第5話 仲直りも雨の下で 

翌日。よくわからないが、怒らせたということだけは事実なので、雨宮さんに謝ろうとして、昼休み。学校の中を徘徊していると。

「ヤァ、今日もかわいいね!」

「ヤァ、今日もキュートだね!」

「ヤァ、今日もハートフルだね!」

 何かよくわからない三段活用をしながら、こちらに歩いてくる人物がいる。女子の黄色い歓声を受け止め、男子からの嫉妬と殺意の眼差しをものともせず、悠然と優雅に。

 もちろん用事などないので、私はすれ違うだけだったのですが。

「おお、これは。我が友時雨じゃないか!無視なんてつれないな〜」

「‥‥‥‥おはようございます」

 別に人と話すことに抵抗もしなければ、避けることもしませんが、どうもこの流鏑馬君だけはフウカさんとは違う得体の知れない感じがあり、できるだけ関わりたくない。流石、霧雨さんを好きになるだけあります。

 というか、いつから私たち友達になったの。

「君とはこの前、中途半端なところで終わってしまったので、是非とも話したいと思っていた」

 こちらは何もないのですが。

「‥‥‥なんでしょうか?」

「君は、我が愛しの君である伽音のことをどう思っているのかな?」

 結局その話か。

「単なる友達で、良き相談相手です」

「本当にそれだけかい?」

「はい、それ以外は何も」

「‥‥‥なら、俺たちは本当の我が友になれるな!」

 本当の我が友とは。

 まぁ、納得はしてくれたようだ。こちらとしては釈然とはしないが、いらない波風を立てるよりは平和理でしょ。

「まぁ、わかってくださったのなら、それでいいです」

「はい、これから仲良くしましょう。ところで、誰かお探しかな?もしかして」

 その表情が一瞬曇った気がした。全く納得していない。

「雨宮さんを探しています」

 それを聞いた瞬間、彼はにこやかに笑った。

「何だ。時雨の本命は雨宮さんなのか!」

 本命って。

「別に好きなわけでは」

「隠さなくたっていいよ。そうか、そうか。この前風上先輩と歩いていたから、てっきりそっちなのかと」

「‥‥‥‥」

 結構バレているな。私とフウカさんのこと。

「ふう、風上先輩とは単なる昔からの知人です。だから、あまりそのことは」

「わかっている。分別はついているつもりだ」

 とてもそういうふうには見えないが。

「ところで、雨宮さんと喧嘩したのかい?」

「どうしてそう思うんですか?」

「なんとなくだ。ただ単に用事があっって、話したいと思えないぐらいに、どこか深刻な表情を浮かべていたから。

 面倒なくらいに煌びやかな笑みを浮かべる。この町の人たちはどうしてこうやって。

 いや、普通のことなのか。それは。

 私だって、霧雨さんだって。きっと雨宮さんだって。

「雨宮さんを怒らせてしまったので、謝らないといけないのですが、何故怒ったのかわからなくて」

 別に相談するつもりはなかった。話さないと解放してもらえない気持ちと、後は少しは身のあるアドバイスからくる淡い期待。

「それはとても難しい問題だね」

 随分真っ当な答えが返ってきたので、驚いたような表情で彼を見る。

一方の彼は私の表情の変化に気づいてないのか、笑みを崩さずに廊下の壁に身を預け、黄昏れるように、天井を見上げる。

「俺なら、土下座して拝み倒して、許してもらうけどね」

「‥‥‥‥」

 いくら格好の良いセリフを言ったところで、もちろん格好はついてない。

「根本的な解決になってない気がするのですけど」

「なってないな!」

 だからそんなに爽やかに言われても。

「でも、君はつい最近まで、彼女から逃げられていたじゃないか」

「うっ」

「何が悪いのか、何が彼女を怒らせたのかわからないのに、謝るというのはかなりハードルの高いことだからね。

 だから、精一杯の誠意を見せるか。あるいは、考えることだね」

「考える」

「ああ、何故怒らせたのか。一体、何が不味かったのか」

「それがわからないから」

「君は考えたのかな?」

 そう言って、流鏑馬君は朗らかに笑った。

「女の子とは時には、いやよく、正論を嫌がるものだよ」


「はい、それではこの公園の中のものを自由にスケッチしてください」

 数日後。選択美術での3クラス合同の写生授業が近くの緑地公園で行われた。

 すり鉢状の斜面に造られた円形状のステージ。テニスコートに、カスケードに展望デッキ。所々に変なオブジェもあり、およそ三十人の生徒がいるのに、奥まで既に歩いていった人は既に豆粒ぐらいに見えるほど、公園は広大だ。

