11

 あの霞ヶ関の叔父というのだから、見た目の年齢がかなり若くて、叔父というより兄と言った方が通るような若そうな人が来ると思ってたが、意外と普通そうな人だった。

 細身で眼鏡を掛けていてハンカチで汗を拭いている。印象としてはヘタレだけど優しそうな人だ。

 霞ヶ関も叔父のことをよくかっこいいと言っていたり、余裕があると尊敬していたりする。彼女が言っていたそれらの誉め言葉は内面に通ずることのようだ。

「初めまして、あなたが大滝エイジ君ですね。僕は香澄の叔父の霞ヶ関明也(かすみがせきあきや)です」

 少し下げすぎなくらいに頭を下げて明也さんは自己紹介した。

 俺も同じように自己紹介して、さっそく本題に入った。

「村瀬から聞いたんですが、香澄は……」

 俺に君を付けて敬語を使うほど丁寧な物腰をしている割に村瀬さんのことは呼び捨てにしているのは彼は村瀬さんの学生時代の友人らしい。

 なんだよ。村瀬さん友達いるじゃねえかよ。

「はい、夢牢病だそうです」

「そうですか……」

 明也さんは悲しそうな顔をした。恐らく力になれなかったことを俺と同じように悔いているのだろう。俺は村瀬さんみたいに「そんなのはどうしようもなかったことなんだ」と納得させることは出来ない。

 出来ないが、その代わりに言う。

「俺は香澄さんの夢の中に入って彼女を助けることが出来ます」

 しまった。

 宣言したはいいものの、明也さんにこんなこと言ってもわかるはずがない……と思ったが、彼は戸惑う様子もなく、「君が……」とつぶやいた後、

「よろしくお願いします」

 と深々と頭を下げたものだから、逆にこっちが驚いてしまった。

「え? 信じてくれるんですか?」

「話は村瀬から聞いてますし、君がとても仲の良い友人であると香澄からも聞いてますから」

 明也さんはにへりと笑った。

「それにしても……」

 それにしても、それにしてもだ。

 急に知らない子供から、俺には異能力があるから姪を助けれる信じてくれ、と言われて信じるのか。このタイミングだったら詐欺もあるかもしれないぞ。

「可愛い姪を助けれるならなんだって構いません。どうかお願いします」

「……もちろんです。任せてください」

 霞ヶ関の言うかっこいいが少しわかった気がする。

 姪のために見ず知らずの子供に頭を下げれる明也さんは間違いなくかっこいい。

 すると扉が開いて村瀬さんが入ってきた。

「明也お前なんで夢の世界を知らないふりしてんだよ」

 呆れた口調で村瀬さんが言ってきた。

「こういった方が彼のやる気が出るからに決まってるだろ、言うんじゃねえよ全く……」

 明也さんのヘタれた雰囲気が一変した。まるで役を終えた演者みたいな切り替えで。

「え?」

「こいつも夢の世界に入れたんだよ」

「だーからなーんで言うんだよ。答えろやゴラァ」

「夢の世界が分かるって言った方が話が早く進むからだ」

「こういうドラマチックなシチュエーションがあった方がやる気出んだろ」

「お前がなにもしなくても彼は十分やる気だよ。なんせ香澄さんの友人だからね」

「あー……えっと?」

 取り残された俺が狼狽えた声を出す。

「んなこたわかってるけどよ。ここは俳優冥利を出すもんだろ」

 俳優? 俳優なのかこの人。

「そんなことやらんでいい。悪いなエイジ君、こいつ俳優なんだ。だから面倒くさいことしたけど許してやってくれ」

「あ……はい」

「まあ、よろしく頼むぜエイジ君」

「はい。よろしくです」

 演技だったのか、ヘタレそうな雰囲気。

 姪が病気の時でもこういうことができるなんて……随分余裕がある人だと思った。

 霞ヶ関はこういうのが好きなんだろうか。

「さて、どっから話すかな……」

 明也さんはこちらがわざわざ説明する前に霞ヶ関の話をし始めた。夢の世界も夢牢病も知っているので話が早い。

「香澄はとても空気を読む子で、しかも聡い。姉さんが……香澄の母親が死んで、俺が香澄のことを引き取った時、俺と香澄はお互い知っていたが、それでもしばらくは俺と距離を置くと思ってたんだ、でも初日からやけに明るかった。母親が死んだ後とは思えなかった。俺は演技が仕事だからわかったんだが、あの明るさは悲しさの裏返しだ」

「明也さんに悲しさを悟られないように……ですか?」

「そうだな……そうだろうな……」

 明也さんは悔しそうだった。

 仲が良いと思っていた人に取り繕われたら傷つくし、悔しいものだ。

「だから香澄は辛いことがあってもよく隠すんだ。……爆発するまでな……」

 それからしばらく、明也さんは霞ヶ関のことについて話した。

 学校の友人に見せる自分と叔父に見せる自分が違うのは当然だが、それにしても「あの霞ヶ関が?」みたいなエピソードが沢山あった。

 例えば東京の学校で授業についていけず、まずいと思ったのか中学生時代一切学校をサボっておらず、先生からは真面目な生徒と評価されていたらしい。良いことなんだが俺の知っている霞ヶ関と少し違う。

