第二章 きっと何かの間違い

 そんなこんなで、俺はカレンと仲直りできたのだった。

 主に茜の助言と、夢の中のカレンが俺の背中を押してくれた。

 茜の助言はともかく、夢で見たことはたまたま当たっていただけだと思っていたのだが、それがどうやらそうでもない。

 俺はあの日を境に、他人の夢と繋がれる能力を手に入れた。

 他人の夢と繋がって、繋がった人の本音を聞くことが出来る。

 だから俺はカレンと仲直りが出来た。

 素晴らしい能力だが、しかし、こんな素晴らしい能力を手に入れて、山も谷もなく、おいそれとハッピーエンドとはいかなかった。どこかで反動は来るのだ。

 素晴らしい能力が突如現れたということは、その能力がどこかで必要になったということだ。

 少し長めの前置きを置いて、話は本題に入る。

 これは、俺の適当さが友人を追い詰めてしまったという、惨い話だ。



 明日は茜とデートする予定だ。

 家が近い上、夏休み前は毎朝一緒に登校したりしていてあまり実感はないが、デートという名目で二人で出かけるのは割と久しぶりである。

 夏休み前は期末テストで忙しく、学年一位を狙う茜は俺と遊んでいる暇などなく、そして俺も茜をできるだけ邪魔したくなかったので、テスト終わったらどこか行こうという話もしなかった。

 学業優秀な茜だが、彼氏の俺はそうでもない。今回も赤点はかろうじて回避したが、ぎりぎりだったので補習がある。

 これだけでも俺の落ちこぼれ具合はかなりのものだが、それだけじゃない。俺が赤点を取らずに済んだのは、霞ヶ先香澄かすみがさきかすみという友人のおかげだ。彼女が俺に勉強を教えてくれなきゃ俺は確実に赤点を取っていた教科がある。

 霞ヶ関は水泳部、県大会個人で一位、全国大会も予選を突破するほど強い。部活に本腰を入れているので、勉強はしていないというが学年一位(しかも俺に勉強を教えるくらいの余裕がある)、誰にでも愛想がよく、からからと笑う。夢見島一の天才とクラスで呼ばれているし自称している。誇張じゃないのがむかつくとこだ。

 そんな彼女は今回も学年一位だった。

 茜は今回も一位を取れなかったと嘆いていたが、俺からすれば補習を受けなくていいだけでとんでもなく羨ましい。

 一位じゃなかったと茜は嘆くが、二位だって十二分に立派だろう。大事なのは目標に向けて頑張ったかどうかであり、結果なんて誤差でしかない。だから俺も立派なはずだ(補習有)。

 とにかく、茜がここまで頑張ったのは何位だろうが事実である。何か報酬があって然るべきだ、ということでデートを提案した。

 駄菓子屋まで歩き、この時期だけ売っている天然氷とその場で絞った果汁を使ったかき氷をご馳走する。我ながら完璧である。

 と、あたかも茜のために考えたと言わんばかりだが、これら全ては俺がやりたいからやっているだけであり、茜が喜んでくれるかどうかは別問題である(一緒に遊びに行こうといった段階ではかなり喜んでくれたが、茜は優しいので、何を提案しても基本的に喜んでくれる)。

 そんな茜にも、やはり俺に言えない俺への本音があると思う。

 誰だってそんなもんだと思うし、別に俺は茜に何をどう思われていようが、それが事実であるなら俺は受け止める。

 恋人が自分のことをどう思っているか知りたい。付き合う前よりそういう気持ちが強い。

 今の俺には知る術がある。なので使う。ここまでの思考は恐ろしくスムーズだった。

 

  *

 

 というわけでやってきた夢の世界。

 今夜も夢の解像度は高く、まるで現実のようである。

「あ、お兄ちゃんまた来たんだ」

 起きるとすぐそばにカレンがいた。夢の中の、小学生の頃のカレンだ。

 なぜカレンが? とあたりを見回すとここが神社じゃなく、カレンの部屋のベッドの上だった。

「あれ……? なんで俺カレンのベッドに……?」

「とりあえずどいてくれない? カレン今から寝るとこだったんだけど」

 どうやら夢の世界で目覚める場所はランダムらしい。

「ああ、ごめん。どくよ」

「いや、やっぱどかなくていいや。お兄ちゃんがここに来たってことは、この世界の誰かに会いに来たってことだよね? お兄ちゃん一人じゃたどり着くのは難しいだろうし、カレンが手伝うよ」

 そういってカレンは俺の隣に座った。

 賢く、親切なカレンは俺が何も言わなくても、気持ちを汲み取って協力してくれる。昔からそういうやつだ。

「で、誰を探しに来たの?」

 

「えーーー? 茜さん? なんで? もう付き合ってんじゃん? ゴールしてんじゃん! 夢が覚めるまで会うの我慢できないの? もう知らない! カレン寝る! おにいも寝ろ! 永遠に!」