「さてと」

 私は特に描くものも見つからないので、展望デッキからの風景を描こうと、高いところを目指す。

 手すりにもたれかかりながら、そこからの景色を眺める。今日も今日とて曇天模様。流石にそろそろ太陽が恋しくなってきました。

「‥‥‥」

 結局、あの日から雨宮さんと話していない。潔く土下座するのもアリだろうと思うけど、何となく彼女には逆効果のような気がして、怒った理由を考えているのだが、全くわからない。

「正論を嫌がる」

 そんな理屈から常識から遠ざかったもの。


『う〜ん、そうだな。好きな人と相合傘ができる!』


「ありましたね」

 過去から聴こえたその声に私は苦笑いを浮かべて、幾分軽くなった気持ちで、とりあえず今は課題を仕上げようと思い、体を持ち上げて、スケッチブックに鉛筆で下書きをしていく。

「お前は、何一人でニヤケ顔を浮かべている」

 気づくと、手すりに背を預けて、座り込んでいる霧雨さんが隣にいた。

「別ににやけてないと思いますけど」

「ああ、じゃあ俺の勘違いだな。どうして嘲笑をしているんだ?」

「更に悪意が増したのは私の気のせいでしょうか。ところで何を書いているんですか?」

「空き缶」

 見ると本当にそこには少しひしゃげたコーラの空き缶が置いてあった。

「屋外で空き缶」

 まさか公園に来てまで、静物画を描こうと思う人がいようとは、美術の先生も思わないだろう。

「課題はこの公園の中のものを好きに書けということだった。

 そしてこの缶はこの公園にあった。何の問題もない。

 確かにそうなのだが。何処か釈然と思わないのは私のエゴなのでしょうか。

「いや、この考えは良くないな」

「何か難しいことを考えているようだが、ほとんどの奴がきっと納得しないだろうな」

 確信犯のようだ。

「酷いですね」

「そんなものだ。お前は何故ここにいる?」

「いや、何を描けばわからないので、風景を描こうかと」

「描けるのか?」

「何を描いているのか、わかるレベルには」

「なら、安心だ。ちゃんと空き缶も書いてくれ」

「私の絵を保険に使わないでください。

 そんなことをしなくても、十分評価されると思いますよ」

 霧雨さんの絵は控えめにいってもとても上手く、お題が公園での写生じゃなかったら、賞をもらえるレベルだ。

「ところでお前は何故ここにいる」

 あれ?デジャブでしょうか。

「描いているものが何かわかるぐらいの風景画を描くため」

 う〜ん、遠近感が上手く出ないな。

「遠くのものはぼんやりと、近くのものはっきりと書くんだよ。

俺が聞きたいのは、雨宮虹深と一緒にいないのかということだ」

 どうして私が雨宮さんと一緒にいることが、当たり前になっているのか、よくわかりませんが。その質問に答えるとしたら。

「雨宮さんとはまだ友達じゃないので。友達の霧雨さんと一緒にいます」

「‥‥‥まだか。友達になりたいとは思っているのか?」

 そう言った霧雨さんの声が何処か愉快そうだったので、手を止めそちらを見る。

「変かな?」

「ああ、変だな」

「どこがでしょう?」

「お前はてっきり友達なんていらないと思っていた」

「そんなことはないよ。まぁ、いっぱいはいりませんが、片手で数えられるぐらいは欲しいと思っています」

「じゃあ、何で皆の誘い断っている?」

 思わず私は目を見開いて、悟られないように、目を逸らすように、再び目の前の風景に目を向ける。山の向こうの雲は真っ黒で、こちらに向かっている。

「‥‥‥‥よく、知っているな」

 流鏑馬君にしても、霧雨さんにしても、随分情報通‥‥‥‥。

「実は、流鏑馬君と仲が良いのですか?」

「はぁ、何でそんな話になる」

 隣から悪寒を感じる。彼女の方を見れないぐらいに。

 殺気から逃れるように、私は素直に霧雨さんの質問に答える。

「実は、僕は小学生の頃、この町に住んでいたことがあったらしくて」

「随分曖昧な表現だな。小学何年生?」

 隣から感じる殺気が消えたので、思わず安堵の息を吐き、遠くを望むように、再び目の前の景色に目を向ける。

「四年生の頃です。半年ぐらいのことですけど」

「だったら、薄らでも覚えているだろう」

「それが本当に断片的なことしか覚えてなくて。転校してきて駅に降りた時も懐かしさも、覚えも全くなくて」

「なるほど。つまり、もしかしたらクラスメイトの中に記憶を無くした時の人物がいるかもしれないと」

 理解が早くて、とても助かります。

「ええ、ですから、そのちょっと申し訳ないというか、怖いというか」

「なら、何故私とは友達になれた」

「それは、なんとなく大丈夫だと思いまして」

「何がだ?」

 どうしましょう。言葉にするのはとても難しいのですが、強いていうなら。

「記憶を無くしていても許してくれる気がして」

 話をしたらわかってくれる。なんとなく、そんな気がしたのだ。

「なんとなくか」

「はい、何となく」

「お前、本当に変な奴だな」

「よく言われますが、そこまで自分が変だとは思ってないのですけど」

「それで変人の時藤時雨は、雨宮虹深と何があった?」

 もぅ、訂正するのも面倒です。

「霧雨さんが言っていたのと、同じようなことを言われ増田。

 別に自分はこの体質を治したくないと」

「なるほど。それで、それを理解できないお前と対立したと」

「まぁ、そんな感じです」

「それで、この後どうするんだ?

 まだ、諦めるつもりはないんだろ?」

 そんな大仰な言葉を使うつもりはないけど。

「謝りたいとは思います。でも、何で彼女が怒ったのかわからなくて」

「自分の体質を茶化されたと思ったんじゃないか?」

「そんなつもりは」

「それはお前視点の考え方だろ?

