第三章 真面目、優しい、正直者

7 ここら辺から本番です

 次の日も補習である。

 はたして補習とは貴重な学生時代の夏休みを削ってまでやるものだろうか。我らが夢見高校は都心の高校より進学実績少ないくせに補習が好きである。

 こんな補習だらけの夢見高校に物申す。学生の本分は遊びだ。勉強ではない。

 なぜなら勉強ばかりしていると病んでしまうからだ。

 やりたいことや好きなこと、その他全てを抑えてまでやることではないと俺は思っている。だから補習になるのである。

 でもそれにしても毎日十数枚、それなりの難易度のプリントををやらせる夢見高はおかしい。卒業したらネットのレビューでボロクソ書いてやる。

 ……と思っていたところだが、

「ごめんな、付いてきてもらって」

「ううん、大丈夫。私が付いてくって言ったんだもの。それよりもこれ以上、香澄に迷惑かけれないわ」

「でもあいつ多分、俺らが居たら混ざってくるぜ」

「ふふ、それもそうね。でもあなたは補習にならないようにもうちょっと勉強頑張って。でも頑張りすぎはよくないから私が見ててあげる」

 神。

 神彼女。

 夢見高の補習は補習組ではなくても希望すれば参加することが出来る。茜は希望して付いてきてくれた。

 まさかこんな神彼女と会える口実になるとは、補習も悪くないな。レビューでボロクソ書くのは考えてやる。命拾いしたな夢見高等学校よ。

「でも香澄なら、補習もサボってたりして」

「いや流石にないだろ。あれ休んだら補習の量が倍になるぞ」

 冗談を言ってきた茜に対し、マジレスで返すつまらない俺。

 赤点ではない俺と霞ヶ関が補習をサボったところで単位を落とすことはないだろうが、何かしらペナルティがあるのは明白だ。そういう逆算が出来るなら、そもそも補習になんてならないだろうが、いやでもまさか補習までサボるわけないだろう。

 

「いないわね」

「おいおい、あいつ死んだわ」

 居なかった。なんと教室には居なかった。サボりやがったあん畜生。

「……いつも思ってたんだけど、香澄ってサボってるとき何してるの?」

「なんか海で泳いでるーって言ってたな。泳ぎたいときに海で泳ぐのがあいつの主義なんだと」

「そうなんだ、でも水泳部の大会この前終わったわよね?」

「来年こそは全国で上位になるって意気込んでたな、俺らとは次元が違うな。先生たちも天才の補習くらい見逃せばいいのに」

 テストの点は取れてるし、コミュニケーションにも問題はないし、別にいいじゃねえかって思う。これくらいの天才なら少しくらい休んでたって、でもそれを受け入れないのが社会なのか。通りで衰退していくわけだ。

「まあ、いないなら仕方ないわね。私たちだけでやりましょう」

「そうだな」

 俺は軽くうなずいて、茜と席を向かい合わせにした。二人分のプリントを取ってきて座った。

「ずいぶん多いわね、結構時間かかりそう」

「昨日霞ヶ関は十五分で全部終わらせてたけどな……」

「嘘でしょ」

 ちなみに俺は教えてもらいながらでも一時間半以上かかった。

 霞ヶ関は教えるとき、答えは決して言わない。間接的に答えに繋がることを言う。ちゃんとその後のことを考えた教え方だ。わざと時間が掛かる教え方をして、俺を鍛えてくれたわけだ。