 俺が茜に会いたいというと、カレンはブチギレて寝てしまった。なぜだ。

「え、え、えぇぇ……」

 俺はどうすればいいの。

 とりあえずカレンから助言はもらえなさそうなので、外に出て茜を探すことにした。

「基本的には、カレンみたいに家にいる場合が多いよ」

 布団から頭だけ出して、カレンはそう言った。

 お礼を言おうとカレンの方を向くと既にカレンは布団をかぶって「ぐー! ぐー!」と中々凄い寝息を立てていた。まるで女王陛下の寝息である。レディオ・グ・グ。

 

 湿気の多い空気と、海から来た潮風が頬に当たる。温度的には冬の暖房くらいの温度の風なんだろうけどなぜか涼しい。

 今回は家から目覚めたので、外に出る前に着替えることが出来た。

 一応彼女会いに行くのだ、パジャマでは行けない。

 というか、パジャマみたいなこういうところまで頭が回るのが、本当に夢っぽくない。

 もしもこれが夢だったら、意識がないままぽつぽつと歩き、気付いたら目の前に茜がいるとかだろう。

 不思議なことは何回考えても考え足りない。自然と受け入れはできるが、疑問は残る。

 どう考えても現実としか思えない夢、まるでマトリックスだ。

 ということは、俺はこれから、赤い薬と青い薬を選ばされるのだろうか。

 赤い薬と青い薬、赤が夢が覚める薬で、青が夢が覚めない薬か。

 マトリックス三部作を見ている俺としては是非赤い薬を選びたい。でも、三部作を見ているだけあって、赤い薬を飲んだ彼らがどういう仕打ちを受けてきたかは知っている。そう考えると青い薬を飲んで閉じこもってしまいたい気持ちもある。

 優柔不断、結局その時にならないとわからない。今の俺と、その時が来た時の俺じゃ考え方が変わってるだろうからな。

 小学生の時は何でもできた人気者のやつだって、中学受験に失敗して、そのまま落ちこぼれて、高校もいいところに行けそうになくて、病んで海に飛び込むやつになったりする場合もある。

 だけど今までそんなに話してもいなかったクラス一の美少女が、そいつと一緒に飛び込んで、助けてくれることだってある。

 海に飛び込むまでは不幸せだったけど、助けてくれた瞬間から、たった一瞬で幸せになれたやつがいる。

 たとえ同一人物でも、時と場合が変われば別人になってしまう。かといって自分から変化しようとは思わない。思うくらいならどんなにつらくても病まないだろうからだ。

 今まで幸せだったのに今は辛い。駄目だ、俺は変われない。今まで幾度となく幸せと辛さを感じてきたくせに、一生このままだと考えることがある。その度絶望して死にたくなる。でも実際は大差ない、所詮は横棒一本しか違わない。

 わかっていても俺は辛さを感じたくない。幸せでいたい。絶望したくない。絶望されたくない。

 だから俺は茜の気持ちが知りたいのかもしれない。

 情けない理由だ。

 

 茜の家に着いたので、勝手の戸を開け勝手に入る。俺と茜の距離感はこんな感じだ。

 部屋に入った……が、いない。いない?

 え、なんでいないの。基本的にいるって言ってたじゃん。ええ、カレンちゃんよ?

「……」

 いないのなら仕方がない、帰るか。

 

「で、帰って来たってわけ? もうちょっと探そうよ。このあんぽん廃棄おたんこなすのごみいちゃんがよ」

「ちょっと待て、なんで俺はかえって来て早々、台詞の半分くらいの悪口を言われなきゃならねえんだよ。おかえりを言えよお兄ちゃんに」

「帰れ」

「ここが家!」

 帰ってきたら、寝ると言っていたカレンがまだ起きていて、なんか罵ってきた。

「本心を知りたいみたいな顔していったくせに、家にいなかったらすぐ帰ってくるってどういうこと? 本当に恋人? ちょっとはさがせよ。このあんぽん廃棄おたんこなすのごみいちゃんがよ」

 その悪口は語尾なのか。

「だってあいつ、結構インドアだし、家にいないってなると居なそうっていうか……」

「居ないってことないでしょ、現実世界で本人が寝ていて、お兄ちゃんに会いたいって思っていれば自然と会うことが出来るはずだよ」

「じゃあ寝てなければ存在はしないってことか」

「うん、でも時計見て」

「……三時だね」

「普通、明日予定があるのに夜三時に寝ないでしょ?」

「うう……確かに……」

 論破されてしまった。

「諦めるの早すぎなんだよこの早漏」

「こらっ、どこで覚えたのそんな言葉」

「お兄ちゃんのえっちな本」

「わかった。死に場所探してくる」

「茜さん探しに行け」

「わっかりやしたー」

 