 雨宮虹深にとっては、どうだ?」

 まぁ、確かにそうなのですけど。

「でも、そんなの彼女以外にわからないんじゃ」

「だったら、本人に聞けばいい。俺はこれでもよく相談を受けることがある」

「確かに、霧雨さんは聞き上手ですから」

 彼女と話していると、言おうと思ってもないことも、口を滑らしてしまう。

 失言も。本音も。

「お前は、少しは口を固くしたほうがいいぞ」

「言うなと言われたことはちゃんと守りますよ」

「そういう意味じゃなくて、まぁ、いいや。

 とにかく相談を受けている中で、一番思うことが、私の質問に対して、知らない、わからない、という回答がなんと多いことか。相談する段階にも達してない」

「言うのが怖いから、聞くのが怖いから、相談しているのでは?」

「だったら相談する相手を間違えている」

「いえ、間違いじゃないですよ」

 きっと、皆、霧雨さんに背中を押してもらいたいのだ。

 牙に絹着せぬ彼女の言葉は確かに、自信になる。今だって。

 そう呟いた瞬間、ポツリ、ポツリと雨が降ってきた。私はスケッチブックを閉じて、それを脇に挟み、霧雨さんに頭を下げた。

「ありがとうございます。私、行ってきます」

 霧雨さんは何も言わず、ゆっくり立ち上がって、屋根のある方に向かった。背を向けながらこちらにヒラヒラと手を振るのを見送る。

「やっぱり心強い」

 不意に空を見上げる。正直、脅すような、逃げ場所を断つようなそんな話し合いはしたくないのですけど。

「あの時よりは少しは関係性が前に進んでいることを祈ります」

 そう言って、私は歩き出す。突然世界に一人ぼっちにされた女の子の元へ。


「こんにちは」

 突然の雨に皆が阿鼻叫喚する中、彼女は、雨宮虹深さんは一人真っ赤な傘をさして、雨の下にいる。

「いつも持ち歩いているんですか?」

彼女がこちらを向いたところで私は言葉を重ねた。

「むしろ、何で皆がこれだけ曇った空で傘を持ってこないのかがよくわからないわ」

 確かに。まぁ、ブーメランのように帰ってくるのですけど。持ってきた傘、学校に置いているのですから。

「人は出来るだけ、良い方に考えて、準備を怠る動物だからじゃないですか?」

 この空模様だと雨は降るかもしれない。傘は必要かもしれない。

でも、友達に聞いたら傘は持ってかないという。だったら、自分だけ持っていくのは恥ずかしい。そんな感じだろうか。孤立するぐらいだったら、湊一緒に雨に濡れた方が断然良い。

「‥‥‥楽だもんね。誰かに合わせるのは」

「そうですね。ところで、予備の傘は?」

「流石に持ってないわ」

「私だけ濡れ鼠なんですけど」

 傍から見ると、一人雨の中で立ち尽くしている変人。会話は雨音で聞こえないと思うけど。これじゃ、次の友達を作るのには苦労しそうです。

「だったら、さっさと屋根の所に行きなさいよ」

「雨宮さんも」

「私は良いわよ」

「いえ、私が困りますので」

「どうして?」

