12

 茜と別れて家に着いた。

 カレンはまだ不機嫌そうな顔をしていたが、俺の顔を見るなり、

「兄さん……何かあったの?」

 と不安げな顔で聞いてきた。ちなみに霞ヶ関が夢牢病になったとは言っている(でもカレンは夢牢病を知らないので霞ヶ関が病気に罹って入院しているとだけ伝えている)。

 憂鬱が顔に出てしまっていたようだ。

「ううん、なんでも」

 俺は部屋へ逃げ込んだ。

 ベットの上に寝っ転がり大きくため息を吐く。

 救いを求めるように天を仰ぐが、天井には何も書いていない。

「まずいな……」

 焦りが募っていく。この焦りはこうなるまで何も気づかない振りをしていた自己嫌悪でもあった。


 *


「大分不味いことになったね、お兄ちゃん」

 夢の中で目を覚ますと夢カレンが俺の顔を覗き込んできた。

「霞ヶ関香澄は夢の世界の適性が強すぎるみたいだ。少なくともこの島の誰よりも強いよ」

 カレンが平坦な口調で言った。

「誰よりも……って村瀬さんよりも?」

 大きく頷く。

「うん。昨日お兄ちゃんを吹き飛ばした風は都合よく吹いたものではなくて、霞ヶ関香澄が自分の意志を具現化したものなんだよ。彼女は夢世界の戦士としての素質が高い。だからお兄ちゃんを吹き飛ばすほどの風を吹かせることが出来たんだ」

「それは……すげえや。村瀬さんがやられるわけだ」

「彼女を放っておいたらまずいことになる。彼女の力でこの島が破壊されてしまうかもしれないんだ。きっと夢見様は看過しないだろうね」

 夢見様? 誰だそれは、そういえば初めて夢の世界に入った時にも夢見様がどうとか言っていたような。

「そっか、でも俺に任せろ。ちゃんと解決してみせるよ」

「うん、頑張って。霞ヶ関香澄のことを一番よく知ってる友達のあなたなら、いやむしろあなたしか出来ないと思う。応援してるよ。……でも」

 お茶を濁すような言葉遣いのカレンに「どうした?」と聞いた。

 するとカレンは濁さず簡潔に言った。

「かなり難しいかもね、死ぬかもよ」

「大丈夫だよ……きっと大丈夫」

 正直俺もカレンが言ったようなことが起こる気がした。だからこの大丈夫は自己暗示なんだと思った。

「霞ヶ関さんは昨日と同じ場所に居るみたいだよ」

 カレンはいつものように俺の探している人のヒントをくれた。

「やっと濁さず教えてくれるようになったな、いつもそうしてくれよ」

 するとカレンははっとした驚き顔になったが、すぐに微笑んで、

「今回はサービスだよ」

 と言った。


 カレンに言われた場所、つまり昨日と同じ崖の上に行くと霞ヶ関がいた。

 黙って霞ヶ関の方へ歩く。

 昨日みたいな風は吹いてこなかった。

 霞ヶ関の知らない一面を知ったから、俺の気付かない霞ヶ関の気持ちの一つを知ったから、俺に対する抵抗が減って風が吹かなくなったんだろうか。

 そのまま俺は歩く。一歩二歩三歩と霞ヶ関に近づいていく。あと五歩で俺の手が霞ヶ関に届くくらいの距離になる。

 風も吹かず、至近距離。しかし俺は立ち止った。

 死にたい霞ヶ関になんて言えばいいのだろうと考えている。三年前のような詭弁建前嘘方便はもう使えない。一度使ってしまったから次は気付かれてしまう。もう騙せない。

 じゃあなんて言えばいいんだ。

 死ぬなんてもったいない? もっと楽しいことがある? 死んだら俺が寂しいから死なないでくれ? どれも言った言葉だ。二度目は使えない。

 自分の言葉がワンパターン過ぎて嫌になる。それに当たり前のことしか言ってない。

 こんなこと本人もわかっているはずだ。奇跡的にわからなくても俺が一度言っている。

 当たり前であることを強く主張して、こうしてはいけないと自分の正しさを宣教師のように説いて、神頼みが一番嫌いな癖に根拠のない自信と保証のない未来を押し付けたところで何の解決にもならない。ならなかった。問題は残ったまま、一度うやむやにしたところで、霧が晴れて目の前に再び問題が現れれば同じ行動をとるに決まっている。だから彼女は死のうとしているのだ。きっとそこのがけから六メートル下の海に飛び降りようとしてる。

 もしかし霞ヶ関は本当に俺を殺そうとしているのかもしれない。恨まれるようなことはした。

 そう考えると足が竦んだ。

 死ぬかもしれないという生物的本能でも理性でもないものが俺をその場に引き留める。これは虚しさだ。

 優しい友人が陰で牙を剥いていたなんて考えたくないし信じたくもない。悲しいし痛いし切ないし悔しいし酷いし……何より虚しい。

 死ぬのが怖い。香澄やカレンに会えなくなってしまうのが怖い。自分が忘れられてしまうのが怖い。でもそれ以上に、好きな相手に嫌われていたという事実があったとして、それを知るのが怖い。

 この気持ちを知っている。片思いの不安だ。

 自分の気持ちが強ければ強いほど俺は弱くなる。

 なんて言葉を掛ければいいかわからない。だからといって引くわけにはいかない。

 俺には探偵タイプの夢力がある。掛ける言葉は本心を聞いてから考えよう。飛び降りれないようにしっかりとあいつの肩を掴んで。

 歩きだした。霞ヶ関に手が届く場所までたどり着いた。

「霞ヶ関」

 霞ヶ関に向けて手を伸ばす。

「一緒に帰ろう」

 現実の世界に。

 お前の場合、夢よりも現実の方がいろいろ叶えられるんじゃないか?

 何が理由なんだ、いいかげん聞かせてくれよ。

 お前一人で出来ないことなら俺が手伝ってやる。あの日の約束は詭弁であり建前だが、嘘を吐いたつもりはない。

 だから、だから――

 霞ヶ関の肩に触れる数センチまで手が届いた。でも、そこで、

 止まった。

 手が止まった。静止したというよりも、逆側の引力に引っ張られる。張りのあるゴムに手を押し付けて逆側に押されている感覚がある。風じゃない。また別の何かだ。

「なんだ、これ」

 そこから手を取り出そうとしても動かさない。逆側に引っ張られる変な感覚だけが手に残っている。

 無様あまりに滑稽。心に何か聞く前にまたしても霞ヶ関に拒絶されてしまった。

 意識が遠くなる。夢が覚める前兆が来た。

 意識が切れる前に――彼女の耳に届くかどうかわからないが――俺は言うことを言っておくことにした。

「俺はお前のことを知らない、だからお前が完璧な天才だと心から思ってた。お前のことを羨んだ時期もあった。だけどお前がそうじゃないってことを明也さんに教えてもらった。見当もつかないけど、お前にも悩みがあるんだろう。その悩みを聞かせてくれ、いや、必ず聞き出す。聞き出して完璧に解決する。そして俺はお前を死なせない。一人にもさせない。お前を諦めない」

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