 というわけで、再び茜を探すために外出するわけなのだが、正直言って茜のいる場所がわからない。

 茜は何か予定がないと外に出ない。一人で散歩とかはあまりしない。

 別に茜に限った話じゃない。小さいころから島にいる人は自然に飽きるくらい触れてるので、自然に飽きて自然とインドアになる。俺もそうだ。小学生の時に東京から引っ越してきたときは外で遊びまわっていたが、中学生になったとたん家に籠るようになった。

 自然以外何もないと出歩く気になれない。家から出る回数だけで言ったら都会住みの人の方が圧倒的に多いんだろう。

 新宿渋谷に池袋。遊ぶ場所はいくらでもある。

 東京に住んでた時は小学生低学年ということもあり、動範囲が限られていた上、不審者が多いとかであまり出歩くなとは言われていたが、それでも中学生の時よりは外に出ていたと思う。でも、新宿も渋谷も池袋も遊ぶことが目的で行ったことはなかった。新宿渋谷池袋に入り浸ってる小学生というのもどうかと思うので、それに関しては別に何とも思ってなかったけど、高校生になった今なら行ってみたいと思う。

 でも正直なところ、茜や友達と一緒に行けばどこでも楽しい。

 一人旅もいいけど、俺は誰かと一緒の方が好きだ。

 どこに行くかより、誰と行くかの方が大事な俺はいつまで経っても遠出が出来ない。脱ってわざわざ手間暇賃金かけなくても楽しいから。

 そうだ。どうせ茜が見つからないなら今日のデートの下見でもしようかな。

 そんな時、ふと思った。

 もしかしたら、茜もデートの下見をしているのではないかと。

 茜を探すのも兼ねて、俺は駄菓子屋へ向かうことにした。

 

「いねえじゃねえかよっ!」

 駄菓子屋に居なかった。駄菓子屋へ向かう道中にも居なかった。この世界に茜は居るのだろうか。

 諦めて駄菓子屋の近くのベンチに座る。駄菓子屋は海の近くにあるので、このベンチに座れば、海を見ながらかき氷を食べれる。潮風のにおいとかき氷の甘さ、温度と湿度以外の夏を感じれて風情があって、なかなか良いものである。

 一人で食べてもとても満足するが、それを好ましい誰かと一緒に食べれれば、それはもう最高の思い出になるだろう。

 まあ今は一人だが、かき氷もないが、おまけに夜だが。

 何にもない俺はぼうっと海を見つめるくらいしかやることがなかった。

 ぼうっと見つめる。するとそこには夜の空を映した海と、一人の少女の影が……

「え?」

 少女の影。

 言ってなかったたが、俺はこの世界の中で、カレン以外の誰かに会っていない。誰もいないのだ。自分がそう望んでいないからか、相手が俺のことなど興味がないからか、血縁がないからか、友好がないからか、実際どうなのかはわからない。

 ただカレンの口ぶり的に、会おうと思えば会えそうなのだ。

 もしかすると、あの人影が茜なのだろうか。

 少女の影は完全な黒で、人物像が上手く掴めない。

 俺は近づく、一歩、また一歩と。近づくたびに影の輪郭が浮き出てくる。すると、その影が茜ではないことがわかる。髪が長くないのだ。茜はかなり長いツインテールなので、この影のようなショートカットではない。

 少女の影に手が届くくらいに近づいた。すると彼女の色彩がはっきりとしていく。

 影の彼女は――霞ヶ関香澄だ。

「霞ヶ関?」

 成績優秀で水泳部のエース、そして友人。

 彼女がなぜここに?

 俺は霞ヶ関の肩に手を伸ばそうとして、気付いた。

 霞ヶ関が泣いていることに。

 肩を震わせて泣いている。肩と顔の付け根の近くが熱い。耳を澄ますと、気持ちを押し殺しているような声が聞こえる。

 俺が声を掛けるまでもなく、霞ヶ関はこちらを向いた。顔に涙はついていなかったが、頬を伝って行った跡が残っていた。

「私は」

 彼女はいつも冗談ばかり言う。

 それは確かに嘘であるかもしれないが、そんなのどうでもいいだろう。

 もちろん彼女もそんなこと言っているのではないのかもしれない。

 これも冗談なのかもしれない。

 でも俺は、彼女が泣いているところなんて初めて見た。

 彼女は強い。たとえ死にたくても、辛さで涙を出さない程度には。

「私は嘘つきなの。もうやだ。耐えられない。死にたい。あの日みたいに、私を助けてよ」

 眩暈がする。記憶が落ちる。この感覚は夢が覚める合図だ。

 一体どういうことだ?

 なぜ霞ヶ先が泣いているんだ?

 ここが夢だからか?

 これはもしかして、夢の世界なんて関係ない、ただの俺の妄想の夢だったのか?

「私は」

 地面に倒れた俺を見下ろして、霞ヶ先が言う。

「私は――」

 意識が完全に落ちた。何も聞こえなかった。

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