「それは」

 返答に渋っていると、見透かしたように一つ息を吐いて、雨宮さんは口を開いた。

「見えなくなってきたのでしょう?」

「知っていたんですか?」

 なんとなく、気づいていた。

 日に日に雨宮さんの姿がぼやけてきていることに。それこそいつこのままチャンネルを消すみたいに、プツリと姿を消してしまうのか、わからないぐらいに。

「今まで同じことが?」

 一瞬逡巡したように、雨宮さんは俯き目を逸らしたが、ゆっくり顔を上げてこちらを見た。

「‥‥‥どうやら他所の町から来た人には見えやすいみたい。

 でも、しばらくするとどんどん透けていくの。まるでこの町の空気に染まるように。右に倣うように、暗黙のルールに従うように。

そして完全に見えなくなって、私が雨の日に見えていたことも忘れて、そしていつしか皆と同じようになっていく」

 一つ大きく息を吐き、雨宮さんはこちらを見た。

「だから、時藤君。これ以上雨の日の私に関わらないで。

 この前、逆ギレしたみたいな形で店を飛び出したことにはあやまるわ。

 だから雨の日ぐらい、見えるものを見えないように、聞こえることを聞こえないように振る舞ってよ。

 多分、そのうちそんなこともなくなるから。気持ち悪さもほんの刹那。それぐらい、我慢できない人ではないでしょう?あなたは」

 なるほど。

 確かにそれが一番賢いやり方なのだろう。

 別に会えなくなるわけじゃないし、いくら雨の日が多いからといっても一年中降り続くわけでもない。むしろ雨の日は晴れの日に比べて、少数。

 次期に梅雨も明けるし、晴れの日も増えてくる。

 でも。

「お断りします」

 否定されると思っていなかったのか、驚いたように雨宮さんは目を見開いた。

「時藤君はかなりの変人のようね」

「よく言われますが、そのつもりはないんですけど」

「理由を聞いても?」

「雨宮さんは364日、駄目な日でもたった1日。その日だけ良い日だと思えたら、まぁ、良い一年だなと思える人がいると思いますか?」

「?まぁ、いるんじゃないの。ところでそれがどうしたのよ」

「私はどうやら雨男と呼ばれる類の人間らしいのです」

 話の要領が得ないせいか、雨宮さんの声には怒気が混じる。

「それが」

「イベント毎に雨を降らします。つまりそれはイベント毎に雨宮さんと会えないことをさししめます。

 イベントを友達と過ごせない。それはとても悲しいことです」

 不意を突かれたように、雨宮さんが目を見開く。

「それは、そうだけど。でも!」

「それに雨の日時だけとはいえ、友達のことを忘れる。そんなことを簡単に受け入れることはできません」

「それなら、あなたとは友達になら」

「どうして治すという方法が出てこないのですか!」

「期待するからよ!」

 彼女の叫び声は確かに雨の中でもしっかりと響いた。そして恐らく、雨宮さんは涙を流している。

「この体質が始まったのは小学校になってから!