 少し間抜けだったり余裕のなかったり、俺の知らない霞ヶ関の話が聞けた。

「あいつは抜け目ないと思ってたんですけど、意外とそんなことないんですね」

「君の前ではそうなのか? 俺の前では普通のだらしない娘って感じなんだがな」

「まさか、あいつたまに俺らのこと家に呼んで鍋とか作ってくれますよ」

「え?」と明也さんが驚く。

「マジで? あいつ家事苦手なはずなんだけどな……鍋なら簡単にできるが……いやでもその後の片付けも考えたら……」

 明也さんは狼狽えていた。

 もしかして霞ヶ関は料理苦手なんだろうか。

 いやそんなことはない。だってあいつの鍋めちゃくちゃ美味かったし、何なら調理実習の時、「料理もできる私マジ天才」とか言ってたし、実際調理実習で作ったゴーヤチャンプルーも美味かったし。

「家事が苦手だったら一人暮らしなんてしませんよ」

「だからこっちに引っ越す前に数を一通りあいつに仕込んだけどな、でもあいつ家事が苦手なだけじゃなく嫌いだからな……一人にするとやらねえんじゃねえかとも思ってたんだがちゃんとやってたみたいで良かったわ」

 ということは、あいつは努力をして家事をするようになったってことか。

 香澄が努力家なのはよく知っているが、水泳以外にも努力できるとは思わなかった。

「俺が話せるのはここら辺までだな……そうだ、どうせだから高校での香澄がどんな感じか教えてくれよ」

「わかりました。学校での香澄はですね――」

 明也さんに高校での霞ヶ関を話すと「へえ、あいつが、意外だな」みたいな、多分、俺が明也さんに霞ヶ関の話を聞いた時と同じような反応をしていた。


 家に帰ると茜が俺の部屋でカレンとゲームをしていた。恒例の格ゲーである。

「あ、おかえり」

 こちらを見ずに茜が言う。

 カレンは後ろ姿からでもわかるほどゲームに集中していた。というか必死だった。

 現在の状況は茜の残基残り一つに対しカレンは残基二つ、しかしヒットポイントは茜の方が余裕がある。茜が半分くらいあるのに対しカレンは残り僅か……たった今無くなって残基がお互い一つずつになった。

「グムムムムム……」

 カレンがうめき声を出す。可愛い顔にマッチしなさ過ぎて面白い。

 この反応からしてカレンの方が劣勢なんだろう。

 多分、茜は残基の数を変えられるハンデ機能を使っている。だからカレンはヒットポイントが茜のより多いにもかかわらずうめき声なんか出しているのだ。

 その証拠にそれから茜はあっという間にカレンを倒してしまった。

「ムムム、ムムムムムム、む……むぅ……」

 変なうめき声を出した後、バタンと前に倒れた。

「負けちゃったぁー」

「うん。私の勝ちね」

 そう言った茜はなぜか俺の腕を両手で掴んだ。それを見たカレンはそっぽを向いて出て行った。機嫌悪そうに見えた。

「え?」

 一日に二回も置いてきぼりにされるとは、世間は俺に優しくない。あるいはついてない。

「何やってたの?」

 俺が聞くと茜は「ふふふ」と笑って、

「賭け格ゲー」

 と答えた。

「賭け格ゲー? なんだそれ、何賭けたんだよ?」

「あなた」

「えぇ?」

 なんかもう意味が分からない。これ以上聞くのは止めよう。

「ところでお前、なんでうちにいるんだ?」

「何よいちゃダメなの? ヒステリック起こすわよ」

「すぐにヒステリックを起こそうとするな、マジで止めろうるさいから。お前の小さい体のどこからあんなエネルギーが出てくるんだよ」

「それはね……ここだよ」

 茜は両手を自らの心臓に添えた。

「やかましいわ」

「愛あってのヒステリックだから許してね」

 そう言って茜は可愛くウィンクする。こうやって可愛くと付けているとあたかも茜がウィンクが上手いと思うかもしれないが、実際はそんなことなく、茜はウィンク出来ておらず瞬きになっている。

 ただの瞬きを可愛いと言ってしまう俺には何か問題があるのかもしれない。そして問題のある俺だからこそ、茜のこういうところもすんなりと受け入れられるのかもしれない。

「で、お前本当に何しに来たんだよ」

「香澄がどうやったら現実に戻って来るかを考えたから言いに来たの」

 俺も茜も香澄を心配している気持ちは一緒だ。能力の有無に関わらず、こうやって手伝ってくれる。心配してるなら手伝うのは当たり前だと思うかもしれないが、能力の有無に関わらず、自分にできることを考えて実行するのは冷静な証拠だ。

