次の日。

 俺は成績が悪いので、夏休み中も学校に行かなければならない。つまり補習だ。

 補習と言うと、赤点を取った生徒がその赤点分の成績を補修するために学校で課題やらテストやらをして何とかしてもらうというイメージが強いだろう。

 確かに俺は成績が悪いが、ぎりぎり赤点ではない(あたかも俺が補習を受けるのはおかしいと言っているようだが、普通の高校だとしても赤点ぎりぎりセーフは補習になって当然の成績だ)。

 赤点ではない程度の成績の俺は補習なのは当然だが、俺以外にも平均点以下だった生徒は補習を勧められる。

 自称私立進学校の我らが夢見高等学校は、著名な卒業生である村瀬幹人以上の天才を作ろうと色々必至である。

 村瀬さんはこの高校を卒業した後、東京の大学に入り、医学を学び免許を取り、研修を終えたタイミングで作家になった。

 著作は累計九万部を超えており、作家としてもそこそこ有名な村瀬さんだが、彼が有名なのは別の理由がある。

 村瀬幹人には特殊能力がある。

 その能力を使えば、鬱病を一日で治したり自殺志願者の心をほだして自殺したいと思わせなくすることが出来る。

 他人の夢の中に入るという能力だ。

 他人の夢に入り、患者の本音を聞きそれに見合った答えを出して、患者の精神を回復させているらしい。

 彼曰く、夢の中の人間は嘘をつかず、本音を隠さない。

 ちなみに彼の妻の幽子(ゆうこ)さんもその能力で捕まえたらしい。ラブコメだったらチート能力だ。

 そんな便利な能力があるから世渡りが楽だと彼は言っていたが、結局答えを出さなくてはいけないのは彼自身で、その正答率が百パーセントなのはやはり天才だ。

 とここまで、まるで俺と村瀬さんが仲が良いみたいに話してきたが、実際のところ仲は良い(なんでやねん、仲良いんかい)。たまにお互い遊びに来るくらいの仲だ。

 そんな村瀬さんとほぼ同じ能力を持ってしまった俺だが、俺は村瀬さんみたいな超人にはなれない。

 同じ人間、同じ高校、同じ特殊能力、しかし頭脳は医学部と補習生、月とすっぽん、超人と人間、雲と泥の差がある。

 カレンのことはたまたまだ。自分の特殊能力を信じ切れたわけではなく、茜とカレンを信じたのだ。

 そもそも兄妹不仲と自殺志願者じゃ背負ってる鬱具合が違いすぎる。

 月とすっぽんどころの騒ぎじゃない。

 特殊能力があったところで俺は超人になれるわけではない。

 つまり何が言いたいかというと、所詮俺は凡人で、能力を持ったところで使いこなせないということ。そして村瀬さんみたいな天才になる輩には特殊能力なんて最初から必要ない。


 言い忘れていたが、高校の補習には俺みたいな成績不良者だけが来るわけではなく、出席日数が足りない優等生も来る。

 俺は一時期、勉強ができんならわざわざ学校に行く必要ねえだろうと思っていた。わざわざ学校まで足を運び、わかっていることを学び行くのは時間の無駄で、良い高校に行くためだけだったら、家で家庭教師でも雇いながら苦手な勉強をみっちりやった方が効率的だと中学生くらいの頃に考えていた。

 実はそうではない。

 なぜなら勉強をして良い高校良い大学に行き、卒業した後、大半の人は社会に出るからだ。

 社会に出れば無断欠席などできない。しそうな人は雇いにくい。だから欠席日数というものがある。果たしてそいつはちゃんと会社に来るのか見極めるためだと高卒で働いている知り合いが言っていた。

