*


「ほら兄さん起きる」

 妹に叩き起こされた。

 寝たはずなのに体が疲れている。どっこらしょいと、おっさん臭い声を出しながら、ベッドから起き上がった。

「今日は私が作ったから」

 それだけ言って、カレンは部屋から出て行った。俺はカレンの後を追う。

 台所に着くと、俺の朝飯が用意されていた。白米になすの味噌汁に焼き魚だ。母も既に起きていて、もう食べ終わったのか洗い物をしていた。

 中々本格的な朝飯だ。結構早起きして作ったのかもしれない。

「兄さんが起きるの遅いから、温め直すはめになったよ」

「え、そんなに遅いか」

 確かに今日は起きた時、いつもより日が高いとは思ったが、そんなに遅くでもないだろう。

 と、思ったが、時計を見ると九時半だった。いつも六時起きの俺にしては大寝坊である。

「早く食べて」

 妹が急かすので、早く食べることにした。

「いただきます」

 焼き魚から食べてみる。塩加減がちょうどよくて、贔屓目なしに美味い。

「美味いな、すごいじゃねえか」

「そう、ならよかった」

 そういってカレンは俺の横に座って、テーブルに肘をついて、俺の方を見つめる。

「ん? なんか付いてる?」

「んーん、顔には別に」

 ということは服に付いているのだろうか。

「どこにも付いてないから安心して」

 カレンがくすくすと笑う。

 俺のことをからかい終わり、満足してどこかに行くと思ったが、カレンは俺の顔を見つめ続けている。

「……どうした?」

「私が作った朝ご飯を食べる兄さんの顔を見てる」

 何が面白いのか、カレンは俺の顔を笑顔で見続けている。

 もしかして俺の寝起きの顔ってそんなに酷いのか?

「目は口程に物を言うって言うでしょ? だから兄さんが本当に私が作った朝ご飯を美味しいって思ってるのか観察してるの」

 マジかよ。じゃあ美味しそうに食べなきゃ。

 実際美味しいけど、これ以上に美味しそうに食べるってなると難しいな。

「こりゃ絶品だ! 察すが俺の妹だぜ!」

「無理においしそうに食べなくていいよ、自然なままで伝わるから」

「そ、そう?」

 見抜かれた。

 十五分くらいで食べ終わり、もう一度「美味しかった」と伝えた。

「うん、嘘はついてないみたいだね」

 なんだか尋問みたいだな。

「確かにおいしかったけど、それとは別に、なんで俺が嘘をついてないってわかるんだ」

「妹だからかな」

 妹ってすげえな。俺はカレンが何を思ってるかなんて顔を見てもわからないぞ。

「ごちそうさま。洗い物は俺が母さんとやっとくから」

「いや、私がやるよ」

「いいのか? じゃあお言葉に甘えて……」

「その代わり」

「その代わり?」

「今日も一緒にゲームしよ」

 

