあったっけな。


「こんなことを今日お会いしたばかりの貴方にお願いするのは筋違いかもしれません。でも、私だけではどうしようもなくて……」

「いや、気持ちはよく分かるよ。俺だってこの酒場を畳めとか言われたら反発するだろうしな」


 その言葉にマリーは少しだけ緊張を解いてくれたようだった。


「それにここだけの話、恨みを晴らすのは俺の専門分野でね。表向きは酒場をやってるんだが、力にはなれると思う」

「え……? それってどういう……」

「マリーさんは聞いたことありませんか? 《黒衣の執行人》という名前を」

「っ……。で、では貴方が……!?」


 マリーが身を乗り出してくるのに対して、俺は人差し指を自分の口に当てるジェスチャーで応じる。


「力を盾に脅してくるような輩には力で分からせるのがいいだろう。王都の自警団も動いてくれないんだったら俺が出張った方が話は早そうだな」

「あ……」


 と、そこでマリーは何やら思い悩んだような表情に切り替わる。

 何か気がかりなことでもあっただろうか?


「あの……、こんな話を持ちかけておいて実は私、貴方にお支払いできるものが無くて……。すいません! この先、何としてでもお金はお支払いしますから、どうか……」


 何だ、そんなことか。


 今回の話は乗りかかった船のようなものだし、金なんて貰えずとも引き受けて良いんだが。

 マリーという女性を見た感じ、その辺は義理を通したいと言い出しそうな気がする。


 ――仕方ない。


「あー、そういえばマリーは花屋をやってるんだったな?」

「……? ええ、そうですが?」


 マリーが脈絡のないことを言われて困惑した表情を浮かべている。

 そこで俺はメイアに顔を向けて声をかけた。


「メイア、ちょっと意見を聞きたいんだが」

「何です、アデル様?」

「酒場が何だか寂しいと思ってたんだよな。花なんて置いてみたら少しはマシになるかと思うんだが、どうだろうか?」

「あ…………。ええ、良いですね。とっても素敵なお考えだと思います」

「よし、じゃあ決まりだな。今回の報酬はマリーの店にある花をいくつかもらうってことで」

「い、良いんですか?」


 俺は黙って頷く。


「ふふ。素直じゃないですね。まあ、そこもアデル様の良いところですし、私は大好きですけど」

「何か言ったか?」

「いいえ。何にも」


 メイアが楽しげに鼻を鳴らしたところ、マリーは何かに思い当たったような顔で俺の方を見てきた。


「アデル? 貴方のお名前は……、アデルと言うんですか?」

「ああ。そういえばまだ名乗ってなかったな」

「もしかして、アデル様? 第七王子のアデル・ヴァンダール様ですか?」

「ん……。まあ、そんな肩書きだった頃もある。今じゃ追放された身で誰も覚えちゃいないだろうが」

「あぁ……」


 俺が自嘲気味に笑うと、マリーは目を細めた。

 そして、マリーの目から一筋の涙が溢れだす。


「お、おい。なぜ泣く?」

「だって、だって……」


 マリーは何故か言葉にならない様子で、嗚咽を漏らしていた。


「おや。女性を泣かせるなんて、アデル様も罪なお人ですねぇ」

「いやいや。何もしてないぞ、俺」


「いえ――」


 俺が弁明しようとしたところ、マリーはそう言葉を挟んで言った。


「何もしていないなんてとんでもありません。貴方は過去、間違いなく私たちを救ってくれたんです。本当に、本当にありがとうございます……」


 マリーは両手を胸の前で組むと、感謝の言葉を連呼している。


「よく分からんが……。まだお礼を言われるには早いぞ。まずはあの連中を何とかしないとな」

「そう、ですね……。はい、よろしくお願いします」


 そう言って泣き笑いのような表情になったマリーは、差し出した俺の手を取った。


   ***


「アデル様は――」


 ローエンタール商会の根城へ向かう道中、マリーが口を開く。

 今は執行対象の元へと向かうべく、夜の道を俺、メイア、マリーの三人で進んでいた。


はいらない。もう王子じゃないし」

「え? でもメイアさんはアデル様と……」

「私はアデル様にお仕えする身ですから」

「そうですか。では、アデルさん、と」


 マリーは俺に向けて微笑みかける。

 そして先程の言葉の続きを口にした。


「アデルさんは、どうして復讐代行を始めたんですか?」

「ああ。王家を追放された後、色んなものを見てきてな。許せなかったんだよ」

「許せなかった?」


 「何が?」と続けて問いかけてきたマリーに答えようとしたところ、俺の足に何かがぶつかった。


「あ……。ご、ごめん、なさい……」


 見ると、そこには少女がいた。どうやらぶつかったのはこの子らしい。

 亜麻色の髪に、頭部からは獣のような耳が伸びている。


 ――獣人族か。珍しいな……。


 少女は獣人特有の獣耳を隠すためか、はだけたフードを慌てて被り直す。


「俺の方こそすまない。怪我は無かった、か……」


 言っている途中で、その少女の体が酷く痩せ細っているのに気付く。

 身にまとっているのは「麻袋に腕を通すための穴を空けた」といった感じの質素な服だ。


 首には紋様の刻まれた鉄の錠を付けられ、それは獣人の少女が奴隷として扱われていることを意味していた。


 ――奴隷錠……。今もこんなのを付けさせる奴がいるのか……。


 大量の酒瓶を抱えているのを見るに主人の使いでも命じられたのだろう。

 こんな夜も深い時間だというのにロクな食事も摂らず働かされているらしい。


 領主の圧政に苦しむ村から依頼を受けた時、飢餓に苦しむ子供を目にしたことがあるが、獣人の少女はそれと同じ目をしていた。


「なあ君。ちょっと待ってくれ」


 立ち去ろうとした獣人の少女に向けて声をかけ、俺は一枚の紙切れを差し出す。


「それは《銀の林檎亭》っていう俺の酒場で使える食事券だ。今度ウチに来ると良い。飯をたらふく食べさせてやる」

「い、いいの……?」

「ああ、ぶつかったお詫びだよ」

「………………ありがとう。今度、絶対に行く」


 獣人の少女は片手を差し出し、大切そうにそれを受け取ると律儀に頭を下げている。

 そして自分の仕事を思い出したのか、酒瓶の入った袋を抱え直すとフラフラとした足取りで歩き出した。


「それで、俺が何を許せないか、だったか?」

「は、はい」


 去っていく獣人少女の背中を見ながら、俺はマリーに向けて呟く。


「ああいう理不尽が、だよ」

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