 誰に対してもそういう見極めをする。たとえ天才でも。

 容姿から寿命まで、この世のほとんどが不平等なのに、そういうところが変に平等だから、俺も天才と同じ場所にいると勘違いしてしまう。

 だからこういう天才はサボんないでちゃんと出席してほしいね。

「よう、霞ヶ関。お前が補習なんて世も末だな」

「学校サボりすぎちゃったのよ、あははは」

 愛すべき席の隣人、霞ヶ関は補習だというのに元気に笑った。

「学年一位なのにサボり魔とか、ベタすぎて個性としても弱いぞ」

「泳ぎたいときに海で泳ぐのが私の中の決まりだからね。しょうがないね」

「そんなんじゃ学費出してくれてる叔父さんがかわいそうだぞ」

「そ、それはマジで言わないでね……私だってまさか補習になるほど休んだと思ってなかったから……」

 彼女の両親は既に亡くなっていて、今は霞ヶ関の母親の兄が面倒を見ている。

 霞ヶ関も叔父のことを信頼してるらしく、叔父のことを話題に出すとこうやって簡単に黙らせることが出来る。

「補修用のプリントは教卓の上だから早くとってきな」

 霞ヶ関は話を逸らした。俺もさっさとプリントを終わらせたいので教卓へ向かった。

「ところでプリントって何枚あんの?」

「十五枚」

「嘘だろ」

 いくら出来損ない連中の補習とはいえ多すぎんだろ。一日でやれってか? こちとら夏休みの宿題もあんだぞ夢見高校さんよ。

「今日は物理と数学五枚ずつ計十枚だけのはずだったんだけど、さっき国語の足立が六枚置いてった」

「まじかよふざけんなよなんで急な追加で一番多いんだよ」

「マジそれな、急に増えた課題が一番大変」

「どうする? この量一日で終わらない気がするぞ」

「じゃあ私が教えてやるよ。さっきちょうど全部終わったところだし」

「嘘だろ」

 補習は二時から開始で、俺が席に着いたのは五分前くらいだ。霞ヶ関が来たのは十五分くらい前らしい。……一枚、一分……?

「夢見島一の天才を舐めないでほしいね。こんなプリント寝ててもできる」

 と言って見せてきたプリントに書いてある答えぼ字は汚く、解答欄からはみ出ている。本当に寝ながらやったのかこいつ。

「タイムアタックしてたらめっちゃ字が汚くなっちった」

 寝ててもできるはお前に限ってあり得る話だからビビったぞおいごら。

「んじゃま教えてやるよ、どこがわかんないの?」

「要点基礎から頼む」

「マジかよ」

 流石に嘘です。

 

「いやでも、わかんない時は基礎まで戻るのが一番だったりするんだよね」

 と言って要点と基礎から教えてくれた。

「お前本当に教えるの上手いな、めちゃくちゃわかりやすい」

 このペースなら全てのプリントを後三十分ちょっとで終わらせそうだ。

「いやでも私が教えたにもかかわらず補習組じゃん」

「最低限のところから教えてもらってたからな。せめて自分一人でも赤点取らないくらいの点数を取れれば補習にはならなかった気がする」

「教えたにもかかわらずって言っといてなんだけどさ、私も何となく出そうなところをほいほいほいって教えただけだから、もっとちゃんとお前に教えれば良かったよ」

「おいおい、テスト前に面倒見てくれただけでも俺は感謝してるんだぜ? それに加えてさらに付きっ切りで勉強を教えてくれるくれることになったら俺はどうやってお前に恩を返せばいいんだい?」