 洗い物を終えたカレンが、部屋に来た。昨日みたいに二人でゲームを始める。

 ゲームのタイトルは昨日と同じ、実力も同じ。ほぼ一方的な対戦だ。こうも一方的な対戦だと勝ってる側は気まずいのだが、手を抜くことは昨日の例によって許されない。

 しかし一方的とはいっても、カレンが何もできないわけじゃない。ちゃんと俺に攻撃が当たっているし、残基が一つ無くなった。昨日よりも大分いい勝負だった。

「昨日茜さんに教えてもらったんだけどな、全然勝てないや」

「でも昨日よりは強いぞ」

 茜の奴、ずいぶん熱心に話し込んでると思ったら、カレンにそんなこと植え付けてたのか。

 そういえば、夢の中のカレンは茜の名の前を聞くとずいぶん怒っていたが、もしかして好きじゃないんだろうか。

 いやでも、昨日あんなに楽しそうにしてたしな……。

「なあ、お前は茜のことどう思う?」

「兄さんにはもったいない人だと思うよー」

「いや、お前がどう思ってるかの話」

「私がどう思ってるか? そりゃ好きだよ。優しいし勉強とかわかりやすく教えてくれるし」

「そっか……嫌いじゃないんじゃだな」

「嫌いなわけないじゃん。……あ、でも茜さんにデレデレしてる兄さんは好きじゃない」

 そういうことか、だから夢の中の茜は俺が茜の名前を出すとちょっと不機嫌になるのか。

「なんで?」

「兄さんがデレデレしてるの見ると、なんかむかつく」

 理不尽だけど、気持ちはわかる。

 一人でいるときに、あからさまにべたべたしてるカップルを見たら、彼女が出来る前よりもにくく思う。

 付き合ってからの方がそういう気持ちは大きい。その気持ちとは、俺も付き合ってるのに、ああいう風に積極的になれない、みたいなちっぽけな嫉妬と自己嫌悪である。

「別に茜さんがデレデレしてもムカつかないけど」

「理不尽だ、なんで俺だけ」

「いつもそっけないくせに、茜さんには甘えるんだねって思う」

「そんなにそっけないか、俺」

「昔よりはね」

 その後、ゲームで対戦し続け昼になった。母が作ってくれた昼飯を食べ終え、その後の茜とのデートを控えた俺はシャワーを浴び、ちゃんとした服に着替え、待ち合わせの場所に着くには少し早い時間に家を出た。

「むうぅ……」

 さっきまで機嫌がよかったカレンの機嫌が悪くなっていた。

 

 待ち合わせ場所は現地集合で駄菓子屋だ。

 元の待ち合わせ時間より十五分早く着く計算で家を出たので、茜はいない。

 俺はベンチには座らず、ぼんやり海を見つめる。視界が車の中から見た信号機の光のようにぼやけてくる。

 今の俺みたいに、いわいるデートの時には十五分程度早く着いているのが常識だという人がいたんだが、俺はそうは思わない。

 デートはあくまで楽しいからデートしているのだ。そんな社会人みたいな暗黙のルールなんていらない。付き合う前、友人だった頃みたいなサイダー一本で何もかも許す許されるみたいな軽いノリの方が長続きするし幻滅しない。

 なのになぜ俺が十五分早く来ているのか、それは俺が茜との時間を少しでも無駄にしたくないからである。

「……」

 御託をごちゃごちゃと並べたが、結局のところデートは十五分前に来るのが常識と言ったあいつもそれを否定した俺も根幹は同じで、それだけ大事にしたい恋人が居るという、今の充実している現状を自慢したいだけなのかもしれない。

