地下からの祈り
あらゆる世界に創造神話が存在する様に、月が昇り月が沈むニーカルナの世界にも斯様な神話は存在する。
詳細は省くが大まかに言えば、神々は生と死の二大勢力に別れ、覇権を争っているのだ。しかし唯一その強大すぎる力故に、どちらの勢力にも加担せず、幅を利かせている神がいる。その神こそリドールヴァセーラ。ニーカルナという世界の理を創り、歪曲させる、貪欲な神である。
そしてそんな神々に翻弄される人々が住む世界こそ、ニーカルナと呼ばれる世界に他ならない。
さて、ここでまた一つ生の神に仕える賢人の教えを破り、死の神を解き放った愚王の話をしよう。
その話を語るには愚王ヴァ―ガルハン=エブエンスの忠実なる部下にして騎士団長、ラ=ターンの末路こそ相応しいだろう。
愚王ヴァ―ガルハン=エブエンスの治める王国は、巨大な地下空洞の上に蓋をする様に建設されていた。蓋とは表現は間違っておらず、地下空洞には忌まわしき死の勢力に属する蟲使いの女神アーガリアが、幽閉されているとまことしやかに噂されている。
蟲使いの女神アーガリアは色白な肌に、ボロボロになったアメジスト色のローブを纏っており、顔はローブに隠れて見えず、巨大な腹が突き出ている。
臨月に入った妊婦のように膨れ上がった腹を、四本の腕で抱えながら、残りの二本の腕で、巨大な蠢く繭を抱えているのだ。
中身が何なのかは、例え女神の信徒であったとしても、知りたいと思う者はいないだろう。
また突き出た腹が邪魔で足元が見えないが、動く度にずるずると音がすることから、人間とは異なる歩き方をすることは想像するに難くない。
その女神の姿形や、見るだけで苦痛であり健全ではない。誰があれを神として祀ろうか?
*
「ヴァ―ガルハン=エブエンス王よ、今なんとおっしゃったのですか?」
「地下空洞を暴け、と言ったのだ騎士団長ラ=ターンよ」
ニーカルナに存在する三つの王国のうちの一つ。エブエンス王国の王、ヴァーガルハン=エブエンスは玉座の間にて、最も信用に値する部下に命令を下していた。
しかし命令を与えられた部下の顔入れは優れず、むしろどんどん青ざめて言っている様に見えた。
エブエンス王国の地下には空洞があり、そこには忌まわしき女神が幽閉されている。この国の者なら、否この国の者でなくても知っている噂話である。
しかし所詮ただの噂だと、最近までヴァーガルハン=エブエンスは考えていた。
王であるヴァーガルハン=エブエンスがその考えを翻すに至ったのは、ここ最近急激に増えだした失踪者が原因だった。ある日を境に自身が住まう宮廷を中心として、失踪者が出始めたのだ。
最初は罪を犯し、投獄された者ばかりが失踪していたので、脱獄が懸念された。しかし脱獄の形跡はなく、失踪した囚人の牢にはいつも、何かの動物のものらしき皮だけが残されていた。
そしてその奇妙な失踪事件はついに宮廷内でも起き始める。何か自身が認知していないことが、水面下で起きていると直感したヴァーガルハン=エブエンスは、騎士団長ラ=ターンにある場所の調査を命ずる。
その場所こそ、王国の地下空洞、蟲使いの女神アーガリアが幽閉されていると噂されている場所だ。
*
「王の命令だ。行くぞ」
騎士団長ラ=ターンの声に、同行することになった三人の騎士は固唾を呑んだ。
時は数刻前、真っ青な顔をしたラ=ターンに召集された時。
エブエンス王から地下空洞を調査する様に命令があったという。騎士団長ラ=ターンは念の為、少人数精鋭での調査をすると騎士団の皆に伝達した。
騎士団長の言う念の為の意味を敢えて考えない様にしながら、ラ=ターンから名指しで改めて召集をくらった私、ヘーゲーレスは槍斧を持って地下にある修道院へ向かった。
修道院に着くと、私以外のメンバーは揃っているようで、軽く会釈しながら調査隊に加わった。
実際、王国の地下には空洞が存在する。その入り口となっているのが、このエブエンス=アルン=エン修道院だ。
騎士団長が同行者三名オル=カカル、バースハース、ヘーゲーレスが揃ったことを確認すると、地下空洞に続く大扉に手を掛けた。と同時に、待ったを掛ける声が背後から届いた。
「お待ち下さい騎士団長。その扉を開けてはなりません!」