「感謝してるのにずいぶん上から目線だな」

「さらに言うと今も手伝ってもらってるし、茜と仲良くなれたのもお前のおかげだしな、本当にいつもありがとう」

 そう言うと、霞ヶ関はそこそこ大きい声で笑った。

「漫画の最終回かよぎゃはははは、まだ一話も始まってねえよぎゃはははは」

 上から目線だっていうから素直に感謝したのに笑いやがったぞこんちくしょう。

「いや、待てよ。もしかして最終回かもしれん」

 さっきまで笑っていた癖に急に顔を訝しげにする。

 あとさっきから霞ヶ関は男みたいな言葉を使っているが、本人曰く慣れてる相手にはこうなってしまうらしい。

「最終回?」

「うん、最終回」

「なんでだよ。俺らはまだ高校に入学したばっかりだし、空から誰も降っていてない。それに――」

 変な特殊能力が身についてしまった割に特に何も問題が起きていない。

 カレンと仲直りできていなかったのは特殊能力のせいではなく、俺のせいだ。

「いや、なんでもない」

 夢の世界のことは黙っとこう。わざわざ話すことでもない。

「漫画の主人公って中学生や小学生だって結構世界救ってるよ?」

「俺は中学生のころ世界を救った覚えはないぞ」

 むしろ救われたぐらいだ。

「世界を救うことだけが漫画のオチじゃないよ。ずっと両片思いだった二人がくっつくのだって立派なオチだよ。はぁーお前らが……羨ましい」

 そういう目はどこか遠かった。

 ルックスとスペックが良すぎて逆にモテないタイプだと本人は言っている。

 しかし、霞ヶ関のことが好きなやつがいて、告白して玉砕しているのを不本意ながら目撃してしまったことがある。

 好きな人がいるので。

 そう言って断っていた。

 島一の天才霞ヶ関香澄とはいえ、恋くらいする……のだろうか?

 こいつのことだ、面倒だから好きな人がいると嘘を付いたのかもしれない。

 こいつの根幹は?つきだ。優しい嘘を付きながら知らず知らず自分も騙されていく。

 好きな人がいると嘘を付くのは大分優しい。そう言われれば、言われた側は仕方ないと思えるからだ。

 そうやって好きな人がいると告白して来た人に言っているうちに、理想像を頭の中で作り上げ、空想の中の誰でもない誰かのことを好きになってしまったのかもしれない。意外と思い込みの激しいこいつに限っては、ありえる話である。

 もしかして、夢の中で俺に言ってきたことはそういうことなのかもしれない。

 好きな人に素直になれず、変な態度をとってしまうことを「私は嘘つき」と例えたのかもしれない。

 仮にそうだとしたら少し重く考えすぎてる気がするが……いや気持ちはよくわかる。何せ俺もそういう節があった。

「ラブコメは付き合うところで終わるけど、本当は付き合ってからが勝負なんだよ。だから彼氏がいないことくらい気にすんな」

「私の話じゃねぇーよ。お前の話だよ」

「あぁ? 俺の話?」

 勝手にこいつ自身の話だと思ってたら、俺の話だったらしい。

「私の話ったって、まだ誰のことも恋愛的に好きじゃないもん。最終回どころか一話もまだだよ」

「その言い回し好きだな」

 そういえば最終回がどうとか言ってたな。考えすぎて話の趣旨を忘れてた。

「お前と茜が付き合うまでを漫画にしたら売れる気がしてきた」

「なんでだよ、誰が見るんだよあんな黒歴史」

「私」

 なんでだよ。

「お前はもう事の顛末全部知ってんだろうが」

「甘酸っぱいお前ら見ながら笑うんだ。うひゃひゃひゃひゃエイジかっこわるー」

「……正直、馬鹿にされても仕方ないと思う節はある。実際、俺かっこ悪かったしな」

「じょーだんだよ冗談、マイケルジョーダントーゼンジョーダン」

「女子高生がバスケ選手と名馬の名前を使ったおやじギャグを言うな。おっさん臭いわ」

「ギャップ萌えだよ可愛いでしょ」

 可愛いけど癪なので黙っておく。

「嘘だよ嘘。詭弁と建前だよ。本当は大人になった時にこういうこともあったなって、懐かしみながらお前ら二人と一緒にお酒を飲みたいんだよ」

 窓の外を見ながら霞ヶ関が言った。

「いや最終回か」

 自習中なのに大分長話をしてしまった。

 もう既に誰もいないが、誰かいたら恥ずかしい話をした気がする。

 課題が終わった後も話し込んでいた。こいつとはつい長話をしてしまうのだ。

 好きな色がどうとかレベルの本当にどうでもいい話だ。 

 適当に話にオチをつけた後、ちょっと聞いてみるかくらいの意気込みで聞いてみた。

「霞ヶ関よ、お前もそろそろ彼氏とか作らないの?」

「えぇ? いやまあ欲しいけど……いややっぱいらんわ。まず好きな人がおらん」

「恋人はいいぞ。今までの気持ち悪い妄想とかが全て現実になる」

「いまいち良さが伝わりにくい言い方だな」

「ある程度は妥協しあうことが大事だぞ。その人が完璧に見えても付き合えば欠点が出てくる」

「長続きのコツとか聞いてないから」

 手で俺のことを払うしぐさをする。

 そして大きくため息をついた。

「私は友達の方が大事なんだよ。私が誰かと付き合ったらこういう風に二人きりでお前に勉強を教えるのにも気を遣うようになっちゃうし、なんだったらお前も気を遣うようになるでしょ? 私はそういうのが嫌って言ってんの」