 そんなことをボヤっと考えていると、後ろから誰かに軽く体当たりされた。

 わざわざ誰かなんて伏せる必要はないか。

「おう、茜」

「ごめんなさい、ちょっと遅れた」

「別に遅れてねえよ、俺が早く来てたんだ」

「待ち合わせには十五分くらい早く行けるように心がけてるんだけどね、昨日よく眠れなくて……ふぁあぁ……」

 茜は小さくあくびをした。よく見たら目にクマもある。

「どうしたんだ? 何か心配なことでもあるのか?」

 いつも相談に乗ってもらってばかりなので、何か悩みがあるなら力になりたい。

「別に……」

「……そっか」

 茜は目を逸らした。何かありそうと言えばありそうなのだが、自分で話してくれないならきっと聞かれたくないことなんだろう。

「そんな悲しそうな顔しないで、悩み事も心配事も別にないから……ただね」

 俺の心境が顔に出てたのか、茜は慌てた様子だった。

「二人っきりで遊びに行くのは久々だったから……楽しみでちょっと」

「三時くらいまで眠れなかった?」

「……そう……ていうか何で私の就寝時間知ってるの」

 まじか。そうだったのか。

「やっぱお前可愛いわ」

「うるさい、何度でも言え。むしろ何回も言え」

 こんなに気持ちが体に出やすいやつだったのか。

 俺に言えない本音だとか、俺のことをどう思ってるか知りたいとか、どうやらそんなこと気にする必要はなかったようだ。

「早くかき氷買おうぜ。奢る」

「いい、自分で買う」


 おばちゃんにかき氷を作ってもらい、ベンチに二人で座りだらだら食べる。

 天然氷で作るかき氷は溶けにくいので、良く晴れた夏の日でもゆっくり食べられる。

「毎年食べてるけど、やっぱり美味しいわね」

「そうだな、マジでうまい」

 本当にうまい。心の底から言える。

 天然氷で作るかき氷と普通のかき氷はまるで別物だ。

 天然の方は普通のかき氷と違って、触感がザクザクしていない、ふわふわしている、まるで綿あめのようだ(流石に言い過ぎた)。

 そして頭に響きにくい。なにやら温度が違うらしく、普通のかき氷より少し暖かいらしい。

 少し値は張るが、毎年食べたい物である。なんだったらオールシーズン食べれる。

「カレンちゃんと仲直りできてよかったわね」

 茜は聞くタイミングを伺っていたみたいなタイミングで言った。

「ああ、本当はずっと前から仲直りしてたみたいだけどな。俺がずっと怖がってたから、気付くのは遅くなったけど」

「やっぱりあなたたち二人を見てると妹が欲しくなるわ、本当に羨ましい」

「いいだろ、生意気だけど可愛いぞ」

「まあ時間の問題ね、私にも妹が出来るのも」

「え? もしかしてお前の母さんご懐妊?」

「そんなわけないでしょ、とっくに四十五超えてるのよ」

「じゃあどういうこと」

「どういうことも何も、カレンちゃんが私の妹になるのは…………ごめん、なんでもない」

 茜はそっぽを向く。目の錯覚かもしれないが、溶けにくい天然氷が少し溶けた気がした。

 いくら溶けにくいとはいえどかき氷である。早く食べてしまうのが言いに越したことはない。

 だらだらと話しながらでも、なんだかんだ十分くらいで食べ終わった。

 

 まだ帰りたくない俺たちは海で遊ぶことにした。

 そのためにかき氷が入っていたガラスの容器を店に返し、砂浜に向かって歩き出す。

 靴越しでも確かにわかるコンクリートと砂の違い、風が吹いて潮風を一層強く感じる。

 島のみんなは海で遊び飽きてるのか誰もいない、と思ったが俺は底に一人の少女の影を見つける。

 夢のように私服姿ではなかった。海に自主練しに来た水泳部の恰好だった。つまり競泳用の水着だった。

 夢で茜の代わりに出会った彼女がいた。

 ――私は嘘つきなの。もう耐えられない。

 暑さに強いのか、代謝が悪いのか、俺はあまり汗をかかない。だけどその時、俺の額や頬から汗が出た。

 ――――死にたい。

「よう、霞ヶ関」

「ん? ああ、エイジじゃん。やあ」

「おう、最近、楽しいか?」

「おかげさまで、見ての通り、今年も県大会勝てるように自主練中」

「そりゃよかった、ところで……」

 ――――――あの日みたいに、私を助けてよ。

「……なんか困ってることとか、ないか?」

「え?」

 霞ヶ浦は頭の上にクエスチョンマークを出した後、にやけてこう言った。

「あるある、エイジのせいで茜怒って帰っちゃってるよ」

「えっ? 嘘だろ……マジだ!」

茜は既に砂浜を出ている。恐らく家に向かっていた。

「デート中に彼氏が水着の女の子に話しかけるのは誰だってやでしょ」

「いやでも競泳用じゃん! 色気ないじゃん!」

「問題は水着の種類じゃなくて、自分をほっぽり出して違う女の方に行っちゃったことだと思うにゃー」

 正論! 圧倒的正論!

「そう言ったつもりなんだけど、相変わらず国語が苦手だね」

「やばいやばいやばいどうすればいい霞ヶ浦ァ!」

 余裕のない俺は霞ヶ浦の挑発に乗れず、ガン無視したのち膝をついて教えを乞う。

「とりあえず追いかけて、喫茶店にでも連れ込んで何かおごってやんな」

「わかった! うぽおおおおおおお」

「叫び声キッモ! 彼女がいる男とは思えねぇ!」

 はあとため息をついた後の、

「余計なことばっかり……いつもいつも」

 というつぶやきには、何か含蓄があるように聞こえた。しかし、焦っている俺はそれが何か考える余裕がなかった。

 その後、茜に追いついた俺は茜をカフェへ連行し、パンケーキ奢ろうとしたら、「私ダイエット中なんですけど」と断られたが、パンケーキをフォークで刺し、せめて一口だけはと茜に差し出すとパクリと食べてくれた。

 さっきのことについて謝ると「いや別に気にしてないから、ちょっと暑いからベンチに戻って休もうとしただけだから」と明らかにイライラした様子で茜は言った。しかし、「でも急に歩き出したらびっくりしちゃうよね。いいよ、あなたがパンケーキをさっきみたいにフォークで食べさせてくれるなら許してあげる」と言ってくれたので実行した。そうしたら許してくれた。

 機嫌を直すどころか、機嫌をよくしたダイエット中にパンケーキをぱくぱく食べる茜を見て、この店のパンケーキはそんなにうまくなったのかと思っていたら、茜が俺の手からフォークを奪い、パンケーキを食べさせてきた。

「うまい。ずっと前一人で来た時の三十倍くらい」

 同じものでこんなに味がよくなるものなのかと思った。

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