「ま、頑張ろうぜ」

「あなたがね。これ量は多いけど応用問題は大分少ないわよ。頑張ればあなたでも一時間足らずで終わると思うわ」


 課題が一段落したくらいで、俺は茜に聞いてみた。

「最近、霞ヶ関ってどっか変わったよな」

 夢の中で会えないから大丈夫だろうということにするも、やはり気になる。俺以外の目には彼女がどう見えるか知りたい。

「そうかしら」

 茜は首を傾げた。

「何となくそんな気がしてさ、俺もよくわからないんだけど」

「人なんてすぐ変わるしね、それに私たちは香澄の中学生時代を知らないから、そりゃ変わったように見えるんじゃない?」

 確かに、小学生が急に高校生になったら、そりゃ別人になるよな。

 ちょっと待て、違う、俺が聞きたいのはそれじゃない。

「いや、そんなんじゃなくてさ。なんか最近、ため込んでる気がするだよ霞ヶ関」

「ため込んでるって、何を?」

 茜はまたしても首を傾げた。

「ストレスとか?」

「香澄が?」

 ストレスから無縁そうではあるが、いやでもそういう奴ほど意外と……

「……想像つかんな」

「そうね、想像つかない」

 本人じゃないとわからないか、こういう時こそ俺の能力の出番だが……出てこなかったんだよな、霞ヶ関。

「もしかしたら風邪かも」

「風邪?」

「言われてみれば、昨日の香澄、どことなく元気がなかったような気もする、風邪引いたのかもしれないわね」

 元気がなかったようには見えなかった。だけど風邪という線はあるかもしれない。

「あいつ泳ぎたいって思ったら何時でも泳ぐからな……」

 夜中に泳いで寝不足で風邪、なんて全然ありそうだ。

 水泳以外にもやりたいと思ったことはその日のうちにやるやつだ。

「じゃあプリントを届けるついでに様子を見に行きましょうか」


 風邪を引いているというていで霞ヶ関のもとへ向かう予定だったが、普通にサボっているという線も捨てきれないので、居そうな場所から最初に当たってみる。

 海、駄菓子屋、ゲームセンター、商店街、どこにもいない。もとから家にいるだろうと思っていたので俺たちは対して焦らなかった。

 焦るのはこれからだった。

 茜が霞ヶ関のアパートのインターホンを押した。

「出ないわね……」

 扉は空いてないかと確認する。

「空いてるぞ」

「もしかして本当に風邪ひいちゃったのかしら、怠くてドアを開けるのも億劫なのかもしれないわね」

 なんだか心配になってきた。霞ヶ関は大丈夫だろうか。

「入ってみるか」

「うん、だけどあなたはそこで待ってて」

 家に入ろうとした俺を茜が止めた。

「え、なんで?」

「なんでってあなたねぇ……香澄が見られたくない恰好してるかもしれないでしょ」

「確かに、じゃあここで待ってる」

「全くもう……」

 あまりに自分の彼氏がデリカシーがないことにため息を吐きながら、茜は霞ヶ関の部屋の中に入っていった。

「それにしても、霞ヶ関が風邪か……」

 仮に風邪だったとしとしたら、俺は初めて霞ヶ関が風邪を引いているところを拝めるかもしれない。

 食べ物の好き嫌いもなくて、運動もしっかりしているあいつが風邪とは珍しい。

 馬鹿とは対極の霞ヶ関なら怪我はしても風邪は引かないと思っていたが、意外とそんなことはなく、ことわざは当てにならないと考えていたころ、茜が帰ってきた。

 真っ青な顔をして。

「どうした?」

 茜の異変に気付いた俺がそう聞くと、茜は俺の腕を取って、

「いいから来て」

 そう言った。

 ただ事じゃない雰囲気を感じ取った俺は、アパートの短い廊下で早歩きになる。

 部屋に入る。昨日言っていた鍋がキッチンにあった。中にはちょうど一人に分くらい残っていた。もしかして昨日食べていないのだろうか。

「早く来て」

 そう急かされ俺は霞ヶ関の方へ向かう。

 霞ヶ関は眠っていた。制服のままで。

「私がいくら声を掛けても起きないの」

 そう言われ、まさか、と思って霞ヶ関に声を掛けたり揺さぶったりしてみたが全く起きない。起きる気配すらない。

「ねえ、昨日あなたたちが補習終わったのって何時くらい?」

「三時半……その後しばらく話して、お前と帰り会ったのが多分四時、だからどんなに寄り道しても五時には家に着いてる。昨日言ってた鍋もまだ残ってるし、制服のまま寝てるし、多分帰ってすぐ寝たんだ。……茜、今何時?」

 冷汗が出てきた。クーラーがつけっぱなしで大分冷えた部屋なのに。

「午後五時……ねえ、昨日香澄が五時に寝たってことにすると、丸一日……二十四時間寝続けてることになるわよ」

「そんだけ寝てて、起こそうとしても起きないならそれはもう……」

 風邪どころじゃなかった。

 霞ヶ関は昏睡していた。


 急いで救急車を呼び、霞ヶ関は島で一番大きい病院に搬送された。

 霞ヶ関に保護者がいないので、その代わりに俺が保護者として救急車に同乗した。

 不幸中の幸いか、「エイジの友達なら俺が見ます」と言った本来休日のはずの村瀬幹人が担当医になった。

「彼女は夢牢病(むろうびょう)だ」

「ムロウ病? なんすかそれ」

「夢見島の人が罹りやすい精神病、まあ風土病みたいなものかな。だから特効薬はない」

「精神病? 霞ヶ関は精神を病んでるっていうんですか?」

 村瀬さんは「いや」と首を振った。

「彼女は精神を病まなかったから、夢牢病になってしまったんだ」

「どういうことですか?」

「夢牢病とはストレスもため込むも上手く感情に逃がせず、結果的に夢の中に持ち込んである程度解消するまで夢から出れなくなる状態のことで、十時間くらい眠って自然に治る場合が多いんだけど……二十四時間以上寝たきりなのはかなり重い、そして珍しい。そもそも発症するのも珍しい」

 重い。

 この言葉が俺にのしかかる。

「さっき僕が霞ヶ関さんの夢の中に入ってみたんだけど、どうやら彼女は誰か一人以外の出入りを拒絶しているようで、僕は夢から追い出されてしまったよ」

 俺は村瀬さんの特殊能力のことを知っているので、村瀬さんはそれをわざわざ俺に説明しない。

 その村瀬さんの夢の中に入る力でも治せないとなるともうお手上げだ。

「じゃあ……霞ヶ関は……」

 汗がにじむ。動悸が激しくなる。

「大丈夫、治る」

「よかった――」

「でも、僕は治せない」

「え?」

 ほっとしたのもつかの間、お手上げ宣言をされた。

「村瀬さん……さっきここまで重いのは珍しいって言ってましたけど、珍しいってことは前例があるんですよね、その時はどうなったんですか?」

「治ったよ、治ったけど治したのは僕じゃない」

「自然に回復したってことですか?」

「違うよ、治療したのは患者だった人の友人」

「ほんと意味が分からないです。村瀬さんが治さないならいったい誰が治すんですか?」

 だんだん苛立ってきた俺に、村瀬さんは優しく、そして余裕を持って言う。

「夢牢病というのは本当に不思議な病気で、夢牢病になった人がいると同時に夢牢病を治せる能力――つまり、僕と同じ他人の夢の中に入るを得る人がどこかに居て、その人が霞ヶ関さんを治せる」

「え」

 やばい。やばい。それって――

「誰かとはいっても、大分絞れるから心配しなくて大丈夫。元々僕みたいに、能力に適正のある人の周りの人しか夢牢病に罹らないんだ。そういうところから夢牢病に罹るのは珍しいと言われるんだ。だから彼女の家族か親戚か、なんなら友人でも構わない。夢が解像度が高く、現実のようだと言っている人を探してくれ。恐らくその人が能力に目覚めているはずだ」

「村瀬さん。俺です」

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