制止を求めたのは他ならないエブエンス=アルン=エン修道院の修道院長、レン=アルン=エンだった。丈の長い白いローブを引きずりながら、時折転びそうになりながら、老いた修道院長はやっとの思いで騎士団長の許に辿り着いた。
「ラ=ターン様、如何なる理由があれ、この扉を開けては為りませぬぞ!」
「黙れレン=アルン=エン!これは王の命令だ。騎士団の行動を邪魔するのであれば、それは国家反逆罪になるぞ」
しかし――と修道院長が言葉を返した時、雪解け水の様に澄んだ美しい声が聞こえて来た。
「詩の神アルスラ様、銀糸の髪と翼の乙女よ。
どうか私の願いをお聞き入れ下さい。
どうか我が国に使者レティーデを遣わせて下さい。
私の声と引き換えに、国の繫栄をお約束して下さい。」
修道院長が、騎士団長が、そして私ヘーゲーレス含め、その場の全員がその祈りの声の方へ顔を向けた。
そこには紺色の修道服を纏った銀髪の美しい娘が、神像の無い祭壇を前にして祈りを捧げていた。そして娘は祈りを終えると、くるりとこちらを向き、こちらへ近寄ってきた。
「良いではありませんか修道院長。もしここで騎士団長たちが引き返すことになってしまえば、邪魔をした修道院長は勿論、騎士団長たちまで命令違反として、斬首されてしまいますわ。それはあんまりですわ」
騎士団長ラ=ターンはその娘の言う通りだと言わんばかりに頷き、腕を強く振って修道院長を払った。振り払われた修道院長は、バランスを崩しそのまま床に座り込んでしまう。
気の毒に思ったが、騎士団の調査隊メンバーは誰も助ける様子もなく、いつの間にか騎士団長によって開かれていた扉を通り抜け、地下空洞へ潜っていった。
しかし私は見逃さなかった。
修道女であろう娘を見た時の修道院長レン=アルン=エンの怯えた表情を!そして床に座り込んでしまった修道院長を凝視する、獲物を前にした肉食動物の様な鋭い眼光を放つ娘の顔を!
もう既に手遅れなのではないだろうか?
一瞬頭の中によぎったその考えは、あぁ悪い予感とは概ね的中するものなのだ。
*
地下空洞を進む途中、不幸があった。調査隊メンバーの一人オル=カカルが大穴に落下したのだ。明かりを確保する為、手荷物の松明を用意している時だった。修道院の扉を抜けたすぐの場所で、松明の準備をしていたのだが、いざ足元を照らしてみると大小様々な穴が地面を穿っていた。
どうやらオル=カカルは運悪くそのうちの一つに落ちたらしい。松明で照らしても底は見えず、生臭い風が大穴から吹きあがってきていた。
オル=カカルの生存は絶望的だと判断し、騎士団長は救出ではなく調査の続行を私達に命じた。
地面に空いた穴に気配りながら暫く歩いていると前方から、後方から、そして足元からカサカサという奇妙な足音が近づいてきた。
先頭を歩いていた騎士団ラ=ターンは私達に制止を命じ、その足音の正体を探ろうと耳を耳をそばだてた。
すると次の瞬間、手のひらサイズはあろう茶色の蟲たちが暗闇から松明めがけて飛んできた。騎士団長含めメンバー全員がパニック陥ったが、私ヘーゲーレスは意外にも冷静さを直ぐに取り戻し、その蟲の正体に至った。
「騎士団長!この蟲は油蟲です。松脂です!松脂目的でこの蟲たちは集まってきているんです!!」
だから松明を放り捨てて!と、私は叫んだ。騎士団長はすぐに松明を放り投げ、窮地を脱することが出来た。しかし私と騎士団長の間にいたバースハースはパニックのせいか、私の助言が聞こえていなかった様で、一向に松明を放そうとしない。
私と騎士団長は何度も松明を投げ捨てる様に言ったが、バースハースは一向に離す気配はなく、むしろ松明の火によって油蟲が燃え、更に大きくなった松明の火に蟲たちが集まってきた。
やがて油蟲に覆われたバースハースは、糸が切れたマリオネットの様にばたりと地面に倒れた。
私の記憶が正しければ油蟲は肉食だった筈だ。きっと口からバースハースの体内に蟲が入り、内臓を食いちぎったのだろう。
私と騎士団長はため息を一つ、そして私は槍斧を、騎士団長は剣を構えて、地下空洞の調査を続行することを決意した。
どうせ今引き返しても、この地下空洞の主は私たちを帰す気は到底無いだろう――と、私も騎士団長も確信していた。