 その時からずっと何とかしようとしてきた!

 でも、見つからないのよ。答えが見つからないのよ。どうやったって、雨の中にいると私の存在は世界から消え去られる。

 それをあって間もない君にどうにかできると思う!」

 こちらに睨みつけるように向けてくる視線は、ほとんど見えない彼女の姿からもはっきりと見ることができた。まるで真っ暗な中でぽつりと燃えている炎のようなものが、彼女の目には宿っている気がした。

 雨宮さんの言っていることは最もなことだ。こんなポッと出の男に何かを言われたところで、何様のつもりだという感じだろう。だから。

「雨宮さんのことをなんとか出来るとは言わないし、保障もできない。

 でも、それでも。私は諦めたくないです」

「その行為が私を傷つけるということでも?」

「人は人を傷つけるものです。ましてや私たちは周りの人とは違う選択肢を選ぶことになるのですから」

 奇異な目で見られ、常に居心地の悪い空気が漂い、何度も何度も自信をカンナのように削っていく。歩めば歩むほど『本当にこれでいいのか?』という疑念が心の中を纏うと思う。

 それでも私は目の前の友達を見捨てるという選択肢は取れません。

「‥‥‥何か具体的な案でもあるの?」

 もちろんありません。根性論でどうにかなる程、世界は甘くありませんし、ましてや相手は私を散々苦しめてきた相手。なら、今なら手をつなげる気がします。

 私はスッと両手を上げて、掌を天に掲げた。突然の私の行動に雨宮さんは呆気に取られている。

「気でも狂った?」

「雨パワーを補充しています」

「‥‥‥大丈夫?」

 本当に心配されているようです。

「はい、至って正常です」

 むしろテンションは高い気がする。

「私は雨男です。つまり雨の日は最強なんだと思います。むしろ雨の日のプロフェッショナルと言っても過言ではありません」

 次の瞬間、雨宮さんは噴き出した。

「何、それ。もしかして、いや時藤君ってかなり変な人なの?」

「よく言われますが、思っていることを口に出しているだけなので」

「生粋の変人だと」

 そう言われるとそうなのかもしれませんが。

「確かにそうなのですが、人に言われるのと認めているのでは雲泥の差があるのでは?」

「アハハハ、天邪鬼だ。

ほら、雨パワーは今度補充するとして、流石にそれ以上濡れると風邪引くから傘入って」

 そう言って、雨宮さんが傘を差し出してくれた瞬間、頭の中で何かザッピングしたように昔の記憶が蘇り、気づくと、私は倒れていた。


 目を覚ますと見慣れない天井が目に入った。どうやらベッドの上で寝ているようです。しかし右隣にはいつものようにハル。左隣にはフウカさんがいる。

いや違う。ベッドの近くの丸椅子に座り、ベッドに身を預けるようにして、規則正しい寝息を立てて、寝ている晴ハルと。

「何しているのかな。君は」

 いつものように学校の人気者の皮を被ったフウカさんではなく、制服姿で、ベッドの傍らで腕を組んで立っている彼女の顔はかなり険しい。

「あの、ここは。どうして怒って?」

「当たり前でしょ!いきなり公園で倒れたって聞いて、聞く所によると、雨の中、ずっと立ち尽くしていたって、いうんだから。怒るのも当然なんだけど」

 ああ、そういうことですか。

 そして見たところここは病院で、どうやら私は緊急搬送されて、学校から今の保護者であるフウカさんに連絡が入ったのでしょう。

「すいません。ご迷惑をおかけしまして」

 起き上がり、私は深々と頭を下げた。

 フウカさんはふ〜っと息を吐いた。

「それで、一人でどうして雨の中で立っていたの?」

「いや、それは」

 流石にこの話をするのは、雨宮さんのプライバシーに触れるので。

「すいませんが、言えません。でも、決して風邪を引きたくて、雨に打たれたくて立ち尽くしていたわけじゃないので」