「なるほど……何を考えたんだ?」

「確か夢の中で香澄には会えたけど、声を掛けれず風に吹き飛ばされたんだっけ?」

「ああ、そうだよ」

 茜には夢から起きた段階で状況をメールで送っている。茜も霞ヶ関を夢から目覚めさせる協力者だからだ。それに隠し事をしていると後でヒステリックになる。

「夢で会えないなら現実会おう」

「霞ヶ関の病室に行くってことか?」

「うん。何か昨日と変化があるかもしれないしね」

 夢で会えないなら現実で会うか、目的を達成することに実直な茜らしい。

 夢という言葉を出すなら普通逆な気がするが……本当におかしな状況だ。

 

 病室のドアを開けると意外な人物が居た。

 いや意外というのは言い過ぎた。他の人が立っているより彼が立っていた方が自然だ。姪を心配するのは叔父として至極当然のことである。

 それでもさっきの余裕ぶりを見て、まさか明也さんがこれほど落ち込んでいるとは思わなかった。

 落ち込んでいる。間違いなく落ち込んでいる。無言無表情で点滴を打たれ眠っている霞ヶ関を見る明也さんは間違いなく落ち込んでいた。身振り手振り表情声には当てはまらない。本物の落ち込み方をしている。空気が間違いなく重い。

「来てたのか、エイジ君」

 明也さんがこちらに気付き振り向く。

「えっと……」

 茜はもちろん彼のことを知らないので俺が紹介する。

「香澄の叔父さん……これはどうも初めまして、香澄の友人の御堂みどう茜です」

 茜が丁寧で畏まった挨拶をする。

「初めまして、霞ヶ関明也です」

 明也さんも丁寧に返した。

「君達も香澄の様子を見に来たのか?」

 明也さんの言葉が少し跳ねていて、こんな時でもなければ機嫌がよさそうに聞こえる。

 この人も香澄と同じように悲しさを隠しているのだなと察せる。

「はい」

「そうか、でも昨日から何にも変わらないみたいだよ。村瀬が言ってた」

 確かにそうだった。

 昨日見つけた通り普通の寝顔で寝ているし、状態に変化はない。

「あの」

 ふと気になったことがあって、明也さんに声を掛ける。本来なら村瀬さんに聞くべき内容だが。

 俺が今から言うことに気付いた茜がちらりとこちらを見た。その目は「止めておけ」と言っているようだった。

 それを無視して俺は聞く。

「夢牢病が続くとどうなるんですか」

 もしも霞ヶ関がこのままずっと眠り続けたらどうなってしまうんだろうか。

 昨日とまるで何も変わらない霞ヶ関に俺は不安を覚えていた。

 もしもこのまま夢が覚めなかったら。

 まず補習はいけなくなるだろうし、その後も眠り続けてたら学校も普段の霞ヶ関のサボりとは比べにならないレベルで行けなくなるし、まだ起きる保証があればいいんだが……もしもこのまま一生起きなかったら……

「ただ眠ってるだけだからな……俺はよくわからないが、ずっと眠り続けるんじゃないのか」

 言葉は濁したが、それは死ぬってことだろう。

「村瀬さんが言ってたんですが、昏睡した夢牢病患者は治療するまで治らないですね」

「ああ、そうらしいね」

 百パーセント治らないというわけじゃないだろうが、限りなく無いに等しい。

 自然回復は見込めない。

「俺はそろそろ行くよ、君達はどうする?」

「俺はもう少しここにいます」

「私も」

 明也さんが出て行って数秒後、

「ねえ、なんで聞いちゃうのよ?」

 病室だからあまり声は大きくないが、茜は怒りを含んだ声で言ってきた。

「何となくなんて言われるかはわかってたでしょ? それでも聞いちゃったらあんたのプレッシャーになっちゃうじゃない」

 てっきり明也さんに気を使えと言われるかと思ったが違った。いやそっちの意味も含んでいると思うが。

「自分自身に覚悟を決めとこうと思って」

 聞いてよかったと言ったら嘘になる。

 でも俺は聞いたことは間違ってないと思っている。ふと気付いたところで聞いておいて良かったと安堵する。

 ――夢の中でも死んだら死ぬからね。

 ふと幽子さんの言葉を思い出した。

 夢の中で自殺をしたらどうなるだろうか……多分そのまま死ぬんだろう。

 もしかしたらという例えはもう使えない。思いついてしまったからには最悪を想定した方がいい。

 死ぬかもしれないという言葉を再度聞いて、思いついてしまった。

 正確には思い出してしまった。

「……」

 恐らく霞ヶ関は夢の中で死ぬ。死因は自殺。タイムリミットは残り少ない。

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