必ずいる。この地下空洞に。忌まわしき蟲使いの女神アーガリアが。
動物的な直感でも言うのだろうか、私たちは確信していた女神の存在を。
*
気付けば私は地面に倒れていた。否、私だったものだ。あの後、私と騎士団長は地下空洞を進むと、地面が、壁が、天井が深緑色の黴に覆われていることに気づいた。
明かりが無い中、気づくことが出来たのは黴自体が淡い緑色に発光しているからだっ
た。そして同時に過ちに気づいた。何故なら私は発行体の正体を探ろうと、素手でその黴に触れてしまったのだ。
次の瞬間、私の身体は何かに覆われていく感覚と、同時に身体が溶けていくという確かな感覚に襲われた。騎士団長は私に何が起きているということは分かっているようだが、暗闇の中である故に私を助ける術もない様だ。
私は溶けていく意識の中で一つの単語を思い出した。アーベントルの疫病。それこそ今、私が触れてしまったものの正体だろう。
記憶が正しければ、その黴由来の疫病に罹った者は体が朽ちて、どす黒いぐずぐずの物体に成り果てる筈だ。
しかしその記憶が、書物から得た知識が、ある残酷な真実を書き漏らしていたことを私ヘーゲーレスは知ることになった。
とっくにどす黒いぐずぐずの物体に成り果てたであろう騎士団の一人であった私ヘーゲーレスは、あろうことか斯様な状態になっても、なお意識が残っているのだ。
このどす黒いぐずぐずの物体に、人間の精神が宿っているなど、一体誰が気づくだろう。
記録によればアーベントルの街では、感染拡大防止の為に、このどす黒いぐずぐずの物体を燃やしたという。それはつまり――
私はやがて思考を放棄した。
ずるずると何かを引きずる様な音と、複数人の女性の笑い声が近づいてきたからだ。その笑い声は私の精神を逆撫で、あまりの嫌悪感に意識を手放したくなる。しかしそれは赦されず、遂にずるずるという音と笑い声の主が私の目の前に現れた。
生憎ぐずぐずの物体と成った今、目は見えない為、笑い声の主がきっと蟲使いの女神アーガリアであること。そして女神の抱える巨大な蠢く繭の中に、私が入れられたことは何となく理解できた。
そしてこの蠢く繭からやがて、人間擬きが生まれることも。
きっと修道院にいた娘も、この繭から生まれた者だったのだろう。
――詩の神アルスラ様、銀糸の髪と翼の乙女よ。どうか騎士団長だけはお助け下さい。どうか地上に帰してあげて下さい。
私ヘーゲーレスは繭で失踪したはずの囚人たち、そして調査隊のメンバーであったオル=カカルとバースハースと再開を果たした。そして騎士団長ラ=ターンの無事を、薄れゆき融和していく意識の中で、詩の神アルスラ様に祈った。
*
ヘーゲーレスの祈りは一つは破られ、一つは守られた。
破られたのは騎士団長ラ=ターンの命、守られたのは騎士団長ラ=ターンを地上に帰すこと。
ニーカルナに住まう者たちは死後、その躯体を起こし、霊廟まで自ら歩んで行くことがある。これは非業の死を迎えた男によくあることで、霊廟の女神ソールサコースに謁見するのが目的である。
そして騎士団長ラ=ターンもまた、この例に当てはまる人物であった。
斯様な異界化した地下空洞には、例え死んでいたとしても居たいとは思わないだろう。故にラ=ターンは死後の安寧を求めて、躯体を引き釣りながら、その躯体にあのアーベントルの疫病の黴がくっついていることに気づかぬまま。
遂に地下空洞と修道院を隔てる大扉の前まで辿り着いた。しかし死者ラ=ターンは困っていた。何故なら脆い死者の躯体では、とてもでは無いが大扉など開くことは出来なかったからだ。
願い叶わずと、絶望に打ちひしがれそうになった時、ゆっくりと大扉が開き女神が顔を覗かせた。否、女神ではない修道院にいた紺色の修道服を纏った銀髪の美しい娘だ。
今こそ大声で死者ラ=ターンは彼女に感謝を述べ、修道院に入ることが出来た。
そして銀髪の美しい娘、蟲使いの女神アーガリアの蠢く繭から生まれし者も、また死者ラ=ターンに感謝を述べた。
「貴方のおかけで、この国は数日のうちに滅びるわ。アーベントルの疫病の再来よ――」
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