 雨パワーを補充しているなんて言った日には、今度は違う科を受診することになりそうなので、流石に口には出せない。

「‥‥‥なら、いいけど。それよりも聞いて欲しいんだけど」

 俯き、鎮痛な面持ちでこちらを見る。なんだ。

「ハルちゃんに、今家にいるのは二人だよって言ったら、大泣きされたんだけど!どういうことだと思う!」

 いや、そのままの意味では。

「フウカさんと二人でいるのが嫌なのでは?」

「今は正論なんて聞きたくない!」

 そんなこと言われましても。

 一瞬、流鏑馬君の言葉が脳裏によぎりますが、この人にはわかりやすい言葉で言わないと絶対信じてくれないでしょう。

「夜に妹の部屋に侵入するからですよ」

「あれはちゃんと眠れているか、心配で」

「それが安眠妨害なんです」

「何で!」

「頼みますから、ハルと仲良くなりたいのなら、まずは言葉から始めてください」

「いや、でも、その」

「いいですか!」

「‥‥‥わかりました」

 今までにないぐらいにしょんぼりしている。

「‥‥‥もう一つ、聞きたいんだけど」

「なんでしょうか?」

「さっき、雨宮さんと会ったんだけど」

「‥‥‥‥そうですか」

「知り合い?」

「友達です」

 多分。

 フウカさんはしばらく黙ったまま、こちらを見た後に破顔した。

「そう!なら、いいわ。体に異常はないらしいけど、今日一日入院らしいから。ほら、ハルちゃん帰るよ」

 そう言ってフウカさんがハルの肩を叩こうとしたら、見事に避けられた。それはもう軽やかに。

「‥‥‥‥ほら、起きて」

 見事に避けられた。絶妙に寝返りを打つハル。妹よ、いつの間にそんなスキルを。 

 埒があかないので、ハルは私が起こしたのだが、フウカさんと一緒に帰るまで数時間を要し、最後には今にも泣きそうな表情で、フウカさんに連れて行かれた。まるで拉致。

 今にも泣きそうなつぶらな瞳から、罪悪感に苛まれてしまい、明日家に帰る時はハルの好きなピスタチオでも買って帰ろうと決意した。

 静かになった個室。ベッドに仰向けに寝転び、再び天井を見上げる。

「‥‥‥そっか。忘れてた」

 私がどうして、あれだけ憎んでいた雨が嫌いになれなかった理由を。


『相合傘はいいよ!もはや傘の下に二人でいるということはベッドの上に二人でいると言っても過言ではない!

 あ、ごめん少年には早かったか!

 とにかく凄いことなんだよ。だから雨男の少年に好きな人が出来たら、まず相合傘をすることをめざしなさい!』


 姿はぼやけていて、どんな人が言ったのかはよく覚えてないが、雨の中でもどれだけ厚く黒い雲の中でも、光を差し込むような、明るく、眩しく、どこまでも響くような声でそう言った彼女の言葉を今でも覚えている。

「好きな人と相合傘か」

 もちろんハルとは何度かやったことはあるが、そういう好きとは違うことは何となく私でもわかる。

「どんなんだろう」

 もし、雨宮さんの体質が治ったら、是非ともご協力願いたいもの。

 そこで傍と流鏑馬君の言われたことを思い出す。

 私は雨宮さんが好きなのだろうか?

 よくわからない。わからないが、今相合傘をするのなら、彼女が良いとそう思えた。それだけは確かだった。

「また振り出しに戻ったような」

 それでも最初に協力しようと思った時とは違う。どこか気持ちは晴れやかです。きっと明確な目標ができたおかげだと思います。

 何ができるのか、いまだにわかりませんが、とにかく霧雨さんのアドバイスに倣って、言葉を尽くしましょう。

 次の登校日にまた雨宮さんと話しましょう。ココアを片手に。

 でも、残念ながら、それは実現しませんでした。

 私が入院してから数日間。登校日になっても雨宮さんが学校に来ることはありませんでした。

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