注釈ばかりが透き通る。
20
俺が小学生の頃、香澄の自殺を止められたのには理由がある。
霞ヶ関が本当に死にたいわけじゃないことが分かっていたからだ。彼女は、母親が自分の発言で死んでしまった事実から、目を背けたかっただけだ。
そう、霞ヶ関は死にたいわけじゃなく、逃げたいだけだった。
だから、自分が逃げ場であると、あれがなくても俺が居ると、上手く丸め込んだだけで、言ったことに中身はない。
霞ヶ関は馬鹿じゃないどころか、途方もない天才……いや、本当は、海水臭い努力家の秀才だ。
とにかく、彼女が賢いことに変わりはない。だから、俺の詭弁は恐らくバレているだろう。
それに気付いてしまい死にたくなったと思っていたが、それが違う可能性がある。
霞ヶ関が俺のことが好きで、それが死ぬ理由だと茜は言っていた。
幸運なことに初恋が実った俺が言うのはかなり皮肉になってしまうが、そんなことで死にたくなるものなのか。
決して香澄を軽んじているわけではない。ただ、彼女がそこまで恋愛に偏った考えを持つのが意外だった。
実際のところはわからない。だから聞きに行く。
夢の中の彼女に、初めて出会う、本心の霞ヶ関香澄に。
*
眠って夢の中に入る。
「霞ヶ関香澄は今が一番弱ってるね。心が剥き出しだ。多分、君に本心を知られてしまったから、心を守る心の枝が無くなったんだろうね」
俺が起きるが否や、夢カレンは得意げに語る。
「なあ、心の枝ってどういう原理で消えるんだ?」
「人を見抜くときって、その人のことを知ってないと見抜けないでしょ?」
そンな感覚的な原理だったのか。
もしかして本当は、この夢力は人間誰しもが使える第六感のようなものなのかもしれない。
穴を潜り、霞ヶ関の元まで来た。崖の先で、彼女は泣いていた。ぽろぽろと零れ落ちる涙をそのままにし、俺の方を向いていた。
霞ヶ関が泣いているところを見るのはこれで二回目だった。どちらも死のうとしている前だった。彼女は死のうともしない限り泣かないくらい自分の本音を隠す。もっと早く気付くべきだった。
霞ヶ関の感情がむき出しになっている、本当に心の枝が消えたのだろう。
「香澄……」
「エイジ、お前は本当に酷いよ」
「……ごめん」
「謝っても許さないよ、本当に酷い」
霞ヶ関が冗談ではなく、本音でここまで言うのは珍しい。
「私を嘘で唆したくせに、一回も会いに来てくれないし……」
「許さなくてもいい、でも聞かせてくれ、なんで死にたいと思ったんだ?」
「お前のことが好きだからだよっ!」
これが霞ヶ関の死にたい理由だ。本当に俺が好きだからだった。
「私はお前のことが好きだ。どうしようもないくらい好きだ! お前があんなに優しくするから、好きになっちゃったんだよ!」
元の飄々とした霞ヶ関が言うはずもない言葉を並べていく。俺には彼女の全てを受け入れる義務がある。彼女をこうしたのは俺だからだ。
「どうしたら……死なないでくれる?」
自分から出た言葉に呆れた。こうしたのは自分じゃないか。
「じゃあ……」
彼女の震える声の語気が強くなる。
「茜を裏切って、結婚を前提に私と付き合ってください。そうすれば、許します」
完全に失言だった。
……霞ヶ関の思いを、真っ向から振らなければいけなくなったからだ。
「告白は嬉しい。香澄は魅力にあふれてると思う。……けど、……ごめん」
「そう、じゃあいいよ。私は死ぬ」
涙を拭いて、俺に背を向ける。彼女の髪が翻る。
「……今年であれから三年経つね、楽しかったよ」
そういうと霞ヶ関は、その崖から、まるで天国にでも行くみたいに飛んだ。
俺は焦った。この位置から海に落ちたことがあるからだ。まず水面に当たる身体が本当に痛い。
さらに服を着ているから本当に動きずらい。俺は元から泳げないが、さらに体に錘が張り付いたみたいになって、下手に動けなくなる。
そんなところに落ちたら、いくら霞ヶ関でも死んでしまうかもしれない。
と言うより、元々霞ヶ関は死ぬ気なのだ。死ぬかもしれない、ではなく、死ぬ、のだ。
どうする?
夢の中だから助けも呼べない、誰も来ない。このままだと霞ヶ関は死ぬ――
「お前が本当に飛び込んだ場合、俺が救助に向かうからな」
大昔吐いた嘘の言葉が、今口に出た。
そうだ、俺が助けに行くんだ。泳げないどうこうではなく、俺が助けに行かなければいけないんだ。だってそうしなければ霞ヶ関は死ぬんだから。
「でもそれは俺のエゴじゃないのか?」
自問する。
自殺を助けることは、自分の価値感の押し付けじゃないのか?
「知るか! 俺は香澄が居なくなんのは嫌だ!」
焦っていたからか、霞ヶ関という長ったらしい音は出せなかった。
「うぽおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
きもい叫び声を上げて海へ飛び込んだ。
その時、思い出したのは香澄と出会った時のことだった。
「ねえ、本当に東京からきたの?」
転校して話しかけられるとかいうのは本当のことだが、転校して五分か十分くらいは話しかけられない。
誰かが話しかけてくれないと、誰も話しかけてくれない。
小学生の頃、俺は明るい性格だったのだが、それは霞ヶ関がこうやって話しかけてくれたおかげで、皆が俺に親切にしてくれたからだ。
本当の俺は、どちらかと言うと根暗な方だった。
「うん、そうだよ」
「すごーい! 東京って本当にあったんだ!」
「そりゃあるよ」
「東京ってやっぱり、ビルとかいっぱいあるの?」
「超ある」
「すごーーーい!」
「す、凄いかなぁ……」
ここまで話したくらいで、多くのクラスメイトが俺に話しかけてくれた。
霞ヶ関は俺の一番の親友になってくれたし、それからも楽しかった。
あの頃、霞ヶ関といた時間は、今、茜といる時間と同じくらい幸せだった。
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