「はっきり言うなあ、もっと軽くとらえてもいいのに」

「そうもいかないでしょ」

 じゃあ今俺とお前が面と向かって話してる状況はどうなんだとか言ったら、それはまた別でしょみたいな感じでどんどん話がこじれてく気がするので、ここで話を止めた。

「じゃあそろそろ帰りますか」

 と霞ヶ関が言ったので学校を出た。

「そだ、久々に一緒に帰ろうぜ」

 別にわざわざ言わなくても帰り道は同じなので必然的に一緒に帰ることになる。

「それにしてもさ、お前と茜が付き合うなんて思わなかったよ」

「もう付き合って一年だ、今更感凄い」

「私は中学生のころこの島を離れてたからさ、小学生の頃のお前と茜しか知らないわけ、いざ久しぶりに会ってみたら全然違う人になっちゃってさ」

「そうか?」

「そうだよ。ていうかお前、香澄が東京に行こうが宇宙に行こうが必ず会いに行くからなって言ったくせに最後まで来なかったよな。さては私の方から会いに来るまで忘れてただろ」

「あ、いや、それはちょっと病んじゃった時期があってそれで……」

「そういうところも変わったよ。お前が病むなんてね、いつも明るかったお前が」

「ごめん……」

「謝ることないよ、むしろ謝んなきゃなのは私の方。小学生のころ、お前に助けてもらったくせに、自分は一人遠いところでのんびりやってたんだからさ」

「助けたって、いやそんな大層な……俺はお前のことを騙して邪魔しただけだ」

「そんなことない、お前は私のことを助けてくれた。癪だけどお前は良い奴だ。その恩に報いて、私がお前のこと助けたかったなぁー……」

 伸びる声は徐々に細くなっていく、まるで泣き出す寸前のような。

 泣き出す寸前とはいったが、彼女の眼はうららかな昼の潮風で乾いている。

「恩とか水臭いこと言うな、俺たちゃ友達だろ。それにお前は今日勉強教えてくれたじゃねえか。はい、これでチャラ」

「はは、お前らしい」


 しばらくそうやって適当に話しながら歩いていると茜に出会った。

「茜じゃーん、やっほー」

 最初に見つけたのは霞ヶ関だった。

 茜が振り向きこちらに来た。

「ん? もしかして香澄も補習だったの?」

 少し驚いた風に茜が言う。

「そうだよ、サボりすぎちゃってさあ。ところで茜は何しに?」

「私は夕飯の買い出しに、今日親が両方とも家にいないから自分で作ろうと思って」

「へー、何作るの?」

 俺が聞いた。

「カレー……なんだけど、安かったから結構買っちゃってさ、多分一人じゃ食べ切れそうにないのよね……そうだ、今夜ご飯食べに来ない? もちろん香澄も」

「ああ、行く。香澄はどうする?」

 霞ヶ関は少し考えて、そして首を振った。

「んー、私はいいや。家に昨日の鍋の残りあるし」

「そう、じゃあまた」

「おう、じゃあ六時くらいに行くわ」

 俺がそういうと霞ヶ関が俺の脇腹に軽く肘で小突いた。

「馬鹿、一緒に行ってやれよ」

「え? でも霞ヶ関と帰るって約束したばっかだし」

「そんなのいいから、はよ行け馬鹿。ばーかばーか」

「お、おうわかったよ……じゃあな、霞ヶ関」

「ん。じゃあな」


 俺が茜に晩御飯を誘われてもすぐに行かなかったのは、霞ヶ関に悩みがないか探っていたからだ。

 でもいつもと同じく明るい雰囲気で、踏み込んだ話も軽くできるくらいなら大丈夫だろう。

 その日は茜と一緒に晩御飯を作り、そして食べた。九時くらいになって家に帰った。

 夢の世界に入った。軽く探したが、その日、霞ヶ関には会えなかった。

 だから多分、あの夢の中の霞ヶ関は何かの間違いだろう。そう思っていた。

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